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No.896 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第100号 前半   引用
  あらや   ..2022/06/06(月) 11:50  No.896
   二十八年かかって、大した業蹟を残し得なかったように、残りの人生のすべてを賭けても、或いは何も残し得ないかも知れないが、それはそれで良いのである。自らが信じて賭けた一生ならば、後悔などすべきでないし、また物ほしげなそぶりを見せる必要などないのではなかろうか。たとえば、無名のままであったにしろ、『人間像』の誌上に文字通り生命を散らした瀬田栄之助や古宇伸太郎のありようも、それはそれなりに評価されるぺきものであったと信じたいのである。
(針山和美「百号所感」)

100号まで28年間。人間像ライブラリーも100号まで5年間。これからも健康に気をつけて歩んで行きます。私も、私の人生に瀬田栄之助や古宇伸太郎の仕事が刻まれたことを嬉しく思うひとりです。感謝しているひとりです。

第100号作業は、巻頭の著名人諸氏の挨拶を終え、二三日前から同人の創作部分に入ったところです。本日、朽木寒三『馬と兵隊』をアップしました。以後、冨士修子『街の中で』、白鳥年志雄『黴のはえた墓標』、内田保夫『企業万歳』…と続いて行きます。今号はセレモニー的な色彩が強くほぼ全員出席ですので、最近は書かなくなったなあ…という同人も久しぶりに顔を見せたりしていて、作業するのがとても楽しい。

 
▼ 佐々木昌子   引用
  あらや   ..2022/06/15(水) 17:14  No.897
   真希子は目を凝らし、一瞬、自分の目を疑がった。
 今、すれ違った中年の男の後ろ姿を、目で追いながら立ち止まった。似ている、肩を少し、いからせ、大股で歩るく後ろ姿が、そっくりなのだ。あの人に違いない、直屹さんだ、そう確信すると、じっとしておれず、小走りにその人の後を追った。(中略)
「失礼ですが……高井さんでは、ないでしょうか。」
(佐々木昌子「回帰」)

佐々木さんの28年ぶりの小説が始まった時、少しひやっとした。28年前、旧姓・奥山昌子が書いていた素っ頓狂な乙女チック小説群を思い出したからだ。変わっていないのか…

杞憂でした。28年の歳月はだてじゃなかった。昔、何を書けばいいのかわからなかった奥山昌子は、今、書きたいことを最後まで書く佐々木昌子になった。これは小説だと思った。いくら言葉やレトリックが達者でも、書きたいことがない人に小説の神様は降りて来ない。ある意味、第百号という到達点を示す作品ではないかと思いました。ある意味、28年間これを待っていた針山氏は凄いと思った。小説の巧い千田三四郎や針田和明だけが第百号ではない。佐々木昌子も「人間像」第百号だ。

作業は『企業万歳』の後、針田和明『ぼうけん好きの王様』、佐々木昌子『回帰』、千田三四郎『野辺に佇む』と進み、今、日高良子『虹のあと』を進行中です。

 
▼ 百号を終えたら 1   引用
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:49  No.898
  作業は創作部門を終え、随筆部門の三巨峰、平木國夫『立野良郎氏のこと』、福島昭午『広津さんの傍にいて』と進み、今日、朽木寒三『文学の周辺で(5)』が完了といった状況です。意外と早く100号作業は終わるかもしれない。

第99号から第100号にかけて、作業に疲れると、パソコンの画面から目を離して、この新聞記事コピーを読むことが多かった。

 
▼ 「山線」と花嫁たち   引用
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:52  No.899
   函館線の「山線」と呼ばれている区間がなくなることを知り、遠い日々の記憶が一気によみがえってきた。
 16歳から約6年間、倶知安の美粧院で働いた。雪かきやおさんどんを済ませて店に出る。婚礼シーズンは花嫁支度に追われた。満員の山線に乗り込み、上りは「目名」「熱郛」「黒松内」、下りは「小沢」「仁木」「余市」あたりまで出向いた。
 花嫁のほとんどが農家の娘さん。たいてい実家で支度をして、婚家へ向かう格好だった。まだまだ車が普及していない時代。文金高島田の花嫁に付き添って、残雪の崖道や紅葉の谷を、馬ぞりや馬車に揺られて嫁ぎ先へと急いだ。途中、オイオイ泣きだした花嫁の化粧直しにあたふたしたり、突然の吹雪に馬が立ち往生して肝をつぶしたりしたこともあった。
 22歳の時に上京を決意。夜汽車の窓に映る羊蹄山に別れを告げて、婚礼衣装を背に、降り立った各駅を通過した。そして、歳月は流れた。花嫁たちはどうしておられるだろう。山線の駅名を振り返ると、一人一人の思い出が浮かんでくる。そっと涙をぬぐっていた人、豪快におにぎりを頬張っていた人、じっと宙を見つめていた人…。山線の思い出は花嫁たちのまなざしに重なる。
 廃線になろうとも山線は私の中で色あせることはない。風雪をものともせず、峠を越え、鉄橋を渡り、長いトンネルを抜けて走り続けている。
峯崎ひさみ(75歳・無職)=千葉県市川市

(北海道新聞 2022年3月17日/家庭欄〈いずみ〉)

 
▼ 百号を終えたら 2   引用
  あらや   ..2022/06/26(日) 01:56  No.900
  私も「山線」について語りたい。

いつからそれを「山線」と呼ぶようになったのか知らない。室蘭や苫小牧まわりの「海線」(?)が函館―札幌間の主流になった頃からだろうか。

赤字だから廃線というJR社長の論理が気に食わない。何が楽しくて鉄道屋になったんだ。ま、仕方ないわな…(うちは新幹線停まるし)と云わんばかりに、沿線自治体の協議をばっさり打ち切ってしまった小樽市長も気に食わない。小樽の街がここにある意味が丸っきり解っていない。

第100号を終えたら、すぐ第101号に向かわず、しばし「山線」について語りたい。「人間像ライブラリー」作業において、自分の書いたものなど後回し…と基本的には考えているけれど、峯崎さんのお声を久しぶりに聞いて、私も何か書きたくなった。

 
▼ 百号記念全国同人会開催(於・札幌)   引用
  あらや   ..2022/06/26(日) 10:11  No.901
   本当は、七月初旬に百号を発行し、八月に初めての全国同人会を、と考えていたのだが、印刷所の都合でとうとう間に合わず、発行前の開催ということになってしまった。こうした変則的なことは、人間像同人会の得意なところで、編集部提案通り八月六・七両日にわたり、ホテル札幌会館で開かれた。
 日高良子が遠く九州より来道したのをはじめ、東京近辺より朽木・平木・上沢・内田・渡部・冨士の六名に、旧同人の福田儀一が特別参加、道内からは北野広を除く七名が参加して、午後六時より開会した。冒頭まず針山より、現状認識と今後の方針などについて提案があった後、各同人より自己紹介を兼ねてそれぞれスピーチがあった。とにかく、同人が全国各地に点在するという特殊事情から、二十数年間を経て、初対面という人も居り、夜おそくまで、話は尽きるところを知らないありさまであった。
 さて、翌八月七日は、初めて来道した同人も居るというので、積丹半島、京極、洞爺湖をめぐって札幌に帰る予定で出発したが、途中で有珠山噴火の報に接し、洞爺観光は中止となった。数年来この日の洞爺を楽しみにして来た日高などは、歯ぎちりしてくやしがったが、いかんともなしがたかった。それにしても、百号同人会が世紀の大噴火にぶつかるとは、何か因縁めいて忘れがたい思い出を残す結果となった。

百号、最後の10ページに入ります。

 
▼ 「人間像」第100号 後半   引用
  あらや   ..2022/07/01(金) 10:29  No.902
  6月29日、約260ページ、いつもよりもっと細かい活字の「人間像」第100号作業、ここに完了です。作業時間は「154時間/延べ日数28日間」。収録タイトル数は「1928作品」。
(数字が予想外だったので、電卓で数え直したりしたのだけどやはりこの数字でした。よく理由はわからないけど、身体は健康だから、ま、いいか…)

後半終了というところで、いつもなら裏表紙の画像を付けたりするのですが、今回は本体の中の広告を一枚出してみます。単なる本の広告のように見えますが、そうではありません。「人間像」は商業雑誌ではありませんから、この広告を載せても広告収入なんかあるわけないのです。それでも載せるとなれば、そこには針山氏なり福島氏なりの意志とか友情といったものがあるのです。(本の紹介コメント書いてるの、もちろん人間像同人ですよ) しかし、それにしても、第100号に、ガリ版時代の同人・瀬城乃利夫(せき・のりお)さんの名が登場するとは思わなかった。奥山昌子さんの小説も吃驚だったけれど、瀬城さんにも吃驚した。ちなみに、第100号裏表紙は、朽木氏の『馬賊戦記』と平木氏の『空気の階段を登れ』でした。これもある意味、第100号か…

ぼーっと一日「山線」に乗っていたい気分ですね。これからすぐ第101号に向かわず、京極時代の仕事を何冊か復刻させていただきます。私の第100号記念です。



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