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▼ トカプチ   引用
  あらや   ..2019/10/22(火) 09:05  No.522
  『十勝平野』を読んでいる時、なにか頭の片隅にちらちら浮かんでいたものがこの本でした。上巻の途中あたりからだろうか、ああ、あの本…と気がついた。

高校二年の頃だろうか、思いがけないお小遣いや手間賃を貰った時など喜びいさんで丸善へ行っては、この筑摩書房『宮澤賢治全集』の一巻一巻をばらで買っていました。一冊760円。全巻揃えるような大金はないから、私は今どの巻がいちばん欲しいのか…、一冊買うのに本棚の前で一時間も迷うような高校生だった。
第六巻は特に好きでしたね。名の通った作品は文庫本で読めるから、それらを一通り読みつくしてしまうと当然次は文庫本未収録の作品に向かいます。第六巻は、その意味で、見たこともない賢治作品がぎっしり詰まった宝の山なのでした。旧字旧仮名の文章がどの程度読めていたのかわからない。たぶん何にも読めていなかったのだろうけど、誰も見たことない賢治世界に今私は直面しているみたいな幼稚な喜びの中に生きてましたね。

上西晴治にとっての十勝平野は、宮澤賢治にとっての〈イーハトーヴ〉なのだと感じました。なんで『十勝平野』なんて和人っぽい題を付けたんだろう。ここは当然〈トカプチ〉だろう。いや、一回転半ひねって、和人が読む、和人の言葉で書かれた小説なのだから、『十勝平野』でいいのか。

 
▼ 十勝平野(上)   引用
  あらや   ..2019/10/22(火) 09:09  No.523
  宮澤賢治が死の直前まで手を入れていた『銀河鉄道の夜』に初期作品の『イギリス海岸』が組み込まれていたりするように、『十勝平野』(筑摩書房,1993.2)の随所にも、『ポロヌイ峠』(風濤社,1971.8)〜『コシャマインの末裔』(筑摩書房,1979.10)〜『原野のまつり』(河出書房新社,1982.1)〜『トカプチの神子たち』(潮出版社,1982.10)のいろいろなエピーソードが組み込まれている。
上西晴治の『銀河鉄道の夜』とでも云えるような構造になっていて、「オコシップ」〜「周吉」〜「孝二」の三代の生涯が明治大正昭和の時系列に沿って描かれているので、私たち和人には親切な物語と感じました。
『ポロヌイ峠』が何回読んでもよくわからなかったのは、この時系列が意図的に壊されていたからで、いくらファミリアとかクラウンとか私たちが知っている名詞が出てきても、物語全体が今も残るアイヌモシリの悠久の時間の中で語られるのでわけがわからなくなるのだった。ファミリアもコシャマインも同じ比重で飛び交っている世界。

上西晴治については今の時点では不用意な言葉は言いたくない。もっとどっぷり物語の時間にとどまっていたい。

 
▼ 十勝平野(下)   引用
  あらや   ..2019/10/22(火) 09:14  No.524
  時系列が入ったことで、とても恐ろしいこともあった。

「蛆虫ども、死んだ馬にたかった蛆虫どもだ」
 孝二は突然立ち上がった。
「見ろ、和人たちは笑いこけながら、平気で罠を仕掛けてくる。いつもこの伝でやってくるんだ。歌がなんで父の供養になるもんか」
 あたりに殺気が漲り、和人たちの眼は鋭く吊り上がった。
「ほう、おらたちが蛆虫だとな」
 いっときして、兵藤会長が押し殺した声で言った。その声は怒りに震えていた。
「誰のお陰でこうしていれるんだい。お上から手厚い保護を受けてよ。おらたちの寛大な慈悲がなかったら、アイヌたちはもうとっくに抹殺されていたんだぞ」
(上西晴治「十勝平野」下巻)

目障りなアイヌが死んで大はしゃぎする和人たちの、この葬式場面は『ルイベの季節』(『コシャマインの末裔』所収)という短篇の中にもあって、あの時は、札幌から飛んで帰って来た青年・孝二(源一)の発作的な怒りという風に読んでいたのだが、『十勝平野』の時系列がはっきりするにつれて、この葬式の場には、妻のマサ子も息子の陽一もいたことを私たちは知ることになる。

「何の用だ」とふたたび声がして、孝二は敷居を跨いで框の前に立つ。兵藤と女房のヤス子が頭を青大将のように、にょっきり立てて睨みつける。
「僕の身勝手な我儘で、つい失礼をしてしまいました。どうかご勘弁願います」
 孝二は無礼を詫び、深々と頭を下げて許しを乞うた。
「蛆虫とな、よくも言えたもんだ」
 兵藤は顎をしゃくり上げた。
「気が立っていたもんですから、軽はずみの言動を後悔しています」
「それが本心なら、そこに土下座して謝れ」
 兵藤が框に、にょっきり立って見下ろした。孝二はその場に土下座し、両手をついて頭を土間にこすりつけた。
「許しが出るまで、そのまま頭を下げてろ」
 兵藤は右足を伸ばして、孝二の頭を上からぐいっと踏みつけた。

 
▼ トヨヒラ   引用
  あらや   ..2019/10/23(水) 08:54  No.525
  第四部・新生篇の冒頭に掲載されている「札幌市略図(昭和30年ころ)」が胸に滲みる。まったくの個人的なことだが、昭和27年生まれの私には「これが札幌だった」みたいな感慨がある。ヌップの家から北海学園大を越えると私の生まれた豊平の街。三越の横にあった札幌丸善。ウタリ協会はここにあったのか… 北大医学部に眠っているモンスパの骨。天神山山頂に建ったヌップの『四つの風』。何時間でも見入ってしまう。



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