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▼ 旅行   引用
  あらや   ..2018/07/23(月) 08:57  No.606
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一週間、千葉に行ってきます。36度なんて、もう何十年も経験していないので不安ではありますが… 「人間像ライブラリー」の充実のためならば出来るかぎりのことはしようと考えています。

写真は庭のカボチャ。元気な奴で庭石を直登して地面に降りて来ました。

 
▼ 針山和美の上京メモ @   引用
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:24  No.607
  ○ 七月二十六日、千葉市内朽木宅泊まり。
 朝の七時二十七分上野着(2分延着)。ぼくが出迎えて千葉の自宅に案内、夜は明け近くの四時まで話す。
 佐々木、門脇君から三十日朝に上京のハガキ。

今から63年前の夏、針山和美氏も千葉へ。平成15年発行の『人間像別冊・針山和美追悼号』に発表された朽木寒三氏の『針山和美の上京メモ 昭和三十年七月二十五日から八月六日』はいつまでも私の心に残る名作なんです。追悼号でこれが登場するというのがとても切ない。

○ 七月二十八日、針山君は朽木宅泊まり。
 十二時半、京成電車の駅前で内田と別れる。夜、瀬城乃利夫がやってきて三人で飲む。瀬城は酒豪だが酔い潰れたので、酒を飲まない朽木と針山の二人は、魚屋の座敷で八時半から十時半まで、集まった近所の人たちとテレビ見物。力道山・アズマ対オルテガ・カーチスのタッグマッチ。オルテガは血塗れの負傷。

おお、ジェス・オルテガ…

 
▼ 針山和美の上京メモ A   引用
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:27  No.608
   昭和三十年といえば私は三十歳、五歳年下の彼は二十代の半ばという若いさかりだった。それにしても、まだ戦後は終わったとは言い切れぬ不便な交通事情だったし、汽車はのろく日本人の収入も乏しくて、彼にとってはまるで今の海外旅行同然の大旅行だったことと思う。
 しかしその頃の我々は、現代の若者にある意味では非常に幼稚なコドモであり、別な面では過酷な戦争体験を経てすでに完全なオトナでもあった。特に私は足かけ三年にわたる戦場暮らしという「時間停止」の空白のために精神的な成長がストップして、とにかく二人とも現在の日本人にくらべたらずいぶん無邪気だった。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

昭和30年なら、私は三歳か。死んだ父ちゃんが朽木氏と針山氏の間くらいの歳だから、青春真っ盛りという感じですね。この一文が大好きなのは、父や母の若かった時代が思い浮かべられるからかもしれない。

 その証拠を一つ上げると、針山君は「人間像」を手刷りのガリバン誌でスタートしたときに、「以後五年間でこれを全国紙に発展させ、我々はプロの作家として世に出る」という野望的な第一期計画を本気で立てたのである。そしてその頃の十人たらずの我々同人仲間は、彼の計画を意気揚々と聞き、共感したのだから、まあ、夢は無限に高く広く、我ら若者たちにとって(精神的には)幸せな時代だった。ちなみに当初針山君のこうした野望と計画があったために「人間像」の同人は北海道から九州にわたって散在という異色の同人雑誌になったのだ。
(同書)

 
▼ 針山和美の上京メモ B   引用
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:32  No.609
  ○ 七月三十日、針山君は朽木宅泊まり。
 朝七時平木も同行で東京駅に出迎え、到着の佐々木、門脇の二人と感激の初対面。英雄豪傑の大集合だ。十時まで蚕糸会館で雑談。十時から十二時まで近くの日活劇場(ほやほやの豪華新築)で『青い大陸』を見る。針山、平木、佐々木、門脇の四人は千葉に先行。あとからぼくと上沢も参加して計六人、夜の十一時半、海で小舟に乗る。船頭はぼく。海水の航跡が夜光虫で白く光る。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

夜の十一時半なのに、まだ遊び廻ってるなあ。朝四時まで語り明かしたとか、もう怖い物知らずの青春ですね。

 
▼ 針山和美の上京メモ C   引用
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:35  No.610
  ○ 八月二日、針山君ら三人は吉祥寺の上沢宅泊まり。
 午後二時まで東京見物(針山、佐々木、門脇、上沢)信濃町、神宮外苑、新宿、東京駅で夕方の五時五十分社用で別行動のぼくと合流。上沢は今日も欠勤。日本橋夕食スシとビール。国際観光ホテルの屋上で日暮れになり夜の「人民広場」探訪。アベックのカップルの群れを狙うアイスクリーム売りの若者を佐々木がからかう。「商売は大繁盛だろうな」「だめだ売れない。わざとすぐそばに立っていてもやつらヘーキなんだ」門脇はぼくと堀端の芝生に腰かけて言う。「こんなもの全部捨ててしまいたくなる時があるんだ」そしてわしづかみにした二三冊の文庫本を堀りの中に投げ込むしぐさをする。組合運動に専念すべしの使命感がざわめくらしい。

○ 八月三日、針山君たちは吉祥寺泊まり。
 上沢は欠勤。午後彼ら(針、佐、門、上)は浅草の国際劇場で『夏の踊り』を見た由。日本橋で夕食。三十四度の酷暑に加えて猛烈な風と砂塵。午後三時ごろ突然の雷雨のあと気温が二十六度に急降下。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

63年後の東京も暑かったです。久しぶりに熊谷が猛暑日本一を取り戻した夏ですからね。こんな中で野外彫刻散歩をやってる奴なんか、馬鹿みたい。

 
▼ 針山和美の上京メモ D   引用
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:39  No.611
  ○ 八月六日、早くも針山君滞在の最終日。
 ぼくと上沢は一応出社。夕方の四時五分に発車の「きたかみ」に乗る針山君を上野駅に見送る。平木、上沢、失名君?、とぼく。
 針山君の乗る「きたかみ」は四時に上野を出て、翌日の六時に青森、十一時ハコダテ、午後三時倶知安、夜八時に御園到着。なんとまあ日本は細長い国だ。

「この数日、我々でさえこんなにくたびれているのにヤッコさん大変だなあ」
 我が家の夕食の家族雑談。母と優子とぼく。
「針山君をたった一人汽車に乗せたとき、ちょっとかわいそうみたいだった」ぼくが言うと優子が真顔で、
「見送りの人、だれも泣かなかった?」と言う。
「なるほどあんなとき、娘っ子たちはホームで一泣き泣くところなんだわ。こりゃベンキョウになった」
「針山さんみたいに世話のやけないお客は初めて」母が言う。「部屋で寝転んで本なんか読んでいるから、針山さんちょっとここ掃かせてちょうだいと言うと、ごろんごろん寝転んで向こうにいくの。そしてこんどはそっちですよと言うとまたごろんごろんとこっちに戻ってくる」三人そろって爆笑。
「あんなお客さんなら何年いてもいいわ」と母。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)



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