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 友沢から1205mピークを経て太良峠へ    ..山旅     >>引用
      2020/11/20(金) 08:44  No.5800
 
 
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今ではわりとポピュラーになってしまった棚山は、木曜山行の初期、まだこの山が好事家向きの藪山だった頃から手を変え品を変えて登ってきた。

ほとんど最後に残った方法ともいうべき、兄川からのルートをちょうど1年前に登って、しかし、下ろうと思っていた友沢へではなく、ひとつ南の神峰沢へ下ってしまったhttp://yamatabi.info/2019k.html#2019k3。それはそれでケガの功名的な面白さはあったが、やはり行きそこなったところは心が残る。そこで昨日の計画となったのだった。

今さら棚山の頂上に新味はないし、標高差700mにも及ぶ藪山の登降は楽ではない。そこで今回は太良峠に自転車を配置して、目標をその南東にある1205mピークとした。これは、太良峠以南では、電波塔の建っているピークの次の高さで、太良峠から棚山へ歩くときには巻いてしまうピークのため、私もまだてっぺんは踏んでいなかった。

いつごろ整備されたものか、去年歩いた仏沢の径がほぼ廃道といっていい状態だったのは友沢も同様で、しかし、沢から急登して尾根に上がる部分にはロープやハシゴなど、きちんと整備された状態が残っていて助けられた。

友沢の入口には10体にも及ぶ観音像などが置かれているが、沢を登ってみると、相当な広さの岩窟が次々に現れ、それらの石仏はもともとその中に安置されていたのではないかろうか。その意味では友沢のほうが仏沢の名にふさわしく、地形図をつくるときに名称を間違って入れてしまったのではないかと思われた。地形図の仏沢も奇岩が多いものの、友沢の岩の迫力は段違いである。

ことに沢筋を離れるところにある大岩は圧巻で、これだけを見に訪れるのも価値があると思った。本来なら、友沢と仏沢を結んで歩道が整備されていたはずが、途中に立っていたはずの道標はことごとく朽ちて倒れ、もはや初心者向きとは言えない。

暖かい日で大汗をかいてたどり着いた1205m峰は、何の変哲もない頂上だったが、それが当たり前で、何かあるほうがおかしいのである。そこまで登り切った一同にそれぞれの憩いがあったのは言うまでもない。

参加の皆様、お疲れ様でした。


 Re:友沢から1205mピークを経て太良峠へ    ..おとみ山     >>
        2020/11/20(金) 13:41  No.5801
 
 
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懲りない面々〜とは、ズバリ、自分のことです。正しくは懲りない面(ツラ)でしょうか。
師匠の報告にもあるように、昨年の11/14、仏沢から這い上がって、あのつるべ落としさながらの「棚山」を往復し、最後は未知の長い神峰沢を下るという、およそご老体には相応しくない荒行を成し遂げたらしいのですが、あれからもう一年とは。

当日の自分のMixi日記には、「もう二度と来るまいぞ!後期・末期高齢者には、過ぎたコースだった」と、率直に感想を述べていたにもかかわらず・・・また、参加してしまいました。

支離滅裂とお笑い下さるな。懲りてもキツイ思いをしても、一夜明ければ、また山の魅力と魔力が「行けば何とかなるさ」と、誘いの手を向けてくれ、その気にさせられてしまう不思議! なにせ辛い思い出も含め、遠い過去のことはすべて忘却の彼方に葬り去る特技を持っている強みもありますからね?

師匠と若手のペースには付いて行けないもどかしさはあるものの、今回は鋭く尖った三角錐の棚山を、左手樹間から眺めながらの尾根歩きが秀逸でした。
風が吹くと広葉樹の落葉がカサカサと密度濃く舞って、初冬の風情を絶妙に演出し、1205m峰までの緩めのアップダウンを繰り返しながら、6人で貸し切りの山行を楽しんだのは、いつものとおり。

何故か定番のヤブ漕ぎが一度も無いまま、師匠が予めデポしておいたチャリが待つ「太良峠」まで、おおむねフラットな気分最高の散歩コースで、締めくくることになりました。
添付写真はゴール近くで、お誂え向きのゲートをくぐって、ご満悦の一日を終えようとする善男善女の後ろ姿、という訳です。

さて、来週はどんな秘密の場所にいざなって貰えるのでしょう?
年末の定番になっている、県下一の真っ赤なカエデの林も待っていてくれるでしょうし、サボっているヒマは無さそうです。



 Re:友沢から1205mピークを経て太良峠へ    ..山旅     >>
        2020/11/20(金) 15:23  No.5802
 
 
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友沢の歩道の途中に階段が刻まれた岩があって、こんな手間のかかる造作が近年の歩道整備のときのものであるはずはなく、この径は岩屋に安置された石仏に参拝する経路だったのだろうと思った。

近くにある深草観音(http://yamatabi.info/tawara-20060410.html)、または鳥谷山の鳥谷観音(http://yamatabi.info/tawara-20101209.html)の例を見ても、こういった信仰があったのだろうと想像されるのである。


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