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No.918 への▼返信フォームです。


▼ 血の呻き   引用
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:43  No.918
  またプリンターが壊れてしまった。これで二回目。原因は解っています。コピーの取りすぎ。小資本の個人商店ゆえ、地方公務員や大学研究者が使っているようなリース料月額ン万円もするコピー機は無理です。金もスペースもない。量販店で売ってる安いコピー機でやってます。
スキャナ機能はまだ生きているので、京極時代に作った〈沼田流人〉関連の資料を全部スキャンしておくことにしました。機械を買い替えることは決定済みだけど、その新しいコピー機の負担を少なくするためにも、今できる作業は全部今の機械でやっておこうと考えたのです。
『血の呻き』、『地獄』、『監獄部屋』、『監獄部屋の人々』(日本残酷物語・第五巻)…、活字化された流人作品を次々スキャンし、OCRにかけてるうちにだんだんと腹が立ってきた。頭の中に、昔、「札幌郷土を掘る会」が編集発行した『小説「血の呻き」とタコ部屋』を思い出すからだ。

 
▼ 小説「血の呻き」とタコ部屋   引用
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:46  No.919
  発禁になっただの、タコ部屋に潜入取材しただの、雪子と菊子が姉妹だの、妄言の限りを尽くす「札幌郷土を掘る会」には以前からあれこれ言いたいことが山ほどあるのだが、今は反論しないことにした。その代わり、『血の呻き』を全文復刻する。人間像ライブラリーに。
誰もが直接に『血の呻き』を読むことができさえすれば、〈沼田流人〉にまつわる意図された言説は自然に淘汰されて行くことだろう。それを信ずる。それがライブラリーだ。

というわけで、「人間像」作業を一時中断して、九月初旬より『血の呻き』のデジタル化を進めています。全五十章のうち、現在、第二十五章を終えたところです。暫定的に作業をまとめ、現在、「第一〜十七章」をライブラリーにアップしています。以下、「第十八〜三十八章」「第三十九〜五十章」と三つのテスト版を発表し、最終的に、全五十章を統合した『血の呻き』完全版に至る予定です。

「札幌郷土を掘る会」が云ってるような、『血の呻き』に第一部〜第三部などという構成はありません。第一章から第五十章までの「藤田明三」を巡る物語が展開されているだけです。もうすぐ「第十八〜三十八章」部分もアップされるでしょうから、『小説「血の呻き」とタコ部屋』がどういう本なのか、より明瞭になると考えています。

 
▼ 沼田流人伝   引用
  あらや   ..2022/09/21(水) 09:50  No.920
  『血の呻き』作業が完了したら、参考として、『地獄』も復刻してみたい。

沼田流人・ぬまたるじん。
明治三一年(一八九八)六・二〇―昭和三九年(一九六四)一一・一九。小説家。岩内郡老古美村(現・共和町)生まれ。はじめ山本一郎といい、明治三八年に養子となって沼田明三となる。大正一〇年二月の「種蒔く人」(秋田版)に小説「三人の乞食」が掲載されたが、発売禁止になったため本人はその事実を知らなかったという。倶知安・京極間の軽便鉄道の敷設工事がはじまったのは大正六年からだが、倶知安に居住していた流人はその土工たちの悲惨な労働を見聞し、それをもとに長篇小説「血の呻き」(叢文閣、大一二・六)を刊行した。発売禁止になったが、同じ素材によったのが同一五年九月の「改造」に載った「地獄」である。ついで昭和五年には「監獄部屋」(金星堂)を上梓した。流人は倶知安の地で労働運動の協力者として地味な生活を送ったが、戦後の二三年五月から倶知安高校で書道の講師を勤め、その地で没した。
(北海道文学全集・第六巻/沼田流人略歴)

北海道文学全集は事もなげに「発売禁止になった」と言ってるが、きちんと調べたのだろうか。「同じ素材」と断定したのは誰。(沼田流人はすでに亡くなっている)

流人についてのすべての誤読の出発点が、この、「北海道文学全集」の『地獄』だと私は認識しています。その、1980年6月(第六巻の発行日)の地点まで戻ることには意味があると考え、ここに復刻する次第です。

 
▼ Re:沼田流人伝   引用
  通りすがり者   ..2022/09/23(金) 20:17  No.921
  はじめまして。
最近、沼田流人『血の呻き』(国立国会図書館デジタルコレクション公開のPDF)を通読して感銘を受けた者です。
あらやさんが公開しておられる「えあ草紙」版は読みやすくて助かります。復読時に利用させて頂きます。

私は、沼田流人について理解を深めたいと考えて『小説「血の呻き」とタコ部屋』、『北海道文学全集・第六巻』、武井静夫『沼田流人伝 埋れたプロレタリア作家』を取り寄せました。
そのほか、Google検索の過程で、京極町立生涯学習センター湧学館による『血の呻き』完全復刻版や「沼田流人マガジン」の存在を知りました。興味があります。

あらやさんのご指摘のおかげで、例の『文学全集』や「掘る会」等の記述を鵜呑みにせずに済みました。
じつを申しますと、掘る会さんが<跼る>に添えたルビ「せぐくまる」についても判断しかねておりました。他の文学作品に用例はあるものの、国会底本『血の呻き』にそのように読ませるルビが見当たらないためです。北海道地方の方言なのでしょうか。

長々と失礼致しました。
あらやさんによる『血の呻き』復刻版テキストの完成を楽しみにしています。


追伸

第2章 「オルトフオルソの滴のように」(国会底本16頁)
第11章 「秋誇草」(同上144頁)

恥ずかしながら、『血の呻き』本文において、上記語句の意味を理解することができませんでした。ご教示いただけないでしょうか。

 
▼ 通りすがり者さま   引用
  あらや   ..2022/09/24(土) 11:50  No.922
  読んでくれる人がいたことに、大変勇気づけられています。ありがとうございます。これからも復刻を続けます。

このスレッドに使われている『血の呻き』画像は、湧学館に勤務していた時代に作った『血の呻き』完全復刻版の画像です。北海道立図書館所蔵の『血の呻き』を参考に復刻しました。(現在は劣化が激しいためか「館内」図書になっています) 『沼田流人マガジン』は、いつか「人間像ライブラリー」〈新谷保人〉で発表することがあるかもしれません。

「オルトフオルソ」は私もわかりません。ただ、流人の外国語理解は独特で、例えば、『血の呻き』に出てくる「ソップ」が「スープ」の意であることに気づくのに私は数ヶ月かかりました。ライブラリーで読んでくれる人が増えれば、意外なところから解答が出てくるかもしれません。そういうことを期待して、復刻に励みます。

 
▼ 第十八〜三十八章   引用
  あらや   ..2022/09/28(水) 11:21  No.923
  先ほど、『血の呻き』の「第十八〜三十八章」部分をライブラリーにアップしました。

「札幌郷土を掘る会」が第二部と云っている部分ですが、厳密にいうと、「第二部」に対する解釈がちがう。「掘る会」が復刻したのは「第十七〜三十五章」です。『血の呻き』をタコ部屋告発の書として捉えるのならばそれで充分なのかもしれないが、私にはそれは不満だ。私は『血の呻き』を、函館(貧民窟)―倶知安(タコ部屋)―函館(貧民窟)を舞台とした藤田明三を巡る人々の物語と捉えていますから、その観点からは、第一部のフィナーレは「第十七章」だろうし、第二部のクライマックスは「第三十六〜三十八章」の白熱の展開に尽きるように思える。
函館の〈明三―時子―靴修繕師〉の構図は、ネガポジ反転のような形でタコ部屋の世界に持ち込まれているのだが、「掘る会」の復刻では、靴修繕師(くつなをし)は単に監視者たちに虐殺される可哀想な人たちの一人でしかない。何だ、これは。
もうひとつ。第二部ということもあって、今回は『小説「血の呻き」とタコ部屋』を注意深く参考としたが、その過程で、「掘る会」が『血の呻き』に付けたルビと沼田流人本人が付けたルビがごっちゃになっていることに気がついた。漢字の読みに結構な自信があるのかもしれないが、復刻としては致命傷ではないだろうか。

 
▼ 全五十章   引用
  あらや   ..2022/10/03(月) 10:57  No.924
  .jpg / 35.4KB

本日、「第三十九〜五十章」版と「全五十章」完全版の二本をライブラリーにアップしました。まだまだ語彙が不安定な部分もありますが、それはこの後復刻する予定の『地獄』『監獄部屋』などの作業の中で細かい修正を加えて行きたいと思います。今回、完全版の方には「復刻について」の一文を付けました。

 『血の呻き』の復刻について (新谷保人)
@本文を新字新かなに改めた。ただし、送り仮名については旧かなの表記形を残してある。
A本文中のルビはすべて沼田流人が施したもの。
B「宛然(まるで)」「軈て(やがて)」「加之(しかも)」など、現在ではあまり見られなくなった表記については、ひらがな表記に直した。
C「襤褸」「欷歔」「闃寂」、あるいは、「跼る」「跪く」「蹲る」「踞る」など、沼田流人が意識的に使用している語彙については全てそのまま残した。

「旧かなの表記形」を残すなど、あまり復刻作業としては意味がない努力ではありますが、なにかこうした方が『血の呻き』を書いている片腕の流人の息吹が伝わるような気がしたのです。

 
▼ 地獄   引用
  あらや   ..2022/10/09(日) 09:56  No.925
  昨日、『地獄』をライブラリーにアップしました。

一応、記録のために書いときます。『血の呻き』492ページ、『地獄』34ページ(二段組)に対して、作業時間は「166時間/延べ日数34日間」でした。『血の呻き』が「人間像百号記念号」丸々一冊分だとしたら、『地獄』は瀬田栄之助さんの長篇一本分くらいの作業量かな。

明三も時子もいないタコ部屋話は切なかったです。こうしないと、流人は倶知安の町で生き残れなかったのでしょうか。片腕がないということは大変なことです。それも、名誉の戦傷とか人助けで片腕を失ったわけではない流人の場合は。書とか小説というのは、片腕だけでこの世を生き抜くための流人の数少ない選択肢なのだと改めて痛感しました。

この後、『監獄部屋』〜『監獄部屋の人々』の復刻に入ります。『地獄』の単なる焼き直しだと思っていた『監獄部屋』ですが、今回参考に読み返してみて、焼き直しは「前編」部分だけであり、「後編」部分では、明三でも時子でも蝎でもヴルドッグでもない不思議な小説世界が展開されていることに気づきました。

頭が悪いから、ここで満足して「人間像」作業に戻ると、せっかく『血の呻き』復刻で得た作業上のノウハウが蒸発してしまうような気がするのです。



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