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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第142号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/11/21(金) 18:56  No.1246
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 にぎわい始めた入口を見つめて美奈が思い出にふけっていると一時間ほどして、美奈の不安を打消すように李枝はオリーブ色のスーツをビシッと着こなしてさっそうと現れた。美人とはいえ、コタンの匂いを感じさせ、周囲の人々から好奇の視線をあびせられたり、美奈自身もコタン出身を教室のメンバーから、特別のまなざしをむけられるのでは? などと心配になっていた自分が、むしろ恥かしくなった。
 美奈は嬉しくなってかけより、手をとって
「しばらくう、よく来てくれたわねえ、うれしい、逢いたかったあ」
(佐藤瑜璃「忘れな草」)

一発目から佐藤瑜璃さんとは嬉しい! 第142号は、この後、土肥純光『男と女』、丸本明子『折鶴』、北野広『こぶしの花の咲くところ』、金澤欣哉『手記のある風景』、山根与史郎『美声の悟得』、内田保夫『墨染に舞う』と続き、最後に針山和美『半病雑記』のスタートです。


 
▼ 手記のある風景  
  あらや   ..2025/11/25(火) 18:39  No.1247
   一病棟は重症者、二病棟は男子、三病棟は女子、五病棟は男女混合と、廊下を幹にした形で各病棟が枝状に伸び、まるで段々畑のように病棟が並立していた。
 大気、栄養、安静が療養の基本であるだけに、病室も廊下も殆ど常時開放に近い状態で、それぞれ他の病棟を望見できる構図であった。
(金澤欣哉「手記のある風景」)

いやー、いろんな意味で感じ入った小説でした。特に、この国立療養所小樽病院の描写から始まる物語展開は興味深い。小説作品の形で小樽に在った結核療養所のことを知れるのはなにか有難い。得した気分。さらに、私の父方のルーツ、積丹半島の余別が登場することにも吃驚。まるで親戚の叔父さんが書いた小説みたい。

 
▼ 美声の悟得  
  あらや   ..2025/11/26(水) 16:37  No.1248
   毎日決まって、昼の十一時すぎに女の高い声を聴く。久しい出入り者の調子で、「こンちわァ」「まィどウ」という二言を聴く。その声は高く、哀しいほどに美しい。若い人なのであろう、珠のように丸みを帯びて、水で拭ったように濡れて響く。鈴とか、鐘ほどには定まったものではなく、人の声の複雑な曲折を含んだ美しさがある。決して哀調ではないが、陰翳の心を含んだ優しさがある。そして、礼節をもった声はだらしなさがない。
(山根与史郎「美声の悟得」)

追悼号の嵐が吹く「人間像」ですが、その陰で新同人の加入もここのところ続いています。まずは山根与史郎さんのデビュー作『美声の悟得』。「悟得」もそうだけど、「繽粉」「恭謙」「擯斥」「嚠喨」「蟬脱」…と初めて目にする漢語のオンパレードで少し焦った。いつも貝塚茂樹他編の『角川漢和中辞典』と久松潜一監修『新潮国語辞典(現代語・古語)』を愛用しているんだけど、今回はフル稼働でした。

 
▼ 墨染に舞う  
  あらや   ..2025/11/29(土) 01:42  No.1249
   「ここは、尼僧の寺というより、女人の寺と呼ぶのがふさわしいでしょう。お嬢さん、待賢門院璋子をご存じですか」
 本堂に近付くと藤島はガイド役の口調に戻った。
「知りません」
「内山さんは――」
「どっかで聞いたような名前ですがね。ちょっと思い出せません」
「では、叔父子という言葉は、どうでしょう」
「全然、わからない」
 と寿子が言う。
(内田保夫「墨染に舞う(2)」)

いやー、北海道の人に「たいけんもんいんしょうし」は読めないよ… ワープロ作業の一台の横で、もう一台にウィキペディア立ち上げて語彙を一つ一つ確認する三日間でした。「美福門院得子」「権大納言藤原公実」「檀林皇后」「橘嘉智子」「源融」「印南野」「交野」「双ヶ丘」「清原夏野」… 私も寿子と同レベルでした。ウィキペディアがなかったら何十時間かかっていたことか、冷や汗ものの『墨染に舞う』ではありました。

 
▼ 半病雑記  
  あらや   ..2025/12/02(火) 13:41  No.1250
   最近、子供時代の夢を見ることが多くなった。これは今回の病気をしてから始まったことではなく、五十代後半からそうなったが、妻も同じことを言っているので、多くの人間に共通の「回帰現象」なのかも知れない。
 (中略)
 今朝がた見た夢は、小学生時代のもので、僕が先生に尋ねている。
「雑貨屋の娘でS子という勉強のできる、可愛い子がいましたよね。あの子、いまどこに居りますか?」
「S子? 知らないね。記憶にないなあ」
 応えている先生が、いつのまにか中学時代の教師に代わっているのに、ぼくはまだ小学時代の先生と思い込んでいて、しつこく同じことを聞いているのだ。
「一度会いたいと思いましてね、その雑貨屋を探しに行ったんですが、いくら探しても見当たらないんですよ。先生なら、覚えているかと思ったのですが……」
「好きだったのかね? ぼくはその子知らないけれど」
「好きだったのかどうか、子供だったから分かりませんが、妙に会いたくて」
「それが、好きだったということだよ。隠すわけではないが、覚えがないんだ」
 もっと良く説明して、何とか聞き出そうと思っているあいだに目覚めてしまった。
(針山和美「半病雑記(1)」)

昔の針山さんだったらこの夢から小説が立ち上がって来るのだろうが、もう立ち上がらない。『半病雑記』のメモの一枚で終わってしまう。悲しいです。

 
▼ 「人間像」第142号 後半  
  あらや   ..2025/12/04(木) 11:20  No.1251
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「人間像」第142号(132ページ)作業、終了です。作業時間、「59時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2798作品」になりました。

M この女分かったよ。療養所にいたとき、ちょっとかわいい、あの女だな(笑)
S フィクションと思ったらノンフィクションですか(笑)
M いや、事実だから作為がない。しかし、それ知らない人でも心打つ作品だ。Kさん、この人一病棟にいた? 上の病棟の。
K いやいや、下。三病棟。
(ここで金沢と同じ結核療養所にいた村上と昔話が続く)
(「同人通信」230/北海道同人会・百四十二号合評会)

ガリ版刷りの「同人通信」が福島さんのパソコン印刷に変わってもの凄く読みやすくなった。合評会の愉しそうな様子がじかに伝わってきて私も嬉しい。ちなみに、Sは佐藤瑜璃さん。金澤さんの『手記のある風景』についての論評部分でした。


▼ 「人間像」第141号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/10/31(金) 10:35  No.1240
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 火照りの残った石の台に横たわっている彼の骨をひろう。
「もう痛くないよねー」
 奥様と二女の美和子さんが肩を寄せ合い哀しみにむせびながら、腰部の骨を拾い壺にかさばる骨を、係の者が先の丸い棒でさくさくと砕いていく。強い炎で焼かれても頑丈さをみせ、大きな骨片として残っているべきなのだが、それは変色しくだけていた。ガン細胞が骨を砕いた痕跡なのか。
 ガンよ驕るなかれ。勝ったのではない。彼と相打ちなのだ。
(村上英治「友よ、さらば」)

第141号作業、始まりました。夏の物事の片付け、冬への準備をやりながらの毎日です。この第141号の発行は平成7年(1995年)の6月20日。ということは1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教などを経験した社会を背景に持ってます。(個人的には、1995年は「Windows95」が発売された年として記憶されます。あそこからここまで一気呵成だったような気がする…)
後半の作品は、土肥純光『さまざまな足音』、佐々木徳次『いくつかの最後』、内田保夫『墨染に舞う』、丸本明子『花茣蓙』、北野広『あーまたこの二月の月が』、日高良子『八百字のロマン』と続きます。


 
▼ 獅子の死のごとくに  
  あらや   ..2025/11/04(火) 16:28  No.1241
   だが私は、三者三様の死を考えざるを得ない。白鳥は最後までガンとは知らされなかった。針田は検査入院の結果告知されるや、周囲のものに自分はガンだということをむしろ積極的に知らせていた。「あまりガンだと騒がないほうがいい」と友人に注意を受けていたことが日記にある。竹内の塲合は完全黙秘だった。誰にも知らせるなと家族に言い含めていた。
 (中略)
 竹内の死に方の希有なことに驚くのも私たちの論理であろう。告知されて三年、手術も拒絶し、ひたすらおのれの死を待っていた竹内に野性的な生きものを感じた。サバンナの象や獅子も死期を知ると、群れから離れ、独りじっと待つという。
 竹内にとって見舞い客などただ煩わしいだけだったろうな、と思う。見舞いの言葉の空々しさや、儀礼的な訪問や同情的な目をいっさい拒否し、世俗と絶って静かに眠りたかったか。
(福島昭午「獅子の死のごとくに」)

追悼文の部分を終え、本日から竹内寛作品集に入っています。「服部ジャーナル」からの作品が多数含まれており大変興味深い。ちなみに「服部ジャーナル」は道立図書館も文学館でも所蔵していません。

 
▼ 私の北海道史  
  あらや   ..2025/11/07(金) 10:31  No.1242
   浪淘沙ながくも声をふるわせてうたうがごとき旅なりしかな

竹内さんの〈私の北海道史〉シリーズから『北の涯の夢』『まぼろしの後方羊蹄政庁』『古代文字の謎』『啄木の歌』の四篇をアップしました。じつに強い四篇です。現在の私が北海道常識としている源流がここにあったのか!と改めて竹内さんを見直しました。(←何をエラそうに!) 最後の最後で「浪淘沙…」の歌が流れてきて、私は感無量です

 
▼ 雪下ろしと煙突掃除  
  あらや   ..2025/11/08(土) 17:41  No.1243
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 戦前戦後の子供たちの大きな仕事は、屋根の雪下ろしと、煙突掃除であった。
 サンタクロースでおなじみの三角屋根と四角の煙突は、実際には、ほとんど戦後のものだったから、私たちの経験した煙突は皆、二十センチ程度のブリキの丸いやつで、丸いブラシでよく掃除した。家庭用は、悪い石炭を使っていたので、すぐ詰まり、一週間ともたない状態だった。寒さと、遊びに行けない不満で、親子の大きなトラブルのもとだった。
 雪下ろしも、もう一つの不平材料だった。屋根といっても完全ではなく、特に、継ぎ目の多い屋根では、暖房の不完全も手伝って、暖気で解けた氷が、目詰まりし、寒さで折り重なって凍りつき、それをマサカリの頭でたたき割るという悪循環で、いつも雨漏りが絶えなかった。
 先日のテレビで、雪下ろし専門の人が話をしていたが、何よりも仕事は長靴が肝心で、月に三足は履き替えているとのことであった。それでなければ、あの滑る傾斜面では作業にならないのだろう。おれは大丈夫だ、と二年も三年も冬靴を履き替えないようでは危険この上ない。
 この二つの危ない寒い作業から解放されているだけでも、最近の子供たちは恵まれている。その分、もっと勉強しろなどと言っても、それとこれとは別だと、まったくレースになっていない。
(竹内寛「雪下ろしと煙突掃除」)

竹内寛追悼作品集部分は本日完了しました。全文引用した上の小品は、北海道新聞(1995年3月13日)のコラム「朝の食卓」に載った竹内さんの遺稿です。

 
▼ 平成七年一月十七日  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:08  No.1244
  「これは大変なことだ」と思いすぐ電話機をとった。神戸には丸本明子、奈良には佐々木徳次の両同人がいる。しかし「ただ今、その方面の電話は緊急なものを除き遠慮して頂いております」という録音の声が繰り返されるばかりだった。
 電話を諦め、両名に見舞いの葉書を出して、あとはテレビに釘付けになった。
 朝のうちはヘリコプターからの映像が主で、戦時中、空襲や原爆にやられた東京や広島を憶い出させた。
(春山文雄「阪神大震災雑感」)

 ボランティアで、十分ほど、車で走っていきますと、焼け野原の、マンション、ビルの倒壊と、凄ましい形相を呈しています。愛した街が、一瞬にして消え去りました。文化とは、人生とは、人間とはを根底から問いなおそうと思っています。戦中戦後の悲痛と、「阪神大震災」の悲痛と、その間の人生図が、うごめいています。犠牲者の方々の冥福を祈ります。
(丸本明子「『阪神大震災』のこと」)

増え続ける犠牲者の数と、崩壊する建物、燃え続けて次々に廃墟化して行く街の姿に、東京大空襲の翌日、目のあたりにした下町の悲惨さをダブらせて呆然としていた。
(楢葉健三「兵庫県南部地震」)

 こんどの阪神大震災で、テレビの画面にひろがる焼野原をみて、終戦になって数日後、汽車の窓から眺めた広島の街を思い出しました。(中略) そして着のみ着のままで焼け出された年輩の男性の「生命だけは助かったのを倖せに思います」と言った卒直な感慨にも、あの頃がオーバーラップしていました。五十年前、それは私の言葉でもあったのです。
(佐々木徳次「戦争体験」)

 
▼ 「人間像」第141号 後半  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:12  No.1245
  「人間像」第141号(186ページ)作業、終了しました。作業時間は「86時間/延べ日数20日間」。収録タイトル数は「2781作品」。裏表紙は前号と同じなので省略します。
庭の樹の冬囲いとか、冬タイヤへの交換とか、あれこれやらなければならないことがこの時期にはあって、なにか落ち着いて作業できない竹内寛氏の追悼号でした。

阪神淡路大震災に自らの戦争体験を重ねる最後の世代ではないだろうか、「人間像」は。


▼ 「人間像」第140号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/10/14(火) 16:45  No.1234
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 さきに針田和明を失ったばかりというのに、今度は白鳥の死を伝えられた。共にガンによるものだ。その故か、病名は違うかたちでしか知らされず、私達は、やがてまた回復して元気になるものとばかり思っていた。訃報は、そんな思いを打ちのめすかたちでやって来るのだ。
(土肥純光「追想の白鳥昇」)

第140号作業、開始です。画像をご覧になってもおわかりの通り、第140号は「白鳥昇追悼特集」号です。同人たちの追悼文に続いて、昭和37年6月発行の「人間像」第62号に発表された白鳥昇『星は何でも知っている』が再掲載されています。
後半の作品は、佐藤瑜璃『情愛』、土肥純光『忘れ花』、北野広『六十四才の誕生日』、内田保夫『病室にて』。


 
▼ 星は何でも知っている  
  あらや   ..2025/10/15(水) 17:14  No.1235
   柴崎はその男を何気なく追っていたが急に尿意を催して、左手の細い袋小路に入った。放尿は実に気持のいいものであった。柴崎は悠々と放尿しながら、あーあと深く長い欠伸をした。と、その時、不意に、全く不意に後方でおし殺すような、それでいて腹の底までゆさぶるような音がはじけた。その瞬間、柴崎は反射的に放尿をやめた。何かしらショックだった。袋小路からとって返すと、その眼の前を自転車に乗った男が全速力で駈けていくのが見えた。肩巾のはった足の長い頑丈そうな男であった。顔はよく分らなかったが、それでも何処か特徴のある顔だった。
(白鳥昇「星は何でも知っている」)

「人間像」第62号を作業していたのは2019年11月頃だから、もう六年前になるのか… 久しぶりに『星は何でも知っている』を読み返しました。引用で気がつかれた方もいらっしゃると思いますが、この作品は、1952年(昭和27年)1月札幌で発生した「白鳥事件」を題材にしています。白鳥さんが白鳥事件を書くのか…といった戯れ言はともかく、松本清張『日本の黒い霧』を読んで以来私も「白鳥事件」には大変興味を持っていましたから『星は何でも知っている』は何度も読み直したことを記憶しています。冬の札幌で、二台の自転車によるチェイス?、発砲?、今でもこの事件を想像できないんだけど、松本清張も保阪正康も白鳥さんもそこんところは全然気にしてないんだよね。

 
▼ 情愛  
  あらや   ..2025/10/16(木) 16:25  No.1236
   「ああ海だ、海が見える。海が見えた、ああ海だ。」
 夏子は車窓にひたいをくっつけて、暗い深い穴の中から這い出したように、声を出さずに叫けんだ。夢中でバッグを握りしめた、バスがとまると、ふらふらと降りた。
 磯の香りを胸いっぱいに吸いこんだ。「波の音が、潮風が」、長い間忘れていた微笑がうかんだ、海に向って走った。
 砂浜にヒールが埋って、思うようにすすまない、靴をぬぎ捨て、重いバッグを投げだして腰を下した。海の見えない、終日夜のような家で過した日々を思う。夏子をつき放し、この北の海へとかりたてた言葉を思う。
(佐藤瑜璃「情愛」)

追悼部分が終わり、通常の「人間像」作品に入っています。白鳥さんの緊張感漂う文章から一転、佐藤瑜璃さんの海が見える文章が始まると何故かほっとする。年をとったということなのかな。三十年前の「人間像」をもう一度やれと言われたら、ちょっと辛いものがありますね。

 
▼ 忘れ花  
  あらや   ..2025/10/17(金) 11:29  No.1237
   「いや、八島さんは戦前から戦中の女優さんで、私は戦後に映画の仕事をするようになったんで、そういうことはなかったんです。ただ、あの人の芸名の月野麗子という名は私も仕事柄知ってはいましたよ。八島さんが比処へ住むようになったのは、ただの偶然に過ぎないんです。しかし私にしてみれば、同じ映画の仕事をしていた人という、そんな思い入れというのはありますけどね」
 結局、犬の話は映画の話題にすり替わってしまい、須田にとっては、八島フサに対する関心を、俄かに強く持たされる結果になっていた。
(土肥純光「忘れ花」)

しっとりとした、いい話。百点満点の展開ではないだろうか。

 
▼ 病室にて  
  あらや   ..2025/10/18(土) 14:30  No.1238
   「心臓病というけれど、何なのだよ」
 一概に心臓病といっても、狭心症、心筋梗塞、心臓肥大、心臓弁膜症、心臓性喘息等、いろいろな症状がある。
「一番高級の病気だよ」
「高級? 病気に高級も低級もないだろう」
「それがあるんだ。心臓神経症っていう奴が」
「心臓神経症?」
 聞いた事のない病名だ。
「どんな症状なのだ」
「神経症の一種で、身体に何も異常がないのに、動悸、胸痛があって、心臓病を思わせるもので、症候群だ」
(内田保夫「病室にて」)

なにか、いつもの内田さんの調子とちがう。何だろう、これ…と考えて、ふと、昔の白鳥さんの文体を思い出したのでした。

 
▼ 「人間像」第140号 後半  
  あらや   ..2025/10/21(火) 18:31  No.1239
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「人間像」第140号作業、終了です。作業時間は「39時間/延べ日数9日間」。収録タイトル数は「2726作品」になりました。
「39時間」について。本体は前号と同じ120ページですが、約40ページにわたる『星は何でも知っている』にはすでに第62号で作ったファイルがあり、時間の節約ができました。ただ、今号は画像の数が多く、39時間の内、じつに7時間を画像データ作成に費やしています。通常の「人間像」作業とは大きく異なっており参考にはなりません。

☆相次ぐ仲間の死で思うことは、年を重ねるにつれて増す時の流れの速さだ。青春時代は文学だけが生き甲斐のように夢中になれたが、働き盛りの中年期は仕事に総てを奪われ、文学は胸中でくすぶるだけで、意のままになってはくれない。仕方なく定年を羨望するようになり、老年期に望みを托す。しかし、老年期はそんなに優しく迎えてはくれない。「ゆとり」と思っていた時間が病いとの「闘い」の時間になってしまう。還暦から古希の者が多いが、その殆どが何等かの「病気持ち」である。病気と闘いながらの創作活動は誠にシンドイが、やるだけやるしかないようだ。(針山)
(「人間像」第140号/編集後記)

じつは、次の第141号も「竹内寛追悼特集」号です。冬はじわじわと近づいて来るし… 少し重苦しい十月です。


▼ 「人間像」第139号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/09/29(月) 11:19  No.1229
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 庭の灌木に隠れるようにして、少女が独りで遊んでいた。少女の着ているオレンジ色の服が、木洩れ日を受けて明るく光りをはじいて、眩しいばかりに鮮やかだった。
(土肥純光「揚羽蝶」)

「人間像」第139号作業、開始です。本日、土肥純光『揚羽蝶』をライブラリーにアップしました。以下、佐々木徳次『母のいる遠景』、内田保夫『成田山新勝寺』、北野広『雨降れど』、丸本明子『考える人』、金澤欣哉『半島・うたたか』、朽木寒三『柚木完三の青春日記(最終回)』と続きます。

第139号で特筆すべきは、佐藤瑜璃さんが「流ゆり」のペンネームで父・沼田流人の思い出を書き始めたことでしょうか。『月光』という短い作品ですが、この思い出話は、回を追う毎に次第に長くなって行きます。楽しみです。


 
▼ 成田山新勝寺  
  あらや   ..2025/10/02(木) 17:45  No.1230
   京成成田駅を吐き出された人々は、一車線の通りを進行する車を止めて横切る。
 左折すると道は幅が三メートルぐらいになる。成田山に初詣りに行く人と帰る人が交じりあってごったがえしていた。
 成田山とは全国に別院を持つ寺で日本一の不動明王を祀ってある寺で、正しくは成田山新勝寺。
 この成田山。山号であるのに、ある年のある晴れた日曜日。筑波山を登山した帰りに、ふと成田山を思い出し、成田に立ち寄った大学生らしい若者数人が、千葉県の地図を買って成田山を探しても山が見当らない。思い余って、京成の成田駅の駅員に訊ねた。
「成田山に登りたいんですが、どう行ったらいいのでしょうか?」
 これは本当にあった話。
(内田保夫「成田山新勝寺」)

本当に成田山ガイドに徹した作品でしたね。いつもの京成電鉄ものみたいに重くなく、気楽に読めました。佐々木さんの『母のいる遠景』が長く重かったので、適度な息抜きになりました。さあ、次、行こう。もう十月だ。

 
▼ 半島・うたかた  
  あらや   ..2025/10/05(日) 16:25  No.1231
   坂道左下に見えていた川添えの家が消えて、視界に広い高原が開けてきた。市尾町から約四十分、いくつかのトンネルを列ねた海岸ばかり続いた道が、ここではじめて海を失い、起状のゆるやかな畑地と森林と草原の斑な原野が出現した。
「へえ、半島だから海ばっかりと思っていたけど、こんな高原があったんだ」
 松永は車のスピードをゆるめた。
「うん、この辺はたしか婦宝高原とかいって、戦後、開拓者があの山の近くまで入植したらしいんだが、今では大分離農しているようだよ。潮風が強くて余り出来がよくないってさ。婦宝――つまり『婦人の婦に宝』って書くんだけどなかなかシャレてるよな」
「如何にも高原って感じじゃないか。床丹高原か、こりゃいいよ」
(金澤欣哉「半島・うたかた」)

いやー、激レア地名! 「市尾」でも「婦宝」でも、ヤフーで引くととんでもない答えが返ってくる。かろうじて「床丹」から別海町方面の答えの道筋が見えてくるけど、なんかスパーッとした検索にならない。生成AIを多様するようになってから一段とひどくなったような気がする。(以前、『たんぷく物語』を調べていて、「大阪福島焼肉とっぷく」が出て来た時には笑ってしまった。) 金澤さんの物語は、まだまだ未知の北海道を私に教えてくれます。

 
▼ 月光  
  あらや   ..2025/10/11(土) 11:18  No.1232
   倶知安峠に夕暮が迫っていた。私はヘッドライトを点灯し、ハンドルを握りなおした。サーモンピンクの残照の中で羊蹄山が、あぐらをかいて坐っている父の姿とオーバーラップして「大丈夫だ、落着いて来い」と言っているように見え、私は思はずアクセルを強く踏んだ。トンネルをぬけ、カーブを曲ると、羊蹄山の上に白い月が光っている。国道を左に折れると懐かしい実家への道だ。
(流ゆり「月光」)

倶知安峠。トンネルをぬけ、カーブを曲ると…

私も懐かしいです。今朝の最低気温、山麓は氷点下になったみたいですね

 
▼ 「人間像」第139号 後半  
  あらや   ..2025/10/12(日) 09:46  No.1233
  「人間像」第139号作業、終了しました。作業時間は「53時間/延べ日数13日間」。収録タイトル数は「2705作品」です。120ページですから、こんなものでしょう。裏表紙は前号と同じですので省略します。

★半年ぶりに自宅で校正することになった。この半年の間に細川・羽田・村山と三つも政権が変わった。今度は自・社連合だと言う。油と水がどのように混じり合うと言うのだろう。まったく訳の判らない世の中になったものだ。碌なことにはならないであろう。
★長い間連載して来た朽木の『柚木完三の青春日記』が最終回となった。戦後まもなくの古き若き時代が懐かしく想い出され、好評であった。(針山)
(「人間像」第139号/編集後記)

引用はしなかったけれど、『柚木完三の青春日記』には感じるものがありました。復員して来てからの一年間、職を見つけるための漂流の日々をこう淡々と語れるところが朽木さんの魅力ですね。さあ、140号台に入ります。


▼ 名月や山あり川あり   [RES]
  あらや   ..2025/09/14(日) 18:51  No.1223
   山があって川があって海もある風景の一点景となって、鍬をにぎり、釣り糸をたれ、山羊の乳をしぼる――そんな独り暮らしができたらどんなに幸せだろう、とこれまでにたびたび夢みた。人の世の煩わしさにうみ疲れたときこの夢は、そッと忍んできて放心の世界に誘う。けれども友人の一人は苦笑を浮べて
「ぜいたくな夢をみる奴だ」とあきれ、ある先輩は背中をどやしつけていった。
「モリモリ、ビフテキを食って、ガブガブ酒を呑んで、ジャンジャン遊ぶ夢でも見ろ。この怠け者めが」
(古宇伸太郎「名月や山あり川あり(一)」)

人間像ライブラリーに古宇伸太郎『名月や山あり川あり』と『私の百姓記』をアップしました。どちらも「農家の友」「北方農業」といった農業雑誌に掲載されたものです。
なぜ農業雑誌? と思われるかもしれません。これは昭和40年8月発行の「人間像」第70号に発表された古宇さんの『おらが栖』という作品に起因します。小樽銭函の山に家族全員で移り住む…という話ですが、これに興味を持った農業雑誌関係者が作品を依頼したのでしょう。『名月―』は『おらが栖』のダイジェスト版といった感じですね。
『おらが栖』はもう一度「人間像」に登場します。それは第92号「古宇伸太郎追悼」号。福島昭午『父・福島豊』にも驚いたが、古宇さんが旧作にも死の直前まで手を入れていたことにはもっと吃驚しました。こういう鬼気迫る作家、いなくなったなあ。


 
▼ 北の話  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:07  No.1224
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北海道のローカル誌「北の話」より、平木國夫さんのエッセイを二篇、針山和美さんのを二篇、人間像ライブラリーにアップしました。

 私が喜茂別から出ている「人間像」の同人になったのは、最初の渡道より十三年も前の昭和二十九年、三十歳のときであった。私の文学への旅立ちは人より遅く、二十五歳になってからだが、文学上の友人が皆無だから、「文章倶楽部」と「文芸首都」に交互に小説や詩を発表するしか道がなかった。やがて投稿家仲間で倶知安生れの朽木寒三同人が、「人間像」入りをすすめてくれたのだ。そのころの私は、東京・横浜のいくつかの同人雑誌から勧誘されたり、「文芸首都」同人になる寸前だったが全部中止して、えりにえって遠い北国から出ている無名の同人誌に参加したことになる。朽木が大そうすぐれた作品を発表し続けていたので、彼が所属している雑誌なら考える必要もないと思ったのだ。
(平木國夫「北の旅」)

原稿枚数に制限がある分、言いたいことがはっきりしていて読みやすいですね。もう一つのエッセイ『音更だより』は、タイトルからもお解りの通り「さい果ての空に生きる・上出松太郎」さんに関する文章です。

 
▼ 支笏湖をめぐって  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:14  No.1225
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 支笏湖への道は千歳、苫小牧、札幌の三方から行くのが普通で、私の住んでいた後志からはかなり遠回りになる。そのため割りと近くにありながら行く機会がなかったのである。しかし、二五○tの新車の魅力は冒険心をくすぐる。私の地図の中に有るか無しの細い道を頼りに、喜茂別から美笛峠を越えるルートを択んでみた。喜茂別の双葉部落までは良く知った道だが、そこから先は初めての道である。
(針山和美「支笏湖をめぐって」)

小説『支笏湖』の造りが美笛峠を通るルートだと気がついた時の興奮はちょっと言い表しようがないですね。京極にいた頃、私の中の〈山麓文学館〉の行動範囲がばーんと拡がりました。針山さんのかなりの作品が倶知安に暮らしていることを前提に書かれていることを倶知安の人たちはもっと知るべきだと思います。私は、「倶知安の文学者」だの「京極の文学者」だの、おらが町の自慢話みたいな田舎趣味を嗤うものですが、倶知安の町があまりに針山和美さんに無頓着なのにはさすがにあきれています。

「北の話」には懐かしい広告が溢れていて、これも楽しい。

 
▼ 後志の山々  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:17  No.1226
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 いつか八木義徳氏と泊村の温泉旅館でご一緒したとき、「山型人間」と「海型人間」という話が出た。海型は開放的でなんでも許してしまえるが、山型は閉鎖的で仲々許せないところがある。――という意味の話をされたことがあった。八木氏は室蘭生まれの室蘭育ちで、性格も海型だということだったが、話を聞きながら私はどちらだろうかと自問していたものだ。閉鎖的といえばそんなところもあるし、しかし「許せない」というほど狭い性格でもない。どちらかといえば鷹揚で行き当たりばったりというところもある。この呑気さは北海道的というのかも知れない。いずれにしても山に接すればほっとし、こころ安らぐところを見ると、「山型」には違いないと納得しているのである。
(針山和美「後志の山々」)

『積丹遊覧記』、やっといてよかった。あれは、同人のいろんな文章に効いてくる作品なんですね。広告は、札幌の「天政」「レンガ亭」とか、帯広の「モンパルナス」「弁慶」とか、苫小牧の「ホテルニュー王子」「そーらん亭ながの」とか、室蘭の「割烹浪花」「富留屋のうにせんべい」とか、もっともっと紹介したいところですが、この後、古宇さんや福島さんの作品が控えていますのでここで止めます。

 
▼ たんぷく物語  
  あらや   ..2025/09/18(木) 17:36  No.1227
  人間像ライブラリーに古宇伸太郎『白と黒』、座談会『青年作家を語る』を加えました。これで今回の古宇さん関係は終了です。ここからは福島昭午さんの『たんぷく物語』。

 五十号は駄作コンクールに終わるのではないかと懸念されたが、案に相違して反響が二つあった。一つは福島の「たんぷく物語」で「北海道教育評論」という教育誌より連載の申込み、一つは朽木の「人命救助の話」で、「新汐」編集部より至急別な作品を送れといって来たことだ。
(「人間像」第51号/編集後記)

針山さんが「北海道教育評論」と書いたため、探すのに実に信じられないくらいの時間がかかりました。これ、「「北海教育評論」」だったんですね。「道」の一字が入ったために、一時は道立図書館はおろか国立国会にも存在しない…、そんなことってあるんだろうか…とあたふたしたのです。で、見つかって、今期二度目の道立図書館でした。全巻揃っていないので、もしかしたら北大の付属図書館に行くかもしれない。

 
▼ たんぷく物語 〈北海教育評論版〉  
  あらや   ..2025/09/24(水) 18:56  No.1228
   「よく熊にみつからなかったもんだな。」と野見がいうと、
「したって先生、オヤジの風しもにいたんだもの。オヤジのにおいがしたベサ。」
「ふーん、なるほど。で背中にかついで行ったのは、やっぱり緬羊か。」
「うん。」
「緬羊は、なかなかったかい。」
「あのね オヤジは、メンヨでも馬でも獲るときには、風しもからコソッと忍びよってね、いきなり跳ぶんだよ。そして、メンヨの上に落ちる時に、首ばたたき落すベサ、ネ。したから、ないてるヒマもないわけさ。」
「ふーん。頭のいいヤツだな。」
 野見は感心してしまった。
(福島昭午「たんぷく物語(七)」/ヤマの晩秋・2)

いやー、北海教育評論版「たんぷく」、面白かった! 話がどんどんつながって、大宮や岩山といったキャラが立って、当時の山麓を描いた第一級史料じゃないだろうか。

北大図書館には行ってません。たぶん、出版社のミスが二回重なって、幻の『たんぷく物語(十)』が発生したのだろうと考えています


▼ 「人間像」第138号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/08/20(水) 16:49  No.1219
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針山さんの小説がない「人間像」第138号作業が始まりました。第138号の作品群は、日高良子『残照の果てるまで』、葛西庸三『模索の中で』、佐々木徳次『ラストの歌へ』、北野広『羽搏き』、丸本明子『土龍』、内田保夫『本棚』と続きます。

「あき子、避病院にいる看護婦さんを知っているか?」
 と問われた。
「ううん、知らない」
 あき子は首を横に振った。
「大島医院の看護婦さんだけど、避病院の一室を借りて通勤しているんだ。とても頭の良い人でね。何でもよく知ってるよ。あき子もあの人と友達になるといい」
 桂一は思いなしか頬を紅潮させているように見えた。
「へえー、そうなの。お兄ちゃん、どうしてその人を知ってるの?」
「うん。青年団の連中が時々遊びに行っては、いろいろ話をするんだよ」
「何歳くらいの人なの?」
「そうだな、二十七か八くらいかな」
「ふうん。でも、そんな年上の女の人と友達になったって……」
(たいして面白くもないじゃあないの)
 あき子はあまり気乗りがしなかった。
「妹がいる……と話をしたら、瑞枝さん……その人、新谷瑞枝というんだ。是非会いたい、お友達になって欲しいって言ったんだ」
(日高良子「残照の果てるまで」)

本日、『残照の果てるまで』を人間像ライブラリーにアップしました。作品に「新谷」さんが登場したの、針山和美『三年間』に続いて、これで二度目。


 
▼ 模索の中で  
  あらや   ..2025/08/23(土) 08:49  No.1220
  ――お早ようございます。
 最近漸く自分の生活する場所として落ち着くようになった職員室へ、耕治はいち礼をしながら入った。
 目が細く何時も笑っているような表情をしている熊野校長が顔をあげ、
――やあ、お早うございます。峯崎先生、今日は早いですね。
といって耕治を迎えた。桧森先生は職員室の右隅にある謄写版で印刷の仕事をしていた。
――ゆうべ、遅かったんでしょう。ひと眠りして目覚めたら、峯崎先生が部屋の中を歩き廻る音がしてましたよ。
――ええ、ちょっと書き物しようと思っているもんですから。ぼく達の住宅は、素通しの一軒家みたいものですからね。
 耕治と桧森先生は目を見合せて小さく笑った。
(葛西庸三「模索の中で」)

おや、「峯崎」さんだ。

 
▼ 千歳着陸一番機の正体  
  あらや   ..2025/08/30(土) 11:08  No.1221
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 ――さてここに、まことに不思議な飛行機、10式艦上偵察機に就いて申し述べておきたい。私が死んだら、もう誰も知る人も無くなるであろうと思うからである。私が10式艦偵について詳細に書くのは、これがはじめてであり、また終りでしょう。
(平木國夫「千歳着陸一番機の正体」)

うーん、久しぶりの上出松太郎。これを何と言えばいいのか。今でも、さい果ての空に生きる…以外、私には言葉が見つからない。あれこそ名作。

作業しながら、私は武井静夫さんの仕事を思っていました。時間が経てば、繕ったものはいずればれる。今、第138号作業を終わらそうと急いでいます。それは、探していた沼田流人『浮浪の子』が見つかったから。早くそちらの作業に移りたく、でも平木さんの仕事に手抜きはゆるされず、と贅沢な悩みの今週でした。

 
▼ 「人間像」第138号 後半  
  あらや   ..2025/08/31(日) 16:35  No.1222
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「人間像」第138号(164ページ)作業、終了です。作業時間は「57時間/延べ日数12日間」。収録タイトル数は「2671作品」になりました。裏表紙は前号と同じ『遙かなる道』ですので省略します。

★前号に引続き執筆者の広がりは続いており、喜ばしいことだが、それにしても心配は健康のことである。はずかしながら今回もベッドの上でこれを書いている。校正の作業は家内にやって貰った。お互い体は大事にしたい。
(「人間像」第138号/編集後記)

お互い体は大事にしたい…か。こういうユーモアがいつも針山さんの小説にはあって、私は大好きです。

画像は大正10年8月16日の「東京日日新聞」八面。第138号作業が無事終わったので、直ちにこちらの作業にかかります。報告は読書会BBSの方で。


▼ 「人間像」第137号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/08/04(月) 16:52  No.1213
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針田さんの作品収集が一段落しましたので「人間像」の作業再開です。第137号は178ページ、発行年が平成6年(1994年)に入っています。
第137号の作品群は、内田保夫『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』、丸本明子『欠ける』、北野広『六十三才の誕生日』、佐藤瑜璃『古びた紫陽花』、春山文雄『湖畔の一夜』、平木國夫(おお久しぶり!)『北津軽郡金木町』に続いて針田和明『病床日記』の最終回。本日、『内にも外にも狼虎が牙を研ぐ』を人間像ライブラリーにアップしたところです。


 
▼ 古びた紫陽花  
  あらや   ..2025/08/07(木) 16:47  No.1214
  「どうしてまた……急に……」
 辞表をつきつけられた部長は驚いて大声をあげた。圭子は昨夜から何度か口に出してみた言葉を、ニッコリ笑いながら明るい声で言ってのけた。
「働きづくめの人生なんて、あまりにも佗しいじゃありませんか、のんびりしたくなったのですよ、歳ですからね」
(佐藤瑜璃「古びた紫陽花」)

「あのう……」
 二人の声が重なった。思わず視線が絡みあい、微笑みが交錯した。気がほぐれた。
「どうぞ」と男がいった。
「ええ、あのう、奥さんも来ているのではないかと思いましたものですから……」
 探るような言い方になった。
「ああ、そのことですか。……探してはいるのですが、ここに居るとは限らないのです。どこに居るのか分からないものですから、当てもなく探しているのですよ」
(春山文雄「湖畔の一夜」)

『古びた紫陽花』、『湖畔の一夜』、アップしました。単にこの二作品が誌上で並んでいたからという理由ではなく、私はこの二人の作品にはなにか魂の同調性みたいなものをいつも感じるので一度並べて考えてみたかったのです。女の孤独、孤独の女…かな。

 
▼ 柚木完三の青春日記  
  あらや   ..2025/08/10(日) 09:59  No.1215
   それはそれとしてぼくはとうとう二十一才も半分終わった。あと八年ちょっとで三十になる。このような荒れ果てた敗戦国に生きて帰ったものの、後のわずか八年間でぼくは独立して家を支える一人前の大人になれるのだろうかという不安と絶望感がいつも胸の奥にひそんでいる。そしてチクリ、チクリと心を剌す。新聞その他で見聞きする日本に科せられた巨額な賠償金だって、結局はみんなこれからのぼくらの肩にのしかかる重圧だ。ぼくら負けるのがいやで戦いに出たのに、結局負けてしまった。こんな焼け野原で何もかも失った日本が、賠償金など払えるわけがない。
 ぼくら一体どうなるのだろうか。
(朽木寒三「柚木完三の青春日記(5)」)

19才ですでに戦争体験があり、復員した昭和21年の日記を48年後の平成6年(1994年)の「人間像」に発表する朽木さんの心象風景ってどうだろう。針山さんも、つい先だっての「人間像」で自分の代用教員時代を舞台にした小説を書いたばかりだし、それはとても興味深いことだ。そして、それは令和7年夏を生きる私にはとても面白いんだよね。闇市の美人姉妹とか、倶知安中学で英語を教えていた父とか。いや、不思議。お盆も近い。あちらから還ってくる人たちも増えた。

 
▼ 病床日記  
  あらや   ..2025/08/15(金) 12:18  No.1216
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終戦記念日か… 毎日トランプの顔が映るテレビを見て、これから戦争と破滅の世界が来るぞとの思いを禁じ得ない。針田さんの『病床日記』、本文は辛くて引用できません。私も最後の一ヶ月が苦しかった。

〈編集部註〉
 針田の遺稿も今回で終了となった。亡くなったのは一年前の三月九日、日記の最後は五日になっている。書けなかった四日間については町子夫人に補充して頂こうと思ったが時間的にも余裕がなく無理であった。
 校正しながら、淡々と書かれてはいるが、死を目前に感じながら、精一杯生への軟着陸に望みを托していたであろう心の中がモロに伝わって来るようで、遣り切れなかった。僕も今十種類ほどの薬を呑んでいるが、名前など一つも知らない。知ってもどうにもならないと思っているから聞いたことも調べたこともないが、薬学専門の針田は薬や注射を見ただけで、自分の置かれている現状が厭が上にも分かっていたことであろう。最後のひと月ほどの部分は見るのも苦しいほどだった。(針山)

 
▼ 「人間像」第137号 後半  
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:21  No.1217
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先ほど、「人間像」第137号(178ページ)作業を終了しました。作業時間、「69時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2656作品」です。

■然し、良いことばかりではない。同人の年齢化と共に躰のあちこちに故障が出てきたものも多く、斯く言う僕自身も、実は病院のベッドの上で校正をし、これを書いている始末である。三十年前の「肝炎」が再発したのだろうと言われている。昔は単に「慢性肝炎」と言われたが近頃では「C型肝炎」などと言ってまるで、「不治の病」のように言われている。発熱と黄胆がひどくなっての入院となった。
(「人間像」第137号/編集後記)

針山さんの人生三度目の闘病生活が始まりました。今号の小説『湖畔の一夜』は、作家としての針山さんの実質的最後の作品といってもいいでしょう。これ以後の針山さんは通院・入院治療に入りこみ、薬の副作用もあってどんどん気力の減退に見舞われて行きます。また、同人たちの相次ぐ訃報も気力を削ぐ原因になったでしょう。
三年後の「人間像」に突発的に『白の点景』という作品が発表されます。これが針山和美最後の小説作品ですが、これは七冊目の単行本『白の点景』のために残った気力を振り絞って書かれたもので、なにか、『湖畔の一夜』まで毎号のように発表し続けた精力的な針山作品群とは趣を異にしていると感じます。もう針山さんの小説を読めないんだ…と思うととても悲しい2025年の夏です。

 
▼ 遙かなる道  
  あらや   ..2025/08/17(日) 17:24  No.1218
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 小説を書き始めてから、一冊の本を出したい、という願望があった。いままでに書いた物は、百二十枚から十七枚ぐらいの物で、これを集めれば作品集にはなるだろうが、夢は長編であった。
 長編は一歩誤れば愚作になる可能性があると信じていた。それだけに恐ろしく書けなかった。しかし、書きたいという欲望から推考中の二編のうち、資料のあるこのテーマを今回まとめてみた。
 初めは創作のつもりで書き始めたのだが、寺の縁起が欠かせない部分になった。それでまずお断わりするのだが、この本は単なる西国三十三ヶ所霊場札所の「巡礼案内記」ではなく、著者の希望としては、狂信的に流行った巡礼の一時期が過ぎた頃を、古寺参りの最後として、巡礼者は何を求めて歩くのかを知りたくなって、霊場札所の寺参りをした。その活写をフィクションを交えて構成した物語がこの本である。(著者あとがきより)

内田保夫さんの初の単行本。


▼ 八木義徳先生積丹遊覧記   [RES]
  あらや   ..2025/07/04(金) 17:50  No.1202
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八木 なるほどね。で、針田君はおくさんとはいつ知り合ったの?
針田 ゴミ・ステーションから、一升ビンひろってるリヤカー時代。
八木 ウーン、それはよかったねえ。
針田 どん底のときです。
八木 実生活の一番苦しいとき、めぐり会えたのはいいことだなあ。はみだした人生、それが文学の美くしさにつながるものねえ。
(針田和明「八木義徳先生を迎えて 積丹遊覧記」)

ついに「同通」に手を出してしまった。これが吉と出るか凶と出るか、しばらく様子を見てみたい。いつもの「人間像」とは相当異なります。でも、出した以上は多くの人に読んでもらいたいとも思っています。感想をお聞かせください。生きている時の、小説をばりばり書いていた頃の針田さんの声が聞こえて来て私は泣きそうになった。この『遊覧記』に登場する人たち、もう誰もいないんだもんなあ。


 
▼ 月刊さっぽろ  
  あらや   ..2025/07/14(月) 11:04  No.1206
  「月刊さっぽろ」の方はなんとかなりそうです。道立図書館の蔵書検索で〈雑誌〉〈詳細検索〉で〈針田和明〉を引くと17作品がヒットしました。追悼号の年譜で紹介されているかなりの作品をカバーできそうです。
詳細検索、面白いので〈佐藤瑜璃〉で試すと「該当作品なし」の表示。〈村上英治〉で引くと『北浜運河』6回分の表示が出て来ました。(『北浜運河』の連載は全24回) どういうことなのかな…と最初は解らなかったのですが、〈古宇伸太郎〉〈福島昭午〉を引いてみてやっと気がつきました。これは道立図書館の「札幌」偏重ですね。つまり「月刊さっぽろ」については雑誌の中の全作品データを採るが、「月刊おたる」については重要と思われるデータを一つだけ付記する…ということですね。「北方文芸」は全データを採るが、「人間像」は無視ということなんです。そんなに「札幌」が有難いのか…と思う。一応「北海道」を名乗っている図書館なのだから「北海道」全部をやるべきなのではないだろうか。「人間像」のデータなら私は無償で提供しますよ。同じような気持ちを持っている人は全道各地にいると思う。そんなに難しい仕事じゃない。

 
▼ 笑って過ごそう 一月  
  あらや   ..2025/07/14(月) 11:10  No.1207
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 ある作家から聞いた話だが、ノーベル文学賞作家である川端康成の奥さんが『「雪国」の駒子にだけはシットしました。他の女性には別にこれといって感じませんでしたが……』と語っていたという。女の嫉妬心は男が「あっ」と驚くところにまで発揮されるものである。
(針田和明「笑って過ごそう 一月」)

金曜日に「まだ雑誌が届かない」と書いたら、その日の午後に連絡がありました。で、土曜の朝一で図書館に行って、昨日人間像ライブラリーにアップしたところです。残念なことに「月刊さっぽろ」に連載された昭和52年新年号から昭和53年3月号の巻頭言は全巻揃いではありません。届いたのはバラの「月刊さっぽろ」でした。合綴してある「月刊さっぽろ」は相互貸借には出さないのかな。

『積丹遊覧記』を収録しておいてよかった! 針田さん、さっそくこのネタを使ってますね。

 
▼ 素描 浜益に咲く野の花  
  あらや   ..2025/08/01(金) 10:07  No.1212
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 紫の目立たない花をつけ、シャキッと襟を正したクロバナヒキオコシ、それとは逆に紫色のたくさんの花をつけて虫を呼びよせようともくろんでいるエゾトリカブト、造形の美は自分にかなうものはいないと自負しているツルニンジン、淡い紫色の花群が同一方向にすきまもなく並んでいるナギナタコウジュ、淡緑色の葉がひ弱さと清楚さとをあわせもっているようにみえるミヤマニガウリ、あずき色の小さな星座をつくっているエゾクロクモソウ、浩平はそれら一つ一つの野の花をじっくりと観察しながら林道を奥へ奥へと進んでいった。
(針田和明「吾木香」)

スケッチ画が存在していることは『吾木香』などの作品で想像していましたが、こんな牧野富太郎風のものだとは思いませんでした。針田和明作品年譜によって「ネットワーキング浜益」という手がかりを得たのはいいが道立図書館も文学館も所蔵していない。「浜益」なので市町村合併した石狩市の図書館なら持っていないか…と検索したら、案の定、あった。7月29日朝、「月刊さっぽろ」の残りの分を閲覧した後、その足で石狩市民図書館へ。石狩って人増えたなあ… ごちゃごちゃ建物が密集していて、いつも目印にしている市役所を通り過ごしてしまったよ。「ネットワーキング浜益」、タウン誌みたいな造りを想像していたら、実物はA3サイズ二つ折りの一枚ものでした。合綴版からコピーをとっていますので幾分画像が鮮明だと思います。


▼ 「人間像」第136号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/07/08(火) 09:35  No.1203
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現在、針田和明さんの「人間像」以外の作品収集を続けていますが、その作業には時間がかかります。図書館や文学館にその所在を確認しても、その資料を市立小樽図書館に送ってくれるかどうかは相手館の判断によりますし、もしそうでなければこちらで足を運ばなければならない。その間、ぼつりぼつりと時間が空くので…
「人間像」第136号(200ページ)作業を同時進行することにしました。第136号の作品群は、土肥純光『影絵の男達』、佐々木徳次『波濤』、葛西庸三『学校・「校務補」群像』、丸本明子『川蝉』、内田保夫『またも、また』、春山文雄『夫の裁判』、いつもの連載ものの後に針田和明『病床日記』の第2回が続きます。


 
▼ 影絵の男達  
  あらや   ..2025/07/08(火) 09:39  No.1204
   私鉄の踏切では、絶えず警報機が鳴り続けていた。朝夕の混雑する時間帯になると、いつもこんな風だった。沿線の開発によって住宅がふえ、通勤客で車輛が膨れあがるようになるにつれ、急行や特急の増発が電車ダイヤに組み込まれていって、いまのように電車の通行量がふえてしまったのだ。おかけで朝夕は踏切の空くひまもないくらいなのだ。以前には遮断機が開閉するのにも、もっとゆとりがあったように思われたが、この私鉄沿線も、近頃はずいぶん発展したものだ。
(土肥純光「影絵の男達」)

土肥さんの作品を取りあげるの、これが初めてではなかろうか。古くからの同人なのだけど、才気走った朽木さんや千田さんたちの陰で地味な小品を書き続けている人…というイメージがありました。最近の作は徐々にその文章量を増し、針山さんくらいの読み応えになってきています。私がいい作品だなと重視するのは、小説の中の時間の流れがゆったりと正確なことなのです。それで針山さんの作品を好むのですが、この『影絵の男達』にはそれと同じ安定を感じました。第136号の先頭にこの作品を持ってきた針山さんの笑顔が見えるようだ。

 
▼ 波濤  
  あらや   ..2025/07/11(金) 08:50  No.1205
   夜半から風が出はじめ、未明にはすっかり海が時化てきて、磯を洗う波音が騒々しくなってきた。
 これなら漁師も出漁を見合すだろうから、久しぶりに実家に帰ろうと思いながら、敬次郎はまたうとうとした。
 このところ漁が続き、運び込まれた鮮魚を加工別に仕分けて女子衆にたのみ、自分も庖丁を持って背割り、腹割りを手伝ったりして、目のまわるような忙しさだったから、とても舅に話をきり出す暇とてなかった。
(佐々木徳次「波濤」)

土曜日に資料を申し込んだのにまだ図書館に届かない。どうなってるんだろう。待ってる間に『波濤』仕上っちゃいました。これ、村上英治さん?と一瞬迷うような佐々木徳次さんの時代小説ではあります。前の土肥さんもそうだけど、関東の私鉄沿線や島根の唐鐘浦の話が札幌の同人雑誌に載るというのが「人間像」の大きな特徴なんです。この特徴が戦後間もない時代から延々と続いて今に至る…というところに「人間像」の価値があると思ってます。さあ次、久しぶりの葛西庸三さんに行ってみよう。

 
▼ 夫の裁判  
  あらや   ..2025/07/17(木) 14:37  No.1208
   ある小都市の地方裁判所である。赤煉瓦が今にも崩れそうに見えた。葉山楓美は薄暗い玄関で傍聴の事務的な手続きを終えた。ほかに傍聴人などいなければと願った。
(春山文雄「夫の裁判」)

針田和明調査が一段落したので、また第136号作業に戻っています。先ほど、春山文雄『夫の裁判』を人間像ライブラリーにアップしたところです。葛西庸三さんの『学校「公務補」群像』、面白かった。葛西さんには以前「京極文芸」に発表した『校長群像』という作品があり、おそらくはそれと対をなす作品であるのですが、なんとその二作品の間には二十年の時間の隔たりがあるというんですから私などは驚いてしまう。さて次、私の愛読する『おんせん万華鏡』に行こう。

 
▼ れぶんの風に  
  あらや   ..2025/07/18(金) 17:41  No.1209
   明日の午前十時半の出航までは時間があった。私は旅館で着替えた後、夕暮までにハイヤーで島のなかを廻ってみるつもりであった。突然肩を叩いたものがあった。日焼けした背の高い男が微笑をみせていた。
「しばらくでした、わかりますか」
 藩ち着いた丁寧な言葉であった。見覚えがありそうな顔であった。
「武藤です、武藤雄二です」
「雄ちゃん、そうか雄ちゃんか、どうしてまた」
(金澤欣哉「れぶんの風に」)

『おんせん万華鏡』、今回も凄かった。季節も夏だし、ワープロ作業も、私は話の先が読みたくてのりにのって打ちましたよ。金澤さんの作品にはどこかホラーのテイストがあって、私の好みです。

 
▼ 病床日記 (2)  
  あらや   ..2025/07/25(金) 14:10  No.1210
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 一時三十分、町子から電話。志保を近所の病院へ連れて行って戻ってきたところ、と言っている。熱は三十七度。喉が赤く腫れていて、薬を三日分とトローチを買ってきた、ということだ。志保が風邪をひくのは珍しい。お粥を作って食べさせるといい、と言ったら、そうね、これからお昼に作ってあげるわ、お粥っておいしいものね、と言っている。キヨミ祖母は北郷へ帰ったので二人きり。今日は行けそうもないわ、ごめんなさい。そうするといい、志保頼むよ、と応えた。
(針田和明「病床日記(2)」/11月14日)

この「北郷」というのは札幌市の白石区北郷ですね。町子さんが育った家。針田さんの小説にも度々登場する家です。小説を読んでいていつも思うのだが、なんかこの家、私の実家に物凄く近いんじゃないか… というより、町子さんの家がなくなって、その土地に私の両親が住むマンションが建てられたんじゃないか…ぐらいの近さ。
もう一つ、ここには昔小さな印刷屋があって、ここで私たちの結婚通知兼暑中見舞い葉書を作ってもらったのも思い出だが、この印刷所、土橋芳美さんの『揺らぐ大地』にも登場する新聞『アヌタリアイヌ 我ら人間』の編集事務局があったところなんですね。平村芳美のペンネームで作品を発表していた頃の「日高文芸」を読んでいて知りました。
『病床日記』の大筋とはおよそ関係ないお話ではありました。すみません。第136号作業も残すところ雑記帳の4編のみです。今週中にも逐えます。

 
▼ 「人間像」第136号 後半  
  あらや   ..2025/07/26(土) 17:43  No.1211
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先ほど、「人間像」第136号(200ページ)作業を終了しました。作業時間は「79時間/延べ日数18日間」。収録タイトル数は「2630作品」になりました。
毎日暑いし、紙は手にべたべたくっつくし、けして快適な作業環境ではないのだけれど、それでも延べ日数が少なくなってきてるのはたぶん新パソコンの作業効率が上がって来ているからでしょう。処理速度が早くて仕事が捗る。ストレス全然ないし。

 検温三十七・七度。体重六十六キロ。外は快晴。
 検温八時、三十七・五度。九時、三十七・一度。十二時、三十七・四度。十時町子から電話。とろとろ眠っていたので長話しせず。十時十分点滴。
 (中略)
 町子が手稲駅近くの郵便局、銀行から戻って来た。二人で詰所前の体重計に乗る。私は六十七キログラム、町子は四十八キログラム。
 六時、夕食、全て食べる。町子の持ってきた鉄火巻も少し食べる。
(針田和明「病床日記(2)」/12月1日)

検温と食事ばかりの日々。こういう記述が『病床日記』全体をびっしりと覆っているのですが、不思議と退屈な感じはないですね。私も淡々と付き合って行くことにしました。前のパソコンで『病床日記』をやるのだったら、相当消耗してただろうなあ。


▼ 「人間像」第135号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/06/04(水) 18:12  No.1195
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「人間像」第135号作業を開始しました。全210ページの内、前半は針田和明追悼特集。同人たちの追悼文に続き、遺稿となった『病床日記』の第1回、『針田和明―枝木順子往復書簡集』、針田和明作品年譜が組まれています。枝木順子氏は『月刊さっぽろ』編集長とのこと。(不勉強で『月刊さっぽろ』という雑誌、知りませんでした…) 作品年譜では針田さんの執筆にも触れられていて、現在、『月刊さっぽろ』調査を検討中です。
第135号後半は通常の作品群。春山文雄『山あいの部落で』、北野広『朝起き教師』、福島昭午『森と記憶と(4)』、朽木寒三『柚木完三の青春日記(3)』、金沢欣哉『おんせん万華鏡(5)』、神坂純『サイパン日記(6)』などの掲載です。

人間像同人会は「人間像」の他に「同人通信」というものを発行しています。「同人通信」は同人・関係者のみに配布され、合評会報告、同人消息、事務連絡などを主な内容としているのですが、正規の「人間像」には見られない同人たちの生き生きとした交流が描かれていて、これはこれで魅力的なのですが、いかんせんガリ版のため復刻するとなるとけっこうな労力がかかります。元々が部外秘でもあり、人間像ライブラリーのラインナップに「同人通信」の作品群を不用意に加えるとライブラリー全体の質が変容するのではないかとも考え、今までは「同人通信」作品は除外していました。ところが今号の作品年譜を見ると、針山さんは『八木義徳先生積丹遊覧記』(「同人通信」第172号)などを針田和明さんの作品として挙げているんですね。うーん、迷ってます。『遊覧記』は私も好きな作品なので。


 
▼ 神も仏もあるものか  
  あらや   ..2025/06/05(木) 16:58  No.1196
   あれは、いつだったか、そう、八木義徳氏の「海明け」の取材で積丹半島にお招きした時が、元気な彼との最初の出会いだったか。私はその時の人懐っこい彼の笑顔や、しぐさを思い出した。
 札幌へ八木義徳氏をお迎えに上がり、途中の余市駅で針山や若干の人達と合流した。同人ではその時、東京から来合わせた上澤祥昭もいた。同人以外では評論家の武井静夫さんもいたが、針田は夫婦であったような気がする。そのことは定かではない。余市、古平をまわり、引き返して裏積丹の泊村のホテルで一泊した。札幌を出るとき八木氏は「福島さん、僕は色紙は書かない主義なんでね、そのことくれぐれも頼みます」と言われていた。
(福島昭午「神も仏もあるものか」)

『八木義徳先生積丹遊覧記』、まだ迷っています。まあ、この第135号が終わる頃までには決着をつけよう。どちらにしても、このおんぼろパソコンでは無理だ。(新パソコンは来週なんです…)

 
▼ 針田和明のこと  
  あらや   ..2025/06/06(金) 12:20  No.1197
   その頃の四、五年が、精神的にも一番充実していた時期であったと思う。滅多に書かなかった内部情報誌『同通』にも沢山の原稿を寄せているし、本誌に載せた作品も百枚前後の気力溢れるものが多かった。愛娘、志保ちゃんの誕生も大きな原動力だったようだ。
 その中の一つに「積丹遊覧記」と言う長文の記録文がある。「八木義徳先生を迎えて」のサブタイトルがあるように、八木さんを迎えて積丹半島に旅行した時の記録であるが、これは大変な労作であった。
(中略)
〈あれは(「積丹遊覧記」のこと)要点だけメモしたのですが、その不連続を連続させるのに苦心――その結果がアレなのですから、もうああいうのはやりたくないと、心底からそう思いました。針山大人殿がひょうひょうとして「頼むよ」と軽くおっしゃったのに対し、こちらもひょうひょうとして「ハイ」と言っちゃった(笑)。だけど、もうあの手には絶対にのらんぞ、死んでものらんからナ!(笑)〉
 冗談めかして書いているが、みんなの会話なども細かな部分まで記録していて、よくもまあ書けたものだと後で感心したものだった。
(針山和美「針田和明のこと」)

やー、迷うなあ。針山さんの追悼文が終わったので、明日から針田和明『病床日記』に入ります。今日は午後から「たるトク検診」。

 
▼ 病床日記  
  あらや   ..2025/06/15(日) 11:08  No.1198
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 8時、祖母に留守をお願いし、三人で出る。志保とは玄関前で別れる。二、三歩行ってから、「シホー」と呼んだが振り返らなかった。
 中島公園を通り、地下鉄に乗る。町子とは大通りで別れる。私は札幌駅前まで乗り、そこからJRへ。
 札幌駅発8時31分。六ッ目の駅が手稲だった。改札口を通って南口から降りず、北口へ向かう通路を通って駅を出ると、大学病院なみの病院がみえる。私の行く所だ。手稲渓仁会病院という。七階建。ベッド数五百ということだ。
(針田和明「病床日記(1)」)

新パソコンに移行中。針田和明『病床日記(1)』と『針田和明―枝木順子往復書簡集』の二本をアップしました。どうして追悼号はインクが薄いのだろう。針山さんの時もそうだった。文字読み取りは旧パソコンで行ったので文字化けが凄かった。まあ、それはこちらで努力すればいいことだからかまわないが、本文に挿し込まれている針田さんのスケッチ画のインクが薄いのは本当に困る。新パソコンの威力をもってしてもこの状態です。残念。

この文章は新パソコンで書いています。書くために日本語ワープロソフトをダウンロードしようとすると、まず、ソフト会社から本人確認が入り一旦メールに戻り暗唱番号を拾って申し込み画面に帰ってこなければならないし、金を払う段になると、今度はクレジット会社の方から本人確認が入りスマホからワンタイムパスワードを拾って画面に戻らなければならない。面倒くせー。なんでこんな世の中になったのだろう。

 
▼ 山あいの部落で  
  あらや   ..2025/06/17(火) 18:32  No.1199
   ココアの香りがここちよく流れる。
「熱いから、火傷しないでね」
 甘い香りを喉に流すと、ゆうべの酒の残り滓がいっしょに流れていった。
「ああ、おいしい」
 早苗が身ぶるいしながらいう。
「良かったら何杯でも作ってあげるわよ」
「一杯でいいの。うちではいつも一杯だけなの。うちのはココアじゃないけれど」
「お母さん、何を作ってくれるの?」
「甘酒なの。あったかで、甘いの。でも……、小父さんが来ると遊びに行って来いっていつもいうの」
「小父さんって?」
「スノーモービルの小父さん。今日も来たから、わたし先生のところへ行って来るって出て来たの」
「スノーモービルの小父さんって、鈴木さん?」
「名前は知らないけれど、いつもお菓子くれるの。でも、大っ嫌い!」
(春山文雄「山あいの部落で」)

「修飾語の少ない、テンポの良い」新スタイルにも大分慣れてきました。これに、原稿用紙75枚くらいのボリュームが加わると完璧な針山ワールドが立ち現れる。堪能しました。それにしても…、五十年前に近い代用教員時代の話が飛び出してくるとは! 恐れ入りました。

 
▼ 森と記憶と  
  あらや   ..2025/06/21(土) 13:58  No.1200
   「なにをぼんやりしてるの」
 と祖母に声をかけられ、我にかえる。
「うん、キノコの精とお話していたの」
「おかしな子。あまり本に夢中にならないで、外で遊びなさい」
「あのね、森にいったらいろいろな妖精が出てくるの」
「森なんかひとりで入ったら、いけないよ」
「どうして」
「どうしてって、森の奥に入ると、違う世界にいっちゃって、もうこの世に戻れないことになるのだからよ」
「違う世界があるの? 行きたいな」
「とんでもない。もう誰にも会えないことになるんだからね」
(福島昭午「森と記憶と(4)」)

どこをどう引用すればいいのかわからなくなった。でも、これまで福島さんが書いてきたすべての話が野幌原始林の森の中で繋がって生きている。二階の窓から見える森、私も見たかったなあ。

 
▼ 「人間像」第135号 後半  
  あらや   ..2025/06/27(金) 16:33  No.1201
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先ほど、「人間像」第135号(210ページ)作業を終了したところです。。作業時間は「84時間/延べ日数22日間」。収録タイトル数は「2607作品」になりました。

作業の途中から新パソコンが入ってきて、処理速度がどーんと遅かった旧パソコンからデータの引っ越しがあり、ソフト類を全部新調したりして結構疲れました。暑いし… バージョンアップって云えるのだろうか。新調したはいいけど、いつも使う機能が消えていたりして結構な混乱です。この人間像ライブラリー作業にはもう一台、主にワープロ作業に使うパソコン(Windous7搭載)があるのですが、ここに残っていた昔のソフトが大活躍した第135号作業ではありました。今後は、新パソコンの処理速度と、昔パソコンの基本動作の合わせ技一本みたいな感じで仕事が進んで行くのかな。

追悼、針田和明。「同人通信」第172号(1977年1月発行)の『八木先生を迎えて 積丹遊覧記』はこの後復刻に入ります。また、時期は未定ですが「月刊さっぽろ」もカバーする予定です。



 


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