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昭和四年を迎えると、はやばやと中野が前田を訪ねてきた。おそろしく太い声で、ドスのきいた蛮声であった。前田は、中野が自分より二つも三つも年長者のような気がした。「目下、学内でレガッタ(競漕)をつくろうという話が出ているけれど、どこの大学でもやっていることで、わが法政が今更追随するのは馬鹿げていると思う。英国では、ケンブリッジ、オックスフォード両大学のレガッタは有名だが、双方ともだいぶ前から航空部をつくり、スポーツ航空として競技会も催しているそうだ。そこで法政としては、前田岩夫二等飛行操縦士を中心に航空研究会をつくり、わが国学生航空の先鞭をつけようじゃないか」 前田は思わず、踊り出したいほどの喜びを隠そうとせず、中野の両手を握りしめ、「その言やよしだ。その時節の到来を待っていた。ありがとう。お互いに同好の士を募りスクラムを組んで前進しよう」 (平木國夫「天翔ける学徒たち」)
第143号作業、始まりました。『天翔ける学徒たち』はじつに原稿用紙115枚の大作で、作業に四日間もかかりました。今号は、この後、佐々木徳次『奈良公園にて』、丸本明子『施餓鬼法要』、細川明人『雨の日には傘を取って』、山根与史郎『夜空の雲』、内田保夫『墨染に舞う』、針山和美『半病雑記』などですが、特筆すべきは、流ゆり(佐藤瑜璃)の『わが心の沼田流人』が始まったことでしょうか。
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