ロッジ山旅 掲示板&山行記

山や山の本のこと、などなど、別になんでもかまいません。私(山旅)もなるたけ山日記風なものを書いておこうかなと思ってます。
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 日向山の変化    ..山旅     返信
      2017/05/22(月) 21:39  No.4529
 
 
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前々から日向山に行くたびに、微妙に頂上の様子が変わっていると感じていた。花崗岩の風化があのような奇景を造ったのだから、日々変化しているのは当然だが、今回の写真と9年前の写真を見較べると、その変化がわかって面白い。

たかだか10年だから、右側の大きな岩は風化してなくなったわけではなく、地盤が崩れて落下してしまったのだろうが、それにしてもこれだけの岩が忽然となくなるとは。


 Re:日向山の変化    ..名古屋のN    
        2017/05/23(火) 20:00  No.4530
 
 
ご無沙汰しています。
山歩きにいい季節ですが、都会の若葉・青葉で目を慰めています。
日向山の定点観測、歴然としていますね。

さて、ただ今発売中の『本の雑誌』6月号(本の雑誌社)の特集が「そこに山の本があるからさ!」です。「座談会 山の本のベスト30はこれだ!」「おじさん二人組、ヤマケイに登る!」「生涯現役・田部井淳子のクライマー人生」などなど。お見逃しなく。



 Re:日向山の変化    ..山旅    
        2017/05/24(水) 07:52  No.4531
 
 
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『本の雑誌』とは懐かしい、と思うのも、この雑誌そのものは買ったことはないものの、初期の編集長、目黒孝二(ひょっとして字が違うかも)氏が創刊の頃を描いた『本の雑誌風雲録』は面白く読んだからでした。今では本も雑誌も読まなくなったからますます読むことはありませんが、山の本の特集ならと注文しました。

日向山の変化については、しつこく調べてみたら、あの部分は次々に崩れていることがわかりました。


 Re:日向山の変化    ..山旅    
        2017/05/24(水) 11:40  No.4534
 
 
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さらに拡大してみましたよ。しつこいですね。しかしこの大岩、下に転がっているのかしらん。今度行ったら調べてみよう。


 明日の木曜山行は中止とします    ..山旅     返信
      2017/05/24(水) 09:55  No.4532
 
 
予報が悪いので明日は中止とし、もし都合がつく人があれば金曜日に実施しますが、行先は未定です。

 Re:明日の木曜山行は中止とします    ..おとみ山    
        2017/05/24(水) 10:11  No.4533
 
 
了解です。金曜日はPC教室をサボるだけなので、OKです。
日本一の新緑シャワーを浴びによろしくお願いします。



 北東稜から日向山へ    ..山旅     返信
      2017/05/19(金) 07:52  No.4523
 
 
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「風雪のビバーク」の松濤明は昭和15年2月、戸台から甲斐駒に登り、日向八丁尾根を台ケ原に下っている。弱冠18歳のときの単独行で、現代からするととんでもない若さでの、しかもその時代からするとかなりの大冒険である。

とっくの昔に死んでいるから前時代の人と思いがちだが、もし存命でも今年95歳というのだから今どき珍しい年齢でもない。早世がむしろ名を残すことはよくあることである。

そのとき松濤が日向山から下ったのが、記述からするとどうやら田沢川の左岸尾根と推察される。ところでこの尾根を今までそう呼んできたが、そんな七面倒な言い方をしないでも単純にこれは日向山北東稜としたほうがわかりやすいし妥当だと思う。

白州のカフェでこの尾根を登ったという話を聞いて、すぐに登りに行ったのが9年前の4月で、これはすばらしいとすっかり気に入り、そのひと月後の木曜山行でさっそく計画し、新緑の良さに酔った。http://yamatabi.info/tawara-20080522

新緑を楽しめばさらに紅葉をもと思うのは当然で、秋に登ったのはその4年後だった。http://yamatabi.info/2012i.html#2012i4

そして今年、あの新緑をまた見たくなって計画に入れた。過去のいずれにも参加のおとみ山に、もう食傷ではないですかと問うと、まったく記憶にございませんと国会の証人喚問のようなことを言うので頼もしい。

登山口ではもう濃かった緑が登るにつれ淡くなっていく。矢立石からの登山道では想像もできないような深山の趣もある。径がまずまずしっかりしているのも美点で、登る分には初心者でもさほど苦労はないだろう。

頂上近く、小さな沢の源頭部で雰囲気が圧巻となった(添付写真)。そこからは背丈の低い笹の中にかぼそい踏跡が続き、適当なところから北へトラバースしていくと、あの砂浜に出る。

まだ昼前だったので最初は誰もいない頂上だったが、やがて続々と登ってきた。それでも平日だから20人はいなかっただろう。神様が祀られたピークで昼休みをする。小雨がときおり降るような天気だったが、鳳凰が見えたり、駒も一部は見えるのだから上出来である。最初はびっくりする雁ヶ原の風景だがさすがに新味はない。

空が暗くなったところで腰を上げ、駒ヶ岳神社に下ったが、予想に反して天気は良くなり、こんどはどんどん濃くなっていく緑と木漏れ日を味わったのだった。

参加の皆様、お疲れ様でした。


 Re:北東稜から日向山へ    ..山旅    
        2017/05/19(金) 08:11  No.4524
 
 
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北東稜の途中の三角点(点名田沢川)のそばに石祠がある。今回屋根の向きがおかしいので直してきたが、この10年間でこれだけ変化しているのである。動物がするとも思えないので人為だろうが、どういった料簡だろうか。

 Re:北東稜から日向山へ    ..おとみ山    
        2017/05/19(金) 22:59  No.4525
 
 
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新緑の時期の日本の山の素晴らしさは、世界屈指のものでしょう。
文字どおりのグリーン・シャワーを浴びて、新鮮な葉緑素を胸いっぱい吸って、こんな贅沢は下界にいては滅多に味わえるものではありません。

超人気の「日向山」の隠れルートに、久々の出張。師匠によれば3回目らしいですが、本人にその自覚は殆ど無し。常に新鮮!それこそが、毎週山に向かう最大の動機。覚え過ぎているということは、時には不幸なことであるのかも知れませんね。

師匠の後を追って山を徘徊したのが、既に500回を超えている訳ですから、意識の混濁も多少は致し方ありませんものね。

「記憶にございません」を連発して、世間を黒煙に巻いた小佐野某は山梨県人で、ボクが10年間も汗流して働いていた「別荘地清里の森」にも、国際興業の大きな保養施設がありました。
・・・・が、不幸にして一度も出会った記憶はございません。

お返しの一枚は、長い尾根を登り終えて、雁ヶ原に足を踏み入れると、白砂の中に落葉松の幼木がいっぱい。折から冷やかしの雨粒が落ちたため、新芽に水滴の玉ころが実に見事なコントラストを演出してくれました。

幸い?足が攣ったことを口実に、皆さんを山頂直下で待たせて、薬を飲んだり、水玉の写真を撮ったり〜一人楽しんでしまいました。
自分の姿か、甲斐駒の頂でも、この水滴に写し込みたかったのですが、お手軽カメラと生来の脳力・技術不足とで、願いは叶いませんでした。

もう一つ、冒頭の「風雪のビバーク」に、痛く反応した自分が。
http://pick.exblog.jp/1746639/

死の直前まで、硬直する手で手帳につづった遺書。あえて友と共に逝く道を選んだ松濤明の鬼気迫る文章と、崇高な人間性に、驚愕のショックと感銘を受けた一人です。
それ以来、本格的な冬山は絶対にやるまいと・・・・更に単独行も自分には相応しくないと、人について行く安全登山の道に邁進。

そして、最後に到達した究極の楽しみは、山梨に移住後の、ヤブ山静山山行なのです。
何といっても、何度行っても〜常に新鮮度が抜群だからです。
自分の小さな脳に無理やり押し込まなくとも、師匠がしっかり覚えていてくれるという有り難さは、新鮮さ以上の快感だからです。


 Re:北東稜から日向山へ    ..鉄人M    
        2017/05/21(日) 22:18  No.4527
 
 
素晴しき新緑山行のレポートを熟読いたしました。
そして今回参加できなかった悲運を、改めて"しみじみと"咀嚼し直している次第です。

…9年前の2008年5月22日、同コースに当方夫婦二人、勇躍と参加させていただきました。
尾根道を登る途上、全山が若葉色に萌え出ずる中に咲き誇っていた藤の花とのコントラストの妙に目を見張り、最後に忽然と踏み出した、まぶしさ一杯の「雁ヶ原」から眺めた甲斐駒の勇姿を、今でも忘れることは出来ません。

同行の、我が尊敬する"大先達"故坂本さんからは、山中にあった熊の捕獲檻について、詳細な解説をしていただきました。
「ああ、これこそ昔の山作業の"木出し道"だ」と目を細めながらゆっくり歩かれていたことをも今、懐かしく思い出しています。

"再訪の山旅"…年を経て幾度となく辿る素晴しさを、不肖当方も今後楽しんでゆければ、それは本当に嬉しい限りです。


 Re:北東稜から日向山へ    ..山旅    
        2017/05/22(月) 21:12  No.4528
 
 
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あれがもう10年近くも前とは!

お天気に関してはあの日は満点でした。なんせ添付写真の通りだったのですから。点景は鉄人夫婦とすがぬまさんです。



 きみどり新緑わかばの海    ..やまねこ     返信
      2017/05/20(土) 15:28  No.4526
 
 
「足手まとい」のやまねこです。

方向音痴と高所恐怖症という登山には全く向かない二重苦の私が「単独行ではない」という理由だけで初めての長距離登高に挑戦した。昇り3.5時間でした。よくやった。自分を褒めてやりたい!

新緑に感激して木曜山行の日向山から帰った翌日19日に印象など書き綴って途中ヤボ用にかまけて中断し保存した積りで再開したら記述データ残存していない。がっかりして翌日掲示板覗いたところ山旅師の投稿に「松濤明」の名前が飛び込んできた。「単独行(加藤文太郎)風雪のビバーク(松濤明)」・・50年前日本中が大学紛争で渦巻いていたころ私は大学3年で横浜弘明寺キャンパス(横浜国立大工学部)は全共闘のストライキ学生がバリケード封鎖し警視庁第四機動隊、神奈川県警機動隊に包囲されていた。在学生が殆ど東京からの通学で学内にも入れなかった。この時私は偶然この本に接しなぜか八ヶ岳赤岳に向かったのだ。「風雪のビバーク」の中の「蟇滝沢より権現滝」の冒頭の一節に惹かれたからです。

18日の新緑に埋もれた日向山北東稜を「風雪のビバーク」の松濤明が若干18歳で歩いたとは知る由もなかった。若き日に八ヶ岳赤岳に向かった自分よりまだ若い若者だ。しかも文字通り単独行だ。感慨が湧く。

今回の新緑木曜山行は日向山で昨秋矢立口から登っている。人気抜群の山です。この時は単独行だったが行列登山でした。中年おばちゃんが歳に似合わないカラフル派手な服装で隊列をなして行進するさまは圧巻です。「ねえねえ昨日の嵐の○○ちゃん見た・可愛かったわねえ〜」樹林帯にこだまする嬌声を聞きながら山頂の砂原に出ました。
「う〜ん、いい山だ。2時間以内は自分に合う」と体力負荷の印象も良かった。しかし静山を旨とする吾には・・と考えていました。

今回の木曜山行は違うルートで静かなコースのようだが長いらしい。果たしてついて行けるだろうか?また前回のように「足手まとい」にならないだろうか。など体力負荷の不安と果たしてコースが記憶に残るだろうか?いいや途中でギブアップなら「帰路は必ずここを通って下さい。ここで待ってます」と言おう。で付いて行きました。途中から物凄い新緑と若葉の洪水となりしばし目を奪われ疲れをついつい忘れてしまった。

前回木曜山行(臨幸峠)同様道標、赤リボン、赤ペンキなど全くない。静山静寂そのもので他の登山者もおらず女の子達の嬌声もない。
途中小休止時の女の子嬌声話題時に誰かから「こまどり姉妹」の話題が出た。興ざめです。この爽やかな新緑の中に・・つい連想で大相撲横綱審議会の「内館まき子」氏の凄まじい顔面が脳裏をよぎった。すぐ気を取り直して登り始める。

「杉崎さん、道標あったわよ。あそこ!」同行坂井女史の声。たった一つあった古ぼけた道標になぜか親近感わいた。「よくぞ持ちこたえてくれた。風雪に耐えた忍耐に敬意を表する」心の中で呟いた。
新緑の沢源頭当たりに泥が掘り起こされた窪地があった。「ヌタ場ですよ」と山旅師、初めて見ました。鹿が体擦りつけて虫を取るらしい。
一か所痩せ尾根箇所あったが山旅師の別ルート誘導で恐怖感ない登頂でした。山頂前から砂地現れ「着いたぞ!」と思った。このあたりでおとみ山氏が足に来たようだが無事登頂。昼食は見るからに恐ろしい雨乞山方面のピークに向かうらしい。
「大丈夫、こちらで見ていると怖いが行くとそう恐怖感ない」と山旅師。多少の通り雨あったが無事昼食終了し矢立口への一般コースに下山しました。錦滝ルートは直近尾白川渓谷で子供が滑落死したからか通行止めになっていた。

矢立からは駒ケ岳神社への下山路を通った。初めてだが「いい道ですよ」という山旅師が言うように景観優れた下山路だった。但し絶対迷うことなど考えられないこのルートに赤リボン、ペンキが多数設置されていた。これには感激はなかった。

「帰りに温泉入るので準備してくるように」と山旅師から言われていたにもかかわらず又してもバイクトランクに置き忘れた。「大丈夫。タオル貸します。シャンプーなどは備え付けがある。パンツは裏返しに履いて下さい」で事なきを得た。

とにもかくにも初めてのロング山行を成し遂げた達成感は大きい。かつ初めての新緑洪水に大満足でした。
足手まといに関する苦言は特になかった。よかった。次回も頑張ろう。



 御弟子から大平山へ    ..山旅     返信
      2017/05/12(金) 09:36  No.4521
 
 
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今週は参加予定がご常連Sさんおひとりだけなので、さてどうしたものかと考えていたら、好天の予報に横山夫妻がいらっしゃることになり、それなら水落観音から龍岡城へでは少々行程が長い。水落観音を往復するだけでも悪くはないが、せっかくの新緑の時季なのに、そこまでの参道は概して植林地なのでもったいない。

そこで思いついたのが芦川左岸の稜線である。蛾ヶ岳から太平山にかけての稜線は、私の見るかぎり山梨県でも屈指の樹林の良さで、新緑と紅葉の時季にこそ歩くべきである。

横山さんが昭和54年にこの稜線を蛾ヶ岳から精進湖へ歩いたときのことはロッジ山旅のサイトに書いてもらっている。
http://yamatabi.info/yokoyamaq12.html

その途中にある大平山は縦走時には南側を巻いてしまう山である。その際にも登っていないというので、それではそこを目標にしましょうとなった。この山域を新緑の時季に再訪するのは5年ぶりで、これまでにも何度か計画したことはあったのだが、すべて流れてしまっていた。

大平山に登るもっとも簡単な方法は御弟子からだが、その分、車に活躍してもらうことになる。今では身延町になってしまった旧下部町には、よくぞこんなところにという場所に集落が点在するが、御弟子はその中でも八坂とならんでもっとも高いところにある集落だった。山梨県で最後に電気が通じたこの集落も、今では日々電気を使う人はいない。

御弟子から折門への峠道は、御弟子にあった小中学校の分校へ折門の子供たちが通う通学路であった。ところどころ怪しい部分があるものの、ほぼしっかりした径が残っている。つい半世紀前にはこの径に子供たちの声がしていたのである。住人だった子供はともかく、先生たちはどうしていたのだろうか。学校の中に仮住まいもあったのかもしれない。

新緑は大平山の南稜に入ると圧巻になった。御弟子、または折門、さらにはその南麓の集落から甲府に出るには必ずこの径を通ったことだろう。長く踏まれていただけにしっかりとした径である。現在、いったい年間何人が歩くだろうか。

折門峠からはひと登りで大平山だった。久しく来ない間に富士山側がきれいに刈り払われており、その全容が眺められる様は、むしろ蛾ヶ岳よりすぐれているのではないかと思われた。縦走時は道なりに歩いていると通過してしまうピークだがもったいない話である。新緑の山のむこうに残雪の富士山がぬうっと立っている。ふだん富士山を見慣れた我々は不感症になっているが、これはかなり豪華な風景である。

昼には少し早かったので東に下って地藏峠まで行ってみることにする。大平山の東側は稜線が広くなってまるで山上庭園である。そこが若葉に覆われているのだから筆舌に尽くしがたいとはこのことである。Sさんがこの状態を留めておきたいねというがそのとおり、しかし季節が移ろうから余計に今の良さが際立つのでもあろう。

地藏峠で昼休みをしたのち折門峠に戻って往路を下った。旧い径は傾斜がうまくつけられているのも美点で、そのうえ地面が柔らかいのだから下りは実に楽だった。

お疲れ様でした。


 Re:御弟子から大平山へ    ..山旅    
        2017/05/12(金) 15:33  No.4522
 
 
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大平山からの富士 さほど人が訪れそうもないところだが、展望はすばらしい。四尾連湖から蛾ヶ岳に登るなら時間もあるだろうから、ここまで足を延ばすのがいいと思う。稜線の雰囲気がいいのは蛾ヶ岳より東なのだから。




 


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