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No.886 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第98号 前半   引用
  あらや   ..2022/04/03(日) 10:05  No.886
   「いいところへ来てくれた。実はあんたの力を借りたかったんだ」
 と咽喉がつぶれたような、太いしゃがれ声でいった。
「実は、天虎(てんこ)と横浜と羽田の学生たちで、特攻隊を編成したんですよ。天虎に集結して特別訓練をすることになったんですが、教官が足りないんです。横浜からは三十三名の学生と九〇初練六機が、また羽田からは十二名の学生がそれぞれ天虎に集り、天虎とあわせて八十三名の特攻要員の訓練を開始しようというんです。海軍航空本部が全面協力してくれることになっています。ご苦労でも臨時に天虎の教官になってくれませんか」
(平木國夫「さい果ての空に生きる」最終回)

『さい果ての空に生きる』を早く読みたくて、第98号作業始めてしまいました。上出松太郎の一代記とも云える『さい果て』ですが、場面は、どんどん日本の戦局が泥沼になって行く昭和20年5月の東京です。すでに3月の大空襲で焦土と化した東京、霞ヶ浦から出向いた上出に思いもかけない特攻隊教官の話が降ってくる。さらに物語は、この横浜の学生の中には著者・平木國夫もいたという意外な展開に入って行きます。

と、ここまでが昨日の作業でした。今日もこれから作業です。あと二日くらいで『さい果て』は終わるかな。東京は桜が満開みたいだけれど、小樽の家の庭には二月の大雪がまだ一メートルくらい残っています。

 
▼ さい果ての空に生きる   引用
  あらや   ..2022/04/11(月) 11:44  No.887
   執筆を思いたってから四年になる。そもそもは同人であり親しい友人の福島昭午が、「空気の階段を登れ」の主人公・伊藤音次郎のような民間航空のパイオニアが北海道にも住んでおり、ひょっとすると私の作品のモデルになり得るのではないか、といってくれたのがキッカケであった。もしや、と思いながら問い合わせると、案の定、上出さんであった。それなら二十六年前、金沢駅頭で別れたままの人で、ひそかに探していた人である。手がかりを頼むと、北海道新聞に、上出さんの手記「サルムソンのころ」が掲載されたことがあるという。それなら、と今度はこれまた親しい友人の千田三四郎に連絡して、上出さんの手記を電子コピーにとって送ってもらったり、現住所を調べてもらったりした。
(平木國夫「さい果ての空に生きる」最終回/あとがき)

この作品が発表された1976年当時、福島氏は泊中学校に在職し、泊原発反対運動に大忙しだった時期です。後志エリアを主に歩いてきた人が、どうして1986年の蘭越中学校退職と同時に、今まで氏の来歴には一度も登場したことのない広島町(現・北広島市)に居を移したのかと時々不思議に思っていました。でも、この『さい果ての空に生きる』を読んで少し感じるものがありました。戦後、空を飛ぶことが出来なくなった上出松太郎が選んだ終焉の地がこの広島村だったのです。

 
▼ 第70/71号   引用
  あらや   ..2022/04/21(木) 05:47  No.888
   現在の本誌の編集のパターンがここで形成されている。七十号、七十一号はほとんど同時編集、印刷進行といった驀進ぶりで、七十号の創作欄には、瀬田〈階段〉・朽木〈突然の破局〉・北〈目の周辺〉・辻井〈泥んこ道〉・古宇〈おらが栖〉、七十一号には瀬田〈ニッポン・ピカレスク〉・平木〈つばさの人〉・加藤〈城の姿〉・内田〈やどかり〉・上沢〈蹌踉の記・5〉といった風に、目じろおしの大作が集ったが、尚針山の手許には、春山の〈愛と逃亡〉、佐々木の〈ある疎開者〉、加藤テル子の〈神様の世界〉といった作品がストックになっていたのである。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史(8)」)

昨日、『さい果て―』以降の朽木寒三『文学の周辺で(3)』ほか4篇をライブラリーにアップし、最後の一本『ある文学徒集団の歴史(8)』に入ったところです。現在、「第70/71号」部分を通過中。いやー、今思い出しても、もの凄いラインナップ。

 
▼ 「人間像」第98号 後半   引用
  あらや   ..2022/05/02(月) 14:48  No.889
  4月30日、約250ページの「人間像」第98号作業を完了しました。作業時間は「181時間/延べ日数34日間」。収録タイトル数は「1887作品」です。

通常の約一ヶ月のペースで作業を終えられたのは、第98号の印刷インクが薄くなかったおかげでしょうか。でも少し疲れた。『ある文学徒集団の歴史』が〈第二次発情期〉の真っ最中なので、話題や作品評に溢れかえっていて延々と続くルビや傍点の嵐に少し疲れた。気がついたら世の中は連休なのか。

「第99号」と聞くと個人的には感じるものがあります。ついにここまで来たぞ…みたいな。幸い、インクも普通なので今月中に通過したい。4月23日は福島昭午氏の命日でした。『ヘラクレスは来なかった』を時計を早めて先に人間像ライブラリーにアップしようかとも考えていたのですが、ここは少し冷静になって、目の前の「第99号」の方を選択します。



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