| 翌朝、一寸先も見えなかったあれほどの雪はウソのように晴れ上がり、陽はさんさんと耀いて、それが雪に反射して目が痛かったほどです。 僕はひとり、三十数キロ離れた喜茂別町を目指して一メートル以上も雪をかぶった胆振線の線路上を歩き出しました。まぶしい雪の上を一歩一歩踏みしめ、物音ひとつしない、野山も畑も白一色に塗りこめられた世界を独り占めながら歩いていました。 すると寒別を過ぎたあたりで、後ろから声をかけてきた男がいました。君だったのです。 (弔辞「針山和美君のみ魂に捧ぐ」)
『小説・春山文雄と』もこの逸話から始まっていました。針山和美追悼号の中でも、この福島氏の弔辞と朽木氏の『針山和美の上京メモ』はいつまでも心に残っています。『小説・春山文雄と』序章にはいろいろな想いが籠もっていました。針山和美『三年間』の持つ意味をこれからも伝えて行きたい。
僕もやがて後から行くから、君の座っている隣の席を空けて待っていて欲しいと願っています。 それまで退屈するかもしれませんが、我慢して待っていてください。やがて仲間も僕も加わって、そっちで、にぎにぎしく人間像同人会をやろうではありませんか。 (同弔辞より)
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