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トレランを考える(5)・・・ >>
クマジィ 2018/01/08(月) 04:12
.gif / 2.3KB 北アド大会は2009年の第10回を最後に、私と総務を一人で担ってくれた佐野さんが引退、若くてエネルギーのある後輩に道を譲ることにした。

2004年(北アド大会5回大会当時)ごろ、全国で開催されているアドベンチャ―大会は20を超えていた。
そうすると面白いもので、協会とか連盟みたいな団体を作ろうとする者が必ず出てくるのだ。
アドベンチャー界(と言えるほどのものではないが・・・)もご他聞にもれずそういう人が出て来て、いつの間にか北アドもその仲間に入れられていたのにはビックリ!
「何故協会を作る必要があるのか?何故いま必要なのか?どんなメリットがあるのか?」と問い、趣旨が曖昧だったこともあり、北アドは辞退した。立ち上げようとした彼らがその後、どうなったか定かではない。しかし発起人だった数名のその後の消息は聞いてないので、多分失敗に終わっているのだろう。

ゆっくりする間もなく、北アド大会でお世話になった元サンアルピナ鹿島槍スキー場の支配人だったD氏(2010年当時戸狩温泉スキー場支配人)から「北アド大会のようなスポーツイベントを是非戸狩でやって貰えないか」という、思いもかけない話が舞い込んで来た。
D氏には北アド大会を考えたとき、鹿島槍スキー場や小熊山トレッキングコースを使用したかったこともあり、一番早く相談した経緯があった。そんなこともあり、数回の電話でのやりとりをさせて頂き、引き受けることにした。2月戸狩温泉スキー場での第一回打ち合わせから始まり、その後コースの下見を兼ねた打ち合わせを数回重ね、10月下旬第一回「戸狩温泉とん平トレイル駅伝大会」(通称:戸狩とんトレ)参加者は60名から始まり、翌年には100名を超え、第三回では200名に迫る参加者があり、順調に実績を積み重ねていた。地元のイベントとコラボしながら、これなら地元に根付くかなと思いきや、この3回だけで大会は中止となった。
市からの援助が3年までだったこと、スキー場の運営会社が替わったこと、支配人が地元(大町市)に戻ったことが大きな理由のようである。
トレランを通じたまちおこしのモデルになれるような大会だったのでとても惜しまれる。



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