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No.574 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第30号記念号   引用
  あらや   ..2018/03/02(金) 14:22  No.574
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「人間像」第30号のデジタル化、先ほど完了しました。かかった時間は「89時間/延べ日数14日間」。いつもの倍ですね。

外は三月の猛吹雪。国会中継のラジオがぶちぶち中断されて、高速の通行止め情報が飛び交っています。飛行機もJRも止まっているこんな天気の中でも高速は開いてるのね。図書館もそうか…(学校は昨日の段階で早々と休校を決めているのにね) 一年前、家の除雪をしないと大変なことになるのはわかっているんだけど、出勤時刻だからと家を出なければならなかったことを思い出す。

あれから一年か… 春遠からじのこの三月だからこそ、いろいろ考えなければならないことがある。


 
▼ 「人間像」小史   引用
  あらや   ..2018/03/06(火) 11:54  No.575
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『謹啓「文学集団」誌上であなたの名前を知りました。減部秀正君とも長い間文通しております。各地で「文集」支部の話が持ち上つているようですが、北海道ではまだ何の話もないようですね。しかしこれは地理的に云つても仕方のない事と思います。僕もこの十一月「路苑」という活版三十五頁程のを出してみましたが経済的に持ちこたえる事が出来ず間もなくつぶれてしまいました。その後は自分で印刷した「道」と云うのをやつて居り、近く第二号が出来ます。初回からこんな話はどうかと思いますが、なんなら入会してくれませんか、お便り下さい。針山和美拝』
 この昭和二四年十二月十日附の、スタンプインクでかゝれたラヴ、レターのようなハガキが、逐に僕の今日を決定付けてしまつた感がする。当時小樽へ来て誰も友のいない僕は、どつちをむいて坐つてたらいゝのかわからんような気になつて、とにかく「文学集団」の読者欄で、小樽にいる筈の渡部秀正と文通してみようと思い立ち、出した投書の結果が、倶知安とか云う町に住む、針山和美なる男とも女ともつかぬ名前の奴からのハガキだつた。
(上沢祥昭「人間像」小史」/一、「道」手刷り時代)

30号記念号ということで、上沢さんが『「人間像」小史』を書いていますね。以後、50号、100号などの節目節目で、上沢さんは「人間像」史をまとめる大任を負って行くことになるのですが。その第一弾冒頭が倶知安の十九歳、針山和美さんの葉書なのでした。「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。」山ねこさんからの手紙みたいですね。

 
▼ 倶知安と文学   引用
  あらや   ..2018/03/06(火) 11:58  No.576
  この「人間像ライブラリー」の収録作品も、次回の第31号で500タイトルを越えることになります。内容も、単に同人雑誌「人間像」の作品ばかりでなく、広く新谷が辿って来た作家や作品をここに収めたいと考えています。
石川啄木から現役の峯崎ひさみさんまで、なぜここにこの作家が入るのか?説明する意味もあって、ライブラリーの片隅に「新谷保人」というコーナーをひとつ設けさせてもらって、そこで収録作品の解説(?)を試みています。
今、そこに、『倶知安と文学』『文芸作品にそびえる羊蹄山』を入れようかどうしようかでちょっと悩んでいます。いずれも京極時代に倶知安風土館で行った講演なのですが、まあ私の解説話はどうでもいいとしても、講演のために作った作品アンソロジーにはまだ価値があるかなとも思うからなんですね。「倶知安と文学」を集めきったという自信はあります。
ただ惜しむらくは、このアンソロジーには針山和美氏は登場しないのですね。同人雑誌『人間像』を知る以前の「倶知安と文学」なんです。「人間像ライブラリー」が始まった今、こんな過去の古証文みたいの出してもなあ…、ライブラリーが混乱するだけだ…という気持ちがいつもあって躊躇していたのでした。

 
▼ 倶知安駅   引用
  あらや   ..2018/03/06(火) 12:00  No.577
  上沢さんの『「人間像」小史』を読んでいて、感じるものがありました。『倶知安と文学』、出すなら今かな…と。

講演「倶知安と文学」には隠れたモチーフがありました。「倶知安駅」です。「倶知安駅」の意味合いの変容が、それぞれの時代の「倶知安と文学」の変容を伝えている…と。
最古の断層は私鉄・北海道鉄道(函館本線)上の「倶知安駅」。啄木の「真夜中の倶知安駅…」が示す通り、この時代の「倶知安と文学」は旅人や東京者(有島)の描いた倶知安と云えましょう。
次の古層が京極線(胆振線)が接続した時代の「倶知安駅」。脇方から鉄鉱石が出たが故に京極線を敷かねばならなかった。線路を通すために軽川トンネルを掘らねばならず、その工事のためにタコ部屋ができる。『血の呻き』の沼田流人が典型ですが、ここからの「倶知安と文学」は地元民の描く倶知安。
で、講演の最後で云わざるを得ません。「倶知安と文学」は北海道新幹線の上に乗ることによってさらに変容しますよ…と。朝、峯崎さんに「これから行くよ」と電話して、五時間後には市川市妙典の峯崎家に居るような世界が出現するわけですからね。「倶知安」の意味合いもずいぶん変わるように思います。
もし、この講演の時点で『人間像』を知っていたなら、「これこそ十九歳の針山青年が夢見ていたような世界ですね」と言っていたかもしれません。だからこそ、『倶知安と文学』、出すなら今かな…と思いました。(こじつけかな)

つべこべ云ってないで、早く第31号に取りかかれ!という声が聞こえる。



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