| 瀬田栄之助の死 ―編集後記に代えて―
針山和己
この号を編集するころ、瀬田さんが死ぬなどとは夢想だにしなかった。もし知っておれば、なんとしてでも生前に発行したであろう。つねに早目に原稿を提出し、雑誌の発行を一日千秋のおもいで待っていた瀬田さんのことを考えると、今ごろこの号を発行するのが残念でならない。早くて二月、印刷所の都合では三月にはなると考えていたのだから、いずれにしても間に合いはしなかったのである。 この号の瀬田さんの原稿は、昨年の七、八月ごろに送られたものである。そのころ、彼は自分でも書いているように、マス・コミの脚光を浴びて「人生最良のとき」を味わっていたので、この号もその喜びの文でいっぱいである。学者でありながら、いつも作家でありたいと願っていた瀬田さんにとって、『いのちある日に』の出版は本当に嬉しかったにちがいない。しかし、その喜びの文章をいまここに読みかえすとき、僕は涙なくしては読めないのである。 本号の「生きるも地獄・死ぬも地獄」は文字通りの絶筆となってしまった。味読していただきたい。 次号は急拠ではあるが、追悼号とすることにした。
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