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No.311 への▼返信フォームです。


▼ 坑夫   引用
  あらや   ..2014/04/30(水) 20:04  No.311
  長蔵さんは、この小僧が宿無か宿無でないかを突き留めさえすれば、それで沢山だったんだろう。どこへも行かない、又どこへも帰らない小僧に向って、
「じゃ、おいらと一所に御出。御金を儲けさしてやるから」
 と云うと、小僧は考えもせず、すぐ、
「うん」
と承知した。赤毛布(あかゲット)と云い、小僧と云い、実に面白い様に早く話が纏まって仕舞うには驚いた。人間もこれ位単簡に出来ていたら、御互に世話はなかろう。然しそう云う自分がこの赤毛布にもこの小僧にも遜らない尤も世話のかからない一人であったんだから妙なもんだ。自分はこの小僧の安受合を見て、少からず驚くと共に、天下には自分の様に右へでも左へでも誘われ次第、好い加減に、ふわつきながら、流れて行くものが大分あるんだと云う事に気が附いた。
(夏目漱石「坑夫」)

大変、興味深い。そして、面白い。

沼田流人は(明治文学正統の人だから)漱石の「坑夫」は当然読んでいるのではないか…という下心もあって読みはじめたのだが、まあ、そういう研究心はさておいて、純粋に小説として面白い。特に、この「小僧」が登場してくるあたりが小説前半の山場でしょうか。「小僧」に私もぞくぞくしました。(「小僧」「赤毛布」に、「血の呻き」の「茂」「靴修繕屋(くつなをし)」をちょっと感じている)

尤も自分はただ煩悶して、ただ駆落をしたまでで、詩とか美文とか云うものを、あんまり読んだ事がないから、自分の境遇の苦しさ悲しさを一部の小説と見立てて、それから自分でこの小説の中を縦横に飛び廻って、大いに苦しがったり、又大に悲しがったりして、そうして同時に自分の惨状を局外から自分と観察して、どうも詩的だなどと感心する程なませた考えは少しもなかった。自分が自分の駆落に不相当な有難味を附けたと云うのは、自分の不経験からして、左程大袈裟に考えないでも済む事を、さも仰山に買い被って、独りでどぎまぎしていた事実を指すのである。然るにこのどぎまぎが赤毛布に逢い、小僧に逢って、両人の平然たる態度を見ると共に、何時の間にやら薄らいだのは、矢張経験の賜である。白状すると当時の赤毛布でも当時の小僧でも、当時の自分より余っ程偉かった様だ。

いやー、おもしろいもんを見つけた。


 
▼ 海辺のカフカ   引用
  あらや   ..2014/05/01(木) 20:52  No.312
  「君はここで今、一生懸命なにを読んでいるの?」
「今は漱石全集を読んでいます」と僕は言う。「いくつか読んだことのないものが残っていたから、この機会に全部読んでしまおうと思って」
「全作品を読破しようと思うくらい漱石を気に入っているわけだ」と大島さんは言う。
 僕はうなずく。
 大島さんが手にしたカップからは白い湯気があがっている。空はまだ暗く曇っているが、雨は今のところ降りやんでいる。
「ここに来てからどんなものを読んだの?」
「今は『虞美人草』、その前は『坑夫』です」
「『坑夫』か」と大島さんはおぼろげな記憶をたどるように言う。「たしか東京の学生がなにかの拍子に鉱山で働くようになり、坑夫たちにまじって過酷な体験をして、また外の世界に戻ってくる話だったね。中編小説だ。ずっと昔に読んだことがあるよ。あれはあまり漱石らしくない内容だし、文体もかなり粗いし、一般的に言えば漱石の作品の中ではもっとも評判がよくないもののひとつみたいだけれど……、君にはどこが面白かったんだろう?」
(村上春樹「海辺のカフカ」)

へーえ。ほんと、「坑夫」には驚かされることばっかり。しっかし、このタイミングで、村上春樹氏の登場なんて考えてもいなかったから…(「海辺のカフカ」、読んだはずなのに、何にも憶えていない自分にもびっくりした。老いぼれたのかな…)

 僕はうなずく。「うん、むずかしいことはよくわからないけど、そういうことかもしれない。三四郎は物語の中で成長していく。壁にぶつかり、それについて真面目に考え、なんとか乗り越えようとする。そうですね? でも『坑夫』の主人公はぜんぜんちがう。彼は目の前にでてくるものをただだらだらと眺め、そのまま受け入れているだけです。もちろんそのときどきの感想みたいなのはあるけど、とくに真剣なものじゃない。それよりはむしろ自分の起こした恋愛事件のことばかりくよくよと振りかえっている。そして少なくともみかけは、穴に入ったときとほとんど変わらない状態で外に出てきます。つまり彼にとって、自分で判断したとか選択したとか、そういうことってほとんどなにもないんです。なんていうのかな、すごく受け身です。でも僕は思うんだけど、人間というのはじっさいには、そんなに簡単に自分の力でものごとを選択したりできないものなんじゃないかな」

 
▼ 血の呻き   引用
  あらや   ..2014/05/20(火) 15:28  No.313
  「結構です、やりましょう」
「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。―― 食料を別にして」
「それで沢山です」
と答えた。然し別段に嬉しいとも思わなかった。漸く安心したとまでは固(もとよ)り行かなかった。自分の坑山に於ける地位はこれでやっと極った。
 明日(あくるひ)から自分は台所の片隅に陣取って、かたの如く帳附を始めた。すると今まであの位人を軽蔑していた坑夫の態度ががらりと変って、却(かえっ)て向うから御世辞を取る様になった。自分も早速堕落の稽古を始めた。南京米も食った。南京虫にも食われた。町からは毎日毎日ポン引が椋鳥を引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。然しその後東京へ帰ろうと思ってからは断然已(や)めにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。―― 自分が坑夫に就ての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。
(夏目漱石「坑夫」/ラスト)

なんという終わり方! 「その証拠には小説になっていないんでも分る。」だって!
いやー、こんな漱石、初めて見た。脱帽です。ジャンポーです。

沼田流人が「坑夫」を読んでいたのはほぼまちがいないと思います。流人は紫地の紙に金泥で般若心経を写経し、それを葬儀のあった金持ちの家に送っては謝金を得るということを生業としていました。(右腕一本しかないので、どんな職業にもつけるわけではないのです) そのため、日本全国各地の死亡記事を確認する必要があり、夥しいほどの全国各地の新聞をとっていたといいます。ですから、単行本「草合」に所収された「坑夫」ではなく、「東京朝日新聞」なり「大阪朝日新聞」なりに連載されていた挿絵入りのオリジナル「坑夫」を読んでいた可能性すらあると感じました。そうであれば、「血の呻き」の不思議な章立ても理解できるような気もする。(「坑夫」は全96章の章立て。「血の呻き」は「坑夫」の二倍くらいの一章の長さで全50章) 坑山の仕事に入る直前で踏みとどまった「坑夫」の人生のその後を描いてみようと意図したのでしょうか。



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