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▼ 北海道の児童文学・文化史   引用
  あらや   ..2022/05/12(木) 09:58  No.585
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「子どもの文化」論考でたどる歩み

 北海道における児童文学と児童文化の歩みを1冊にまとめた労作である。執筆は1994年に発足した北海道子どもの文化研究会と、その後継にあたる日本児童文学学会北海道支部に所属する研究者たち。同会及び同支部は毎年、研究誌「ヘカッチ」を発行してきたが、本書は同誌での論考等をもとにまとめた44編で構成されている
 北海道の児童文学史と文化史の研究には先行する書物として、79年発行の「北海道の児童文学」(にれの樹の会編)がある。同書と本書の内容を対比すると、この40年余りの間に研究が大きく進展してきたことがよく分かる。
 例えば資料の発掘もそのひとつだ。「戦後北海道の出版ブームと児童出版物」(谷暎子)は、米国メリーランド大学のプランゲ文庫で保存されている、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲関連資料を使った論文。占領期の検閲で児童出版物の表現・言論がゆがめられた問題を記している。
 また、「北海道の児童文学」でほとんど触れていないアイヌ民族について本書は3編の論考を収録する。そのなかで「児童雑誌・児童文学に描かれたアイヌ民族」(高橋晶子)は明治期以降、差別的表現がたびたび使われ、それが現代までも引き継がれてきたことを厳しく批判する。
 「北海道の児童文学・児童文化の黎明期」「北海道の児童文学」「北海道の児童文化」の3部に本書は分けられている。そのなかで明治・大正の児童文化施設、戦後の人形劇と児童劇、紙芝居、絵本など、「児童文化」の歩みに多くのページを割いているところも本書の特色だ。児童文学偏重から「子どもの文化」全体を研究する方向に変わりつつあることも本書は示しているといえる。(中舘寛隆・編集者)
(北海道新聞 2022年4月10日/書評欄)

 
▼ 魔神の海   引用
  あらや   ..2022/05/17(火) 18:47  No.586
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『北海道の児童文学・文化史』(共同文化社,2022.2)は、所々に、私の知らない本が登場して来て「うーん」と唸ることしきりです。この歳からでも遅くはないさ!と力み返って、今、読んでいるところ。

 ある冬の日のことです。
 ひとりの漁師が、船に乗って、沖で漁をしていました。どんよりくもった寒い海で、さかなのあみをたぐっていたのです。大きなあみをたぐりよせていると、とちゅうで、ぐぐっと、なにかにひっかかったらしく、あみがあがらなくなってしまいました。
「岩にひっかかったかな……。」
 いくらひっぱっても動きません。
(前川康男「魔神の海」/百年めの石―物語のはじめに)

まず『魔神の海』から。この網にひっかかったのは「寛政の蜂起和人殉難墓碑」だった。〈蜂起〉とは何か? 納沙布岬近くの珸瑤瑁(ごようまい)の村民たちに、白ひげの古老が、アイヌの少年セツハヤの物語を語りはじめる。昔の児童文学は骨っぽい。〈国家〉とは何か?まで迷うことなく突き進む。北方四島がどのようにして〈侵略〉されたのか、世界中の誰の目にも明らかになった2022年の今、セツハヤの物語には意味がある。

床ヌプリの絵(版画)、美しい。

 
▼ きこえるきこえる   引用
  あらや   ..2022/05/30(月) 09:00  No.587
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「う。だれに会いにいくって」
「オトイネップ村の砂沢ビッキ。おそるべき彫刻家です。木でつくる。木の命と語りあえる人。かならず会いにいくとかたい約束をした」
 砂沢ビッキがカナダにいったとき、いっしょに木の彫刻をやって、兄弟になったという。
「そしたら、あんたも芸術家か」
「いや、わたし、つくるひと。わたしたちの文化ではそうよぶ」
(加藤多一「きこえるきこえる」)

いやー、いきなり砂澤ビッキの名前が出て来てびっくりした。ビッキつながりで云うんじゃないけれど、初めて上西晴治『十勝平野』を読んだ時みたいなショックがありましたね。

「両親のいうことをきいて嫁さんもらったけど、一週間後に出征がきまっていてきっと帰れないから気の毒だといって、父は、男と女のことしなかったの」
「かあさんからきいたのか」
「はい。そういう父、いや父でないけどそういう男の人、わたしすきだな」
(同書)

こういうフレーズ、児童文学に持ち込んで来る人、わたしすきだな。
そして、この本、内澤旬子さんの絵、わたしすきだな。

 
▼ 父母の原野   引用
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:48  No.588
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更科源蔵の本を読んだことはない。北海道では有名な人だから、「お前、更科源蔵も読まないで物書いてるの…」と云われそうだが、実は読んでないよ。本の値段、結構高かったし。図書館には読むべき本が溢れかえっていたし。
読んでないと言ったけれど、じつは、全部読んでるよとも云える。小学校の教師はみんな更科源蔵だった。いっぱいアイヌのことも知ってる。開拓のことも知ってるらしい。でも、ただの教養。大学で教わった、ただの知識にすぎない教師。『父母の原野』を読んでいて、思い出したことは、〈近現代アイヌ文学史論〉でも〈北海道の児童文学・文化史〉でもなく、昔の和人の教師たちだった。

じつは、更科源蔵の〈父母〉について知りたいこともあったのだが、『父母の原野』には上手くはぐらかされたような気がする。わざと平板に〈父母〉を書いたのか、著者の筆力が平板(←学校の先生に多い)なのか。次の『おさない原野』には進みません。安藤美紀夫『白いりす』に舵を切りたい。今回も更科源蔵には縁がなかった。

 
▼ 白いりす   引用
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:52  No.589
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読んでる途中から、手塚治虫の『とんから谷物語』を思った。

なにか、『父母の原野』が小学校教員が書いた児童文学なら、『白いりす』はいかにも高校教師の創った児童文学のような気がする。なにか不思議にドライブ感がない。こんなの読んでないで、『とんから谷物語』の方にスイッチしたいと思った。

 
▼ シゲちゃんの目は千里眼   引用
  あらや   ..2022/07/23(土) 06:56  No.590
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 見覚えのある電車通りに出ると、ぽくは急に自信が出てきた。足が速くなる。
「あ、あそこが北大病院だ。あの信号んとこで横切ろうヤ。」
 広々としたしばふの向こうに、堂々と肩をいからせた病院の建物が、何百という窓の目でにらんでいる。ぼくはまた心細くなった。
「ねえ、ヨッチ。シゲちゃんがこの中にいるとして、どのへやだろう?」
「いさえすれば簡単さ。受付で聞けば教えてくれるよ。」
(滋野透子「シゲちゃんの目は千里眼」)

「北海道児童文学全集」第九巻に併載されていた『シゲちゃんの目は千里眼』を読んでいる。面白い(かな? 今のところは…)。こういうものを読んでいると、逆に、更科源蔵や安藤美紀夫が児童文学の世界に持ち込もうとしたものがわかるような気がする。

 
▼ サムライの子   引用
  あらや   ..2022/08/11(木) 11:54  No.591
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『シゲちゃん――』、退屈でしたね。『雨ニモ負ケズ』のパロディをやったあたりから失速したと思う。口なおしに、山中恒『ぼくがぼくであること』が読みたいと思ったんだけど、本棚のどこに行ったんだか見つからない。代わりに、つのだじろう『サムライの子』があったんで、またしみじみ読んでしまいました。このマンガ、なんと「あとがき」が付いています。

『サムライの子』は一九六二年一月号から十二月号まで、雑誌『なかよし』に連載したもので、私が児童文学の山中恒氏の同名作品にひどく感動して、直接、山中氏のもとへ出むき、私に漫画化させてくださるようにお願いし、また雑誌の方をも説得して連載にこぎつけた…といういわくつきの作品…。
 したがって本編にでてくるサムライ部落、また小樽市内の風景は、すみずみのワン・カットまで、実際の小樽市の風景の写実です。さすがにサムライ部落の取材は身体がブルいましたが、たまたまズタ公みたいな、気さくなサムライ氏がいて、親切にしてくれましたのでうまくいきました。   つのだじろう

この小樽風景、ひどく懐かしい。(私はサッポロの子なんだけど…)

『北海道の児童文学・文化史』シリーズは、ここで一旦お休みします。何かちがうところに出たい。



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