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 多幸感について 
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多分、死が恐ろしいのはその前に恐ろしい苦痛があるからである。ピストルにしろ癌にしろ、痛いという恐怖が死を恐れる最大の理由である。
この世から消え去るということは苦痛ではない。消え去る前に肉体的に痛い思いをするから嫌なのである。

ゴータマシッダルタは人生は苦痛だと看破している。だから、死は生という苦痛からの解放なのだとそういっていると思う。
そう思うと釈迦の頭の中に多幸感が生まれたのでしょう。幸せにしろ不幸にしろ人は理由を求めるのだけれど、例えば最愛の彼女を手に入れた瞬間、手に入れたという幸福感と失う恐怖感と2つが生まれるだろう。
 そのどちらに傾くのかその原因を求めてもようわからんのではないか…。
終末医療に多幸感を取り入れたとして何が悪いのか?死は不幸せだという現世の価値観が揺らぐからなのだろうが、それは死んでいく人間にとってどうでもいいことなのだろう。
 私もできたらそんな風に死んでいきたいなと思う。おそらくあの「おりん婆さん」も多幸感に満たされていたように思うし、作家の宮迫千鶴もそうだったようである・Nature calls meとは、おしっこしたいということらしいけれど、自然(=死)が私に呼びかけてくる。つまり、自然に帰れと呼んでいるという感覚を持っている人は、死に対して、多幸感が生まれるということだろう。

 
魔法使い  ++.. 2017/07/05(水) 20:20 [14584]

 
Excessive Happinessを訳すと多幸感となるらしい。Excessive Happinessという言葉はアメリカ映画「パッチアダムスの最後に出てくるのだけれど、映画だけ見ていると飛躍感があって理解しにくかった。
 しかし、「多幸感の裏には深い悲しみがある」と言われて納得した。アダムスは最愛の彼女を患者に奪われるのである。それが一匹の蝶によって多幸感に逆転する」
幸せにしろ不幸にしろ人は理由を求めるのだけれど、例えば最愛の彼女を手に入れた瞬間、手に入れたという幸福感と失う恐怖感と2つが生まれるという考えは当たっているな…。。

魔法使い  ++.. 2017/07/05(水) 20:49 [14585]

 
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アダムスは蝶のおかげで失いかけていた人生の意味を再び取り戻し、笑いの伝道医師として活躍していくのであるが、笑うと言う行為そのものが多幸感を生むのである。
魔法使い  ++.. 2017/07/05(水) 20:53 [14586]

 
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これが映画のモデルとなったご本人のロビンウィリアムスという実在の医師である。
魔法使い  ++.. 2017/07/05(水) 21:00 [14587]

 
これは宮迫千鶴さんの多幸感です。
「宮迫さんが「神の波動を感じる時」なのでしょうか?

私の場合、神というものを言葉で語るのは苦手です。
神は愛だとか、光だとか聖書に書かれていますが「神」を言葉にするとむなしく感じてしまいます。というのも、中学・高校をカトリックの女子校で学んだので、押し付け的な宗教教育の後遺症みたいなものが私の中に残っているのです。ですから、宗教組織や団体、教義などにはいまだになじめません。

自然にそって素朴に謙虚に生きている人や動物、樹木や草、石、風のそよぎや空に浮かぶ雲、晴れやかな水平線などを見たり、ふれたりする時、そういった生命や風景の中に神の意味を私は感じます。いま私は、自分のアトリエの庭で花や野菜たちに囲まれて、土のそばにいる時が最高に幸せです。伊豆半島の明るい光を感じながら好きな絵を描いている時に一人で意味もなく笑いだしてしまうくらいに至福そのものなのです。

大自然を通して伝えられる神の波動を感じながら、まっとうに生きて死ねればうれしいですね。」

魔法使い  ++.. 2017/07/09(日) 21:12 [14589]

 
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これならわかる。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/kaminohado/003miyasako.html
ロビンウィリアムスという人は西洋の人なので、笑いの質が私とはだいぶん違うけれど、宮迫の「伊豆半島の明るい光を感じながら好きな絵を描いている時に一人で意味もなく笑う」というこの感覚はわかるな。
彼女はがんで60数歳で死んだけれど、暗い死に方どころか、明るい死といってもいいくらいだったようである。
 終末医療で何を服用していたかはわからないけれどガンによる痛みは極力抑えていたはずで、そうでなければ、痛みに耐えるという何とも無意味な最期になっていたと思うのだ。
うまく痛みを抑えて静かに死んでいくというのはいいことだし、大いに笑って死んでいくのもいいことなのだ。
 そのためには副作用も習慣性もない大麻は大いに利用されるべきで、悪法も法だという輩はがんになって大いに苦しんで死ねばいいので、それこそ選択の自由というものなのである。

魔法使い  ++.. 2017/07/09(日) 21:26 [14590]

 
宮迫千鶴のいう神とはヨーロッパの神とは違って自然のその向こう「大いなる自然」である生も死もすべてがそこから発せられる仕組みそのものを神と言っているように思う。
インド哲学でいうところのブラフマンなのだろう。ブラフマンというのは正に大いなる自然であり自然の摂理で、それが個別の形をとって現われるとアートマンと呼ばれるようだけれど、まあそんなことはどっちでもいい。
自然の摂理である死を受容して大いに笑って死んでいくのもまた一興なんだな。

魔法使い  ++.. 2017/07/09(日) 21:41 [14591]



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