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No.875 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第171号〜第190号   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:05  No.875
  「別冊人間像/平木国夫ヒコーキの小説特集号」作業が完了した一月末から数日間、次の「人間像」第97号作業に入る前に行っておかなければならない物事が公私ともに溜まっていて、今少し「人間像」作業は中断しています。

昨年秋、雪が降る前にと大急ぎで針山家からお預かりしてきた「人間像」第171号〜第190号の作業環境への取り込みもその一つ。
もともと、人間像ライブラリー当初の復刻計画では、針山和美氏の編集権が及ぶ範囲の「第170号まで」を考えていました。「人間像」第170号(2003年5月発行)は「渡部秀正追悼特集」号。その次の号が「針山和美追悼号」(2003年11月発行)となります。この辺が潮時かな…とは思っていました。第171号以降を扱うとすると、2003年以降の福島氏編集体制で新同人として参加してきた人たちの著作権の問題もありますし。(福島氏はそれを含めて「人間像」の復刻を許すとは言ってくれましたが…)
ひと冬、「人間像」作業の進行と平行する形で第171号〜第190号を読んできた現時点での感想では、やはり第190号までをしっかり復刻しなければならないという思いに傾きつつあります。第171号〜第190号の20年弱の時間の中でさえ、そこには福島第一原発があり、コロナ禍があり、千田氏や平木氏たち同人の死もありました。
「人間像」創刊号に針山氏は脇方鉱山へ勤労動員された旧制倶知安中学生を書いたことを思い出します。戦争、震災、病苦、そして、個人の小さな幸福も。「人間像」には現代の日本人が味わった様々な人生が描かれています。まさしく創刊号から第190号まで丸ごとが私たちの人間像なのだという思いが強い。

 
▼ 渡部かおる   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:11  No.876
  ■第171号(2004年4月発行)――父の追悼号が出た翌年、娘の渡部かおるさんが同人参加。詩作品『CON・NEにて』を発表しています。作品発表は第176号の『唐墨鳥』まで毎号続きます。
■第172号(2004年11月発行)――ガリ版時代の古い同人、土居漠秋(麦秋)が復帰。
■第173号(2005年6月発行)――新同人・笹原実穂子。以降、女性作家の参加が続く。

 
▼ 千田三四郎   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:15  No.877
  ■第174号(2005年12月発行)――「特集・千田三四郎追悼」号。この号には、福島、平木の「追悼・丹羽文雄」の二篇も載る。さらには、新同人(!)藤本英夫が『青春の遺跡・天津楼』を発表。(あの、『銀のしずく降る降るまわりに』の藤本氏が人間像同人だった一時期があったなんて驚きでした。驚きは次号でさらに爆発。)
■第175号(2006年7月発行)――福島昭午『風の如く来たりて、風の如く去りし人』。藤本英夫氏、2005年12月に逝去。「追悼・千田三四郎」の補遺として、1974年8月の東京同人会の模様がテープ起こしされている。千田文学の本質に迫る深い内容。
■第176号(2007年3月発行)――渡部かおる『唐墨鳥』。
■第177号(2007年11月発行)――村上英治『沈黙して月は沈んでいく』発表。『海に棲む蛍』の続編。
■第178号(2008年12月発行)――村上英治『多喜二まんだら雪明り』発表。
■第179号(2009年12月発行)――『堺比呂志さん逝く』。
■第180号(2010年10月発行)――『さようなら、「小ば金」さん』。

 
▼ 平木國夫   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:18  No.878
  ■第181号(2011年9月発行)――日下邦子『(三・一一)東日本大震災』。福島昭午『濃縮と拡散』。
■第182号(2012年9月発行)――「平木國夫追悼特集」号。日下邦子『あの日から、そして一年』。
■第183号(2013年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[1]』(序章「駒里村へ」)
■第184号(2014年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[2]』(第一章「反原発運動以前」〜第二章「原発を考える会」〜第三章「漁民決起」)
■第185号(2015年9月発行)――福島昭午『ヘラクレスは来なかった[3]』(第四章「CR作戦」〜第五章「村長選挙」〜第六章「石内漁協落城」)。村上英治『あなとみあとあん』。

 
▼ 村上英治   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:22  No.879
  ■第186号(2016年9月発行)――表紙裏ページに村上英治『北浜運河』の広告。(2022年1月末時点で、道立・札幌・小樽図書館に『北浜運河』の所蔵なし。「日本の古書店」「アマゾン」等にも出品なし。)
■第187号(2017年9月発行)――「北村くにこ特集」号。表紙裏ページで「人間像ライブラリー通信」始まる。
■第188号(2018年8月発行)――村上英治氏の訃報(2017年6月、逝去)。妹尾雄太郎氏の特別寄稿。
■第189号(2019年8月発行)――新同人・長岡由秀『沈黙の百二十年』
■第190号(2020年8月発行)――福島昭午『小説・春山文雄と[1]』(序章「出会い」〜第一章「同人誌「路苑」と「道」)

 
▼ 福島氏のパソコン   引用
  あらや   ..2022/02/03(木) 18:28  No.880
   朽木寒三が一番はやくワープロを使い始めた。それこそ初期のワープロだから、ディスプレイも二行しか文字が出ないヤツだ。彼の原稿が綺麗なのを羨ましく思った。私の職場では事務員が、朽木より少し進んだ機械を使っていた。保存はテープレコーダーを回し、テープの磁気に記録する方法の機械。するうち、ワープロ業者が最新の機械を持ち込み、講習会を催した。生徒の成績一覧から偏差値もキー一発で計算できる。四、五人組んで買えば安くなるというので、私もわりこんだ。一ヶ月ほど苦労したが、間もなく操作できるようになった。しばらくして、針山も買った。
(「人間像」第182号/福島昭午「惜別」)

私の作業部屋にも1990年代に使っていたMS-DOSの最終機パソコンをまだ残してあります。電源は入れたままにしてあるけれど、もう20年以上も触れたことがないから、今、スイッチを押して起動はできたとしても、そこから先は何が何だか動かせないような気がします。もうみんな忘れちゃった。パソコンは自転車やスキーとはちがう。
福島氏のパソコンを時々思うことがあります。一度、氏から連絡のメールを貰ったことがありますから、おそらくは、このワープロ専用機から始まって、MS-DOSの時代を経て、現在のWindowsの世界で定着されているのではないかと想像しますが…

…と、ここまで書いたところで、郵便受けに「人間像」終刊号/福島昭午追悼集」が。
さあ、休憩は終わりだ。明日から第97号作業に入ります。夢は枯野を駆け巡る。



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