| 長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それで沢山だったんだろう。どこへも行かない、又どこへも帰らない小僧に向って、 「じゃ、おいらと一所に御出。御金を儲けさしてやるから」 と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、 「うん」 と承知した。赤毛布(あかゲット)と云い、小僧と云い、実に面白い様に早く話が纏まって仕舞うには驚いた。人間もこれ位単簡に出来ていたら、御互に世話はなかろう。然しそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らない尤も世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分の様に右へでも左へでも誘われ次第、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものが大分あるんだと云う事に気が附いた。 (夏目漱石「坑夫」)
大変、興味深い。そして、面白い。
沼田流人は(明治文学正統の人だから)漱石の「坑夫」は当然読んでいるのではないか…という下心もあって読みはじめたのだが、まあ、そういう研究心はさておいて、純粋に小説として面白い。特に、この「小僧」が登場してくるあたりが小説前半の山場でしょうか。「小僧」に私もぞくぞくしました。(「小僧」「赤毛布」に、「血の呻き」の「茂」「靴修繕屋(くつなをし)」をちょっと感じている)
尤も自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったり、又大に悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心する程なませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当な有難味を附けたと云うのは、自分の不経験からして、左程大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。然るにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、何時の間にやら薄らいだのは、矢張経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分より余っ程偉かった様だ。
いやー、おもしろいもんを見つけた。
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