| 「ケガさえしなければ運動選手になったかもしれないわ。不幸だったわねぇ。でもきれいなお嫁さんもらって、モダンになって、あなた達みたいなかしこい子供達が出来て、一郎さんも幸せでしょう。東京へなんか行かなくてよかったわ……」と、最後は独り言のように小さな声で言われた。私達にはその時それがどんな事なのかわからなかった。後年、親戚の人から、父が新聞社の人の紹介で東京のある新聞社で働きながら小説を書くようすすめられ、父も何回か行ってみたようだという話を聞いた。その事だったのかと思い父に尋ねてみた事があったが、父は笑っただけで何も答えてくれなかった。あの時、もっとしつこく聞いておけばよかったと後悔している。
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