| HOME | RSS | 携帯用 |



司書室BBS

 
Name
Mail
URL
Backcolor
Fontcolor
Title  
File  
Cookie Preview      DelKey 

▼ 「人間像」第147号 前半   [RES]
  あらや   ..2026/03/17(火) 17:53  No.1282
  .jpg / 29.1KB

 中央市場では、ハンドマイクの演説が聞こえると、飲食店の中から、店の人とお客さんが出てきて、
「チラシがほしい。店の中にまだお客がいるのでもっとほしい」
 でてきたお客さんは、
「おう、共産党のきれいどころのおねえちゃんの演説か。おうい、みんな出てこい、話を聞くべし」
(北野広「二つの流れ」)

どうして「飲食店」に「いんしょくてん」とルビをふるのだろう。「赤旗」はこうなのか?

第147号作業、スタートです。今号は『二つの流れ』に続いて、丸本明子『紫色の紐』、井内昭子『女たちの住む町』、金澤欣哉『名も知らぬ遠き島より』、千田三四郎『えにし』、流ゆり『父・沼田流人の交流』などが並んでいます。春の恒例、庭の雪割り作業と同時進行ですので、ペース遅いです。


 
▼ 女たちの住む町  
  あらや   ..2026/03/19(木) 17:09  No.1283
   画廊は、東京は銀座の一等地にこそ、ふさわしいものと誰しも思った所で、何のさしさわりがあろう。まして、札幌なら裏参道、あるいは美術舘のまわり、そして、三越や丸井を中心にした繁華街が画廊のメッカだ。それが、こともあろうに、大根やなすびのはすかい、鍋やハサミの真向いに、画を売る店があるのだから。
(井内昭子「女たちの住む町」)

江別市、大麻(おおあさ)。この商店街は図書館関係の間でも有名なんですよ。針山さんの本をこのブックストリートでごっそり手に入れた人を知っている。

https://www.ebetsu-kanko.jp/archives/sightseeing/8936.html



▼ 白の点景   [RES]
  あらや   ..2026/03/06(金) 14:21  No.1278
  .jpg / 23.2KB

 毎年一冊ぐらいの作品は書けるだろうと思っていたが、甘い考えであった。健康と精神の充実がなければ一日一枚平均の執筆さえも無理なことがわかった。
 この集に入れた作品は、題名にした「白の点景」を除いて平成四年秋から五年春にかけて書いたものである。かなりのハイペースであった。ところが五年の春に慢性肝炎が再発すると、とたんに書けなくなってしまった。書けないほど休力が衰えてしまったわけではなかった。無理をして悪化させては元も子もなくなるという懼れから差し控えたと言ったほうが良いかも知れない。
(針山和美「白の点景」/あとがき)

『白の点景』を進行中です。針山さんの気力、体力が落ちているので昔のような大胆な改稿は行われていないことはわかっているのですが、万全を期して原文の一字一句から起こしています。「人間像」で作ったファイルをポンとコピーして一丁上がり!というような仕事はしていません。

 治すことが第一、治れば書ける――そんな思いから控えたつもりだった。ところが闘病生活が長びくと、体力も気力も時間に比例して衰えて行くことを知らされた。そしてとうとう丸々空白の三年が過ぎた。まだ完全とは言えないが幾らか力が戻ってきた感じがあったので、書きかけのままになっていた「白の点景」を三年ぶりに書き上げた。
(同書)

倶知安中学五年時の処女作『三年間』から最後の小説『白の点景』まで、ついにここに辿り着いたという想いでいっぱいです。


 
▼ 湖畔の一夜  
  あらや   ..2026/03/07(土) 11:56  No.1279
  .jpg / 30.4KB

 暮れなずむ空を見つづける文佳の姿は化石のようであった。橙色の輝きが、ゆっくりと真紅に染まりはじめ、やがて速度をましながら暗赤色へと変化していく。するとそれまで青く見えていた遠くの山並みが次第に黠ずみ、ついには真っ黒なシルエットになった。そして湖水に映っていた山影が、いつの間にか溶けるように水面に消えていく。消えていくのは自分だと文佳は思った。
(針山和美「湖畔の一夜」)

針山さんの追悼号には、針山さんを象徴する作品として『冷たい一夜』、『天皇の黄昏』とこの『湖畔の一夜』が再掲載されています。『冷たい一夜』はわかります。戦後間もなくの投稿雑誌「文学集団」で入選第一作をとった作品。針山和美(春山文雄)の名を全国の文学青年たちに知らしめた一作ですから。『天皇の黄昏』もわかる。昭和天皇の崩御から間もなくに世に問うた一作。針山和美という人間がどういう人間かを強烈に印象づけた作品ではありました。追悼号には無くてはならない。
しかし、『湖畔の一夜』はよくわかりません。この作品が示す〈針山和美〉とは何なのだろう。これよりは、私は、例えば、針山さん最後の小説『白の点景』の方が、戦争や病気の時代をくぐり抜けて来た文学者の最後に到達した地点として意味を感じるのです。追悼号に残すのなら『白の点景』と今でも思うことがあります。

 
▼ K町  
  あらや   ..2026/03/10(火) 18:09  No.1280
   バスがK町の駅に着いた。ここから札幌までは一直線だった。
 駅の売店で缶コーヒーを買った。ここだけは昔のままだった。男子生徒に囲まれ、はしゃいでいた有頂天の自分を想いだす。立ったままコーヒーを飲む。壁に貼られた観光ポスターを見ていると突然声をかけられた。
「緒川さんじゃないか?」
(針山和美「はじけた光」)

 夜具とわずかな生活用品を携え、K町の駅に降りたのは三月末だった。めざすA部落はそこから更に十五キロも先で、交通の便はなかった。当時PTA会長の鈴木が馬橇で迎えに来ていた。
(針山和美「山あいの部落で」)

「無理するなよ。どうせついでだから」
 優しそうな笑顔だった。楽をしたい誘惑に負けた。
「では、申し訳ありませんが、バス停までお願いします」
「どこまで?」
「K町まで……でもバス停まででけっこうです」
「どうせおれもK町まで行くんだから、家まで送るよ」
(針山和美「夫の裁判」)

こんなに「K町」を舞台にして小説を書いた人、他に知らない。針山和美がいない〈後志の文学〉なんて、もうポンコツだと私は思っています。

 
▼ 白の点景  
  あらや   ..2026/03/13(金) 18:37  No.1281
   「お母さんだけど、どうしたの? 広克さんと一緒じゃないの」
「広克さんが大変なのよ。サイクリングの途中で急に倒れて、いまK病院にいるんだけど、札幌の家に電話しなくちゃならなくなって、それで番号忘れたものだから……」
「ああ、あんたの手帳ね。どこにあるの?」
(針山和美「白の点景」)

ここにも「K」ですね。「人間像」をやっている時には気づかなかったのだけど、この単行本『白の点景』って佳作揃いではないだろうか。『愛と逃亡』みたいな爆発作はないけれど、一つ一つの作品が、合評会の意見も率なく取り入れて、さらに磨きがかかっている。作業していて楽しかった。
「人間像」作業の時は、例えば、春山文雄『白の点景』を終えたら、すぐ後には日高良子『八百字のロマン』が待っている…という流れがありますから、あまり一つの作品に酔ったり浸ったりしていては緊張感が途切れるのですね。せいぜい「司書室BBS」に書くくらいがちょうど良く、てきぱき書いたらすぐ作業に戻らなければならないのでした。

その「司書室BBS」。ある会社のレンタル掲示板を借りているのですが、その会社から今年の九月いっぱいでレンタルを打ち切るという連絡が来ています。もう、こんなの、時代遅れなのかな。ブログの類いは嫌いなので、なんとか掲示板の雰囲気が残る方法を考えたいと思います。


▼ わが幼少記   [RES]
  あらや   ..2026/03/01(日) 10:38  No.1276
  .jpg / 28.8KB

 平成五年(一九九三)五月下旬、慢性肝炎が再発した。三十年ぶりのことだった。詳しいことは、この集の「半病雑記」の中に書いたので略すが、その後遺症がいまなお続いていて、服薬療養の身である。寝てばかりいるわけでもないので、「半病人」と自分できめた。半病人は、その日によって体調に変化があり、不調の日は寝転んでテレビを眺めているだけだし、少し調子のよい時には、遅れていた手紙の返事を書いたり、ワープロに向かって原稿書きをしたりしている。しかし、健康時のような爽快感は一日もない。
 そんな状態だから自然執筆量も少なくなった。この四年間に書いたのは、「半病雑記」と題した随想・エッセイふうの一連の雑文と、退院後に書いた八十枚ほどの小説ひとつと、「わが幼少記」百五十枚ほどだけだった。
(針山和美「わが幼少記」/あとがき)

その『わが幼少記』と『半病雑記』を収録した『わが幼少記』を昨日人間像ライブラリーにアップしました。作成にかかった時間、わずかに二日間。これは、『わが幼少記』部分はすでに九年前に作成済みであったことが大きな理由です。


 
▼ 三年間  
  あらや   ..2026/03/01(日) 10:43  No.1277
  .jpg / 39.3KB

 貧乏ゆえに親許遠く離れた伯母の家で育てられるなど、決して恵まれた少年時代ではなかったが、何事も輝きのなかった僕の生涯の中では、夢に満ちて、一番輝いていた時代でもあったような気がする。忘れないうちに書き残したい――そんな気持ちは本文の中にも書いた。小説にしなかったのは、フィクションを排し、事実のみを描きたかったからである。
 先に一、二の例外と書いたが、その一つが僕の処女作「三年間」三百五十枚である。中学五年の三学期に書いた。冒頭部分のみ一部発表したが殆ど未発表のまま自分で三分冊に製本し保存してある。中学三年から卒業までの学校生活や友情をテーマにしたものだった。時間的に言えば、この「わが幼少記」の続きの時代にあたる。したがって自分のことを書いた主な文章は内容順に並べると次のようになる。
「わが幼少記」 (幼・少年時代)  一九九七年記
「三年間」小説 (中学時代)  一九四八年記
「病床雑記」 (三十歳代)  一九六三〜六五年記
「半病雑記」 (六十歳代)  一九九五〜九七年記
(針山和美「わが幼少記」/あとがき)

「伯母の家」というのは小樽手宮の伯母さんの嫁ぎ先の家ですね。ですから『わが幼少記』の大部分には昭和十年代の小樽が描かれているのです。(ちなみに、この「家」から百メートルも離れていないところに針田和明さんの家があります。) 『三年間』もすでにアップ済み。人間像ライブラリーで針山さんの全生涯を辿ることができます。


▼ 「人間像」第146号 前半   [RES]
  あらや   ..2026/02/19(木) 09:06  No.1273
  .jpg / 29.3KB

先週から第146号作業がスタートしています。今、堺比呂志『観音化身』を人間像ライブラリーにアップしたところ。今号は『観音化身』に続いて、丸本明子『蜉蝣』、佐々木徳次『巣立つまで』、春山文雄『白の点景』、日高良子『八百字のロマン』などが並んでいます。114ページと薄い号なので今月中には仕上げられるでしょう。

「この道を下って右に折れ、一丁程行きますと小公園があります。その向こうにお寺があります。その横です」
 彼は礼を言って、言われた通りの道を歩いた。お寺は観音寺と標柱が立っていた。寺の庭で草むしりをしている女が見えたので、その女の処に行った。
「藻岩山登山口はこの辺だと聞いてきたんですが」
 その女は柔和な顔を彼に向けて、
「私についていらっしゃい」
(堺比呂志「観音化身」)

というわけで、『観音化身』は札幌の藻岩山三十三観音を巡るお話です。ファンは多く、いろいろな人がホームページを立ち上げているんですね。楽しそう。何か綺麗なページを引用しようとしたんだけど上手く行きません。まあ、そこは頑張らず、次、『蜉蝣』に行きます。


 
▼ 白の点景  
  あらや   ..2026/02/23(月) 09:06  No.1274
   青春譜の一葉が、枯れ葉のように舞い散る一瞬であった。悲劇はなにげない表情のままやって来た。しかし、気づかないふたりであった。
 前を走っていた広克の自転車が突然ふらついた。あっと思う間に、崩れるように倒れた。
「どうした? だいじょうぶ?」
 自分の自転車を放りだすようにして駆け寄った冴子に、
「ちょっと、気分がわるい」
 力ない声を残したきり、空を見つめていた。
「しっかりしてよ。怪我はなかったの?」
(春山文雄「白の点景」)

針山さんの単行本作品は全て読んだ上で人間像ライブラリーという仕事は始まったわけですが、この『白の点景』は全然記憶になかったです。今回、これが針山さんの最後の小説作品だと覚悟して作業を始めたこともあってか、なにか初めて『支笏湖』を読み始めた時の痺れるような気持ちが蘇ってきました。このリズム、この言葉、もう読むことはできないんだ…と思うとひどく寂しい。

 華代からの連絡も跡絶えがちになっていた年末近く、冴子は久しぶりに広克を見舞った。
 白一色の風景の中を、冴子の乗った二両編成のジーゼルカーは孤独に見えたにちがいない。客もまばらで、冴子自身ひどく孤独であった。
(同書)

 
▼ 「人間像」第146号 後半  
  あらや   ..2026/02/26(木) 16:32  No.1275
  .jpg / 41.0KB

「人間像」第146号(114ページ)作業、終了です。作業時間、「54時間/延べ日数12日間」。収録タイトル数は「2859作品」になりました。

★長く交流のあった雑誌が次々に無くなって行くのは、親しい友を失うような寂しさを感じるものだ。自分達自身年齢を重ねていく空しさに通じる故であろうか。気を奮い立たせて頑張らねばと思う。
★今号はそれぞれ作風の異なる四人の小説と本格的な細川の評論、温かみ溢れる日高のエッセイで組んだ。厚さもこの程度が恰度よいように思う。校正も発送作業も楽である。またこの程度のほうが読んで貰えそうでもある。(中略)
★気分一新の意味で誌名の書体を変えた。全国的な書道団体恩地会理事の小川華壽さんにお願いした。(針山)
(「人間像」第146号/編集後記)

いろいろな意味で、140号台は「人間像」にとっての変わり目だと感じています。


▼ 「人間像」第145号 前半   [RES]
  あらや   ..2026/01/29(木) 17:56  No.1266
  .jpg / 19.9KB

第145号作業、スタートです。と書いたはいいが、1月24日〜26日にかけて、鉄道、バス、高速、飛行場が止まってしまうほどの久しぶりの大雪で、今でも後遺症にあたふたしています。腰が痛い。
第145号は細川明人『精神病棟(第一部)』、丸本明子『鳶』、北野広『二つの花』、井口昭子『トルコ行進曲』、三浦麗子『夏の日に』、内田保夫『墨染めに舞う(最終回)』、針山和美『半病雑記』と続き、他に土肥純光さんの遺稿『白樺荘の女』『マリンタワーのある街で』の二篇が加わります。


 
▼ トルコ行進曲  
  あらや   ..2026/02/01(日) 06:16  No.1267
   ラジオのむこうで、対談の相手はいった。「この曲は、トルコ大使館で演奏して、好評だったんです。
『トルコ行進曲』って、トルコでは演奏されないんですよ。あの曲はヨーロッパの音楽ですからね。ぼく達、古楽器を使って、古い時代のように演奏しますでしょ。中国人も二人、参加してますから、勿論、日本の曲だけでなく、いろいろ編曲して演奏しています」
(井内昭子「トルコ行進曲」)

新同人の登場です。男ばっかりだった145号合評会も楽しそう。

 新入会もいるので、先ずは自己紹介し合う。井内は目次が井口となっていたので力をこめて、「イウチです」と言った。井口となっているのは目次だけで作品と住所録は井内となっていたのでなかなか気が付かない。針山も校正のとき見落としたらしい。私は目次なんかロクに見ないものだから始めからイウチさんと思っていた。なるほど軽やかにステップを踏みそうな小柄ながら運動神経のありそうな人という印象だ。
(「同人通信」No.233/道内同人会・145号合評会)

新同人とはいっても、井内さんも、この後の三浦麗子さんも、前号の堺比呂志さんも、皆、別の同人誌で長年書いてきた人たちなので、ただの新人とはちがいます。

 
▼ 夏の陽に  
  あらや   ..2026/02/02(月) 09:51  No.1268
   海岸線に沿ってバスが走る。左手には灌木の生い茂る丘陵が続き、右手には海が迫っている。
 今日は天気が良い。まだ午前八時を回ったばかりだというのに、もう眩しい程の太陽が濡れた岩肌に照りつけている。高いうねりが岩にぶつかって激しく砕け散り、水しぶきが高く上がる。
(三浦麗子「夏の陽に」)

このバスが走っているのは浜益への海岸線。浜益といえば、

三浦は、ふくよかで(太ってるという意味ではない)目の大きな優しい声音でものをいう人だ。針田のいた浜益の診療所に務めていたことがあるので、みんなから質問を受けていた。三浦は針田以前の勤務なので、針田と重なっていない。名前も噂も知らない風だった。しかしまぎれもなく作品の舞台は針田の務めていた浜益診療所と重なる。偶然ながらも何か因縁めいてくる。
(「同人通信」No.233/道内同人会・145号合評会)

三浦さんも浜益の風景を褒めていますね。針田さんの作品、追悼号以来、久しく読んでいないな…

 
▼ 墨染に舞う (五)  
  あらや   ..2026/02/06(金) 06:34  No.1269
   今日も晴れている。
 内山の京都旅行は十七年目になる。年一回で二泊三日か三泊四日の旅である。そのあいだに西国三十三ヶ所観音霊場札所を三年かかって巡った。その時は勤めていたので二泊三日で年二回訪れている。雨にあったのは最初の年に清水寺での夕立。地蔵盆を見て回っている時に途中で降られたのと、西国札所二十九番の松尾寺の帰り道に降られた、という経験しかない。
(内田保夫「墨染に舞う(五)」)

京都の尼寺を巡る物語も今回がラストです。長かったなあ…とは思わない。道民にはあまり縁が無い京都の文物を楽しませてもらいました。京都の人に直接ガイドしてもらうのではなく、視点が、関東人が巡りたい京都を解説してもらう形になっているので道民には大変親切な構成でした。平家物語もずいぶん勉強になったし。
この『墨染に舞う』をやっている期間、巷では衆議院選挙の期間でもあったのだけど、小樽は、選挙カーの連呼も全然聞こえないし(吹雪ですからね…)、目障りな掲示板も皆無だし(雪が積もってます…)、テレビもミラノ・コルティナ五輪があるから選挙報道ばかりやっているわけにもいかないし…で、すごく静かな毎日でよかったです。

 
▼ マリンタワーのある街で  
  あらや   ..2026/02/09(月) 11:24  No.1270
   若い日の一時期を過ごした、あのアパートはどうなっているのか、一度訪ねて見てみたいというのは、折りに触れて中本が考えていたことだった。不意にそれを思い立ったのは、横浜に出張で来て、時間に若干のゆとりを見出したことからだった。
 あれから、既に二十数年が過ぎていた。それを裏付けるように、中本の髪にはかなり白髪が混じりはじめていた。あのアパートは、もう残ってはいないかも知れないと、そんな思いというのはあった。それとも、すっかり生まれ変わって、はやりのマンションに建て替えられているのだろうか。
(土肥純光「マリンタワーのある街で」)

土肥さんは、ある意味、自分の死期を悟っていたのだろうか。遺稿となった作品にこんな箇所を見つけると胸がきゅっと締めつけられる。

H 時間だし、土肥のは省略しよう。これは後から見つかって奥さんから送られてきたものでね。
K 完成させているんだね。
M 白樺荘の女はいい作品だった。
S うん、素晴らしい。
K この人、あと十年早ければ出られるね。
C どうして発表しなかったのか。
M 今までの中の最高だ。
(「同人通信」No.233/道内同人会・145号合評会)

 
▼ 半病雑記(4)  
  あらや   ..2026/02/13(金) 10:04  No.1271
   「それから『愛と逃亡』も面白かったけれど、死姦する場面は無い方が良かったと思いましたね。心から彼女を愛し続けた純情な青年というイメージが、あの場面でちょっと変わった印象になってしまい、それが惜しいと思いました」
(針山和美「半病雑記(4)」)

そうかなあ。主人公を「純情な青年」と読みとる時点で間違っている気がする。主人公が有している毒の部分、ひどく魯鈍な領域に気がつかないなんて、やっぱりありきたりな社会科教師だと思いました。過去に、「これは授業で使える、使えない」で本や世の中の物事を判断する学校教師を何人も見てきたけれど、なにか、あの人たちを思い出す。

 
▼ 「人間像」第145号 後半  
  あらや   ..2026/02/13(金) 10:08  No.1272
  「人間像」第145号(182ページ)作業、終了しました。作業時間は「64時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「2850作品」になりました。

『半病雑記』の連載が終了しましたので単行本『わが幼少記』の復刻に入ろうかとも思ったのですが、次号「人間像」第146号には針山さんの最後の小説『白の点景』が載っていますので、先に第146号作業を行い、その後、『わが幼少記』『白の点景』二冊の復刻に入ろうと考えています。
単行本もこの二冊が終わってしまえば、あと残るは『ボボロン雑記』(晃文社,2000.9)一冊という世界になってしまいます。とても辛い。針山さんの小説がない「人間像」にこれから堪えて行かねばならない。


▼ 「人間像」第144号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/12/28(日) 10:19  No.1257
  .jpg / 21.0KB

 同人の佐藤修子から電活があった。
「土肥さんのお見舞いに上がりたいのですが、かまわないでしょうか。これまで、それほどお眼にかかっていませんけれど……」
「そりゃ土肥君も喜ぶよ。ぼくは年内にもう一度見舞いに行くつもりなんだけど、なんなら一緒に行かない?」
「悪いですけど、年末年始は主婦業が忙しくて無理なんです。一月中旬だったらいいんですけど、いけませんか?」
「そんなことはないさ。でも間に合うといいんだけど……」
「あの、そんなにお悪いんですか?」
 切羽詰まった口調に、私の方が狼狽した。思わず口走って、口止めされている秘密を感知されそうになったからだ「
「そんなことはないけれど、年齢が年齢だからね」
(平木國夫「土肥君! 十年早過ぎた!」)

というわけで、「人間像」第144号は「土肥純光追悼号」です。ついこの間『忘れ花』をアップしたばかりなのに…という無念の気持ちの中で作業を始めています。262ページと、久しぶりの大冊なので年末年始の隙間を見ては仕事を進めるつもりです。通常の作品紹介は追悼特集が済んだ後で。


 
▼ 土肥純光(本名・元滋)略年譜  
  あらや   ..2025/12/30(火) 18:51  No.1258
  .jpg / 34.2KB

 新しい年が明けて間もなくの一月十日、突然、土肥純光が死んだ。またしても癌である。
 針田が逝って四年目、丸三年のあいだに、白鳥・竹内・土肥と続けざまに四人もの仲間が癌に奪われた。忍び足で近づき、音もなしに増殖していく悪魔の正体には誰も気づかず、気がついた時には、みんな手遅れだった。
(針山和美「土肥純光のこと」)

同人たちの追悼文は全てアップしました。さて、ここからは「略年譜」の作業に入ります。通常、略年譜は活字の組み方が特殊なので(ページ数も少ないし)画像データでとって処理するのですが、今回ばかりはそうも行かない。活字ぎっしり、全30ページの略年譜なんです。(どこが「略」なんだか…) それで、他の作品と同じく文字データで起こすことにしました。そう、これは、平木國夫責任編集の作品だと思ってください。

 
▼ 追悼・再掲  
  あらや   ..2026/01/04(日) 18:53  No.1260
  .jpg / 18.4KB

「じゃ行ってくるわね」
 慌ただしく食事の後始末をして、女は何時ものように、勤めに出て行った。空は相変らず青く冴えていた。もう、しばらく天気が続いていたが、今度崩れれば、樹々の大方は、その持てる乏しい葉をも、ことごとく振い落して仕舞うだろうと思われた。小田は食膳に凭れた侭、煙草に火を点けようとした。「風邪をひいている時くらい、煙草をお止めなさいよ」 光代が、昨夜そんなことを言ったが、新生から朝日に更えただけの話だった。旨くもない煙草の吸口を噛みしめながら、小田は、今日は、職業安定所へ行かなければならない日であったことに、気が付いた。
(土肥純光「風」)

土肥さんの追悼・再掲作品として『風』、『落影の女達』、『忘れ花』、参考資料的な意味合いで『吾が文学半生記』と『回春の日』が載っています。『忘れ花』はついこの間やったばかりだから除くとして、「文章倶楽部」時代に書かれた『風』には参りましたね。29歳にして、「人間像」以前にして、これを書いていたとは…

 
▼ 二十一歳の日記  
  あらや   ..2026/01/08(木) 18:11  No.1261
  本日、平木國夫『二十一歳の日記』を人間像ライブラリーにアップしました。21歳の日記と言われても、どういう21歳なのか全然わからないと思いますので少し説明を加えます。日記が書かれたのは昭和20年4月22日から6月29日までの間。横浜のアマチュア航空機操縦練習生だった平木さん、当時21歳が太平洋戦争末期の時局に呼応して立ち上げられた「學鷲血盟特攻隊」(学徒による特攻)に志願し、滋賀県大津の天虎飛行訓練所での訓練・待機の日々が書き記されています。
なぜ50年前の日記が平成8年(1996年)の「人間像」に登場するのかにはまだ不明な部分もあるのですが、ここ数年の同人の相次ぐ死に想うところがあったのではないでしょうか。特にこの第144号は土肥純光追悼号です。「人間像」関東支部を長い間支えてきた平木さんたちにとって土肥氏の死は衝撃だったと考えます。『二十一歳の日記』は平木さんなりの追悼文だったかもしれない。
昭和20年の日記ですから当然旧漢字です。「人間像」初期以来、久しぶりの旧漢字の嵐にちょっと時間がかかりました。「学生」じゃなくて「學生」。「真剣」じゃなくて「眞劍」。面白かったのは「來る」がくると思ったら普通に「来る」だったり、「樣」を用意していたのに「様」だったりしたことですか。「氣」と「気」が両方使われていたりして。(メンドくさいから「氣」の方に寄せた…) こういうの、平木さんが書き間違えるはずはないので、あるいは、1996年当時のワープロ機の性能差なのかなあ…とか思って仕事していました。

 
▼ すずかけの並木道  
  あらや   ..2026/01/11(日) 10:30  No.1262
   蔵谷先生は、五月十三日の三割有給休暇闘争と、十月二十一日の闘争に参加し、道教委に対する反省書を書かなかったため、三学期の二月に、一ヶ月停職となった。中央小学校で、停職になった教師は、蔵谷先生ただひとりだった。
(北野広「すずかけの並木道」)

例えばこういうセンテンスの中で、北野さんは「休暇」の言葉にだけ「きゅうか」とルビを振るんですね。何故… 凄く不思議だ。

追悼特集部分が終わり、いつもの作品部分が始まりました。第144号は北野広『すずかけの並木道』の後に堺比呂志『虎斑竹』、細川明人『濁りの記憶』、内田保夫『墨染めに舞う』、流ゆり『父・沼田流人の思い出』、針山和美『半病雑記』と続きます。

 
▼ 虎斑竹  
  あらや   ..2026/01/13(火) 11:14  No.1263
   桐山和一郎は積丹町役場の職員通用口から外に出た。薄暗かった庁舎から急に烈しい陽光を浴びて、目が眩み思わず掌で視界を遮った。
 暫くして、目が慣れてきたので、役場の駐車場に駐車している妻の佐代子を見ると、待ちくたびれたのか、運転席の背もたれを倒して、眠っている様に見えた。
 彼は腕時計を見た。三十分余も役場に入っていたことになる。
(堺比呂志「虎斑竹」)

堺さんの「人間像」デビューです。私の堺さんの印象は「人間像」170号台で発表していた『松前方言考』のように古文書の知識満載の超難解エッセイストというイメージだったので、この『虎斑竹』のように小説仕立ての作品から始まったというのは意外でした。しかし、やはり堺さん。私も後志に住んで四十年近くになりますが、虎斑竹の言葉を聞いたのはこれが初めてです。こんなことって、あるんですね。ヤフーで引いてみたら「虎斑竹専門店 竹虎」なんてのも出て来て… 知ってる人はとうに知ってるってことなのか。

 
▼ 父・沼田流人の思い出  
  あらや   ..2026/01/19(月) 11:42  No.1264
  .jpg / 44.2KB

 父から聞きたかった事、父に言いたかった事、父にしてあげたかった事、etc…。心残りは絶望的な吐息になる。けれど父の思い出にひたると、「無意味な事に時間をつぶすな、本でも読め」と懐かしい父の声が聞えてくるのです。
(流ゆり「父・沼田流人の思い出」)

内容は、以前短歌誌「防風林」から復刻した佐藤瑜璃『父・流人の思い出』の「メモワール」部分と同じです。違いといえば、「人間像」版の方が幾分読み物仕立てに整えられているくらいでしょうか。(最終章「二十、流離の時」には涙した…) ただ、「防風林」版にはなかった気づかいが気になる。

 末筆になりましたが、本文を書くにあたって、いろいろとご指導・ご協力下さいました倶知安町郷土史研究室・武井静夫氏、石狩町在住の歌人・版画家・大森亮三氏に心から感謝し、お礼を申し上げます。
(同書より)

くだらん「ご指導」だこと! 『父・沼田流人の思い出』の途中にこんな駄文を挟み込むセンスは何なのだろう。でも、佐藤瑜璃さん、全然負けていないですね。武井さんや「人間像」同人が何をほざこうと、そんな「研究」を気にすることもなく私の〈父・沼田流人〉を書き貫いているのが救いです。結果的に、残るものは『父・流人の思い出』と大森光章『このはずくの旅路』だけですよ。

 
▼ 「人間像」第144号 後半  
  あらや   ..2026/01/21(水) 17:02  No.1265
  「人間像」第144号作業、終了です。作業時間は「96時間/延べ日数23日間」。収録タイトル数は「2835作品」になりました。262ページの追悼特集号であり、作業が年末年始に重なったため、いつもより日数がかかりました。

気がつくと「第150号」が迫っているんですね。第144号をやっている時は気にならなかったけれど、今、作業を終えて次の第145号をぱらぱらめくっていたら俄然「第150号」が気になり始めた。第150号、久しぶりの300ページ近い大冊なんですね。「創刊50年」と重なっているため、各同人の「現在の」顔写真が載っているのが興味深い。土肥純光さんもそうだけど、たしかに50年経った…ことを感じます。
あと、第146号には針山さん最後の小説『白の点景』が。第147号からは流ゆり(佐藤瑜璃)さんの連載『父・沼田流人の交流』も始まります。単行本『白の点景』『わが幼少記』の復刻を除けば、第150号まで直進で行こうと考えています。


▼ 迎春   [RES]
  あらや   ..2026/01/01(木) 13:10  No.1259
  .jpg / 76.1KB

「人間像」作業も九年目に入りました。
本年は第144号からのスタートです。第190号のゴールが向こうに見えるような時期ではまだまだありませんが、それでも作品を読んでいると「ああ、もうこの時代に入っているんだ…」と感じ入ることは多々あり、全作業が終わった後の自分の姿をふっと思うこともあります。まあ、第190号を終えたとしても、やりたいことはありますのでご安心を。たとえば、今一度、紙の本に還るとかね。



▼ 「人間像」第143号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/12/10(水) 18:13  No.1252
  .jpg / 23.3KB

 昭和四年を迎えると、はやばやと中野が前田を訪ねてきた。おそろしく太い声で、ドスのきいた蛮声であった。前田は、中野が自分より二つも三つも年長者のような気がした。「目下、学内でレガッタ(競漕)をつくろうという話が出ているけれど、どこの大学でもやっていることで、わが法政が今更追随するのは馬鹿げていると思う。英国では、ケンブリッジ、オックスフォード両大学のレガッタは有名だが、双方ともだいぶ前から航空部をつくり、スポーツ航空として競技会も催しているそうだ。そこで法政としては、前田岩夫二等飛行操縦士を中心に航空研究会をつくり、わが国学生航空の先鞭をつけようじゃないか」
 前田は思わず、踊り出したいほどの喜びを隠そうとせず、中野の両手を握りしめ、「その言やよしだ。その時節の到来を待っていた。ありがとう。お互いに同好の士を募りスクラムを組んで前進しよう」
(平木國夫「天翔ける学徒たち」)

第143号作業、始まりました。『天翔ける学徒たち』はじつに原稿用紙115枚の大作で、作業に四日間もかかりました。今号は、この後、佐々木徳次『奈良公園にて』、丸本明子『施餓鬼法要』、細川明人『雨の日には傘を取って』、山根与史郎『夜空の雲』、内田保夫『墨染に舞う』、針山和美『半病雑記』などですが、特筆すべきは、流ゆり(佐藤瑜璃)の『わが心の沼田流人』が始まったことでしょうか。


 
▼ 夜空の雲  
  あらや   ..2025/12/17(水) 17:44  No.1253
   家に帰り着いて、省三が初めて加代子に会った時、思ったよりも元気そうなのに意外な感じさえした。血色もよくって全体にふっくりした様子は、豊かな頭髪を除けば腕白小僧のようだ。省三は、加代子を病気の療養と聞かされていたから、血の気も失せた青白の、頬をもこけた憂色のどんな人が来たものかと思っていたら、腕白小僧が、腕白小僧のような現れ方に、拍子抜けというよりはポーンと一本胸でも突かれたように、すぐには椅子から立ち上がれなかった。
(山根与史郎「夜空の雲」)

「瞋恚」「衷情」「慫慂」「繽紛」「纏綿」… 「人間像」143冊の歴史の中でも初めてお目にかかるのではないか…という漢語たちの大吹雪ではありました。しかも、『天翔ける学徒たち』の115枚を越える原稿用紙142枚の力作とあっては、なかなかに骨の折れる五日間ではあったのです。さあ、もう一息。年内に143号、終わらせるぞ。

 
▼ 墨染に舞う  
  あらや   ..2025/12/21(日) 14:51  No.1254
   (おかしい。おかしな話だ) 内山は呟く。
 それは後白河法皇の大原行幸が本当か、ということだった。
 平家物語を何度読み返しても、寂光院での法皇と建礼門院が出会う描写のところにくるとひっかかる。
 物語に出てくる京都でのゆかりの場所は数多くある。だが、それらは一つの部分であり、一つの挿話でしかない。それなのに物語は「巻第一」から「巻第十二」と、ただの見出しできて「小原入御」と「小原御幸」のある項の見出しを「灌頂巻」と特別扱いにしたのか、ということだ。
 もう一度、機会があったら寂光院のそれらしい場所で、なぜなのかを考えてみよう、と思っていた。
 いま、そのような場所にたったが、事実を識ることは出来なかった。八百年という歳月は、あまりにも遠いことなのか。
(内田保夫「墨染に舞う(三)」)

いやー、第三回はいつもにも増してど迫力でしたね。けっこう、ボディーブロー、効いた。この心地よい疲れをもって、沼田流人に行こう。

 
▼ わが心の沼田流人  
  あらや   ..2025/12/22(月) 12:10  No.1255
  今、その父の作品を読んでみて私が感ずる事は、残酷で惨ましい内容でありながら、その文体はとてもロマンティックでエキゾティックで流麗でありエスプリがきいていて、テーマがプロレタリア文学でなければ、素敵な文芸作品になっていたかもしれないという事です。父にとって初めての単行本であったそうです。
(流ゆり「わが心の沼田流人」)

普通の読解力と多少の文学的センスがあれば、誰でもこう感じる。『血の呻き』にプロレタリア文学を感じるなんて余程の馬鹿だ。

S あの方のグループで、発禁本なんか集めているんですが、その中に「血のうめき」があるんです。タコ部屋のことでないのが、それは譲らないけど、娘さんなら見せるというんで私行ったんです。そしたら、素敵な装丁で、エキゾチックな、本の仕上げの裁断していないものですから、こうボサボサになっていて。
(「同人通信」231/北海道同人会・百四十三号合評会)

ここでも「掘る会」か… どうしてこんな連中のところには『血の呻き』があるんだろ。猫に小判。豚に真珠。

 
▼ 「人間像」第143号 後半  
  あらや   ..2025/12/25(木) 06:47  No.1256
  「人間像」第143号(164ページ)作業、終了しました。作業時間は「80時間/延べ日数19日間」。収録タイトル数は「2808作品」です。

★今号は久し振りの平木の長編に加え、流ゆりが「父・沼田流人」を連載することになった。プロレタリア文学盛んの時代、「監獄部屋」を描いて華々しく文壇に登場しながら、挫折していった父親像を娘の視点で描こうとするもので、文献的にも貴重であり、意義が大きいと思う。
(「人間像」第143号/編集後記)

この時点で、同人の誰もが『血の呻き』を読んでいない。読んだのは武井静夫『沼田流人伝』ただ一冊というお粗末さであったことを生涯忘れないでおこう。

別に、正月がめでたいということもないので、今日から第144号作業に入ります。でわ、よいお年を


▼ 「人間像」第142号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/11/21(金) 18:56  No.1246
  .jpg / 20.6KB

 にぎわい始めた入口を見つめて美奈が思い出にふけっていると一時間ほどして、美奈の不安を打消すように李枝はオリーブ色のスーツをビシッと着こなしてさっそうと現れた。美人とはいえ、コタンの匂いを感じさせ、周囲の人々から好奇の視線をあびせられたり、美奈自身もコタン出身を教室のメンバーから、特別のまなざしをむけられるのでは? などと心配になっていた自分が、むしろ恥かしくなった。
 美奈は嬉しくなってかけより、手をとって
「しばらくう、よく来てくれたわねえ、うれしい、逢いたかったあ」
(佐藤瑜璃「忘れな草」)

一発目から佐藤瑜璃さんとは嬉しい! 第142号は、この後、土肥純光『男と女』、丸本明子『折鶴』、北野広『こぶしの花の咲くところ』、金澤欣哉『手記のある風景』、山根与史郎『美声の悟得』、内田保夫『墨染に舞う』と続き、最後に針山和美『半病雑記』のスタートです。


 
▼ 手記のある風景  
  あらや   ..2025/11/25(火) 18:39  No.1247
   一病棟は重症者、二病棟は男子、三病棟は女子、五病棟は男女混合と、廊下を幹にした形で各病棟が枝状に伸び、まるで段々畑のように病棟が並立していた。
 大気、栄養、安静が療養の基本であるだけに、病室も廊下も殆ど常時開放に近い状態で、それぞれ他の病棟を望見できる構図であった。
(金澤欣哉「手記のある風景」)

いやー、いろんな意味で感じ入った小説でした。特に、この国立療養所小樽病院の描写から始まる物語展開は興味深い。小説作品の形で小樽に在った結核療養所のことを知れるのはなにか有難い。得した気分。さらに、私の父方のルーツ、積丹半島の余別が登場することにも吃驚。まるで親戚の叔父さんが書いた小説みたい。

 
▼ 美声の悟得  
  あらや   ..2025/11/26(水) 16:37  No.1248
   毎日決まって、昼の十一時すぎに女の高い声を聴く。久しい出入り者の調子で、「こンちわァ」「まィどウ」という二言を聴く。その声は高く、哀しいほどに美しい。若い人なのであろう、珠のように丸みを帯びて、水で拭ったように濡れて響く。鈴とか、鐘ほどには定まったものではなく、人の声の複雑な曲折を含んだ美しさがある。決して哀調ではないが、陰翳の心を含んだ優しさがある。そして、礼節をもった声はだらしなさがない。
(山根与史郎「美声の悟得」)

追悼号の嵐が吹く「人間像」ですが、その陰で新同人の加入もここのところ続いています。まずは山根与史郎さんのデビュー作『美声の悟得』。「悟得」もそうだけど、「繽粉」「恭謙」「擯斥」「嚠喨」「蟬脱」…と初めて目にする漢語のオンパレードで少し焦った。いつも貝塚茂樹他編の『角川漢和中辞典』と久松潜一監修『新潮国語辞典(現代語・古語)』を愛用しているんだけど、今回はフル稼働でした。

 
▼ 墨染に舞う  
  あらや   ..2025/11/29(土) 01:42  No.1249
   「ここは、尼僧の寺というより、女人の寺と呼ぶのがふさわしいでしょう。お嬢さん、待賢門院璋子をご存じですか」
 本堂に近付くと藤島はガイド役の口調に戻った。
「知りません」
「内山さんは――」
「どっかで聞いたような名前ですがね。ちょっと思い出せません」
「では、叔父子という言葉は、どうでしょう」
「全然、わからない」
 と寿子が言う。
(内田保夫「墨染に舞う(2)」)

いやー、北海道の人に「たいけんもんいんしょうし」は読めないよ… ワープロ作業の一台の横で、もう一台にウィキペディア立ち上げて語彙を一つ一つ確認する三日間でした。「美福門院得子」「権大納言藤原公実」「檀林皇后」「橘嘉智子」「源融」「印南野」「交野」「双ヶ丘」「清原夏野」… 私も寿子と同レベルでした。ウィキペディアがなかったら何十時間かかっていたことか、冷や汗ものの『墨染に舞う』ではありました。

 
▼ 半病雑記  
  あらや   ..2025/12/02(火) 13:41  No.1250
   最近、子供時代の夢を見ることが多くなった。これは今回の病気をしてから始まったことではなく、五十代後半からそうなったが、妻も同じことを言っているので、多くの人間に共通の「回帰現象」なのかも知れない。
 (中略)
 今朝がた見た夢は、小学生時代のもので、僕が先生に尋ねている。
「雑貨屋の娘でS子という勉強のできる、可愛い子がいましたよね。あの子、いまどこに居りますか?」
「S子? 知らないね。記憶にないなあ」
 応えている先生が、いつのまにか中学時代の教師に代わっているのに、ぼくはまだ小学時代の先生と思い込んでいて、しつこく同じことを聞いているのだ。
「一度会いたいと思いましてね、その雑貨屋を探しに行ったんですが、いくら探しても見当たらないんですよ。先生なら、覚えているかと思ったのですが……」
「好きだったのかね? ぼくはその子知らないけれど」
「好きだったのかどうか、子供だったから分かりませんが、妙に会いたくて」
「それが、好きだったということだよ。隠すわけではないが、覚えがないんだ」
 もっと良く説明して、何とか聞き出そうと思っているあいだに目覚めてしまった。
(針山和美「半病雑記(1)」)

昔の針山さんだったらこの夢から小説が立ち上がって来るのだろうが、もう立ち上がらない。『半病雑記』のメモの一枚で終わってしまう。悲しいです。

 
▼ 「人間像」第142号 後半  
  あらや   ..2025/12/04(木) 11:20  No.1251
  .jpg / 30.1KB

「人間像」第142号(132ページ)作業、終了です。作業時間、「59時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2798作品」になりました。

M この女分かったよ。療養所にいたとき、ちょっとかわいい、あの女だな(笑)
S フィクションと思ったらノンフィクションですか(笑)
M いや、事実だから作為がない。しかし、それ知らない人でも心打つ作品だ。Kさん、この人一病棟にいた? 上の病棟の。
K いやいや、下。三病棟。
(ここで金沢と同じ結核療養所にいた村上と昔話が続く)
(「同人通信」230/北海道同人会・百四十二号合評会)

ガリ版刷りの「同人通信」が福島さんのパソコン印刷に変わってもの凄く読みやすくなった。合評会の愉しそうな様子がじかに伝わってきて私も嬉しい。ちなみに、Sは佐藤瑜璃さん。金澤さんの『手記のある風景』についての論評部分でした。


▼ 「人間像」第141号 前半   [RES]
  あらや   ..2025/10/31(金) 10:35  No.1240
  .jpg / 31.6KB

 火照りの残った石の台に横たわっている彼の骨をひろう。
「もう痛くないよねー」
 奥様と二女の美和子さんが肩を寄せ合い哀しみにむせびながら、腰部の骨を拾い壺にかさばる骨を、係の者が先の丸い棒でさくさくと砕いていく。強い炎で焼かれても頑丈さをみせ、大きな骨片として残っているべきなのだが、それは変色しくだけていた。ガン細胞が骨を砕いた痕跡なのか。
 ガンよ驕るなかれ。勝ったのではない。彼と相打ちなのだ。
(村上英治「友よ、さらば」)

第141号作業、始まりました。夏の物事の片付け、冬への準備をやりながらの毎日です。この第141号の発行は平成7年(1995年)の6月20日。ということは1月の阪神淡路大震災、3月のオウム真理教などを経験した社会を背景に持ってます。(個人的には、1995年は「Windows95」が発売された年として記憶されます。あそこからここまで一気呵成だったような気がする…)
後半の作品は、土肥純光『さまざまな足音』、佐々木徳次『いくつかの最後』、内田保夫『墨染に舞う』、丸本明子『花茣蓙』、北野広『あーまたこの二月の月が』、日高良子『八百字のロマン』と続きます。


 
▼ 獅子の死のごとくに  
  あらや   ..2025/11/04(火) 16:28  No.1241
   だが私は、三者三様の死を考えざるを得ない。白鳥は最後までガンとは知らされなかった。針田は検査入院の結果告知されるや、周囲のものに自分はガンだということをむしろ積極的に知らせていた。「あまりガンだと騒がないほうがいい」と友人に注意を受けていたことが日記にある。竹内の塲合は完全黙秘だった。誰にも知らせるなと家族に言い含めていた。
 (中略)
 竹内の死に方の希有なことに驚くのも私たちの論理であろう。告知されて三年、手術も拒絶し、ひたすらおのれの死を待っていた竹内に野性的な生きものを感じた。サバンナの象や獅子も死期を知ると、群れから離れ、独りじっと待つという。
 竹内にとって見舞い客などただ煩わしいだけだったろうな、と思う。見舞いの言葉の空々しさや、儀礼的な訪問や同情的な目をいっさい拒否し、世俗と絶って静かに眠りたかったか。
(福島昭午「獅子の死のごとくに」)

追悼文の部分を終え、本日から竹内寛作品集に入っています。「服部ジャーナル」からの作品が多数含まれており大変興味深い。ちなみに「服部ジャーナル」は道立図書館も文学館でも所蔵していません。

 
▼ 私の北海道史  
  あらや   ..2025/11/07(金) 10:31  No.1242
   浪淘沙ながくも声をふるわせてうたうがごとき旅なりしかな

竹内さんの〈私の北海道史〉シリーズから『北の涯の夢』『まぼろしの後方羊蹄政庁』『古代文字の謎』『啄木の歌』の四篇をアップしました。じつに強い四篇です。現在の私が北海道常識としている源流がここにあったのか!と改めて竹内さんを見直しました。(←何をエラそうに!) 最後の最後で「浪淘沙…」の歌が流れてきて、私は感無量です

 
▼ 雪下ろしと煙突掃除  
  あらや   ..2025/11/08(土) 17:41  No.1243
  .jpg / 18.5KB

 戦前戦後の子供たちの大きな仕事は、屋根の雪下ろしと、煙突掃除であった。
 サンタクロースでおなじみの三角屋根と四角の煙突は、実際には、ほとんど戦後のものだったから、私たちの経験した煙突は皆、二十センチ程度のブリキの丸いやつで、丸いブラシでよく掃除した。家庭用は、悪い石炭を使っていたので、すぐ詰まり、一週間ともたない状態だった。寒さと、遊びに行けない不満で、親子の大きなトラブルのもとだった。
 雪下ろしも、もう一つの不平材料だった。屋根といっても完全ではなく、特に、継ぎ目の多い屋根では、暖房の不完全も手伝って、暖気で解けた氷が、目詰まりし、寒さで折り重なって凍りつき、それをマサカリの頭でたたき割るという悪循環で、いつも雨漏りが絶えなかった。
 先日のテレビで、雪下ろし専門の人が話をしていたが、何よりも仕事は長靴が肝心で、月に三足は履き替えているとのことであった。それでなければ、あの滑る傾斜面では作業にならないのだろう。おれは大丈夫だ、と二年も三年も冬靴を履き替えないようでは危険この上ない。
 この二つの危ない寒い作業から解放されているだけでも、最近の子供たちは恵まれている。その分、もっと勉強しろなどと言っても、それとこれとは別だと、まったくレースになっていない。
(竹内寛「雪下ろしと煙突掃除」)

竹内寛追悼作品集部分は本日完了しました。全文引用した上の小品は、北海道新聞(1995年3月13日)のコラム「朝の食卓」に載った竹内さんの遺稿です。

 
▼ 平成七年一月十七日  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:08  No.1244
  「これは大変なことだ」と思いすぐ電話機をとった。神戸には丸本明子、奈良には佐々木徳次の両同人がいる。しかし「ただ今、その方面の電話は緊急なものを除き遠慮して頂いております」という録音の声が繰り返されるばかりだった。
 電話を諦め、両名に見舞いの葉書を出して、あとはテレビに釘付けになった。
 朝のうちはヘリコプターからの映像が主で、戦時中、空襲や原爆にやられた東京や広島を憶い出させた。
(春山文雄「阪神大震災雑感」)

 ボランティアで、十分ほど、車で走っていきますと、焼け野原の、マンション、ビルの倒壊と、凄ましい形相を呈しています。愛した街が、一瞬にして消え去りました。文化とは、人生とは、人間とはを根底から問いなおそうと思っています。戦中戦後の悲痛と、「阪神大震災」の悲痛と、その間の人生図が、うごめいています。犠牲者の方々の冥福を祈ります。
(丸本明子「『阪神大震災』のこと」)

増え続ける犠牲者の数と、崩壊する建物、燃え続けて次々に廃墟化して行く街の姿に、東京大空襲の翌日、目のあたりにした下町の悲惨さをダブらせて呆然としていた。
(楢葉健三「兵庫県南部地震」)

 こんどの阪神大震災で、テレビの画面にひろがる焼野原をみて、終戦になって数日後、汽車の窓から眺めた広島の街を思い出しました。(中略) そして着のみ着のままで焼け出された年輩の男性の「生命だけは助かったのを倖せに思います」と言った卒直な感慨にも、あの頃がオーバーラップしていました。五十年前、それは私の言葉でもあったのです。
(佐々木徳次「戦争体験」)

 
▼ 「人間像」第141号 後半  
  あらや   ..2025/11/18(火) 18:12  No.1245
  「人間像」第141号(186ページ)作業、終了しました。作業時間は「86時間/延べ日数20日間」。収録タイトル数は「2781作品」。裏表紙は前号と同じなので省略します。
庭の樹の冬囲いとか、冬タイヤへの交換とか、あれこれやらなければならないことがこの時期にはあって、なにか落ち着いて作業できない竹内寛氏の追悼号でした。

阪神淡路大震災に自らの戦争体験を重ねる最後の世代ではないだろうか、「人間像」は。



 


     + Powered By 21style +