| 日高なるアイヌの君の 行先ぞ気にこそかかれ。 ひよろ/\の夷希薇の君に 事問へど更にわからず。 四日前に出しやりたる 我が手紙、未だもどらず 返事来ず。今の所は 一向に五里霧中なり。 アノ人の事にしあれば、 瓢然と鳥の如くに 何処へか翔りゆきけめ。 大タイしたる事のなからむ。 とはいへど、どうも何だか 気にかゝり、たより待たるる。
向井豊昭氏は向井永太郎(夷希薇)の孫にあたる方だそうで。(私も、書評のその部分に最初は気を惹かれて読みはじめました…)
向井夷希薇(いきび)については、石川啄木の明治40年10月2日の岩崎正宛書簡によって決定的な「評価(人間像)」が固まってしまった。向井豊昭氏も、当然この10月2日付書簡をめぐって考究をはじめるのだが、私には、なぜか「夷希薇」と聞くと、明治40年9月23日並木武雄宛書簡の戯詩に出て来る「夷希薇」の名を思い起こします。啄木の夷希薇に対する感情はとても微妙。啄木学者や啄木ファンが考えている「夷希薇」像は頓珍漢だと私も思う。
『鳩笛』に『後方羊蹄山(しりべしやま)』全文が引用されているのが有難い。夷希薇の詩というものを初めて読みました。啄木が『小樽日報』創刊号に書いた無題詩「浪とことはに新らしく…」のルーツはこれか。
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