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No.640 への▼返信フォームです。


▼ 脇方の子供   引用
  あらや   ..2018/11/30(金) 16:38  No.640
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本日、長尾登氏の『幼年期の学校を回ぐる思い出』、『私と脇方』、『遠い日のこと』、『戦争責任論と回想の朝鮮人』をアップしました。氏のライフワーク〈脇方〉の内面領域を語られた重要な四作品に感じます。

 一口に脇方の子供と言っても、鉱山長屋の子と、職員社宅の子、鉄道官舎の子、商業等に携わる有力者の子、開拓農家の子では、見かけも気風も行動も異なり、十把一絡げに律することは出来ない。
(長尾登「幼年期の学校を回ぐる思い出」)

おそらく、鉱山長屋の子の目を通して描かれた〈脇方〉というのは、長尾氏が初めてだと思います。そういえば、長尾氏以前の私たちは、鉱山職員や有力者の思い出の〈脇方〉しか読んでいなかったことに、ここで気がつくわけです。前田克己氏(元脇方小学校校長)や長尾登氏のオフィシャルな著作から感じるワクワク感いっぱいの〈脇方〉って、じつはこういう四作品のような内面の思いに支えられて存在していたのですね。ここまで辿り着いたことをちょっぴり誇らしく思う。


 
▼ 弁当   引用
  あらや   ..2018/11/30(金) 16:44  No.641
   言うまでもなく、鉱山という所は、階層差の大きい社会なので、それが、子供達の弁当の上にも如実に反映されていた。小学校の一〜二年の時、席が側だった技師長?の娘の斉藤京子さんの弁当は、あの頃でも、別箱のおかず入れに、玉子焼きや蒲鉾、佃煮や紅生姜等が小綺麗に並べられていて、私達を密かに羨ましがらせたものだった。
(長尾登「幼年期の学校を回ぐる思い出」/9.弁当)

長尾氏の記憶力には物凄いものがある。なにか、日記とか、針山氏の『三年間』みたいに、発表はしないけれど書く時の起爆力となるものがあるのだろうか。誰が、小学校一年の昼に食べていたものを覚えているだろう。でも凄いのは、ここから。文章はこう続くのです。

 階層差は、弁当を包む物の上にも表われていた。

と。つまり、

職員の子供達が、ハンカチ様の清潔なそれ専用の布で包んで来るのに対し、われわれ鉱員の子供達は、新聞紙か風呂敷でくるんで持って来るわけだが、学校に辿り着くまでに、鞄(リュックサック)の中ですっかり引っ繰り返り、汁まみれになっていることが多かった。その汚れと悪臭が染み付いてごわごわの風呂敷を、一週間も十日も洗いもせずに使用させるような、われわれ階層の生活文化レベルであった。

現代人がどんなに高性能のデジカメやパソコンを持っていても、想像力がないところでは何も再現(表現)できはしないのだということを如実に示しています。



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