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▼ 松崎天民1   引用
  あらや   ..2023/01/19(木) 17:53  No.945
  父が先生と呼んでいたこの二人は、フルネームが判らずじまいだったけれど、もう一人父が尊敬の念を抱いた表情で語っていて印象的だったのは、松崎天民という人だった。やはり東京からよく手紙や書籍が送られてきた。函館新聞社におられた頃に、独身だった父は時折り訪れては、半月くらい寄宿させていただいたものだと誰かに話しているのを聞いたことがある。東京といえば私にとって遠い他国のような感じで、父が「先生」という人がとても偉い人に思え、私たちとは世界の違う人という考えしかなかった。そして父もまた急に違った人間になったように感じられ、私はこの三人を思い出すと、いまだに不思議な感情におそわれるのである。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出」第五回/三人の先生)

ついに流人と函館の関係がつながった! そうか、松崎天民か。

 
▼ 藤田明三   引用
  あらや   ..2023/01/19(木) 17:58  No.946
   「君は、その……、何をする人かね」
 ブラシ髭の、泥醉者は訊ねた。
「何もする事がないんです」
「用事が……。ふうむ。字は読めるかね、いくらか」
「ええ、いくらかは……」
「読める。と、所で今日の新聞を見ましたか。……、記者を一人さがしてるんですよ。つまり君のような人を」
「あなたは、何者ですか」
「僕あ、その新聞の編輯、……長といった風なものですよ。唯一人でやっている。……所でどうです。その気はありませんか、ね」
「私を、買うと言われるんですね。すると……」
「ふうむ。買うと……まあそうですよ。君は話せる……。しかし……」
 泥醉漢は、嵐のような息吹をした。
「世界中から金を掃出しても、人間はやっぱり泥濘から這出せないんだ。この獣は……。買いますよ。確に。君の名は、何です」
「藤田明三」
「藤、田、明三――、ふうむ。N誌に書いた人ですか」
「そうです」
「真物でしょうね」
 彼は、顔をさしのべて覗いた。
「…………」
「何の事だ。失敬、失敬、僕は、山口善助。……その貴方がまた、何故この有様です」
「僕は、昨日ペンも売ってしまいました」
「唯事じゃあない。まあ僕の社へ行きましょう。そして、もし、もし、出来る事なら、あの新聞に手伝って下さい」
(沼田流人「血の呻き」/第一章)

函館の物語で、最初に出会うのがこの山口善助なのだった。

 
▼ 啄木   引用
  あらや   ..2023/01/19(木) 18:02  No.947
  松崎天民というと、私が最初に思い浮かべるのは啄木。

近頃の雑報の中で、今朝の愚童の火葬場の記事ほど、私の神経を強く刺戟したものはありません。あれは大兄がお書きになったものと思ひますが、私は彼の事実に就いて、いろ/\考へさせられます。
   一月二十五日              石川一
 松崎天民様
(書簡番号四〇七 明治四十四年一月二十五日本郷より 松崎市郎宛)

これは、東京朝日新聞社会面で大逆事件の現場キャップとして活躍していた天民の、特に明治四四年一月二七日の記事(死刑判決の内山愚童の火葬を追った記事)にいたく感激した啄木が葉書を送ったものです。天民は東京朝日新聞以前より「探訪記者」として広く名をとどろかせていました。

 
▼ 白面郎   引用
  あらや   ..2023/01/19(木) 18:06  No.948
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弔 石川啄木君       天民
啄木の君血を吐いて死にませし其の夜の夢に火の燃ゆる見き
大遠忌に賑へる春の真白日(まひるま)や静に送る君が御枢
蒼白う痩細りたる腕(かいな)して筆握りし日の君安かりき
若き妻を幼き子とを世に遺し天翔けり行くよ新人啄木
新しき歌人一人失ひて櫻花散る日の淋しく暮(く)るゝ

「大逆事件」つながり(啄木は東京朝日新聞の校正係。天民の書く大逆事件報道に大きく影響を受けた)だけかと思っていたら、それどころじゃない、選者・啄木の朝日歌壇の常連「白面郎」が天民だったり、啄木の葬儀報道記事が天民だったり、単なる社友の域を越えていますね。いや、これは勉強になった。

 
▼ 探訪記者   引用
  あらや   ..2023/01/19(木) 18:11  No.949
  .jpg / 47.5KB

明治・大正・昭和を生きた
型破りジャーナリスト!

日露戦争、足尾事件、大逆事件、
美食、盛り場、貧民窟…、
日本せましと駆け抜けた快男児、
その足蹟を追った傑作評伝

松崎天民(1878〜1937)
実家没落、丁稚や人力車夫で糊口をしのぐが、
強運もあって新聞記者の道を歩き始めた。
日露戦争下では庶民が喜ぶ美談を書きまくる。
一方、大逆事件では刑死者を追って
火葬場に忍び込み記事をものし、
現在でも貴重な証言となっている。
その興味はとどまるところを知らず、
銀座から貧民窟、流行や美食にまでおよんだ…。
(坪内祐三「探訪記者松崎天民」/帯)

片腕でも出来る仕事。今まで私は「小説」と「書」を想っていたが、「新聞記者」という解もありえる…と思うようになった。若き日の流人が夢見た人生は、あるいは、この天民のような世界ではなかったろうか。その結実として『血の呻き』が生まれた…と考えると胸がわくわくしてくる。

 
▼ 匿名希望の方(女性八十六歳)   引用
  あらや   ..2023/01/20(金) 10:58  No.950
  私が十八・九の頃だから、古い古い話だよ、沼田さんは二十三・四だったんじゃないかねえ。小樽の新聞社の人とか言ってたけど、いつも三〜四人の座敷でさ、函館から来たとかいうモダンな人や、ヒゲをたてたえらそうな人だった。沼田さんは一番若くてひとり者でさ、みんなにひやかされたりしていたよ。たまにしか来なかったけど覚えているよ。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出」第十六回/絵を描く)

松崎天民が函館にいた時期が確定できない。小樽新聞も関係してくるのか。流人の年齢の方から考えると、

21歳 大正 8(1919) 11月 軽便線、倶知安〜京極間が開通
22歳 大正 9(1920) 沼田一家、孝運寺へ/写経開始
23歳 大正10(1921) 得度(一郎→明三)/『三人の乞食』
24歳 大正11(1922)
25歳 大正12(1923) 6月『血の呻き』出版
26歳 大正13(1924)
27歳 大正14(1925) 1月小樽新聞に『キセル先生』
28歳 昭和元(1926) 9月雑誌「改造」に『地獄』

私は匿名さんの「二十三・四」を信じます。水商売の人の、男を観察する眼は学者先生の比ではないから。下の引用二つは、雪が融けたら函館に行く時のメモです。

 
▼ 偽看守   引用
  あらや   ..2023/01/20(金) 11:05  No.951
   暗い船艙のような陰気な編輯室の片隅には、汚ない床の上に直接に、汚れた襯衣一枚の男が、乱醉して寝ていた。山口は。彼を指さして咡いた。
「あれの死刑があるんです。ほら、あの脱獄囚の……」
「これが、それですか」
「いや。これは、その看守ですよ。……所で、貴方は……」
 二人は、長い間恐ろしい陰謀でも企てているように、ひそひそと咡き合った。
「じゃあ、偽看守君の健康を祝して……」
 骨ばった顔の山口が、薄笑いしながら咡いて、僅かばかり残ったウヰスキーの瓶を彼にさし延べた。彼は、沈黙ってその苦い滴を甜めるようにした。
「八時間後に、あの世に旅立つ死刑囚君の健康を祝して……」
 山口は、恭々しく一つ頭をさげて、その残滓を飲み干してしまった。
 明三は、長く乱れた髪の上に監獄の看守の制帽を被った。それから、自分の背広を脱ぎ捨ててそこに揉みくちゃにしてある、看守の古びた制服を着た。服は垢じんで重たく疲れた湿っぽい汗の臭いがした。彼は、外套を着て、その頭巾を頭からすっぽり被ってから、埃に汚れた窓硝子に顔をあてて戸外を覗いた。
(沼田流人「血の呻き」/第四章)

 
▼ 時計師   引用
  あらや   ..2023/01/20(金) 11:08  No.952
   彼は、石を投げて遊んでいる子供たちの群から離れて、寂しそうに立っている彼女の側へ歩いて行った。娘は汚れた緑色の短い洋服を唯一枚着て、小さな破靴を穿いていた。
「何を、してる………?」
 彼は、嗄れた声できれぎれに訊ねた。
 娘は、自分の唇を指して、物を言えない事を告げた。彼は、戦慄した。熱に顫える病獣のような瞳を光らして、彼女の肩に手をかけた。
「ね、いい花を買ってやろうか」
 娘は首を振った。
「いらない? じゃ綺麗な靴を買ってやる。おいで………」
 唖の娘は、星のように輝く瞳で彼を凝視め、哀れな自分の靴を指さして、手を叩いた。そして両手を捉って、恐しい時計師に随いて来た。
 彼らは、夕暮の街々を、綺麗な靴を探ねて歩いた。彼は、重い鎖を首に吊されているように俯れた。そして時々間歇的に立止っては身慄いした。
 遂に、夜は黒い幕を垂れる。
(沼田流人「監獄部屋」/後編)



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