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No.503 への▼返信フォームです。


▼ 「道」第10号   引用
  あらや   ..2017/07/10(月) 14:53  No.503
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第10号デジタル化にかかった時間は「40時間/延べ日数7日間」でした。ガリ版の印刷・製本技術が凄いので、第8号に続き、第10号もデジタル版でないと読めないでしょうね。第9号あたりから内容が格段に向上してきているだけに、拙いガリ版印刷が残念です。早く活版印刷の時代に入ってほしい。でも、この後もガリ版が約10冊続くんですね。

耐えられるかな… 試験的でもいいからインターネット公開が動き出せば少し状況が変わってくるかなと思ったりもするけど、そういう拙速な性分で何度も失敗してきたから。ここはじっと我慢ということなのでしょう。作品が面白いのでデジタル化作業は楽しいです。ありがたいことです。身体もまだ大丈夫だし。


 
▼ 流しラーメン   引用
  あらや   ..2017/07/10(月) 14:56  No.504
   ここまでの基礎固めの時代のチャンピオンは名実ともに渡部秀正だった。創刊当初の客員時代から、年齢に似合わない大人の風格で僕らを驚かせた。家族や自分の体験を素材にした「のこされた者たち」(19・20号)「セールスマン物語」(23号)「或る田舎町の出来事」(28号)「霙」(34号)などが当時の代表作で、長いブランクの後に書いた「招待旅行」(80号)も好評だったが、故郷北海道を離れてからは無音の存在になってしまった。
(針山和美「『人間像』の五十年」/三十号まで)

たしかにチャンピオンの風格、ありますね。針山氏が推している20号〜30号台の作品はこれからなんですけど、今まででも、「場末町の歌」(路苑創刊号)、「石炭」(4号)、「財布」(6号)、「祭」(7号)、「運動会」(9号)とホームランの連発です。で、第10号の「流しラーメン」に至ってはため息ついちゃった。逆転満塁サヨナラホームランといった光景です。

そんな眼に遭うと我れにもなくうろたえ、妻子のある男に、と浅ましい気もしたが、官能のうずきわ切なかつた。
(渡部秀正「流しラーメン」)

「官能のうずきわ切なかつた」か… うーん、凄い。どうしてこういう表現が降りてくるのだろう。天性のものとしか云いようがないですね。もう「読書会BBS」で扱った方がいいのかな…と思ってます。インターネット公開が実現したら、すみやかにあっちに移行ですね。

 
▼ 啄木   引用
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:00  No.505
   針山君の歌集眼の玉=A啄木ばりの覇気のある歌集、何となく憧れを覚えます。自ら昭和の啄木を自誇すべし。斯かる発奮も亦美しい生涯の灯ともならう。亦、大いに北国風のリアルも持ち込むべきだ。やはり自然に抱かれた針山君の魂の存在は最も人を誘う詩的なインスピレイシヨンがあるからだ。洞爺湖を詠み 仏法僧を詠み 苦悩の位置を明瞭に詠むところに啄木ばりの今后の進み方があると思う。
(瀬城乃利夫「短信」)

同人が全国に散らばっているという『人間像』の特色がいちばん強く出ている面ですね。同人が、倶知安なら倶知安、小樽なら小樽余市などの地元一色で固まっていた場合、たぶん、針山和美氏と石川啄木を重ね合わすような発想は出てこないはずなんです。だって、当たり前すぎるんだもの。(北海道に暮らしていたら誰だってこれくらい詠えるよ) 道内の同人たちは、なんで針山氏が啄木なのか…まるっきり意味がわからなかったと思います。

でも、内地の人たちには充分「啄木」なんですね。(これは湧学館時代にしつこく書いたことで繰り返すのも恥ずかしいのですが)啄木の『一握の砂』というのは、明治時代の内地の人たちが初めて認識した「北の大地−北海道」なんです。それ以前の北海道は「島」です。「点」です。北原白秋にしても幸田露伴にしても、船から港に降りては酒飲んで騒いで、また船に戻って次の港へというだけの「北海道」。全然つまらん。という世界へ、
 「真夜中の/倶知安駅に下りゆきし/女の鬢の古き痍あと」
という爆弾が落ちて、内地の人たちの頭の中に今まで経験したこともない「北海道」情景が閃いてくるのですよ。その衝撃たるやいかほどのものだったか、想像すると今でも私はぞくぞくしてきます。

 
▼ 昭和の啄木   引用
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:03  No.506
  瀬城さんの感想が頓珍漢なものだったとは思いません。『人間像』同人たちが、若い内からこういう「日本」の中に偏在する感性の地域差みたいなものに自然に耐性ができて行くことは、誰の作家人生にとってもプラスになっていったと思う。

はからずも瀬城さんの証言で、「昭和の啄木」なんていう方向性も二十歳の文学青年・針山和美にはあったのだと知ってぞくぞくしています。まだ何者でもないのです。「道」はこれから。

 
▼ ワープロ   引用
  あらや   ..2017/07/10(月) 15:08  No.507
  第10号デジタル化が終了したのは7月8日(土)朝でした。早速、10号の資材を片付けキャリーバッグに仕舞い11号を取り出して来て机の上の配置を始めます。その間に「司書室BBS」に10号の報告を書いておこうとパソコンを起動したら、あれ、インターネットができない! 「このページは表示できません」だって…
メールもできなくなっている。で、これはこちらのパソコンの問題ではなくて(他の機能はいつも通り動いているから)、電話会社側の問題だろうと思ったんですね。そういえば、前日に「光ケーブル回線メンテナンス工事」がある葉書がNTT東日本から届いていた。でも六月からKDDIに乗り換えていたから、もうこの工事は関係ないと思っていたわけです。でも、この工事をやられてしまったみたい。
抗議の電話を入れたら、設定を元に戻せる社員は月曜日にならないと出てこないんだそうで。しかも直すには、遠隔操作ではできなくて、家に社員が出ばってくるそうで。ほんとに迷惑だなあ。平日に家で待機していられる私みたいなヒマな人間は世の中にそうそうはいないんじゃないの。

五月に針山家にお邪魔した時、長女のみさきさんも来ていて、生前針山氏にワープロ機をパソコンに替えた方が便利だよと何度も進言したけれど頑として受けつけなかったという話を聞きました。じつは私にも同じ体験があって、峯崎ひさみさんにパソコンに替えませんかみたいな手紙を書いたことがあります。いらぬ混乱をさせてしまいました。作家さんの貴重な時間を奪ってしまったと今は深く反省しています。

現在は、ワープロ機でいいんだと認識しています。パソコンは駄目だ。作品が書く上でのリスクが多すぎる。朝スイッチを入れたら昨日書いた文書が出て来ない…なんて目に一度でも遇ったら、作家はそんな「文房具」は即捨てるんですよ。1年とか2年とか阿呆みたいな単位で機器やOSやセキュリティシステムの更新があり、料金や契約更改があり…なんてこと、一生を賭けた作家人生にとってはゴミみたいなもんです。時間の浪費なの。

…という罵詈雑言を、復旧したパソコンを使って「司書室BBS」にこれから送ります。



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