| 『十勝平野』を読んでいる時、なにか頭の片隅にちらちら浮かんでいたものがこの本でした。上巻の途中あたりからだろうか、ああ、あの本…と気がついた。
高校二年の頃だろうか、思いがけないお小遣いや手間賃を貰った時など喜びいさんで丸善へ行っては、この筑摩書房『宮澤賢治全集』の一巻一巻をばらで買っていました。一冊760円。全巻揃えるような大金はないから、私は今どの巻がいちばん欲しいのか…、一冊買うのに本棚の前で一時間も迷うような高校生だった。 第六巻は特に好きでしたね。名の通った作品は文庫本で読めるから、それらを一通り読みつくしてしまうと当然次は文庫本未収録の作品に向かいます。第六巻は、その意味で、見たこともない賢治作品がぎっしり詰まった宝の山なのでした。旧字旧仮名の文章がどの程度読めていたのかわからない。たぶん何にも読めていなかったのだろうけど、誰も見たことない賢治世界に今私は直面しているみたいな幼稚な喜びの中に生きてましたね。
上西晴治にとっての十勝平野は、宮澤賢治にとっての〈イーハトーヴ〉なのだと感じました。なんで『十勝平野』なんて和人っぽい題を付けたんだろう。ここは当然〈トカプチ〉だろう。いや、一回転半ひねって、和人が読む、和人の言葉で書かれた小説なのだから、『十勝平野』でいいのか。
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