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No.483 への▼返信フォームです。


▼ 走る女   引用
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:39  No.483
  竹内紀吉『影』が収録されているので古書店から買った『小説の発見1』なのだけれど、『影』以外にもおーっ!と思った作品が二つあって、一つが以前書いた金子きみの『東京のロビンソン』。そしてもうひとつが、宇尾房子さんの『走る女』なのでした。
ところが、『東京のロビンソン』がすらすらと感想を書けたのに対して、『走る女』は一行の感想文も頭に浮かび上がってこない。ほんとに一言も浮かんで来ないんです。じゃあ、語るに値しない駄作かと言ったら、全然そんなことはない。これは何か重大な電波が放出されている作品であることははっきり感じるんだけど、巧く合致する言葉が私の文字パレットにはない…というか。
けっこう悶々としていました。竹内氏の作品を読み進んで行くと、その前後に宇尾氏の姿や作品がちらちらします。なにか、「人間像」の人たちにはあまり感じない質の電波であって、大変興味津々です。
こんな質量であろうか…ということを庄司肇氏が的確に書いていますので、そちらを引用させてもらいます。同人雑誌「朝」第29号「追悼・宇尾房子」に転載された、「千葉日報」2009年10月30日の庄司氏追悼文です。

 
▼ 珍しい思考の観念性@   引用
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:44  No.484
   珍しい思考の観念性 宇尾房子さんを悼む  庄司肇
 宇尾房子さんが消えてしまった。84歳。年に不足はないと言われそうだが、闘病半年は呆気(あっけ)なさ過ぎる。重いものが肩を押さえつけてきて、足の先から地面に沈みこんでゆくような気分だ。悲しい。寂しい。
 彼女に初めて会ったのは、同年の私たちが30代の後半にいたころだった。『走る女』の詳細な年譜によると――一九六三年一月夫の転勤で千葉県市川市に転居したのを機に「文芸首都」に入会――とある。JR検見川駅で降リ、バスに乗り換えて行くと、大きな団地があり、社宅の3階に仲間と一緒に遊びに行った。ハルサメの入ったおいしいサラダをごちそうになった。
「文芸首都」は保高徳蔵先生が私財や文壇人の浄財を注入して新人のために40年近くも続けられた雑誌である。この雑誌のことは、宇尾さんはすでに富山時代に会社の同僚の夫人江夏氏から教えられていたらしい。ここからはたくさんの作家が生まれている。私たちの少し先輩に佐藤愛子さん、同期に北杜夫氏、なだいなだ氏、森礼子さん、早世した中上健次、群像新人賞の小林美代子、文芸賞の赤坂清一とつづき、いま活躍中の勝目梓氏、加藤幸子さん、林京子さんときりがない。

 
▼ 珍しい思考の観念性A   引用
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:47  No.485
   宇尾さんの作風については、加藤幸子さんの達文《肉体の衣を着た観念小説》があり、この名解説をぬきんでる文章は当分現れないだろう。宇尾さん自身は、《ものを書く人のタイプを嘘言癖と被害妄想癖に分けるとすると、私は嘘つきの方に入るようです》と述べている。宇尾さんらしい明晰(めいせき)な分類であろう。彼女の特質は、女性には珍しい思考の観念性であり、その抽象性を具象化して表現できることであろう。しかもそこにいささかのエロチシズムをまぶすことのできる想像力の拡大にあると思う。
 私の大好きな小説『走る女』では、やせたいと思っている中年女が、朝の時間は取れないので、夜のマラソンを始めようとし、友人から男に襲われる危険ありとの忠告をうける。しかし内心それを期待している主人公は承知しない。ある晩、追ってくる男の気配を感じ、逃げてのどを乾かし、やっとジュースボックスの明かりまでたどりつくが、小銭を持っていない。そこに来た若い男がジュースをおごってくれるが、それ以上の行動はなく、去ってしまったのを不満とし、男を追って走り始めるという、女心の微妙な変幻と、内奥にひそむ欲望のエロチシズムとを活写した小説である。彼女との雑談で、実際にあった同窓会での温泉旅館一泊で、女同士がはだかの肥満くらべをした話を聞いて笑ったばかりだったので、彼女の空想力の飛躍や、小説に構築する腕力にほとほと感心させられた。
 こうした見事な才華をむざむざと見送ってしまったことが、悔しくてならない。神話の世界のように、黄泉の国まで追いかけて行って連れ戻せるものならば、連れ戻したい気分で歯ぎしりしている。幽鬼となってでもいいから、会いに来てくれ。(作家・眼科医)
    ×    ×
 宇尾房子さんは10月13日死去、84歳。
(千葉日報 2009年10月30日)

 
▼ 文芸首都   引用
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:51  No.486
  同人雑誌「文芸首都」については、なんと、最近の「人間像」第40号にも話題が…

 二月二十七日 赤木さんと二人で「文芸首都の会」を訪ね初めて保高徳蔵氏御夫妻と会う。ぼくは作家を訪ねる趣味のない男なので、長年東京におりながら保高さんが四人目である。タバタ・ムギヒコという快青年が同席、戸外は雪、机上にふさ子夫人の著書「女の歴史」が一冊のっている。出版社の手違いでね、作者の手許に五冊しか来ないんですよ。これでは親しい人に配ることも出来ないです。と保高先生が言いおわった処に当の作者たるみさ子夫人がお茶を持って入って来た。そして赤木さんあなたに一冊さし上げましょうねと言ったので、赤木さんは少女のように手を打って喜ぶ。「まあ、嬉しいわ」 そこにぼくが余計な口を出した。
 ――「赤木さん、これは数少い御本の中の一冊なのだから光栄ですね」
 すると、少し間をおいてみさ子夫人がけげんそうに言った。
 ――え? えゝ私は本をいくらも書いてませんので……
 ぼくは狼狽したが間に合わない。もう駄目かと思ったら、赤木さんがくちぞえしてくれた。「いえ、今先生から五冊しかないってことをお聞きしたんですの」
 実に危機一髪だったような気がする。それともぼくのひとりずもうかもしれない。
(朽木寒三「三月十日の会 ―八木さんのことなど―」)

「文芸首都」の保高徳蔵氏の名前が出てきたので、ちょっと吃驚。さすがは「東京支部」グループだねぇ、と。東京は著名人でいっぱい。
作品「三月十日の会」は1956年(第40号)の「3月10日」のことだと思いますから、宇尾氏が「文芸首都」に作品を発表し始める昭和38年(1963年)以降とは約十年くらいの開きがある。朽木氏や平木氏たちと宇尾氏たちとの交流というのはちょっと考えにくいかな。

 
▼ 解体   引用
  あらや   ..2018/12/25(火) 17:56  No.487
  ここは北海道小樽なので、さすがに宇尾房子さんの本は見当たらない。何の拍子か小樽市立図書館に『私の腎臓を売ります』(双葉社,1994)があって、これはとても面白かった。千葉の図書館なら、もっとばりばりいろんな作品が読めるんだろうなぁ…と思うと悔しいです。

縁あって、千葉県茂原市から出ている『双頭龍』という雑誌(書籍?)の第一号をお借りする機会があったのですが、この中の『解体』という作品にはうおーっと唸ってしまいました。「朝」の年譜で確認したら、この『解体』、作家としてのデビュー第3作なんですね。いやー、第3作にして『解体』か… 途轍もない才能だ。

インターネット古書店で『走る女』(沖積舎,1987)を手に入れたので、年末読書はこれで大丈夫かな。元日だって、昼はデジタル化作業、夜は布団で読書。「文芸首都」一揃いが手に入る…の初夢でも見よう。



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