| 新潮社の「吉村昭自選作品集」には毎号に月報「私の文学的自伝」が付いていて、その第九号月報が興味深かった。ちょうど吉村昭の同人雑誌時代にあたります。
私は、「文學界」で没になった中篇小説『少女架刑』を、丹羽文雄氏の主宰する同人雑誌「文学者」に投稿した。 『少女架刑』は、「文学者」十月号に掲載され、その月の合評会で激賞してくれる人がいて、私は嬉しかった。しかし、同人雑誌評ではほとんど無視され、「文學界」の同人雑誌評でも、死者が「私」であるというのは不自然だ、と数行書かれているだけであった。 私は、やはり、『少女架刑』が「文學界」編集部で不採用になったのも無理はないのだ、と、あらためて思った。 (中略) 私は、「文學界」に発表した『貝の音』の評にひそかに期待していたが、文芸時評では全く黙殺された。文壇に登場するのは、きわめて至難であることを、私はあらためて意識し、打ちひしがれた思いであった。 芥川賞候補に二度えらばれ、文芸誌に一作のりはしたが、私は、それがほとんど意味のないことであるのを感じていた。たまたま、そのようなことがつづいただけのことで、私は、依然として同人雑誌に作品を寄せる人間であるのだ、と思った。 (吉村昭「私の文学的自伝・九」)
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