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▼ サガレン   引用
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:29  No.558
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「人間像」第79号作業をやっていた十一月、夜、布団の中でずっと梯(かけはし)久美子さんの『サガレン』を読んでいました。「第一部/寝台急行、北へ」と「第二部/〈賢治の樺太〉をゆく」の二部構成。サガレンというのは、宮沢賢治が樺太へ旅をした当時の樺太の呼び名です。宮沢賢治も作品の中では『サガレンと八月』のように「サガレン」を使います。

 ロシアには、サンクトペテルブルグ→ペトログラード→レニングラード→再びサンクトペテルブルグと、体制の変化によって何度も名前を変えた部市もあるし、領土の拡大にともなって自国に編入した土地の都市名をロシア語に変えた例も多い。
 日本でも、古くからの地名を捨てて、歴史とは無縁の地名をつけてしまう例があるが、そこには激動の歴史などといったものはなく、単に二つの地名をくっつけたり、語感のみを重視した軽薄な地名をつけたりしている。
 それに対してサハリンの地名には、国境の島ならではの歴史の厚みが隠されている。いくつもの名が地層のように積み重なった土地を、列車に乗って旅していると、まさに歴史の上を走っているのだという実感がわいてくる。
(第一部/三、ツンドラ饅頭とロシアパン)

じつは、コロナ下の今年5月30日、7月18日、9月5日、北海道新聞で連載された『ほっかいどう鉄道探偵』、宮沢賢治の大正13年・花巻農学校・修学旅行引率を扱った文章が大変心地よく、こういう人が書いた『サガレン』なら面白いに違いないと思って読み始めたのでした。


 
▼ 林芙美子   引用
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:33  No.559
  樺太を語る時、北原白秋、林芙美子、宮沢賢治の三点セットは外せない。センスが良いなと思ったのは神沢利子『流れのほとり』をきちんと挙げていたところ。私の〈樺太〉談義だと、他にも野口雨情や金田一京助や知里真志保や久生十蘭や吉田一穂なんかも入って来るんだけど、まあ〈鉄道〉という縛りがあるんだから〈船〉の時代の人は関係ないか。

 芙美子が中野署に勾留されたのはこの前年、一九三三(昭和八)年の九月だが、その半年前の二月には、「蟹工船」で知られろ小林多喜二が勾引され、築地署で虐殺されている。その後、はげしい弾圧によって組織的なプロレタリア文化運動は壊滅に追い込まれた。芙美子が樺太を旅したのはそういう時期だったのだ。
 豊原での巡査との場面で、芙美子は、「まるで被告あつかいにされた」と書いている。敷香に着いた彼女は、そんな自分が国境付近に行けば、あらぬ疑いをかけられると警戒したのかもしれない。それはあながち被害妄想とはいえず、ソ連との国境の島にやってきた著名な作家の行動を、現地の警察がチェックしていたことは十分に考えられる。
(第一部/四、国境を越えた恋人たち)

林芙美子のこの旅は、北海道に入るなり、いきなり函館素通り、倶知安の旅館に籠もって「堀株の漁村」なんかをうろうろ見歩くという旅です。その後も、札幌素通り、旭川の親友に再会した後、一気に樺太へという大変奇妙な旅なんです。樺太からの帰り道でようやく林芙美子がこの旅に意図していたものが判明するのですが、なにか職業柄「倶知安」の文字にいつも目が行ってしまって、この豊原のオマワリの話はコロッと忘れていましたね。『樺太への旅』読み返したら、ちゃんとあった。

 
▼ ミツーリ   引用
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:36  No.560
  第二部では、チェーホフ『サハリン島』がさかんに宮沢賢治の樺太行に重ねられています。梯さんは、『サハリン島』はチェーホフの注が面白いと言う。

 流刑農業植民地の理想はミツーリをおどろかせ、魅了した。彼はこの理想に心から没頭し、サハリンが好きになり、ちょうど母親が愛児の欠点に気づかないように、彼も、自分の第二の故郷となったこの島で、凍土や霧に気づかないでいた。彼はここを花咲く一天地と見ていたのであり、もちろん当時は無きに等しかった気象の資料も、明らかに彼が疑いの念をもって接していた過去の苦い経験も、その妨げとはなり得なかった。そのうえ、 ここには野ブドウ、竹、途方もなく背の高い草、日本人などがあるのだ……島のその後のが歴史を見ると、彼はすでに、島の管理者で、あいもかわらず凝り性な、惓むことなく働く五等文官として描かれている。彼はサハリンで、重い神経錯乱のため死去した。享年四十一歳。わたしも彼の墓を見た。その死後、『農業面から見たサハリン島概観』一八七三年、という著書が残された。これはサハリンの豊穣を讃えた長篇の頌詩である。
(チェーホフ「サハリン島」/「ミツーリ」の注)

 農業によってサハリンを理想の天地にしようとしたミツーリ。サハリンは彼にとってのイーハトヴだったのかもしれない。
(第二部/七、チェーホフのサハリン、賢治の樺太)

ミツーリ、知りませんでした。というより、『サハリン島』は苦手です。

 
▼ ラパーチン   引用
  あらや   ..2020/11/16(月) 14:39  No.561
   一度日のサハリン取材から帰ったあと、白鳥湖についての情報を探していたときに、北海道教育委員会のサイトに、「サハリンの竪穴群発見一五○周年」と題された記事があるのを見つけた。
 二〇一八年は、一八六八年にロシアの鉱山技師インナキェンチイ・ラパーチンが、白鳥湖の北東岸で、古代の竪穴住居跡群を発見してからちょうど百五十年になるという内容だった。
 あの何もない沼地に。古代人が住んでいたとは!と驚いた私は、ラパーチンについて調べてみた。
(第二部/八、白鳥湖の謎)

ラパーチンも知りませんでした。本当に勉強になる。

 もともとは鉱山技師で、探鉱のためにサハリンにやって来たラパーチンだったが、このときの発見をきっかけに考古学への関心を本格化させ、東シベリアにおける古墳や古代遺跡の発掘許可をロシア帝国考古学委員会に求める。そして後年、シベリア古代遺物の収集家として知られる人物になるのである。
 ミツーリも、このラパーチンも、サハリンにやって来たことで奇妙な情熱にとりつかれ、運命を変転させていった人である。
 (中略)
 チェーホフ(作家)、ミツーリ(農業学者)、ラパーチン(鉱山技師)の三人が、それぞれにやって来た白鳥湖。こうなると、賢治も同じ土地を踏んでいてほしい気がするが、残念ながらやはり確証はつかめないままである。
(同章より)

 
▼ 鉄道探偵   引用
  あらや   ..2020/11/16(月) 15:00  No.562
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いろいろ勉強になったなあ。例えば…

宮沢賢治『青森挽歌』には、こんな一節があります。

わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
ここではみなみへかけてゐる
焼杭の柵はあちこち倒れ
はるかに黄いろの地平線
それはビーアの澱をよどませ
あやしいよるの 陽炎と
さびしい心意の明滅にまぎれ
水いろ川の水いろ駅
  (おそろしいあの水いろの空虚なのだ)
汽車の逆行は希求の同時な相反性
こんなさびしい幻想から
わたくしははやく浮びあがらなければならない

北へ向かっている旅なのに、なんで「ここではみなみへかけてゐる」なんだろう…という問題が昔からあって、いろいろな珍解釈が出回っていたのですが、ついに解決の日が。

 東北新幹線は八戸からまっすぐに新青森駅に向かってしまうが、賢治が乗った東北本線(この部分は現在第三セクターの「青い森鉄道」になっている)は、下北半島と津軽半島にはさまれた夏泊半島をぐるりと回るルートをとる。
 夏泊半島は、陸奥湾に突き出た小さな半島である。突端にもっとも近い駅が小湊駅で、そこを過ぎると、線路はゆるやかな弧を描きながら、南西へと進路を変える。ここは花巻−青森間で唯一、線路が北上するのではなく南下する区問なのである。賢治は抽象的な表現をしたのでもなく、勘違いをしていたのでもない。事実をそのまま書いたのだ。
(第二部/三、「青森挽歌」の謎)

いや、凄い。ぜひ、林芙美子の帰り道、啄木もやってくれないだろうか。



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