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▼ 「道」第9号   引用
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:03  No.500
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第9号、4日間でデジタル化完了。かかった時間は「19時間」でした。いつもより短時間なのは、第9号のページ数が少なかったから。腕が上がったとか、そういうことではありません。

◎創刊当初から最も華かな活躍を続けて来た同人、宇野一郎(谷畑潤逸郎)君は事情あつて一時退会することになりました。
(「道」第9号/同人消息)

ページは少ないけれど、第9号は重要な号です。当時の文学寄稿雑誌『文学集団』『文章倶楽部』で光る作品を書いていた人をどんどん同人に誘う形で発展してきた同人雑誌『道』。そのため、創刊当初から同人が全国に散らばっているという『人間像』(←『道』が第16号から『人間像』に改題)独特の良さもあった反面、スカウト・ミスみたいな事態もあったのですね。ぺらぺら長いだけの駄文に多くのページをとられていました。本当に書くべき人が、駄文の大声に邪魔されて書きづらい状況があったと思います。このまま進んで行くと、『道』のコンセプトも固まらず、針山和美氏も単なる文学愛好の田舎教師で終わったんだろうと思います。その悪い流れがばしっと切り替わりはじめるのが、この第9号なんです。たいへん興味深く読みました。


 
▼ 小樽   引用
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:10  No.501
  次に一頁目に上沢さんの「サーカス」を持つて来た事は常に道は道の同人自体のものであると言う観念からであります。
(「道」第9号/松田滋「編集後記」)

今まで巻頭にはハイネやリルケの詩を掲げていました。いかにも文学好きの作りそうな、在りがちな同人雑誌だったのですが、ここでがらりと変わる。『サーカス』ですよ、『サーカス』。どんな馬鹿な詩人でも『サーカス』書く時は緊張するだろう。中原中也の物真似で人生が終わるかどうかの賭けなんだから。小樽の一青年が挑んだ賭けにまず拍手。次いで巻頭にこれを持って来た編集人に大拍手。『人間像』がここに船出しました。

ついでですから少し悪口も云います。二号に於ける針山君の四、五、六の三首、七号に於ける第五、七の二首。共に戦争にからまる思い出を詠んだものだが、戦争中には斯う云う事もあつたと言う単なる回想にすぎないものや、軍部の圧制を軽く皮肉つた程度にとゞまつている。過ぎ去つた生活に対して、もつと真摯な反省があつて良いのではなかろうか。
(「道」第9号/渡部秀正「短歌について」)

渡部さんも凄い。同人の中でも才能が一等頭抜けている針山氏ゆえ、なかなか倶知安の同人・友人たちからはこういうストレートな批評は出ないように私も思っていました。でも、渡部氏がいてよかった。こういうことをちゃんと言ってくれる人がいないと、針山青年は「針山和美」になれなかったでしょうね。

小樽のことあまり褒めたくないけど、小樽からこの二人が参加したことは針山氏の一生の財産だと思いました。札幌でも函館でもなく、この場合は小樽なんですね。

 
▼ 二十歳   引用
  あらや   ..2017/06/29(木) 18:17  No.502
  たきたての飯に醤油をかけながら満二十才今日より始まる
(「道」第9号/針山和美「雑詠」)

二十歳の青年教師・針山和美氏が喜茂別村の御園(みその)小学校に移りました。「道発行所」も倶知安から喜茂別に移ります。伝説の御園時代。第十号に期待します。

此処へ来て始めて仏法僧を聞いた。御園て言う処はそれ程静かな処である。しかし住めば都のたとえ通り、山の中も又、味のあるものである。苫小牧へ転居した内村君が遊びに来て、一週間程居候して行つたが、彼が帰るとき、丁度かわりの様に松田君が来訪した。処が内村君同様すつかり御園が気に入つたと見えて仲々帰ると言わず、とう/\彼も又一週間近く共同生活して行つたが、うまくそこを利用(?)して本号の編集と印刷をして貰つた。松田君こそいいメイワクだつたに違いない。
(「道」第9号/針山和美「編集後記」)

二十歳か…



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