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No.845 への▼返信フォームです。


▼ 「人間像」第91号 前半   引用
  あらや   ..2021/07/13(火) 13:48  No.845
  7月8日より第91号作業に入りました。現在。津田さち子『大和ばかの記(6)』、田川仁『冬の庭』、平木国夫『シドニー通信』、蛭子可於巣『流離の軌跡』までをライブラリーにアップ。これから、佐々木徳次『海辺の里』、古宇伸太郎『漂流(第6回)』に向かいます。

 旅するガンの隊列が仰がれた。突然一羽のオジロウワシが出現し、いきなりその群れを掠め、数度の襲撃を試みたあと、あきらめたように彼方へ飛び去った。算を乱していたガンはたちまち元の列に復し、なにごともなかったように竿になり、すぐ鉤にかわって遠くへ消えていった。
 由太郎は網走より釧路をめざす途中であったが、こうして墓標のかたわらに立ちながら、地方回りの一座に身を投じた己れの在り方を確かめ、いままでを改めて振り返る心境になっていた。
(蛭子可於巣「流離の軌跡」)

千田三四郎さんの〈乾咲次郎もの〉がいよいよ始まりましたね。ここから、昭和60年(1985年)7月発行『人間像別冊/落ち穂』まで、飛ばしたい。


 
▼ 「人間像」第91号 後半   引用
  あらや   ..2021/07/21(水) 18:54  No.846
   「ほい、いやンなもの降ってきた」と顔をしかめて「風邪はやってるとよ。舶来の悪いかぜだとよ。気イつけれやあ、稔。――そンだなア、山田町さ寄って、コタツでも探してくるかア」といった。
 登校には早めだったが、霰の街をみたいのでおもてへでた。だが、もう止んでいた。寒さが頬にぴりッとしみる。水たまりに薄氷が張って、足駄の朴歯をのせるとパリンとさわやかな音をたてた。三つ目の氷を破ったとき、うしろに下駄音がひびいた。コウちゃんだ。赤い毛糸の襟巻と手袋だ。頬にも寒さが赤い。笑顔だ。
 しかし、女子校の門は、家の向い小路を抜ければ、早い。こっちは、倍も遠まわりだ。
〈あッ、いっしょに行くつもりだ〉と感じて、あわてた。
(古宇伸太郎「漂流」第六回)

私、一応、小樽の在ですからね。稔とコウちゃんの動いている位置関係までイメージできます。この〈小樽〉、いいなあ。
「いやンなもの」の表現には、違星北斗の『志づく』冒頭、「悪いもの降りましたネイと挨拶する北海道の雪の朝方」を口ずさんでいました。

さて、第91号。今はラストの『ある文学徒集団の歴史』を進行中です。

 
▼ ある文学徒集団の歴史(2)   引用
  あらや   ..2021/07/26(月) 17:45  No.847
  本日、「人間像」第91号作業、完了。作業にかかった時間、「90時間/延べ日数16日間」。収録タイトル数は「1662作品」に。

◇今度は相談が一つ、それは前号で上沢君が正直な処を云った様に、毎号の原紙切りは全く時間の浪費だし、頁数が増せば増すほど、それは喜ばしい事だが、印刷する者にとってはたまらない苦痛である。それで次号特集号を契機として、孔版印刷所で刷りたいと思うのだが、どうだろう。
  (中略)
 針山にその決断を迫ったのは、巻頭に載せられた坂田雄二郎の大作「流漂」であったと想像する。それまでの創作15枚の枠を破ったこの作品は、実に35枚に及ぶ――その頃の私達にとって、これは文句なしの長篇大作であった――代物であった。これは前号の「同人通信」で針山が云い出した、枚数に制限なく思い切り書く――という案に応じられたものであったのだが、悲しいかな、作者はその創作の終章に「作者が弁解する章」を付け足さざるを得なかった作品であった。意余って力足らずに終ったのである。
(上沢祥昭「ある文学徒集団の歴史」/「道」第11号)

『流漂』か… イカれた文章を延々と手入力する日々、苦痛だったな。ホームページの作品検索システムはいつまで経っても出来上がって来ないし。人間像ライブラリー史の中でも結構落ち込んだ日々だったかもしれない。

 
▼ 馬頭観音   引用
  あらや   ..2021/07/26(月) 17:48  No.848
  さて、『流漂』じゃなくて、『漂流』。

■長いあいだ同人雑誌評を担当していた古宇伸太郎が胃潰瘍手術のため執筆不能となった。当分は休ませて頂くつもりである。退院後は創作に専念させたい。
(「人間像」第91号/編集後記)

「人間像」第92号は、「古宇伸太郎追悼特集号」です。瀬田氏もそうだったけれど、当時の医学では胃潰瘍の診断から胃癌手術まではあっと云う間の命ですね。

第92号作業に入る前に、先日北海道立図書館にて調べてきた「北方文藝」(北海道文藝協會,1941年)に載った古宇作品のライブラリー化を行う予定です。かねがね気になっていた『馬頭観音』も遂に読むことができて、これでやっと落ち着いた。

 
▼ 稚魚   引用
  あらや   ..2021/08/03(火) 17:52  No.849
  戦時中の昭和16〜17年に北海道文藝協會より発行された「北方文藝」から、以下の古宇伸太郎作品4編を人間像ライブラリーにアップしました。

■ 髭のすさび(北方文藝 第2号,1941年)
■ 稚魚(北方文藝 第3号,1941年)
■〈座談会〉北方の文化を語る(北方文藝 第4号,1942年)
■ 馬頭観音(北方文藝 第5号,1942年)

この内、『馬頭観音』は、若干の改稿を施されて1968年5月の「人間像」第79号に『旧街道点景』のタイトルで発表されています。『馬頭観音』の時、古宇氏は北海道にもう戻ってきていると思いますが、でも戦時下であることに変わりはありませんからね。『馬頭観音』の、作者の内面の荒みが生々しく私には響きました。
しかし今回の復刻でいちばん吃驚したのは『稚魚』でしょう。これ、「人間像」第86号(1970年10月)から始まる『漂流』の連載「第一回」部分に重なる小説だったんですね。だから『漂流』は、高度成長時代の著者64歳の時に書き始められた小説ではなく、戦時下の35歳の時にはすでにそのモチーフが発生していた小説だったんですね。明日から「人間像」第92号作業に入ります。絶筆となった『漂流』第七回の意味合いが俄然変わりました。



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