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Name: 福蔵
Date: 2007/04/13(金) 21:28
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Title: 今年の初詣で
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某神社での光景について忘れられず。。。 それは1月2日の午前、境内には3が日という事もあり 長蛇の列。ようやく私たちも手水舎の辺りに近づいた時 それを目撃してしまいました。 見た目小学校中・低学年の兄妹らしき子供2人が手水舎へ 水盤(というのでしょうか?勉強不足ですみません)の中で 手をバシャバシャと水遊び、その子たちの親は近寄りましたが、 注意もせずただ笑っているだけ・・・。
これだけでなく他に男性が柄杓で手水を掬い口を清めた後 なんと水盤へ吐き出しておりました! 世も末でしょうか?新年早々悲しくなりました。 と3ヶ月も前の話で失礼しました。
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Name: 禰宜
Date: 2007/04/14(土) 09:49
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Title: それは重大な問題です。
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福蔵 様
おはようございます。 ご指摘のような状況があったとすれば、それは重大な問題です。 「某神社」とありますが、それは私どもの神社の手水舎でしょうか。 もしも、そのような光景を見かけましたら、どうかすぐに社務所にお知らせください。ただちに対応いたします。
手水舎はいわば、小さくした”禊場”です。 手を洗うことで心を洗い、禊祓いとする場所なのです。 そういうところで、ご指摘のような状況があるのは本当に悲しいことというよりも強い憤りを感じます。 いつも人を配置して指導監視をすることはできません。 また、手水舎は自分の気持ちを整えると同時に、他の人のことを考える場所でもあります。 手水舎を汚すことは、お参りに来ている他の人の”祈りの心”に対する冒涜です。本当に悲しくなります。
何らかの対応を考えなければいけません。 それは私どもの神社の手水舎でのことでしょうか。 あるいは神社名をこの場に書くのははばかられるかも知れません。 どちらの”地域”の神社でのことか、お教え頂けると助かります。 神社の神職が集まって、いろいろな問題や課題を話し合う機会が定期的に開かれておりますので、そこでも対応課題として出してみたいと思います。
貴重なご指摘をありがとうございました。
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Name: 福蔵
Date: 2007/04/14(土) 16:23
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Title: Re:それは重大な問題です。
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禰宜様、誠に恐縮しております。 神社仏閣を参詣する作法と言ったら大変奥深いものがあり 恥ずかしながら私も勉強不足で本来の作法は存じませんが、 手水舎での行動くらいは親から教えてもらいました。 そんな最低限のマナー・常識を知らない人が実際居るものとは 呆れると同時に禰宜様の仰るとおり本当に憤りを感じました。
大変遺憾というか、神に対する冒涜に私も 注意をしようと向かおうとした際、連れに止められ 「今の世の中、逆ギレされて何されるかわからないから お止めなさい」と怒りをぐっと堪えてしまいました。 新年早々同じ参拝者に注意されて 快く思う人もいないし、逆ギレされて大勢の前でどうなるか・・・ とあの日色々考えてしまいました。。
幸い私は大変信仰心のある両親のお陰で、 親の神仏様に対する畏敬の念など、 幼い頃から折に触れて見ており、 私自身もこういう場面では厳粛な気持ちで 参拝させて頂いております。
(余談ですが、先日両親を連れて川越散策の際 妙齢のご婦人方の会話が耳に入りまして 「今度はランチ済ませてから七福神めぐりしません〜?」などと・・・参拝を観光と勘違いしてるな〜と親共々呆れました。 もはや信仰心のかけらもない人々なのでしょう。遊び感覚ですね。 食事は参拝を済ませてから、厳密に言えば参拝のみを 目的として他に立ち寄らず帰宅するのが本来の参拝なの ではないでしょうか。)(少々堅すぎますか・・・)
是非対応課題としてご提示下さい、来年の初詣にはこんな 光景を目の当たりにしたくないですので、 対策として、手水舎そばでどなたか交代で見張って 下さってると心強いです。 肝心のその神社は、大泉学園駅そばの「K神社」です。 何卒宜しくお取り計らい下さいませ。
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Name: 禰宜
Date: 2007/04/14(土) 17:29
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Title: Re:それは重大な問題です。
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福蔵 様
ご指摘をありがとうございました。 神職の会合がちょうど近々に開かれますので、その折に検討課題として話したいと思います。
おっしゃる通り、これは崇敬心の在り方の問題です。 手水舎の作法を知っているかどうか、ということだけではなく、 ”神社仏閣の参拝がどうあるべきか”という問題です。
手水の作法は、実は神社とお寺では少々違うようです。 神社は禊祓いを旨としますので、柄杓にじかに口をつけるということは遠慮するようにいたします。それは次の人への心遣いでもあります。 お寺の場合は、柄杓には直接口をつけるようにするのだ、と聞いたことがあります。これは他人と同じ器から水や食べ物を頂き、分け合うという”他人を信用する心”を持つということに通じるそうです。
両者に共通するのは、他人への心遣いは神仏への崇敬心に直結しているという心構えではないかと思います。 皆様がいつも、気持ちよく良いお参りが出来ますように、神職として今後も誠心誠意つとめて参りたいと思っております。
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