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 笠無    ..山旅     >>引用
      2017/11/22(水) 17:22  No.4730
 
 
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笠無は、端正な笠形を成す山容から笠無となったと聞いたことがある。周囲を日本を代表するような山山に取り囲まれている位置にあっては、その優美な山容も好事家の目にしか留まるまいが、こういった山に興味を持つと遊び場は無限である。

その笠無が自宅の2階から見え、いつかは登ってみたいと思っていたヤマネコさんだったが、高さはなくとも、八ヶ岳の一般ルートを登るようなわけにはいかない。そこで木曜山行で計画してくれとリクエストしたのだった。

せっかくのリクエストだから笠無を丸かじりしようというわけで、北側のクリスタルライン八ヶ岳展望所から登って、笠無を越えて、笠無最長の尾根を藤岡神社まで歩いてしまおうという計画を立てたが、あいにく午後には雨が降り出しそうな予報であった。

そこで午前中にも終われるくらいのルートに変更し、出発点は変わらず、下るのは樫山峠とした。水曜日の催行としたのが災いしてか、天気予報が災いしてか、当のヤマネコさん以外に参加者はおらず、二人旅となってしまった。これで午後から降るのかしらというような朝の青空で、当初の計画でもよかったかなと思ったが、結局、午後早くには曇天になった。

ただでさえ入山者の少ない笠無でも、八ヶ岳展望所から登る人はさらに少ないだろう。数年前に初めて登って以来、ちょっと笠無へ、というときにはこのルートを使っている。笠無への最短ルートだと思う。

葉の落ち切った林からは白い八ヶ岳や南アルプスが望め、冬にもっとも近い晩秋の雰囲気がすばらしい。山の北側ではうっすらと雪の積もった落葉を蹴散らして歩いた。

頂上の西で広大な八ヶ岳の裾野を見下ろして早めの昼休みとし、樫山峠へと尾根を伝った。樫山峠へ歩くのは私にとっては久しぶりだったが、これもすばらしい尾根道で、新緑の頃にもまた歩きたくなった。

ヤマネコさん、お疲れ様でした。


 Re:笠無(その1)    ..足手まといのやまねこ     >>
        2017/11/30(木) 17:20  No.4738
 
 
「あの丸み帯びたどっしりとした山頂、西側へ降りる曲線美の優雅な稜線・・は一体なんという山だろうか?・・」5年前東京から現在の長坂甲陽病院裏手の高台の家を購入して住み始めてから2階窓から毎日早朝早暁のこの山が気になり眺めていた。東側の窓からは奥秩父の盟主金峰山が真正面に見え茅が岳、曲岳、斑山の山波も眼前に見える。しかし気になったこの山は恐らく横尾山だろうと思い込んでいた。

縁あって今春から山旅木曜山行に同行させてもらう機を得、斑山に登った。山中で山旅師が「杉崎さん、笠無いいよ。近くの藪山なら笠無がいい」と言った。「笠無?どの山ですか?」「あの山だよ」と尾根道から東方を指差した。帰宅して地図を見たら毎朝気になっていた「あの山」だったのだ。
木曜山行計画にいれてもらうべくリクエストし今回実現の運びとなった。

スケジュール調整上、実行は木曜でなく11/2(水)となった。天気もまずまずで朝支度していたら山旅師から「集合は高原大橋手前の長田工務店駐車場に変更しよう」と木曜山行には珍しく当日電話があった。

集合場所に来た山旅師に山旅号にザック載せながら「他のメンバーは?」と聞くと「いません。今日は二人だけで行きます」「え!なんと勿体ない」「こんなこともあるのです」・・吾一人の為に誠に心苦しかったが出発した。


 Re:笠無(その2)    ..足手まといのやまねこ     >>
        2017/11/30(木) 18:17  No.4739
 
 
清里手前の141からクリスタルラインに入りあっという間に登山口だという八ヶ岳展望所に到着した。東屋やベンチもある随分立派な広い展望所です。登山者の為に造ったとはとても思えない。下山口樫山峠に自転車置きに行った山旅師を待つ間八ヶ岳連峰展望楽しむ。今日は山行中は晴だろう。

戻った山旅師が同行犬のココを檻から放ち展望所の立派な地図の大きな鉄骨表示板の裏から登り始める。勿論「笠無登山口」なんて道標はない。
軽い傾斜の昔の作業車道を登る。落ち葉で埋まっているが明らかに車道だ。リボン、赤ペンキ、テープないが全く不安ない。どんどん進む。ココが直ぐ視界から消えるがすぐ戻る。体毛の色と枯葉が似ており見まごうが大丈夫そうだ。

「ここで車道は終わりです」と山旅師、ここから山道だ。なんとか踏み跡判別可能だがとても単独では自信ない。でも歩きにくいトラバースもなく誰もいない素晴らしいコースだ。やっぱり予想通りで今までで一番いい。
当然ながら内館まき子女史風の登山者との遭遇もない。彼女には横審や相撲協会理事会で頑張って貰いたい。夜店で売ってる般若のお面のような顔相で笠無には登場して欲しくない。戦慄を覚えること必至であります。

「恐らくこのコースを今年歩いたのは我々が初めてでしょう」と山旅師、こんな素晴らしい山道になんで登山者来ないのだろうか?あんな立派な展望所から登れるのに・・・。と思った。しかし静山避衆の我が山行理念に合致する。なるべく登山者来て貰いたくない、などと思いながら山旅師に付いて行った。

やがて山頂近くに来ると岩の急崖との分岐点に出た。「展望が効く岩峰だけど行きますか?」「勿論行きます」ザックを分岐点に置き岩峰をよじ登る。何と言う名称の岩峰か、気になったが表示も何も書いてない。
後で聞いたら単に「展望岩峰」と言うだけのようだ。ピークに這い上がると清里側、須玉側の双方が一望絶景です。清里側が開けて建物なども色々あるが須玉側はまばらです。文化度が違うのだろうか?峠はあるので両地域交流はあっただろうに・・。
考えてみたが須玉側は江戸時代以前からの昔からの土地だが昔そのままであまり発展が無く封建時代風が色濃く残っている。一方清里側は明治以前は原野だ。しかし明治以降の近代文化浸透で垢ぬけた発展は清里側の方が断然進んだのだろう。

地形が文化度の違いの分離となることは現役時代に名古屋勤務で経験した。名古屋時代何度か三重県の鈴鹿にゴルフに行った時に感じた。ゴルフ場のキャディの言葉が京都弁なのだ。一方毎日会社で合う名古屋の人は例の名古屋弁だ。聞くと昔から木曽川、長良川によって川の両側の人的交流が分断されてそうなったと言う。今でも交通の便が発達しても行政的にも分断性が残り学校学区、結婚などでの人的交流がすくなく親戚関系が少ないと言う。須玉、清里もこの山の地形で分断されていたのかも知れない。

このピークにて瑞牆山岩峰、黒森方面など確認した。飯盛山の山容が上部のみ左右対称に素晴らしく見えたのはここだったろうか?山旅師から言われたが場所の記憶不鮮明だ。
この岩峰の急崖は手を使って木に掴まりながら慎重に降りたが、枯れ木に掴まるとバキ!っと折れる。「岩は信用していいが木は信用してはいけない」と山旅師。「親族・友人は信用していいが商人・政治家は信用してはいけない」と言っていた故実父を想い出す。山はいつも裏切らない友人でありたい。

分岐点で回収したザック背負い笠無山頂に向かう。尾根幅といい周囲の木立雰囲気といいこんなに感じの良い尾根は初めてだ。予想通りの素晴らしい藪山です。「笠無っぽい尾根」と言って山旅師が一人悄然と尾根を行く吾の背後から写真撮ってくれた。今回はモデルは吾一人です。「この時期が笠無の一番いい時ですかね」「四季おりおり山はいい時期があるのです」など会話し、山頂に着いた。山頂標識もあるがお世辞にも立派ではない。男山などと大違いです。こんなにいい山の山頂にしては不遇過ぎないだろうか?不遇のヒロイズムに酔っているのだろうかとさえ感じてしまう。


 Re:笠無(その3)    ..足手まといのやまねこ     >>
        2017/12/01(金) 02:32  No.4740
 
 
まだ11時です。「少し早いが昼食としましょう」と山旅師、紺碧快晴ではないが晴れで無風のなか比較的気温も高い昼食時を過ごした。オソネの時は寒かったが大違いです。昼食雑談の中で山旅師が「親孝行一眼レフカメラ」の話をした。西岳山中にて3回も紛失したが奇跡的に親の元に帰って来たカメラに3回目はフィルムに何か映っていたらしい。拾ったカメラを何者かが使ったのか?山の神か幽霊の仕業ではないか。まことに不思議なこともあるものだ。

「海岸寺山からはあの道ですよ。あれがメインコースです」と山旅師。以前登山口調べで海岸寺峠で山梨県警パトカーから不審尋問を受けた忌まわしい登山口だ。一度歩いてみたいが今日のコースの方がいいのではないか?山頂近傍に朽ちかけた唯一の誰かが付けた素人手書き風の表示板が折れて置いてあったがもう役にたたない。景観の邪魔だ。

降りは別の尾根道を辿った。これも素晴らしい尾根で「笠無っぽい」と山旅師がいう。全く申し分ない尾根道歩き樫山峠に着いた。峠に降りる直前で山旅師が「調子に乗ってスタスタ歩くと落下する」という正面に切り立った崖があった。峠まで降りて分かったが凄い切り立った崖です。10m以上ある。峠道を造る時に出来たのだろう。まるで落とし穴に出合った風だ。落下直前地点に大きく「前進不可!落下危険」とはっきり表示板設置すべきだ。今まで事故が無かったのだろうか?先にどんどん降りたココが落下してもおかしくない。

この峠もクリスタルラインだ。この須玉からの交通量少ない洒落た名前の峠越えのこの道はどれほどの需要があるのだろう。「この道は原発道路ですよ。柏崎刈羽原発の電力を東京に送電する鉄塔建設の為、造られた道路です」と山旅師が言う。そう言えば御稜山の稜線にも巨大な送電鉄塔がある。あれも柏崎刈羽原発の電力送電鉄塔だ。首都東京の電力需要を満たす為送電鉄塔が建設されたがその鉄塔建設の為の工事用道路までが造られ山野が削られた。誠に怪物首都東京を維持するのは大変なことなのだ。水道需要も同様なのだろう。

峠から山旅師が自転車で八ヶ岳展望所へ山旅号回収に行った。ココが騒いで珍しく吠えたが吾と一緒にいてすぐおとなしくなった。
山旅師が車と戻って来たがまだ2時前で時間がたっぷりあるので近くの洞窟の岩屋堂を見学に行った。帰って調べたら須玉の百観音の系列らしい。石に「文政」と彫ってある。江戸時代の文化文政時代だ。この地区は瑞牆山にあるように岩が多い。江戸時代からこのように自然の岩の穴の中で修行僧が籠ったのだろう。傍に木造の籠小屋があり悪戯書きがしてある。「書いた年月も記してあるのでそれでこの小屋の歴史がわかる」と山旅師が言っていた。そういえば観光地の悪戯書きには年月日の記入多い。

長田工務店の駐車場に戻って来た3時頃から雲行き怪しくなった。やはり天気予報は珍しく当ったようだ。
いずれにしても5回目の木曜山行では一番良かった。是非単独行で行きたいが「見晴らし岩峰位まで辿りつけるかどうか」だが来年になりそうだ。この山一人で歩き通したら冥利に着きそうだ。
それにしても吾のみ1名だけに同行頂いた山旅師に感謝です。


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