| 私はエビ天のそばが好きだった。父は必ず「ざる」だった。「本を売って本を買い、その上ウイスキーものめるし、そばも食える、父さんは幸せだ」などと父は良い気嫌で夜汽車に乗ると、高いびきで寝てしまう。私もコックリコックリしているうちに余市につき、沢山の人が降りるざわめきで目覚めた父は、静かになった車内で両脚を投げ出し、今日買って来たばかりの本をひらく。 (第十八回/古本屋)
小樽の古本屋がどこの○○書店だったかなんてどーでもいい。大事なことは「山線」だ。啄木の昔から人間像まで、北海道の文学の大半は「山線(函館本線)」の上で起こって来たのだ。線路が消えたら、北海道の文学は心臓を病んで死ぬだろう。
『父・流人の思い出』は第十八回に至って、またメモワール編が帰って来ました。前回より、より「父と私」の色彩が強いように感じます。佐藤瑜璃の作品として自立したと思った。余計なコメントは、もう必要ないだろう。
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