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No.621 への▼返信フォームです。


▼ 三年間   引用
  あらや   ..2018/09/26(水) 09:52  No.621
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地震から三週間。比較的被害の少なかった小樽で地味に『三年間』のデジタル復刻をやっていました。現在、第三部にあたる『其の三年』の原稿用紙90枚目に入ったところです。あと30枚ほど… 今日明日にも終了すると思われますので、そろそろご報告しても大丈夫かなと判断しました。

無職のヒマ老人なんだからボランティアに行けば…という声もあったが、なかなかそういう動きには踏み切れませんでした。というのは、9月7日に「えあ草紙2」事件が起こったから。
Internet explorer を経由しない世界がここまで台頭して来ていたことがショックでした。ちょうど一年前、ライブラリーを立ち上げる頃、ここまでスマホで動く世界に私たちが生かされていることに驚いたけれど、あの時からたった一年でこれかよ…という想いです。パソコンはこれだから鬱陶しい。

ここで一旦、毎日の基本動作(ワープロ作成〜テキストファイル化〜デジタル処理)に戻ります。どんなに忙しくても、最低4〜5時間の基本動作を休むわけにはいかない。一日怠けると、三日分のスランプになって返ってきますから。Internet explorer の問題は今日明日にも方向や解決が見つかるようなことではないけれど、これからは基本動作の合間合間に考えることになるでしょう。


 
▼ 其の一年   引用
  あらや   ..2018/09/27(木) 10:16  No.622
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 針山和美が黙々と本を読み始めたのは、終戦後の三年生後半のことであった。読書を重ねるうちに彼は自分も小説を書きたいと思うようになる。四年になって小説らしきものを幾つか書いた。それらの作品は残っていないが、五年になってから『三年間』と題する長編を書き始める。完成したのは卒業の二日後、昭和二十三年三月七日のことであった。校章の入った倶知安中学校原稿用紙を使った三百六十枚を三分冊にし、画用紙で表紙をつけ、和綴じにしたものである。
 これが彼の文学の原点である。
(福島昭午「〈人間像〉と針山和美」)

その北海道庁立倶知安中学校原稿箋に書かれた三百六十枚は、『三年間』と題され、『其の一年』『其の二年』『其の三年』の三分冊になっています。画用紙で表紙を付けられた三冊それぞれは、福島氏によって、装丁に戦前の校舎写真や胆振線風景が施され、針山和美氏の没後、同人・友人間に廻覧されました。
今回のデジタル化は、底本に針山家所蔵の「原稿箋」版を使わせていただき、新字新仮名で校正しました。『三年間』は、「人間像ライブラリー」において『路苑』創刊号に春井雄三名義で発表された『その一年』の一部分がありますが、その時は、『路苑』全体の旧字旧仮名表記に合わせて「新字旧仮名」(さすがに旧字を採用すると今の人には読めなくなる)で校正しました。
しかし今回針山氏の原稿を拝見すると、かなり戦後の新字新仮名に近い形ですでに書かれており、これならばかねてからの懸案である「新字新仮名」化の試みを行ってみても良いかと考えた次第です。送り仮名等は旧仮名のままにしてありますが、「つ」が「っ」の小字になっただけでも読みやすさが格段に違います。また、ワープロ作業も格段に早くなることにも気がつきました。ぜひ『路苑』版と読み比べて、ご意見をお聞かせ願いたいところです。

 
▼ 其の二年   引用
  あらや   ..2018/09/28(金) 11:16  No.623
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昨日、『其の三年』のワープロ化を終了しました。あと少し、デジタル処理段階で、ほんの些細な技術的問題にぶつかって足踏みしていますが、明日あたりで公開に漕ぎ着けるでしょう。

思っていた以上に重要な作品であることを実感しました。単に処女作だからということではなく、針山和美という作家の生涯すべてを支えていた作品に思えます。公開はしなくても、死ぬ時まで氏の傍らにはいつも居た作品ではないだろうか。なぜ針山和美という作家が生まれたのかがここに書いてある。

『其の一年』は、昭和二十年。針山和美、十五才。倶知安中学(旧制)の三年生。冒頭、脇方鉱山の勤労動員風景から始まる小説は、やがて八月の敗戦へ。終戦直後の食糧難でまた援農動員。
『其の二年』は、昭和二十一年、占領下日本。針山和美、十六才。倶知安中学の四年生。帰ってきた青春。女生徒。
『其の三年』、昭和二十二年。十七才。学制改革。「武藤(針山和美)」たちは旧制中学最後の五年生。大学・高専への進学か、新制高校三年への残留かで心が大きく揺れ動く。

脇方への勤労動員で始まった小説が、旧制中学最後の授業風景で終わる構成は見事。その流れのうちに、戦争(其の一年)や、少女(其の二年)や、小説という意識の芽生え(其の三年)が流れるように描かれており、しかも伊藤整『若い詩人の肖像』の如く下品でないところが素晴らしかった。沼田流人の「タコ部屋」と同じく、この時代、この場にいた人間にしか降りて来ない天恵でしょう。十七才の、その場で書き切ったことは正解だった。

 
▼ 其の三年   引用
  あらや   ..2018/10/01(月) 17:08  No.624
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「えあ草紙2」事件は結構ショックでした。今でも Internet explorer ではないもので立ち上がるインターネットというものが想像できない。スマホってことなのかな…

それでも、充電なんてバカみたい…と思ってるよ。

予定通り九月中に『三年間』を終えることができたので、十月からはいつもの『人間像』作業に戻ります。第37号は「農漁村文学特集号」なので、ちょっと楽しみ。『三年間』の敗戦直後の時間から、第37号の昭和三十年暮れの時間に戻ってみると、明らかに戦後の様相が変化したことを感じますね。
ただ、その前に一週間くらい、竹内家から竹内紀吉氏に関する貴重な資料類をお預かりしたので、その保管態勢づくりや主要な小説作品のデジタル化を行うつもりです。自筆原稿を含む資料類ですので全体のデジタル化には一年間くらいの時間がかかるだろうと思いますが、とりあえずは、今年八月にアップした竹内作品の区画整理を行って今後の展開が見えやすくしたいと考えています。
その一環ということもないけれど、ライブラリーの〈新谷保人〉に『作家峯崎ひさみさんとの出会い』という対談をアップしました。



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