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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第145号 前半   [RES]
  あらや   ..2026/01/29(木) 17:56  No.1266
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第145号作業、スタートです。と書いたはいいが、1月24日〜26日にかけて、鉄道、バス、高速、飛行場が止まってしまうほどの久しぶりの大雪で、今でも後遺症にあたふたしています。腰が痛い。
第145号は細川明人『精神病棟(第一部)』、丸本明子『鳶』、北野広『二つの花』、井口昭子『トルコ行進曲』、三浦麗子『夏の日に』、内田保夫『墨染めに舞う(最終回)』、針山和美『半病雑記』と続き、他に土肥純光さんの遺稿『白樺荘の女』『マリンタワーのある街で』の二篇が加わります。


 
▼ トルコ行進曲  
  あらや   ..2026/02/01(日) 06:16  No.1267
   ラジオのむこうで、対談の相手はいった。「この曲は、トルコ大使館で演奏して、好評だったんです。
『トルコ行進曲』って、トルコでは演奏されないんですよ。あの曲はヨーロッパの音楽ですからね。ぼく達、古楽器を使って、古い時代のように演奏しますでしょ。中国人も二人、参加してますから、勿論、日本の曲だけでなく、いろいろ編曲して演奏しています」
(井内昭子「トルコ行進曲」)

新同人の登場です。男ばっかりだった145号合評会も楽しそう。

 新入会もいるので、先ずは自己紹介し合う。井内は目次が井口となっていたので力をこめて、「イウチです」と言った。井口となっているのは目次だけで作品と住所録は井内となっていたのでなかなか気が付かない。針山も校正のとき見落としたらしい。私は目次なんかロクに見ないものだから始めからイウチさんと思っていた。なるほど軽やかにステップを踏みそうな小柄ながら運動神経のありそうな人という印象だ。
(「同人通信」No.233/道内同人会・145号合評会)

新同人とはいっても、井内さんも、この後の三浦麗子さんも、前号の堺比呂志さんも、皆、別の同人誌で長年書いてきた人たちなので、ただの新人とはちがいます。

 
▼ 夏の陽に  
  あらや   ..2026/02/02(月) 09:51  No.1268
   海岸線に沿ってバスが走る。左手には灌木の生い茂る丘陵が続き、右手には海が迫っている。
 今日は天気が良い。まだ午前八時を回ったばかりだというのに、もう眩しい程の太陽が濡れた岩肌に照りつけている。高いうねりが岩にぶつかって激しく砕け散り、水しぶきが高く上がる。
(三浦麗子「夏の陽に」)

このバスが走っているのは浜益への海岸線。浜益といえば、

三浦は、ふくよかで(太ってるという意味ではない)目の大きな優しい声音でものをいう人だ。針田のいた浜益の診療所に務めていたことがあるので、みんなから質問を受けていた。三浦は針田以前の勤務なので、針田と重なっていない。名前も噂も知らない風だった。しかしまぎれもなく作品の舞台は針田の務めていた浜益診療所と重なる。偶然ながらも何か因縁めいてくる。
(「同人通信」No.233/道内同人会・145号合評会)

三浦さんも浜益の風景を褒めていますね。針田さんの作品、追悼号以来、久しく読んでいないな…


▼ 「人間像」第144号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/12/28(日) 10:19  No.1257
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 同人の佐藤修子から電活があった。
「土肥さんのお見舞いに上がりたいのですが、かまわないでしょうか。これまで、それほどお眼にかかっていませんけれど……」
「そりゃ土肥君も喜ぶよ。ぼくは年内にもう一度見舞いに行くつもりなんだけど、なんなら一緒に行かない?」
「悪いですけど、年末年始は主婦業が忙しくて無理なんです。一月中旬だったらいいんですけど、いけませんか?」
「そんなことはないさ。でも間に合うといいんだけど……」
「あの、そんなにお悪いんですか?」
 切羽詰まった口調に、私の方が狼狽した。思わず口走って、口止めされている秘密を感知されそうになったからだ「
「そんなことはないけれど、年齢が年齢だからね」
(平木國夫「土肥君! 十年早過ぎた!」)

というわけで、「人間像」第144号は「土肥純光追悼号」です。ついこの間『忘れ花』をアップしたばかりなのに…という無念の気持ちの中で作業を始めています。262ページと、久しぶりの大冊なので年末年始の隙間を見ては仕事を進めるつもりです。通常の作品紹介は追悼特集が済んだ後で。


 
▼ 土肥純光(本名・元滋)略年譜  
  あらや   ..2025/12/30(火) 18:51  No.1258
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 新しい年が明けて間もなくの一月十日、突然、土肥純光が死んだ。またしても癌である。
 針田が逝って四年目、丸三年のあいだに、白鳥・竹内・土肥と続けざまに四人もの仲間が癌に奪われた。忍び足で近づき、音もなしに増殖していく悪魔の正体には誰も気づかず、気がついた時には、みんな手遅れだった。
(針山和美「土肥純光のこと」)

同人たちの追悼文は全てアップしました。さて、ここからは「略年譜」の作業に入ります。通常、略年譜は活字の組み方が特殊なので(ページ数も少ないし)画像データでとって処理するのですが、今回ばかりはそうも行かない。活字ぎっしり、全30ページの略年譜なんです。(どこが「略」なんだか…) それで、他の作品と同じく文字データで起こすことにしました。そう、これは、平木國夫責任編集の作品だと思ってください。

 
▼ 追悼・再掲  
  あらや   ..2026/01/04(日) 18:53  No.1260
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「じゃ行ってくるわね」
 慌ただしく食事の後始末をして、女は何時ものように、勤めに出て行った。空は相変らず青く冴えていた。もう、しばらく天気が続いていたが、今度崩れれば、樹々の大方は、その持てる乏しい葉をも、ことごとく振い落して仕舞うだろうと思われた。小田は食膳に凭れた侭、煙草に火を点けようとした。「風邪をひいている時くらい、煙草をお止めなさいよ」 光代が、昨夜そんなことを言ったが、新生から朝日に更えただけの話だった。旨くもない煙草の吸口を噛みしめながら、小田は、今日は、職業安定所へ行かなければならない日であったことに、気が付いた。
(土肥純光「風」)

土肥さんの追悼・再掲作品として『風』、『落影の女達』、『忘れ花』、参考資料的な意味合いで『吾が文学半生記』と『回春の日』が載っています。『忘れ花』はついこの間やったばかりだから除くとして、「文章倶楽部」時代に書かれた『風』には参りましたね。29歳にして、「人間像」以前にして、これを書いていたとは…

 
▼ 二十一歳の日記  
  あらや   ..2026/01/08(木) 18:11  No.1261
  本日、平木國夫『二十一歳の日記』を人間像ライブラリーにアップしました。21歳の日記と言われても、どういう21歳なのか全然わからないと思いますので少し説明を加えます。日記が書かれたのは昭和20年4月22日から6月29日までの間。横浜のアマチュア航空機操縦練習生だった平木さん、当時21歳が太平洋戦争末期の時局に呼応して立ち上げられた「學鷲血盟特攻隊」(学徒による特攻)に志願し、滋賀県大津の天虎飛行訓練所での訓練・待機の日々が書き記されています。
なぜ50年前の日記が平成8年(1996年)の「人間像」に登場するのかにはまだ不明な部分もあるのですが、ここ数年の同人の相次ぐ死に想うところがあったのではないでしょうか。特にこの第144号は土肥純光追悼号です。「人間像」関東支部を長い間支えてきた平木さんたちにとって土肥氏の死は衝撃だったと考えます。『二十一歳の日記』は平木さんなりの追悼文だったかもしれない。
昭和20年の日記ですから当然旧漢字です。「人間像」初期以来、久しぶりの旧漢字の嵐にちょっと時間がかかりました。「学生」じゃなくて「學生」。「真剣」じゃなくて「眞劍」。面白かったのは「來る」がくると思ったら普通に「来る」だったり、「樣」を用意していたのに「様」だったりしたことですか。「氣」と「気」が両方使われていたりして。(メンドくさいから「氣」の方に寄せた…) こういうの、平木さんが書き間違えるはずはないので、あるいは、1996年当時のワープロ機の性能差なのかなあ…とか思って仕事していました。

 
▼ すずかけの並木道  
  あらや   ..2026/01/11(日) 10:30  No.1262
   蔵谷先生は、五月十三日の三割有給休暇闘争と、十月二十一日の闘争に参加し、道教委に対する反省書を書かなかったため、三学期の二月に、一ヶ月停職となった。中央小学校で、停職になった教師は、蔵谷先生ただひとりだった。
(北野広「すずかけの並木道」)

例えばこういうセンテンスの中で、北野さんは「休暇」の言葉にだけ「きゅうか」とルビを振るんですね。何故… 凄く不思議だ。

追悼特集部分が終わり、いつもの作品部分が始まりました。第144号は北野広『すずかけの並木道』の後に堺比呂志『虎斑竹』、細川明人『濁りの記憶』、内田保夫『墨染めに舞う』、流ゆり『父・沼田流人の思い出』、針山和美『半病雑記』と続きます。

 
▼ 虎斑竹  
  あらや   ..2026/01/13(火) 11:14  No.1263
   桐山和一郎は積丹町役場の職員通用口から外に出た。薄暗かった庁舎から急に烈しい陽光を浴びて、目が眩み思わず掌で視界を遮った。
 暫くして、目が慣れてきたので、役場の駐車場に駐車している妻の佐代子を見ると、待ちくたびれたのか、運転席の背もたれを倒して、眠っている様に見えた。
 彼は腕時計を見た。三十分余も役場に入っていたことになる。
(堺比呂志「虎斑竹」)

堺さんの「人間像」デビューです。私の堺さんの印象は「人間像」170号台で発表していた『松前方言考』のように古文書の知識満載の超難解エッセイストというイメージだったので、この『虎斑竹』のように小説仕立ての作品から始まったというのは意外でした。しかし、やはり堺さん。私も後志に住んで四十年近くになりますが、虎斑竹の言葉を聞いたのはこれが初めてです。こんなことって、あるんですね。ヤフーで引いてみたら「虎斑竹専門店 竹虎」なんてのも出て来て… 知ってる人はとうに知ってるってことなのか。

 
▼ 父・沼田流人の思い出  
  あらや   ..2026/01/19(月) 11:42  No.1264
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 父から聞きたかった事、父に言いたかった事、父にしてあげたかった事、etc…。心残りは絶望的な吐息になる。けれど父の思い出にひたると、「無意味な事に時間をつぶすな、本でも読め」と懐かしい父の声が聞えてくるのです。
(流ゆり「父・沼田流人の思い出」)

内容は、以前短歌誌「防風林」から復刻した佐藤瑜璃『父・流人の思い出』の「メモワール」部分と同じです。違いといえば、「人間像」版の方が幾分読み物仕立てに整えられているくらいでしょうか。(最終章「二十、流離の時」には涙した…) ただ、「防風林」版にはなかった気づかいが気になる。

 末筆になりましたが、本文を書くにあたって、いろいろとご指導・ご協力下さいました倶知安町郷土史研究室・武井静夫氏、石狩町在住の歌人・版画家・大森亮三氏に心から感謝し、お礼を申し上げます。
(同書より)

くだらん「ご指導」だこと! 『父・沼田流人の思い出』の途中にこんな駄文を挟み込むセンスは何なのだろう。でも、佐藤瑜璃さん、全然負けていないですね。武井さんや「人間像」同人が何をほざこうと、そんな「研究」を気にすることもなく私の〈父・沼田流人〉を書き貫いているのが救いです。結果的に、残るものは『父・流人の思い出』と大森光章『このはずくの旅路』だけですよ。

 
▼ 「人間像」第144号 後半  
  あらや   ..2026/01/21(水) 17:02  No.1265
  「人間像」第144号作業、終了です。作業時間は「96時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「2835作品」になりました。262ページの追悼特集号であり、作業が年末年始に重なったため、いつもより日数がかかりました。

気がつくと「第150号」が迫っているんですね。第144号をやっている時は気にならなかったけれど、今、作業を終えて次の第145号をぱらぱらめくっていたら俄然「第150号」が気になり始めた。第150号、久しぶりの300ページ近い大冊なんですね。「創刊50年」と重なっているため、各同人の「現在の」顔写真が載っているのが興味深い。土肥純光さんもそうだけど、たしかに50年経った…ことを感じます。
あと、第146号には針山さん最後の小説『白の点景』が。第147号からは流ゆり(佐藤瑜璃)さんの連載『父・沼田流人の交流』も始まります。単行本『白の点景』『わが幼少記』の復刻を除けば、第150号まで直進で行こうと考えています。


▼ 迎春   [RES]
  あらや   ..2026/01/01(木) 13:10  No.1259
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「人間像」作業も九年目に入りました。
本年は第144号からのスタートです。第190号のゴールが向こうに見えるような時期ではまだまだありませんが、それでも作品を読んでいると「ああ、もうこの時代に入っているんだ…」と感じ入ることは多々あり、全作業が終わった後の自分の姿をふっと思うこともあります。まあ、第190号を終えたとしても、やりたいことはありますのでご安心を。たとえば、今一度、紙の本に還るとかね。



▼ 「人間像」第143号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/12/10(水) 18:13  No.1252
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 昭和四年を迎えると、はやばやと中野が前田を訪ねてきた。おそろしく太い声で、ドスのきいた蛮声であった。前田は、中野が自分より二つも三つも年長者のような気がした。「目下、学内でレガッタ(競漕)をつくろうという話が出ているけれど、どこの大学でもやっていることで、わが法政が今更追随するのは馬鹿げていると思う。英国では、ケンブリッジ、オックスフォード両大学のレガッタは有名だが、双方ともだいぶ前から航空部をつくり、スポーツ航空として競技会も催しているそうだ。そこで法政としては、前田岩夫二等飛行操縦士を中心に航空研究会をつくり、わが国学生航空の先鞭をつけようじゃないか」
 前田は思わず、踊り出したいほどの喜びを隠そうとせず、中野の両手を握りしめ、「その言やよしだ。その時節の到来を待っていた。ありがとう。お互いに同好の士を募りスクラムを組んで前進しよう」
(平木國夫「天翔ける学徒たち」)

第143号作業、始まりました。『天翔ける学徒たち』はじつに原稿用紙115枚の大作で、作業に四日間もかかりました。今号は、この後、佐々木徳次『奈良公園にて』、丸本明子『施餓鬼法要』、細川明人『雨の日には傘を取って』、山根与史郎『夜空の雲』、内田保夫『墨染に舞う』、針山和美『半病雑記』などですが、特筆すべきは、流ゆり(佐藤瑜璃)の『わが心の沼田流人』が始まったことでしょうか。


 
▼ 夜空の雲  
  あらや   ..2025/12/17(水) 17:44  No.1253
   家に帰り着いて、省三が初めて加代子に会った時、思ったよりも元気そうなのに意外な感じさえした。血色もよくって全体にふっくりした様子は、豊かな頭髪を除けば腕白小僧のようだ。省三は、加代子を病気の療養と聞かされていたから、血の気も失せた青白の、頬をもこけた憂色のどんな人が来たものかと思っていたら、腕白小僧が、腕白小僧のような現れ方に、拍子抜けというよりはポーンと一本胸でも突かれたように、すぐには椅子から立ち上がれなかった。
(山根与史郎「夜空の雲」)

「瞋恚」「衷情」「慫慂」「繽紛」「纏綿」… 「人間像」143冊の歴史の中でも初めてお目にかかるのではないか…という漢語たちの大吹雪ではありました。しかも、『天翔ける学徒たち』の115枚を越える原稿用紙142枚の力作とあっては、なかなかに骨の折れる五日間ではあったのです。さあ、もう一息。年内に143号、終わらせるぞ。

 
▼ 墨染に舞う  
  あらや   ..2025/12/21(日) 14:51  No.1254
   (おかしい。おかしな話だ) 内山は呟く。
 それは後白河法皇の大原行幸が本当か、ということだった。
 平家物語を何度読み返しても、寂光院での法皇と建礼門院が出会う描写のところにくるとひっかかる。
 物語に出てくる京都でのゆかりの場所は数多くある。だが、それらは一つの部分であり、一つの挿話でしかない。それなのに物語は「巻第一」から「巻第十二」と、ただの見出しできて「小原入御」と「小原御幸」のある項の見出しを「灌頂巻」と特別扱いにしたのか、ということだ。
 もう一度、機会があったら寂光院のそれらしい場所で、なぜなのかを考えてみよう、と思っていた。
 いま、そのような場所にたったが、事実を識ることは出来なかった。八百年という歳月は、あまりにも遠いことなのか。
(内田保夫「墨染に舞う(三)」)

いやー、第三回はいつもにも増してど迫力でしたね。けっこう、ボディーブロー、効いた。この心地よい疲れをもって、沼田流人に行こう。

 
▼ わが心の沼田流人  
  あらや   ..2025/12/22(月) 12:10  No.1255
  今、その父の作品を読んでみて私が感ずる事は、残酷で惨ましい内容でありながら、その文体はとてもロマンティックでエキゾティックで流麗でありエスプリがきいていて、テーマがプロレタリア文学でなければ、素敵な文芸作品になっていたかもしれないという事です。父にとって初めての単行本であったそうです。
(流ゆり「わが心の沼田流人」)

普通の読解力と多少の文学的センスがあれば、誰でもこう感じる。『血の呻き』にプロレタリア文学を感じるなんて余程の馬鹿だ。

S あの方のグループで、発禁本なんか集めているんですが、その中に「血のうめき」があるんです。タコ部屋のことでないのが、それは譲らないけど、娘さんなら見せるというんで私行ったんです。そしたら、素敵な装丁で、エキゾチックな、本の仕上げの裁断していないものですから、こうボサボサになっていて。
(「同人通信」231/北海道同人会・百四十三号合評会)

ここでも「掘る会」か… どうしてこんな連中のところには『血の呻き』があるんだろ。猫に小判。豚に真珠。

 
▼ 「人間像」第143号 後半  
  あらや   ..2025/12/25(木) 06:47  No.1256
  「人間像」第143号(164ページ)作業、終了しました。作業時間は「80時間/延べ日数19日間」。収録タイトル数は「2808作品」です。

★今号は久し振りの平木の長編に加え、流ゆりが「父・沼田流人」を連載することになった。プロレタリア文学盛んの時代、「監獄部屋」を描いて華々しく文壇に登場しながら、挫折していった父親像を娘の視点で描こうとするもので、文献的にも貴重であり、意義が大きいと思う。
(「人間像」第143号/編集後記)

この時点で、同人の誰もが『血の呻き』を読んでいない。読んだのは武井静夫『沼田流人伝』ただ一冊というお粗末さであったことを生涯忘れないでおこう。

別に、正月がめでたいということもないので、今日から第144号作業に入ります。でわ、よいお年を


▼ 「人間像」第142号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/11/21(金) 18:56  No.1246
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 にぎわい始めた入口を見つめて美奈が思い出にふけっていると一時間ほどして、美奈の不安を打消すように李枝はオリーブ色のスーツをビシッと着こなしてさっそうと現れた。美人とはいえ、コタンの匂いを感じさせ、周囲の人々から好奇の視線をあびせられたり、美奈自身もコタン出身を教室のメンバーから、特別のまなざしをむけられるのでは? などと心配になっていた自分が、むしろ恥かしくなった。
 美奈は嬉しくなってかけより、手をとって
「しばらくう、よく来てくれたわねえ、うれしい、逢いたかったあ」
(佐藤瑜璃「忘れな草」)

一発目から佐藤瑜璃さんとは嬉しい! 第142号は、この後、土肥純光『男と女』、丸本明子『折鶴』、北野広『こぶしの花の咲くところ』、金澤欣哉『手記のある風景』、山根与史郎『美声の悟得』、内田保夫『墨染に舞う』と続き、最後に針山和美『半病雑記』のスタートです。


 
▼ 手記のある風景  
  あらや   ..2025/11/25(火) 18:39  No.1247
   一病棟は重症者、二病棟は男子、三病棟は女子、五病棟は男女混合と、廊下を幹にした形で各病棟が枝状に伸び、まるで段々畑のように病棟が並立していた。
 大気、栄養、安静が療養の基本であるだけに、病室も廊下も殆ど常時開放に近い状態で、それぞれ他の病棟を望見できる構図であった。
(金澤欣哉「手記のある風景」)

いやー、いろんな意味で感じ入った小説でした。特に、この国立療養所小樽病院の描写から始まる物語展開は興味深い。小説作品の形で小樽に在った結核療養所のことを知れるのはなにか有難い。得した気分。さらに、私の父方のルーツ、積丹半島の余別が登場することにも吃驚。まるで親戚の叔父さんが書いた小説みたい。

 
▼ 美声の悟得  
  あらや   ..2025/11/26(水) 16:37  No.1248
   毎日決まって、昼の十一時すぎに女の高い声を聴く。久しい出入り者の調子で、「こンちわァ」「まィどウ」という二言を聴く。その声は高く、哀しいほどに美しい。若い人なのであろう、珠のように丸みを帯びて、水で拭ったように濡れて響く。鈴とか、鐘ほどには定まったものではなく、人の声の複雑な曲折を含んだ美しさがある。決して哀調ではないが、陰翳の心を含んだ優しさがある。そして、礼節をもった声はだらしなさがない。
(山根与史郎「美声の悟得」)

追悼号の嵐が吹く「人間像」ですが、その陰で新同人の加入もここのところ続いています。まずは山根与史郎さんのデビュー作『美声の悟得』。「悟得」もそうだけど、「繽粉」「恭謙」「擯斥」「嚠喨」「蟬脱」…と初めて目にする漢語のオンパレードで少し焦った。いつも貝塚茂樹他編の『角川漢和中辞典』と久松潜一監修『新潮国語辞典(現代語・古語)』を愛用しているんだけど、今回はフル稼働でした。

 
▼ 墨染に舞う  
  あらや   ..2025/11/29(土) 01:42  No.1249
   「ここは、尼僧の寺というより、女人の寺と呼ぶのがふさわしいでしょう。お嬢さん、待賢門院璋子をご存じですか」
 本堂に近付くと藤島はガイド役の口調に戻った。
「知りません」
「内山さんは――」
「どっかで聞いたような名前ですがね。ちょっと思い出せません」
「では、叔父子という言葉は、どうでしょう」
「全然、わからない」
 と寿子が言う。
(内田保夫「墨染に舞う(2)」)

いやー、北海道の人に「たいけんもんいんしょうし」は読めないよ… ワープロ作業の一台の横で、もう一台にウィキペディア立ち上げて語彙を一つ一つ確認する三日間でした。「美福門院得子」「権大納言藤原公実」「檀林皇后」「橘嘉智子」「源融」「印南野」「交野」「双ヶ丘」「清原夏野」… 私も寿子と同レベルでした。ウィキペディアがなかったら何十時間かかっていたことか、冷や汗ものの『墨染に舞う』ではありました。

 
▼ 半病雑記  
  あらや   ..2025/12/02(火) 13:41  No.1250
   最近、子供時代の夢を見ることが多くなった。これは今回の病気をしてから始まったことではなく、五十代後半からそうなったが、妻も同じことを言っているので、多くの人間に共通の「回帰現象」なのかも知れない。
 (中略)
 今朝がた見た夢は、小学生時代のもので、僕が先生に尋ねている。
「雑貨屋の娘でS子という勉強のできる、可愛い子がいましたよね。あの子、いまどこに居りますか?」
「S子? 知らないね。記憶にないなあ」
 応えている先生が、いつのまにか中学時代の教師に代わっているのに、ぼくはまだ小学時代の先生と思い込んでいて、しつこく同じことを聞いているのだ。
「一度会いたいと思いましてね、その雑貨屋を探しに行ったんですが、いくら探しても見当たらないんですよ。先生なら、覚えているかと思ったのですが……」
「好きだったのかね? ぼくはその子知らないけれど」
「好きだったのかどうか、子供だったから分かりませんが、妙に会いたくて」
「それが、好きだったということだよ。隠すわけではないが、覚えがないんだ」
 もっと良く説明して、何とか聞き出そうと思っているあいだに目覚めてしまった。
(針山和美「半病雑記(1)」)

昔の針山さんだったらこの夢から小説が立ち上がって来るのだろうが、もう立ち上がらない。『半病雑記』のメモの一枚で終わってしまう。悲しいです。

 
▼ 「人間像」第142号 後半  
  あらや   ..2025/12/04(木) 11:20  No.1251
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「人間像」第142号(132ページ)作業、終了です。作業時間、「59時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2798作品」になりました。

M この女分かったよ。療養所にいたとき、ちょっとかわいい、あの女だな(笑)
S フィクションと思ったらノンフィクションですか(笑)
M いや、事実だから作為がない。しかし、それ知らない人でも心打つ作品だ。Kさん、この人一病棟にいた? 上の病棟の。
K いやいや、下。三病棟。
(ここで金沢と同じ結核療養所にいた村上と昔話が続く)
(「同人通信」230/北海道同人会・百四十二号合評会)

ガリ版刷りの「同人通信」が福島さんのパソコン印刷に変わってもの凄く読みやすくなった。合評会の愉しそうな様子がじかに伝わってきて私も嬉しい。ちなみに、Sは佐藤瑜璃さん。金澤さんの『手記のある風景』についての論評部分でした。


▼ 「人間像」第141号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/10/31(金) 10:35  No.1240
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 火照りの残った石の台に横たわっている彼の骨をひろう。
「もう痛くないよねー」
 奥様と二女の美和子さんが肩を寄せ合い哀しみにむせびながら、腰部の骨を拾い壺にかさばる骨を、係の者が先の丸い棒でさくさくと砕いていく。強い炎で焼かれても頑丈さをみせ、大きな骨片として残っているべきなのだが、それは変色しくだけていた。ガン細胞が骨を砕いた痕跡なのか。
 ガンよ驕るなかれ。勝ったのではない。彼と相打ちなのだ。
(村上英治「友よ、さらば」)

第141号作業、始まりました。夏の物事の片付け、冬への準備をやりながらの毎日です。この第141号の発行は平成7年(1995年)の6月20日。ということは1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教などを経験した社会を背景に持ってます。(個人的には、1995年は「Windows95」が発売された年として記憶されます。あそこからここまで一気呵成だったような気がする…)
後半の作品は、土肥純光『さまざまな足音』、佐々木徳次『いくつかの最後』、内田保夫『墨染に舞う』、丸本明子『花茣蓙』、北野広『あーまたこの二月の月が』、日高良子『八百字のロマン』と続きます。


 
▼ 獅子の死のごとくに  
  あらや   ..2025/11/04(火) 16:28  No.1241
   だが私は、三者三様の死を考えざるを得ない。白鳥は最後までガンとは知らされなかった。針田は検査入院の結果告知されるや、周囲のものに自分はガンだということをむしろ積極的に知らせていた。「あまりガンだと騒がないほうがいい」と友人に注意を受けていたことが日記にある。竹内の塲合は完全黙秘だった。誰にも知らせるなと家族に言い含めていた。
 (中略)
 竹内の死に方の希有なことに驚くのも私たちの論理であろう。告知されて三年、手術も拒絶し、ひたすらおのれの死を待っていた竹内に野性的な生きものを感じた。サバンナの象や獅子も死期を知ると、群れから離れ、独りじっと待つという。
 竹内にとって見舞い客などただ煩わしいだけだったろうな、と思う。見舞いの言葉の空々しさや、儀礼的な訪問や同情的な目をいっさい拒否し、世俗と絶って静かに眠りたかったか。
(福島昭午「獅子の死のごとくに」)

追悼文の部分を終え、本日から竹内寛作品集に入っています。「服部ジャーナル」からの作品が多数含まれており大変興味深い。ちなみに「服部ジャーナル」は道立図書館も文学館でも所蔵していません。

 
▼ 私の北海道史  
  あらや   ..2025/11/07(金) 10:31  No.1242
   浪淘沙ながくも声をふるわせてうたうがごとき旅なりしかな

竹内さんの〈私の北海道史〉シリーズから『北の涯の夢』『まぼろしの後方羊蹄政庁』『古代文字の謎』『啄木の歌』の四篇をアップしました。じつに強い四篇です。現在の私が北海道常識としている源流がここにあったのか!と改めて竹内さんを見直しました。(←何をエラそうに!) 最後の最後で「浪淘沙…」の歌が流れてきて、私は感無量です

 
▼ 雪下ろしと煙突掃除  
  あらや   ..2025/11/08(土) 17:41  No.1243
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 戦前戦後の子供たちの大きな仕事は、屋根の雪下ろしと、煙突掃除であった。
 サンタクロースでおなじみの三角屋根と四角の煙突は、実際には、ほとんど戦後のものだったから、私たちの経験した煙突は皆、二十センチ程度のブリキの丸いやつで、丸いブラシでよく掃除した。家庭用は、悪い石炭を使っていたので、すぐ詰まり、一週間ともたない状態だった。寒さと、遊びに行けない不満で、親子の大きなトラブルのもとだった。
 雪下ろしも、もう一つの不平材料だった。屋根といっても完全ではなく、特に、継ぎ目の多い屋根では、暖房の不完全も手伝って、暖気で解けた氷が、目詰まりし、寒さで折り重なって凍りつき、それをマサカリの頭でたたき割るという悪循環で、いつも雨漏りが絶えなかった。
 先日のテレビで、雪下ろし専門の人が話をしていたが、何よりも仕事は長靴が肝心で、月に三足は履き替えているとのことであった。それでなければ、あの滑る傾斜面では作業にならないのだろう。おれは大丈夫だ、と二年も三年も冬靴を履き替えないようでは危険この上ない。
 この二つの危ない寒い作業から解放されているだけでも、最近の子供たちは恵まれている。その分、もっと勉強しろなどと言っても、それとこれとは別だと、まったくレースになっていない。
(竹内寛「雪下ろしと煙突掃除」)

竹内寛追悼作品集部分は本日完了しました。全文引用した上の小品は、北海道新聞(1995年3月13日)のコラム「朝の食卓」に載った竹内さんの遺稿です。

 
▼ 平成七年一月十七日  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:08  No.1244
  「これは大変なことだ」と思いすぐ電話機をとった。神戸には丸本明子、奈良には佐々木徳次の両同人がいる。しかし「ただ今、その方面の電話は緊急なものを除き遠慮して頂いております」という録音の声が繰り返されるばかりだった。
 電話を諦め、両名に見舞いの葉書を出して、あとはテレビに釘付けになった。
 朝のうちはヘリコプターからの映像が主で、戦時中、空襲や原爆にやられた東京や広島を憶い出させた。
(春山文雄「阪神大震災雑感」)

 ボランティアで、十分ほど、車で走っていきますと、焼け野原の、マンション、ビルの倒壊と、凄ましい形相を呈しています。愛した街が、一瞬にして消え去りました。文化とは、人生とは、人間とはを根底から問いなおそうと思っています。戦中戦後の悲痛と、「阪神大震災」の悲痛と、その間の人生図が、うごめいています。犠牲者の方々の冥福を祈ります。
(丸本明子「『阪神大震災』のこと」)

増え続ける犠牲者の数と、崩壊する建物、燃え続けて次々に廃墟化して行く街の姿に、東京大空襲の翌日、目のあたりにした下町の悲惨さをダブらせて呆然としていた。
(楢葉健三「兵庫県南部地震」)

 こんどの阪神大震災で、テレビの画面にひろがる焼野原をみて、終戦になって数日後、汽車の窓から眺めた広島の街を思い出しました。(中略) そして着のみ着のままで焼け出された年輩の男性の「生命だけは助かったのを倖せに思います」と言った卒直な感慨にも、あの頃がオーバーラップしていました。五十年前、それは私の言葉でもあったのです。
(佐々木徳次「戦争体験」)

 
▼ 「人間像」第141号 後半  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:12  No.1245
  「人間像」第141号(186ページ)作業、終了しました。作業時間は「86時間/延べ日数20日間」。収録タイトル数は「2781作品」。裏表紙は前号と同じなので省略します。
庭の樹の冬囲いとか、冬タイヤへの交換とか、あれこれやらなければならないことがこの時期にはあって、なにか落ち着いて作業できない竹内寛氏の追悼号でした。

阪神淡路大震災に自らの戦争体験を重ねる最後の世代ではないだろうか、「人間像」は。


▼ 「人間像」第140号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/10/14(火) 16:45  No.1234
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 さきに針田和明を失ったばかりというのに、今度は白鳥の死を伝えられた。共にガンによるものだ。その故か、病名は違うかたちでしか知らされず、私達は、やがてまた回復して元気になるものとばかり思っていた。訃報は、そんな思いを打ちのめすかたちでやって来るのだ。
(土肥純光「追想の白鳥昇」)

第140号作業、開始です。画像をご覧になってもおわかりの通り、第140号は「白鳥昇追悼特集」号です。同人たちの追悼文に続いて、昭和37年6月発行の「人間像」第62号に発表された白鳥昇『星は何でも知っている』が再掲載されています。
後半の作品は、佐藤瑜璃『情愛』、土肥純光『忘れ花』、北野広『六十四才の誕生日』、内田保夫『病室にて』。


 
▼ 星は何でも知っている  
  あらや   ..2025/10/15(水) 17:14  No.1235
   柴崎はその男を何気なく追っていたが急に尿意を催して、左手の細い袋小路に入った。放尿は実に気持のいいものであった。柴崎は悠々と放尿しながら、あーあと深く長い欠伸をした。と、その時、不意に、全く不意に後方でおし殺すような、それでいて腹の底までゆさぶるような音がはじけた。その瞬間、柴崎は反射的に放尿をやめた。何かしらショックだった。袋小路からとって返すと、その眼の前を自転車に乗った男が全速力で駈けていくのが見えた。肩巾のはった足の長い頑丈そうな男であった。顔はよく分らなかったが、それでも何処か特徴のある顔だった。
(白鳥昇「星は何でも知っている」)

「人間像」第62号を作業していたのは2019年11月頃だから、もう六年前になるのか… 久しぶりに『星は何でも知っている』を読み返しました。引用で気がつかれた方もいらっしゃると思いますが、この作品は、1952年(昭和27年)1月札幌で発生した「白鳥事件」を題材にしています。白鳥さんが白鳥事件を書くのか…といった戯れ言はともかく、松本清張『日本の黒い霧』を読んで以来私も「白鳥事件」には大変興味を持っていましたから『星は何でも知っている』は何度も読み直したことを記憶しています。冬の札幌で、二台の自転車によるチェイス?、発砲?、今でもこの事件を想像できないんだけど、松本清張も保阪正康も白鳥さんもそこんところは全然気にしてないんだよね。

 
▼ 情愛  
  あらや   ..2025/10/16(木) 16:25  No.1236
   「ああ海だ、海が見える。海が見えた、ああ海だ。」
 夏子は車窓にひたいをくっつけて、暗い深い穴の中から這い出したように、声を出さずに叫けんだ。夢中でバッグを握りしめた、バスがとまると、ふらふらと降りた。
 磯の香りを胸いっぱいに吸いこんだ。「波の音が、潮風が」、長い間忘れていた微笑がうかんだ、海に向って走った。
 砂浜にヒールが埋って、思うようにすすまない、靴をぬぎ捨て、重いバッグを投げだして腰を下した。海の見えない、終日夜のような家で過した日々を思う。夏子をつき放し、この北の海へとかりたてた言葉を思う。
(佐藤瑜璃「情愛」)

追悼部分が終わり、通常の「人間像」作品に入っています。白鳥さんの緊張感漂う文章から一転、佐藤瑜璃さんの海が見える文章が始まると何故かほっとする。年をとったということなのかな。三十年前の「人間像」をもう一度やれと言われたら、ちょっと辛いものがありますね。

 
▼ 忘れ花  
  あらや   ..2025/10/17(金) 11:29  No.1237
   「いや、八島さんは戦前から戦中の女優さんで、私は戦後に映画の仕事をするようになったんで、そういうことはなかったんです。ただ、あの人の芸名の月野麗子という名は私も仕事柄知ってはいましたよ。八島さんが比処へ住むようになったのは、ただの偶然に過ぎないんです。しかし私にしてみれば、同じ映画の仕事をしていた人という、そんな思い入れというのはありますけどね」
 結局、犬の話は映画の話題にすり替わってしまい、須田にとっては、八島フサに対する関心を、俄かに強く持たされる結果になっていた。
(土肥純光「忘れ花」)

しっとりとした、いい話。百点満点の展開ではないだろうか。

 
▼ 病室にて  
  あらや   ..2025/10/18(土) 14:30  No.1238
   「心臓病というけれど、何なのだよ」
 一概に心臓病といっても、狭心症、心筋梗塞、心臓肥大、心臓弁膜症、心臓性喘息等、いろいろな症状がある。
「一番高級の病気だよ」
「高級? 病気に高級も低級もないだろう」
「それがあるんだ。心臓神経症っていう奴が」
「心臓神経症?」
 聞いた事のない病名だ。
「どんな症状なのだ」
「神経症の一種で、身体に何も異常がないのに、動悸、胸痛があって、心臓病を思わせるもので、症候群だ」
(内田保夫「病室にて」)

なにか、いつもの内田さんの調子とちがう。何だろう、これ…と考えて、ふと、昔の白鳥さんの文体を思い出したのでした。

 
▼ 「人間像」第140号 後半  
  あらや   ..2025/10/21(火) 18:31  No.1239
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「人間像」第140号作業、終了です。作業時間は「39時間/延べ日数9日間」。収録タイトル数は「2726作品」になりました。
「39時間」について。本体は前号と同じ120ページですが、約40ページにわたる『星は何でも知っている』にはすでに第62号で作ったファイルがあり、時間の節約ができました。ただ、今号は画像の数が多く、39時間の内、じつに7時間を画像データ作成に費やしています。通常の「人間像」作業とは大きく異なっており参考にはなりません。

☆相次ぐ仲間の死で思うことは、年を重ねるにつれて増す時の流れの速さだ。青春時代は文学だけが生き甲斐のように夢中になれたが、働き盛りの中年期は仕事に総てを奪われ、文学は胸中でくすぶるだけで、意のままになってはくれない。仕方なく定年を羨望するようになり、老年期に望みを托す。しかし、老年期はそんなに優しく迎えてはくれない。「ゆとり」と思っていた時間が病いとの「闘い」の時間になってしまう。還暦から古希の者が多いが、その殆どが何等かの「病気持ち」である。病気と闘いながらの創作活動は誠にシンドイが、やるだけやるしかないようだ。(針山)
(「人間像」第140号/編集後記)

じつは、次の第141号も「竹内寛追悼特集」号です。冬はじわじわと近づいて来るし… 少し重苦しい十月です。


▼ 「人間像」第139号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/09/29(月) 11:19  No.1229
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 庭の灌木に隠れるようにして、少女が独りで遊んでいた。少女の着ているオレンジ色の服が、木洩れ日を受けて明るく光りをはじいて、眩しいばかりに鮮やかだった。
(土肥純光「揚羽蝶」)

「人間像」第139号作業、開始です。本日、土肥純光『揚羽蝶』をライブラリーにアップしました。以下、佐々木徳次『母のいる遠景』、内田保夫『成田山新勝寺』、北野広『雨降れど』、丸本明子『考える人』、金澤欣哉『半島・うたたか』、朽木寒三『柚木完三の青春日記(最終回)』と続きます。

第139号で特筆すべきは、佐藤瑜璃さんが「流ゆり」のペンネームで父・沼田流人の思い出を書き始めたことでしょうか。『月光』という短い作品ですが、この思い出話は、回を追う毎に次第に長くなって行きます。楽しみです。


 
▼ 成田山新勝寺  
  あらや   ..2025/10/02(木) 17:45  No.1230
   京成成田駅を吐き出された人々は、一車線の通りを進行する車を止めて横切る。
 左折すると道は幅が三メートルぐらいになる。成田山に初詣りに行く人と帰る人が交じりあってごったがえしていた。
 成田山とは全国に別院を持つ寺で日本一の不動明王を祀ってある寺で、正しくは成田山新勝寺。
 この成田山。山号であるのに、ある年のある晴れた日曜日。筑波山を登山した帰りに、ふと成田山を思い出し、成田に立ち寄った大学生らしい若者数人が、千葉県の地図を買って成田山を探しても山が見当らない。思い余って、京成の成田駅の駅員に訊ねた。
「成田山に登りたいんですが、どう行ったらいいのでしょうか?」
 これは本当にあった話。
(内田保夫「成田山新勝寺」)

本当に成田山ガイドに徹した作品でしたね。いつもの京成電鉄ものみたいに重くなく、気楽に読めました。佐々木さんの『母のいる遠景』が長く重かったので、適度な息抜きになりました。さあ、次、行こう。もう十月だ。

 
▼ 半島・うたかた  
  あらや   ..2025/10/05(日) 16:25  No.1231
   坂道左下に見えていた川添えの家が消えて、視界に広い高原が開けてきた。市尾町から約四十分、いくつかのトンネルを列ねた海岸ばかり続いた道が、ここではじめて海を失い、起状のゆるやかな畑地と森林と草原の斑な原野が出現した。
「へえ、半島だから海ばっかりと思っていたけど、こんな高原があったんだ」
 松永は車のスピードをゆるめた。
「うん、この辺はたしか婦宝高原とかいって、戦後、開拓者があの山の近くまで入植したらしいんだが、今では大分離農しているようだよ。潮風が強くて余り出来がよくないってさ。婦宝――つまり『婦人の婦に宝』って書くんだけどなかなかシャレてるよな」
「如何にも高原って感じじゃないか。床丹高原か、こりゃいいよ」
(金澤欣哉「半島・うたかた」)

いやー、激レア地名! 「市尾」でも「婦宝」でも、ヤフーで引くととんでもない答えが返ってくる。かろうじて「床丹」から別海町方面の答えの道筋が見えてくるけど、なんかスパーッとした検索にならない。生成AIを多様するようになってから一段とひどくなったような気がする。(以前、『たんぷく物語』を調べていて、「大阪福島焼肉とっぷく」が出て来た時には笑ってしまった。) 金澤さんの物語は、まだまだ未知の北海道を私に教えてくれます。

 
▼ 月光  
  あらや   ..2025/10/11(土) 11:18  No.1232
   倶知安峠に夕暮が迫っていた。私はヘッドライトを点灯し、ハンドルを握りなおした。サーモンピンクの残照の中で羊蹄山が、あぐらをかいて坐っている父の姿とオーバーラップして「大丈夫だ、落着いて来い」と言っているように見え、私は思はずアクセルを強く踏んだ。トンネルをぬけ、カーブを曲ると、羊蹄山の上に白い月が光っている。国道を左に折れると懐かしい実家への道だ。
(流ゆり「月光」)

倶知安峠。トンネルをぬけ、カーブを曲ると…

私も懐かしいです。今朝の最低気温、山麓は氷点下になったみたいですね

 
▼ 「人間像」第139号 後半  
  あらや   ..2025/10/12(日) 09:46  No.1233
  「人間像」第139号作業、終了しました。作業時間は「53時間/延べ日数13日間」。収録タイトル数は「2705作品」です。120ページですから、こんなものでしょう。裏表紙は前号と同じですので省略します。

★半年ぶりに自宅で校正することになった。この半年の間に細川・羽田・村山と三つも政権が変わった。今度は自・社連合だと言う。油と水がどのように混じり合うと言うのだろう。まったく訳の判らない世の中になったものだ。碌なことにはならないであろう。
★長い間連載して来た朽木の『柚木完三の青春日記』が最終回となった。戦後まもなくの古き若き時代が懐かしく想い出され、好評であった。(針山)
(「人間像」第139号/編集後記)

引用はしなかったけれど、『柚木完三の青春日記』には感じるものがありました。復員して来てからの一年間、職を見つけるための漂流の日々をこう淡々と語れるところが朽木さんの魅力ですね。さあ、140号台に入ります。


▼ 名月や山あり川あり   [RES]
  あらや   ..2025/09/14(日) 18:51  No.1223
   山があって川があって海もある風景の一点景となって、鍬をにぎり、釣り糸をたれ、山羊の乳をしぼる――そんな独り暮らしができたらどんなに幸せだろう、とこれまでにたびたび夢みた。人の世の煩わしさにうみ疲れたときこの夢は、そッと忍んできて放心の世界に誘う。けれども友人の一人は苦笑を浮べて
「ぜいたくな夢をみる奴だ」とあきれ、ある先輩は背中をどやしつけていった。
「モリモリ、ビフテキを食って、ガブガブ酒を呑んで、ジャンジャン遊ぶ夢でも見ろ。この怠け者めが」
(古宇伸太郎「名月や山あり川あり(一)」)

人間像ライブラリーに古宇伸太郎『名月や山あり川あり』と『私の百姓記』をアップしました。どちらも「農家の友」「北方農業」といった農業雑誌に掲載されたものです。
なぜ農業雑誌? と思われるかもしれません。これは昭和40年8月発行の「人間像」第70号に発表された古宇さんの『おらが栖』という作品に起因します。小樽銭函の山に家族全員で移り住む…という話ですが、これに興味を持った農業雑誌関係者が作品を依頼したのでしょう。『名月―』は『おらが栖』のダイジェスト版といった感じですね。
『おらが栖』はもう一度「人間像」に登場します。それは第92号「古宇伸太郎追悼」号。福島昭午『父・福島豊』にも驚いたが、古宇さんが旧作にも死の直前まで手を入れていたことにはもっと吃驚しました。こういう鬼気迫る作家、いなくなったなあ。


 
▼ 北の話  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:07  No.1224
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北海道のローカル誌「北の話」より、平木國夫さんのエッセイを二篇、針山和美さんのを二篇、人間像ライブラリーにアップしました。

 私が喜茂別から出ている「人間像」の同人になったのは、最初の渡道より十三年も前の昭和二十九年、三十歳のときであった。私の文学への旅立ちは人より遅く、二十五歳になってからだが、文学上の友人が皆無だから、「文章倶楽部」と「文芸首都」に交互に小説や詩を発表するしか道がなかった。やがて投稿家仲間で倶知安生れの朽木寒三同人が、「人間像」入りをすすめてくれたのだ。そのころの私は、東京・横浜のいくつかの同人雑誌から勧誘されたり、「文芸首都」同人になる寸前だったが全部中止して、えりにえって遠い北国から出ている無名の同人誌に参加したことになる。朽木が大そうすぐれた作品を発表し続けていたので、彼が所属している雑誌なら考える必要もないと思ったのだ。
(平木國夫「北の旅」)

原稿枚数に制限がある分、言いたいことがはっきりしていて読みやすいですね。もう一つのエッセイ『音更だより』は、タイトルからもお解りの通り「さい果ての空に生きる・上出松太郎」さんに関する文章です。

 
▼ 支笏湖をめぐって  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:14  No.1225
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 支笏湖への道は千歳、苫小牧、札幌の三方から行くのが普通で、私の住んでいた後志からはかなり遠回りになる。そのため割りと近くにありながら行く機会がなかったのである。しかし、二五○tの新車の魅力は冒険心をくすぐる。私の地図の中に有るか無しの細い道を頼りに、喜茂別から美笛峠を越えるルートを択んでみた。喜茂別の双葉部落までは良く知った道だが、そこから先は初めての道である。
(針山和美「支笏湖をめぐって」)

小説『支笏湖』の造りが美笛峠を通るルートだと気がついた時の興奮はちょっと言い表しようがないですね。京極にいた頃、私の中の〈山麓文学館〉の行動範囲がばーんと拡がりました。針山さんのかなりの作品が倶知安に暮らしていることを前提に書かれていることを倶知安の人たちはもっと知るべきだと思います。私は、「倶知安の文学者」だの「京極の文学者」だの、おらが町の自慢話みたいな田舎趣味を嗤うものですが、倶知安の町があまりに針山和美さんに無頓着なのにはさすがにあきれています。

「北の話」には懐かしい広告が溢れていて、これも楽しい。

 
▼ 後志の山々  
  あらや   ..2025/09/17(水) 13:17  No.1226
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 いつか八木義徳氏と泊村の温泉旅館でご一緒したとき、「山型人間」と「海型人間」という話が出た。海型は開放的でなんでも許してしまえるが、山型は閉鎖的で仲々許せないところがある。――という意味の話をされたことがあった。八木氏は室蘭生まれの室蘭育ちで、性格も海型だということだったが、話を聞きながら私はどちらだろうかと自問していたものだ。閉鎖的といえばそんなところもあるし、しかし「許せない」というほど狭い性格でもない。どちらかといえば鷹揚で行き当たりばったりというところもある。この呑気さは北海道的というのかも知れない。いずれにしても山に接すればほっとし、こころ安らぐところを見ると、「山型」には違いないと納得しているのである。
(針山和美「後志の山々」)

『積丹遊覧記』、やっといてよかった。あれは、同人のいろんな文章に効いてくる作品なんですね。広告は、札幌の「天政」「レンガ亭」とか、帯広の「モンパルナス」「弁慶」とか、苫小牧の「ホテルニュー王子」「そーらん亭ながの」とか、室蘭の「割烹浪花」「富留屋のうにせんべい」とか、もっともっと紹介したいところですが、この後、古宇さんや福島さんの作品が控えていますのでここで止めます。

 
▼ たんぷく物語  
  あらや   ..2025/09/18(木) 17:36  No.1227
  人間像ライブラリーに古宇伸太郎『白と黒』、座談会『青年作家を語る』を加えました。これで今回の古宇さん関係は終了です。ここからは福島昭午さんの『たんぷく物語』。

 五十号は駄作コンクールに終わるのではないかと懸念されたが、案に相違して反響が二つあった。一つは福島の「たんぷく物語」で「北海道教育評論」という教育誌より連載の申込み、一つは朽木の「人命救助の話」で、「新汐」編集部より至急別な作品を送れといって来たことだ。
(「人間像」第51号/編集後記)

針山さんが「北海道教育評論」と書いたため、探すのに実に信じられないくらいの時間がかかりました。これ、「「北海教育評論」」だったんですね。「道」の一字が入ったために、一時は道立図書館はおろか国立国会にも存在しない…、そんなことってあるんだろうか…とあたふたしたのです。で、見つかって、今期二度目の道立図書館でした。全巻揃っていないので、もしかしたら北大の付属図書館に行くかもしれない。

 
▼ たんぷく物語 〈北海教育評論版〉  
  あらや   ..2025/09/24(水) 18:56  No.1228
   「よく熊にみつからなかったもんだな。」と野見がいうと、
「したって先生、オヤジの風しもにいたんだもの。オヤジのにおいがしたベサ。」
「ふーん、なるほど。で背中にかついで行ったのは、やっぱり緬羊か。」
「うん。」
「緬羊は、なかなかったかい。」
「あのね オヤジは、メンヨでも馬でも獲るときには、風しもからコソッと忍びよってね、いきなり跳ぶんだよ。そして、メンヨの上に落ちる時に、首ばたたき落すベサ、ネ。したから、ないてるヒマもないわけさ。」
「ふーん。頭のいいヤツだな。」
 野見は感心してしまった。
(福島昭午「たんぷく物語(七)」/ヤマの晩秋・2)

いやー、北海教育評論版「たんぷく」、面白かった! 話がどんどんつながって、大宮や岩山といったキャラが立って、当時の山麓を描いた第一級史料じゃないだろうか。

北大図書館には行ってません。たぶん、出版社のミスが二回重なって、幻の『たんぷく物語(十)』が発生したのだろうと考えています


▼ 「人間像」第138号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/08/20(水) 16:49  No.1219
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針山さんの小説がない「人間像」第138号作業が始まりました。第138号の作品群は、日高良子『残照の果てるまで』、葛西庸三『模索の中で』、佐々木徳次『ラストの歌へ』、北野広『羽搏き』、丸本明子『土龍』、内田保夫『本棚』と続きます。

「あき子、避病院にいる看護婦さんを知っているか?」
 と問われた。
「ううん、知らない」
 あき子は首を横に振った。
「大島医院の看護婦さんだけど、避病院の一室を借りて通勤しているんだ。とても頭の良い人でね。何でもよく知ってるよ。あき子もあの人と友達になるといい」
 桂一は思いなしか頬を紅潮させているように見えた。
「へえー、そうなの。お兄ちゃん、どうしてその人を知ってるの?」
「うん。青年団の連中が時々遊びに行っては、いろいろ話をするんだよ」
「何歳くらいの人なの?」
「そうだな、二十七か八くらいかな」
「ふうん。でも、そんな年上の女の人と友達になったって……」
(たいして面白くもないじゃあないの)
 あき子はあまり気乗りがしなかった。
「妹がいる……と話をしたら、瑞枝さん……その人、新谷瑞枝というんだ。是非会いたい、お友達になって欲しいって言ったんだ」
(日高良子「残照の果てるまで」)

本日、『残照の果てるまで』を人間像ライブラリーにアップしました。作品に「新谷」さんが登場したの、針山和美『三年間』に続いて、これで二度目。


 
▼ 模索の中で  
  あらや   ..2025/08/23(土) 08:49  No.1220
  ――お早ようございます。
 最近漸く自分の生活する場所として落ち着くようになった職員室へ、耕治はいち礼をしながら入った。
 目が細く何時も笑っているような表情をしている熊野校長が顔をあげ、
――やあ、お早うございます。峯崎先生、今日は早いですね。
といって耕治を迎えた。桧森先生は職員室の右隅にある謄写版で印刷の仕事をしていた。
――ゆうべ、遅かったんでしょう。ひと眠りして目覚めたら、峯崎先生が部屋の中を歩き廻る音がしてましたよ。
――ええ、ちょっと書き物しようと思っているもんですから。ぼく達の住宅は、素通しの一軒家みたいものですからね。
 耕治と桧森先生は目を見合せて小さく笑った。
(葛西庸三「模索の中で」)

おや、「峯崎」さんだ。

 
▼ 千歳着陸一番機の正体  
  あらや   ..2025/08/30(土) 11:08  No.1221
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 ――さてここに、まことに不思議な飛行機、10式艦上偵察機に就いて申し述べておきたい。私が死んだら、もう誰も知る人も無くなるであろうと思うからである。私が10式艦偵について詳細に書くのは、これがはじめてであり、また終りでしょう。
(平木國夫「千歳着陸一番機の正体」)

うーん、久しぶりの上出松太郎。これを何と言えばいいのか。今でも、さい果ての空に生きる…以外、私には言葉が見つからない。あれこそ名作。

作業しながら、私は武井静夫さんの仕事を思っていました。時間が経てば、繕ったものはいずればれる。今、第138号作業を終わらそうと急いでいます。それは、探していた沼田流人『浮浪の子』が見つかったから。早くそちらの作業に移りたく、でも平木さんの仕事に手抜きはゆるされず、と贅沢な悩みの今週でした。

 
▼ 「人間像」第138号 後半  
  あらや   ..2025/08/31(日) 16:35  No.1222
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「人間像」第138号(164ページ)作業、終了です。作業時間は「57時間/延べ日数12日間」。収録タイトル数は「2671作品」になりました。裏表紙は前号と同じ『遙かなる道』ですので省略します。

★前号に引続き執筆者の広がりは続いており、喜ばしいことだが、それにしても心配は健康のことである。はずかしながら今回もベッドの上でこれを書いている。校正の作業は家内にやって貰った。お互い体は大事にしたい。
(「人間像」第138号/編集後記)

お互い体は大事にしたい…か。こういうユーモアがいつも針山さんの小説にはあって、私は大好きです。

画像は大正10年8月16日の「東京日日新聞」八面。第138号作業が無事終わったので、直ちにこちらの作業にかかります。報告は読書会BBSの方で。



 


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