ロッジ山旅 掲示板&山行記

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 片山でびっくり    ..山旅     返信
      2025/12/13(土) 10:10  No.7538
 
 
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甲府での所用の合間に、またまた片山に行ってみることにした。先般、たわらさんと片山から降る途中で、危険と感じて引き返したところである。公園になっている片山の遊歩道はもちろん、そうでないところも探ってみたが、ほとんど唯一といってもいい残った部分がそこだったのである。

くだくだしい経緯は書かないが、まったく予想すらしていなかったものがあったのでそれだけ書いておこう。おそらく誰にも想像はつかないと思う。

野球場であります。

柵で囲まれた広大な平坦地、とはいっても、もう半ば以上は林と藪になっている。葉の落ち切った今でこそグラウンドのように見えるが、それ以外の季節なら地面もよく見えないかもしれない。

最初、この柵はなんだろうと柵に沿って巡り、バックネットがあったので野球場だとやっと理解したのだった。

散らかった空き缶などから察するに、1980年代ころまでは使われていたようだ。地形図を見ればそこだとわかる場所だが、過去をさかのぼって調べてみても、それが球場だとわかるように書かれていたことは一切なさそうだった。

富士山から南アルプスまで、こんな大展望の野球場なんて探してもないんじゃないだろうか。実にもったいない。


 Re:舞鶴城公園    ..山旅    
        2025/12/13(土) 11:51  No.7539
 
 
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時間がまだあるというので行ってみたのが甲府城。なんと山梨県に半世紀も住んでいるというのに行った記憶がない。おそらく初めてである。

これがとても良かった。20年がかりの整備が終わってすでに10年以上たつというのに行くこともなかったのは不思議といえば不思議だが、そもそも甲府駅に行くことすら滅多にない。

冬の快晴だからなおさら良かった。山の人であれば、曾遊の山々を眺めつつ弁当でも食べれば、変な食堂でほうとうなんか食べるよりずっとよい。まあでも、そんな日には、山の人は山へ行っているんだよね。



 永明寺山    ..山旅     返信
      2025/12/11(木) 17:58  No.7537
 
 
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「つるやでついでにお買い物」なんて、敵は本能寺にありといった山歩きの計画に裏のご隠居さんが手を挙げてくれた。

ところがこの1月に永明寺山は一緒に歩いたばかりで、さてどうしようと考えたが、あらたに行き場所を考えるのも面倒だ。それに永明寺山の歩き方はいろいろある。前回は、考え得るもっとも大回りな行程で歩いたので、お互いひとつ年を取ったことだし、身の程に合わせてその半分くらいの行程を考えた。

でも、前回のハイライトだった上原城址へはもう一度行ってみたいと、前回は下りがけに立ち寄った城址に、こんどは下から登ってみることにした。要するに正式な登城である。茅野市街を見下ろす歩道は市民の散歩コース、こんな径が身近にあるのは羨ましい。

車で搦手から容易に近づける上原城址へかつての登城路を登る人はごくわずかだろう。径は落葉に埋もれてわかりにくいところもある。

これでは攻めるのは大変だろうなあという急坂が続く。大岩を縫うように登って、城址の手前の神社にたどり着く。神社裏手の「物見岩」こそ、この山の大岩の代表で、昔の人はうまいところを見つけて城や神社を造るものだなあと感心する。

城址から公園になっている永明寺山へはひと登り、無風快晴だった。頂上からは乗鞍から槍ヶ岳まで、白い峰々もずらり並んだのだから上出来だった。

頂上で昼のひとときを楽しんだあと、藪尾根を急降下して出発点に戻った。その後、つるやでちょいと買い物を楽しんだのは言うまでもない。



 『摘草と山菜』完結記念パーティ    ..山旅     返信
      2025/12/05(金) 08:48  No.7531
 
 
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横山厚夫さんの亡き夫人康子さんの『摘草と山菜』は、三好まき子さんのサイトに連載されていたものだが、三好さんが亡くなったあとサイトが閉鎖されていた。それを惜しいと思った私がネット上のアーカイブを拾い出してロッジ山旅のサイトに転載した。

その後、北島洋一さんが打田瑠美さんにナレーターを頼んでYOUTUBE版を製作してくれ、2年近くをかけて全90回が先般完結した。

そこで、その完結祝いをしようと荻窪の横山さん宅に打田夫妻と北島夫妻と私が集結、いつもながらの楽しい横山さんのお話を拝聴し午後のひとときを過ごした。

ま、それはそれ、皆さんにはサイトを楽しんでいただくとして、ここでの本題は以下となる。


 JRの運賃    ..山旅    
        2025/12/05(金) 08:57  No.7532
 
 
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25年も大泉に住んでいて小海線に乗ったのはおそらく10回に満たない。今回はその慣れていない小海線と中央線を乗り継いで上京することになった。甲斐大泉駅は無人なので乗車の際に整理券を取る。

荻窪駅でいつもの改札から出ようとしたが、精算機はあっても甲斐大泉駅から乗ったよと印刷してあるだけの紙の整理券では精算できそうもない。窓口もない。

そこでいったんホームに戻り、甲斐大泉駅で列車に乗るときの1000倍くらいの距離を歩いて駅の中で一番大きそうな改札に行ったら、そこにも窓口がない。こりゃどうするのと悩んでいたら、改札口の横の窓で何やら相談している人がある。その窓は中が見えないようになっていて、呼鈴で中の駅員が出てくる仕組みらしい。たまたま開いていたので窓口とわかったが初めての人がわかるはずもない。

やれやれ、やっと外に出られると精算したが現金か交通カードしか使えず、クレジットカードが使えないときた。今どき現金などあまり持ち歩かない。たまたま片道分くらいは持ち合わせていたが帰りの金がない。券売機なら使えるのかと聞けばそれは大丈夫だというので一安心。

(インターミッション)

それでこんどは帰りがけ、ふたたびの荻窪駅で甲斐大泉までの切符を買おうと思ったら、パッと見渡した経路図にそんな遠い駅までの記載はなく、しかたなく朝方の窓口まで行って呼鈴を押して出てきた駅員に尋ねると、図の範囲にある駅までの切符を買って、降りたときに精算せよという。なんでそんな面倒なことをしなければならないのか、それに降りる駅が無人なんだというと、それなら右のほうにある紫色の券売機を使えという、ならば早くそう言え、とまた無駄な時間がかかった。 あらためて券売機の並ぶあたりをつぶさに見たが遠距離切符の案内なんかなかった。経路図に一言書いてあればいいだけなのに不親切である。

家に帰ってから考えた。大泉から整理券で乗って広大な降車駅で面倒なことをするよりは小さな小淵沢駅でいったん降りて切符を買いなおしたほうがよほど手間がないではないか。乗り換えにそのくらいの時間は十分にある。しかし、となると運賃が上がるに違いない。

そこで念のためにどのくらい高くなるのだろうと調べてみたら、驚いたことに何度計算しても小渕沢でいったん下車したほうが運賃が200円も安いのである。高速道路でもなんでも遠距離のほうが割安になる。そんなことってあるのかしらと、ここはAIに尋ねた。

「小海線の甲斐大泉駅から小淵沢駅経由で中央線の荻窪駅までの乗車券が3080円なんですが、小淵沢でいったん降りて買いなおすと200円安くなるみたいなんです。そんなことがあるでしょうか」

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おっしゃるとおりなんです。多くの人は「通しで買う方が安いはず」と思い込んでいるので、分割したほうが安くなるという話は、鉄道に少し詳しい人か、たまたま調べた人くらいしか知らないのが実情です。

しかも今回のように200円も差が出るケースは、「運賃計算の境界」にちょうどかかっているために起きる“典型的な分割ポイント”なんですよね。


■ なぜ一般の人が気づかないのか

@ JRは「安くなります」とは告知しない

制度としては合法ですが、JRは積極的に説明していません。「分割すると安い場合があります」というのは、公式に認めつつも、あくまで“利用者自身が気づけばどうぞ”という扱いです。

A 距離制運賃の「キロ程の境界」は複雑

・100km、120km、140km…
・区切りごとに運賃がいきなり上がる
・途中で区切ると、それぞれが「境界の手前」で安く収まる
……という計算ルールは、普通に乗っている人にはまず分かりません。

B 「一度改札を出る」という発想がない

普通は「乗り換え=構内で乗り換えるもの」という感覚なので、
「途中駅でわざわざ出場してからきっぷを買う」
という行為自体が、一般的な利用のイメージから外れています。

■ 小淵沢のような「分割しやすい駅」は実は多い

特急停車で、路線のキロ境界付近にある駅は分割ポイントになりがちです。今回のように、通しより分割のほうが明らかに安い例は珍しくありません。

必要であれば、甲斐大泉〜首都圏方面で他にも安くなる分割ポイントがないか・長距離移動時に自動で最安の買い方を探す方法などもご案内できますよ!

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というわけで、ロッジ山旅へ小海線利用で来られる人も多いわけだし、そうでない方でもJRに乗ってどこかに行くときは綿密に運賃を計算するなりAIを活用するなりがよろしいかと経験をお話した次第であります。


 Re:JRの運賃    ..山の絵描き    
        2025/12/06(土) 09:57  No.7533
 
 
横山さん宅でのお祝いの会、盛り上がった様子で何よりでした。

そして続くJRの話。始め、またもや?乗り過ごしそうになって慌てた…という話かと思って読んでいたら運賃のことでした。

以前、目的地まで切符を購入せずに少し手前まで買って(往復券とか)少し先の目的の駅までは手前の駅で乗車券を購入した方が安いというレクチャーを鉄のMさんから頂いた事がありました。それと似たような話ですね。

それは乗車距離ではなく、JR側の管轄区の問題で区割りができて云々の説明だったような気がしますが、あとは本命のM氏にお任せした方がよさそうです。

ともかくシルバーというか高齢者はジパング割引サービスを大いに利用できるわけですが、窓口購入という高いハードルがあります。


 Re:JRの運賃    ..山旅    
        2025/12/06(土) 14:07  No.7534
 
 
アルコールが入っていないときは、乗り過ごしたり駅で迷ったりはしないんです。入るとてきめんにそうなります。思えば、打田^一さんの『藪岩魂』出版記念会の帰り、新橋駅でさまよっていた私を助けてくれたのは山の絵描きさんでした。

よくJRを使う人には我々の年齢になるとお得なサービスがあるようですが、私のようにほとんど乗らない人には会費を払うほどのメリットはないのかもしれません。

でも、お得なサービスなら使いやすいようにしてもらわないと意味がありませんよね。


 Re:JRの運賃    ..鉄人M    
        2025/12/07(日) 10:02  No.7535
 
 
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まずは、山の絵描きさんと同様、『摘草と山菜』連載完結をお祝いいたします。
🎊おめでとうございました。👏👏

そして後題「JRの運賃」の件につきましては、話題も問題も議論が出し尽くしたようですので、私からは"添え物の雑感"のみにて失礼いたします。

山旅さんは当然、荻窪駅では横山さん宅最寄りの西口から出場されるはずだったのでしょうが、こちらは駅出口としてはスケールが小さくて窓口もなく、無札(正規の乗車券を持っていない状態)での精算が出来ません。

東京都区内の駅とはいえ、メインではない出入口ではこのタイプが多く、私の最寄り駅である山手線高田馬場駅「戸山口」でも同様です。
(メインではない出入口にいる係員は正規のJR職員ではなく、現役を退いた嘱託OBがいることが多く、頼りにならないこともあるようです)

そこで、無札入場のさいは、メイン出入口(荻窪駅の場合は東口)に回るしかないのですが、ここでも、昨今のJR東日本では大きな駅とはいえ「みどりの窓口」をはじめとする有人窓口が続々と廃止されており、山旅さんと同様、煩わしい呼鈴問い合わせをするしか方法がありません。

次に、帰途の乗車券を券売機で購入する場合ですが…
昨晩、荻窪駅東口に出向いて券売機の写真を撮ってきましたので、ご参照ください。

上部に掲示された東京近郊区間(中央本線でしたら韮崎まで)内までの乗車券でしたら、駅名と運賃価格を確かめたうえで、左側3ヵ所、緑色と黒色の券売機でたやすく購入出来ます。

その他の区間は、右側3ヵ所の紫色の券売機(つまり、指定券券売機ですね)で駅名検索のうえ購入しなければなりません。
…とはいえ使い方は簡単で、北は稚内から南は鹿児島中央まで、JR各社津々浦々、全駅までの乗車券の即時購入が可能です。

では最後に、乗車券は目的駅まで"通し"で買うのと途中駅分割で買うのではどちらが安価か…
これは、山旅さんが述べていらっしゃるとおり「距離制運賃の"キロ程の境界"の複雑さ」があり、一概には言えません。

私ですが、市販時刻表巻末にある運賃計算ページとにらめっこするという煩雑なアナログ手法を取りつつ、それでも苦にはならず楽しんでいるのですから、なんともはや…ですね。

最後に蛇足ながら…
JR東日本では、Suicaシステムの普及促進を狙って「東京近郊区間」の大幅拡大を実施しました。
このため、例えば中央本線沿線では、松本を通り越して篠ノ井線長野までと大糸線穂高まで、小海線野辺山までが適用範囲となっており、この範囲内では途中下車が出来なくなってしまいました。

この"悪癖"を回避するためは、どうすればよいか…
ほんの些細な追加出費には目をつぶって範囲外の次駅、例えば大糸線なら有明、小海線なら信濃川上までの乗車券を購入すればよいのです。
(甲府や塩尻まででしたら、JR東海区間に入る次駅の金手や洗馬まで買えばOK)
有効期限日数は当日限りではなく増えるし、松本や小淵沢で"大手を振って"改札外に出ることが出来ます。

以上、"添え物の雑感"にしては、うだうだとつまらないことばかりを言い並べてしまいました。
失礼の段は、お許しください。


 Re:JRの運賃    ..山旅    
        2025/12/07(日) 13:50  No.7536
 
 
どこかで見た光景だと思ったら、わざわざ荻窪駅まで撮りに行ってくださったんですか。そうそう、ここでしばらくたたずんでいたのでした。

この写真では細かい字は読めませんが、路線図の中に「この範囲以外の駅については右手の券売機をお使いください」というような記載はなかったと思うんですが・・・。

今回の経験で、単純に通しで切符を買えば安くなるわけではないことを知りました。調べたら、甲斐大泉からだと中野までは小淵沢でいったん降りることで200円安くなるんですね。

私の地元の人たちには有益な情報ですから、こんどのFM放送の話題にしたいと思っています。だって、小淵沢駅でいったん降りるくらいは何の手間でもないし、それだけで往復400円安くなるんですからね。



 FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅     返信
      2025/11/30(日) 11:30  No.7526
 
 
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早いもので、この番組も4回目の師走の放送となります。よくも続いているものだと我ながら感心しています。

明日が12月最初の放送で、主には11月の大鹿村行の話をしたのですが、そのハイライトともいうべきは、初日に登った大嶺山のことで、

「嶺」の字は現在の「峠」を意味し、「レイ」や「ミネ」ではなく「トウゲ」と読むことをすっかり失念していた。家に帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはり「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」、合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。つまり「大嶺」の「大」はそこに由来するのだと思われる。ひょっとすると、かつては「大草峠」だったのかもしれない。「大嶺山」は「おおみねさん」と読むらしいのだが、山容にしてはあまりに大げさな名前に感じるのは現代の字面の意味による勘違いというものであろう。

というような内容をしゃべったのでしたが、これはラジオで言うには難しく、うまく伝わったかどうか心もとないところです。

(写真は展望荘から見た大嶺山)


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..ペンタコ    
        2025/12/02(火) 17:27  No.7527
 
 
今月の放送も話題が盛りだくさんで、興味深く拝聴いたしました。

高校時代のちょうど秋頃に、Stingの「Fields of Gold」を初めて聴きました。そのせいか、秋になるとこの曲が聴きたくなります。
ヤオ・スーティンという方は存じ上げなかったのですが、Stingの原曲とはまた違う雰囲気で、しっとりと歌いあげていますね。ハレルヤを聴いて、あぁそうかもう年末なのか、と今更ながらに気づいた次第です。

好みは人それぞれではありますが、がなり立てるように歌う最近の女性ボーカルの曲は、聴いていてなんだか疲れるなぁと感じていました。
若さゆえのエネルギー溢れる歌い方なのかもしれませんが、せっかく歌が上手なのだから、もう少しゆったりと歌えばいいのにな、なんて思ったりしています。


地名について今回の放送を機に色々調べてみたら、古い地理学評論の論文(昭和27年)に「朝鮮では「嶺」は峠を意味し,山にはこの漢字を用いない」との記述がありました。なるほど!

また、山旅さんを真似て昔の地形図と睨めっこをしてみました。
5万分の1地形図で見つけたのですが、「大嶺」の表記は昭和3年の測量まで、その後の昭和6年測量の地図から「大嶺山」に変わっていました。
それと同時にその東にある銭という集落の南に「峯」という地名が登場し、昭和41年測量版になるとそれが「高嶺」という地名に変わっていました。いったい何があったのだろうか?
地形図上だけでは地名変更の理由は分からないのが残念ですが、その背景で何が起こったのかを想像するのも楽しいです。

11月の大鹿村の山行、参加したかったので、また是非企画をお願いします。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅    
        2025/12/02(火) 19:54  No.7528
 
 
ペンタコさんは地理学科出身と聞いたので、私なんかより専門的に見られると思います。教えてください。

年代を追って地形図を眺めると、大草から大河原に至る経路にある集落がなくなっていたり、名前が変わっていたりしますね。村誌なんかを見ればわかるかもしれません。

土木技術が未熟なときは、水害で流されやすい川沿いの道よりは、たとえ遠回りでも安全な山越えの道が選ばれたのだろうと思います。

「大嶺」は険しい道ではないけれど、大河原に入るときにはどういった経路だったんでしょうね。それにしても、あの山奥から、全国へと南朝再興のための指令が出されていたと思うと、今からするとものすごいことだなあと感じられます。

来年の大鹿村行は5月末当たりの新緑の時季にしたいと思っています。大嶺道を季節を変えて歩くのもいいかなあと考えています。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..ペンタコ    
        2025/12/04(木) 09:17  No.7529
 
 
大学時代は全く勉強もせずにろくでなしな学生生活を送っておりましたので、専門的な視点だなんてものは一切なく、今になって大学時代の先生方の本を読み直したり、あれこれ文献などで調べては、学生時代の不学を補っているような有様で・・・。
地理学に関して専門的だなんて顔をしたら、大学時代の諸先輩方から蹴飛ばされます(汗)
ですので、地形を見る観点は山旅さんの方がずっと正確かと存じます。

山旅さんのおっしゃる通り、おそらくは山越えの道を利用されたのだろうと思います。
古代から遠信古道(のちの秋葉街道)が塩を運ぶ道としてあったため、宗良親王などもここから峠を越えて大河原に入ったのではないでしょうか。
宗良親王としては、古道を北上すれば味方となる諏訪氏もいて、北朝に抵抗するための拠点としては良い場所だったようです。

民俗学者:宮本常一の書籍『川の道』に、「三河からはいるものと、天竜川に沿ってはいる道とある。いずれも山越えの道である。天竜川に沿う道も、けわしい山の中腹にあるわずかな段丘や尾根を通っており、川岸に沿ってさかのぼることはなかった。谷はけわしく危険が多かったからで、山腹や尾根の方がはるかに安全で歩きやすかったからである。」という記述があります。
舟運が発達するのは近世になってから、中世であればなおのこと、時代が下っても人々は安全な山道を選択していたのかと。
とはいえこんな山奥ですから、やはり昔の人の健脚さ(それが当たり前だったのかもしれませんが)には、脱帽以外の何物もありません。

秋葉街道は馬は通れたのでしょうか?
時代が違うかもしれませんが、険しい道で荷を運ぶ際は牛が使われたというのですが、宗良親王ご一行はどうだったのだろう?


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と    ..山旅    
        2025/12/04(木) 17:34  No.7530
 
 
AIに、こう尋ねてみたんです。

「産業革命は要するに機械によって人間の肉体では決して出せない力を生み出すことだったと思うのですがいかがでしょうか」

すると、それだけでは少々説明不足で、

「人間の肉体の限界を超える外部動力を機械に持たせ、その力を安定的・大量に利用して、生産体系そのものを作り替えた出来事」

だとまとめてくれました。

私は、産業革命によってもたらされた近代文明以後の常識しかない現代人は、それ以前のことに想像が及ばなくなるだろうと思って、たわむれにAIに問うてみたわけです。

頭脳にとっては、これは進化ではなくて退化と言えなくもないなあと思うのであります。むろん、AIにこんな質問をしてしまうのもその一種です。



 片山    ..山旅     返信
      2025/11/28(金) 08:25  No.7525
 
 
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この時季に片山に行くのは、もう10年来の恒例になっていて、その理由は紅葉狩りだが、さて今年の色づきはどうだろうか。去年に引き続いてたわらさんさんとの二人旅である。時期は去年より1週間早い。

去年は行程を面白くしようと、バスを利用するつもりだったのだが、時間をすっかり勘違いしていて、乗るはずのバスが目の前を走り去っていったのだった。

今年は無事にバスに乗れて、我が秘蔵のコースを歩き出した。すでに麓でも黄葉はほとんど終わっていた。自分の住処でもそうだが、今年は盛りを迎えたとほとんど同時に散ってしまった。

これではモミジもダメかなと思っていたら、さすがにこの木は裏切らない。盛りは過ぎていたものの、なかなかの色を見せてくれた。

熊騒ぎのせいかさらに人出はなく、この広大な山上公園でたったの3人しか人影を見なかった。いつもの貸切の座敷で甲府盆地を睥睨し、昼のひとときを過ごした。

下りには未知のルートで歩いてみようとしたが、これは里に出る直前が手ごわく、安全第一と戻ることにした。この山は一見ふかふかの落葉で歩きやすいかと思いきや、かつての石切り場なので、場所によっては落葉の下に無数の石が隠れているし、人工の崖も多く油断はならない。

いずれこの未知のルートをあらためて探りに行こうと思う。





 


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