| TOP | HOME | ページ一覧 |


No.926 への▼返信フォームです。


▼ 監獄部屋 前編   引用
  あらや   ..2022/10/15(土) 09:53  No.926
  .jpg / 63.7KB

昨日、『監獄部屋』前編をライブラリーにアップしました。ルビ処理で丸々一日かかってしまった。前編の内容は先日アップした『地獄』と同じですから、新字新かなの取扱いについて、北海道文学全集編集委員会と比較していただけると有難い。(幾分踏み込んだ処理をしました…)

伏字について。『北海道文学全集』の場合は、「三人の監視者は、……………葬ってしまった」のように、三点リーダー(………)のみで表記されていたのですが、金星堂版は、

 「三人の監視者は、     、……………葬ってしまった」

のように、三点リーダー表記と空欄表記の二種類が使われている。私は空欄表記の字数を数えて忠実に表記しましたが、たぶんこの空欄が原因で、えあ草紙で読む場合に一行が時々間延びする現象が起こっています。残念だけど、今のところどうすることもできない。機械の故障でも、私のミスでもありません。みんな、伏字が悪いんです。

 
▼ ペルシャの坊さんの物語   引用
  あらや   ..2022/10/16(日) 09:22  No.927
   これらのことは、あまりに奇怪な話だ。
 この聖代に行われた事とは思われぬ。
 きっと、ペルシャの坊さんか何かの物語だろうと、或人が言った。
 私も、そう思う。確実(たしか)にそうだと……。こんな事実が眼を蔽わぬ人の総てに見得るのは、きっと今の世が、その聖代でも何でもなく、ペルシャの坊さんの物語の世界だからであろうと……。

いや、凄い。『血の呻き』にも聖書や仏典の引用はふんだんに散りばめられていたけれど、流人はタコ部屋の光景に聖書などの世界を発見(みつけだ)そうとしていることにちょっと感動した。『血の呻き』に見られた「啜り泣いた」みたいな甘い表現が削ぎ落とされていて、ここに『地獄』を経て来た流人の進化がある。さらに、伏字でずたずたにされて、世界の姿が明瞭に見えないことが奇異(ふしぎ)な効果を与えている。

書という芸術領域に目覚めたのか、あるいは、美人の奥さんをもらって自分の人生と和解したのか、私は、流人を、『血の呻き』の内面世界を棄てて、タコ部屋を語る倶知安に住む知識人の道を選ばざるを得なかった人と思っていました。だからこそですが、流人の内面にまだ「ペルシャの坊さんの物語」が生き残っていたことに驚きもし、感動もしています。晩年、流人が書いていたという原稿『ライチシの涙』、読んでみたい、どこかに奇跡的に残っていないものか。

 
▼ 再び通りすがり者さま   引用
  あらや   ..2022/10/18(火) 10:55  No.928
  先ほど、『監獄部屋』後編の中に、

そして、陰鬱の檻の中に、孤独(ひとり)で跼(かが)まった。

という箇所を見つけました。「かがむ」「かがまる」は北海道(と言っても、石狩・後志地方しか知らないが…)で使います。「かがむ」は一般的に日本のどこでも使われると思いますが、「かがまる」は「食べらさる」などと同じく北海道独特の用法です。私も、子どもの時に、「かがまらさって」などと言ってました。

ちなみに、掘る会の「せぐくまる」ですが、七十年近く生きて来て、北海道でも東京でも、身のまわりで「せぐくまる」を使った人を知りません。

 
▼ 監獄部屋 後編   引用
  あらや   ..2022/10/21(金) 18:09  No.929
   それは、怖ろしい印刷だ。
 そこにも、ここにも惨に押込められた活字が、苦悶している。呻吟している。
 鉄鎖のような枠が、辛うじて彼らをそこへ締めつけて動かさないのだ。全面に互るこの甚しい誤植は、読むに耐えないじゃあないか。
 何と言う暴戻な大組だ。それにこの錯誤だらけのルビは…………。
 彼らはケースを泥濘の中へ倒壊(ひっくりかえ)した。

いや、後編、難しい。というより、混沌としすぎている… 『血の呻き』の幼女殺しの発端が一瞬垣間見えたり、そうかと思えば、『監獄部屋の人々』を予感させるような退屈な「タコ部屋」論があったりとぐちゃぐちゃだ。伏字がさらに拍車をかける。

上に引用した部分、なんと言えばよいのだろう。これは、活版印刷の活字を組んだ枠ケースをタコ部屋に見立てているのだろうか。「タコ部屋」論の次に、「さて、どこに行ったものだろう」として、この彼(活字)の物語が劇中劇のように唐突に始まるのだからたまらない。『血の呻き』から随分遠いところへ来ちゃったものだ…と感じました。

 
▼ 監獄部屋の人々   引用
  あらや   ..2022/10/21(金) 18:14  No.930
  『血の呻き』―1923年(大正12年)6月発行
『地獄』(雑誌「改造」)―1926年(大正15年)9月
『監獄部屋』―1929年(昭和4年)2月

『血の呻き』で始まった沼田流人の小説活動は、九年後の『監獄部屋』で終わりを迎えると考えられます。今のところ、『監獄部屋』後、活字になった流人の作品は、

『監獄部屋の人々』―1960年(昭和35年)7月

実に三十年の沈黙を破って、『日本残酷物語 第五部 近代の暗黒』に収められたこの一編しか私は知りません。(これからも探す努力を続けたいと思います)

一応、記録として。『監獄部屋』166ページ、『監獄部屋の人々』25ページに対して、作業時間は「70時間/延べ日数12日間」でした。
流人関連として、もう一作品、大町政利『鉄石山人』という作品を手掛けて、十一月には「人間像」作業に復帰する予定です。あともう一つ。壊れたコピー機ですが、この前、用があってコピー機能を使ったら、なんと治っていました!

 
▼ Re:監獄部屋の人々   引用
  通りすがり   ..2022/10/31(月) 00:23  No.931
  あらや様

跼(せぐくま)は、近代文学作品において僅かながら用例があるので判断しかねていました。

“跼(せぐくま)”の例文|ふりがな文庫
https://furigana.info/w/%E8%B7%BC:%E3%81%9B%E3%81%90%E3%81%8F%E3%81%BE

>跼(かが)まる
あらや様のおっしゃるとおり、北海道で使われている言葉ならば、その「読み」にて解釈したくなります。検証ありがとうございました。参考にさせていただきます。



No.926 への引用返信フォームです。

Name 
Mail   URL 
Font
Title  
File  
Cookie  Preview      DelKey