氷川神社なんでも掲示板

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  伊邪那岐と伊邪那美

[695] Mito
[700] 禰宜
[701] Mito

Name: Mito
Date: 2008/05/19(月) 09:48
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Title: 伊邪那岐と伊邪那美    
伊邪那岐と伊邪那美についてお聞きします。

神話の中で二柱の神についての記述を読んでいて疑問に思ったのですが、この夫婦神は今でも仲違いしたままなのでしょうか?

捨て台詞(?)として、伊邪那美は毎日千人の人を殺し、伊邪那岐は、ならば一日千五百人の子を生もう、と言い放ったとありますが、生と死と言う対極している事を夫婦の神が司っていると言う事に興味を覚えました。

また祓詞の中には、伊邪那美に会って穢れた伊邪那岐命が体を禊によって清めた事が書かれていますが、伊邪那美命を御祭神として祀る神社(もしくは家庭の神棚)でも奏上されているのでしょうか?

下世話ながら、「あなたに会って穢れた体を、こうして清めたのですよ」と言う事を本人に伝えているのでは?と…。

不勉強な者ですが、お教えいただけたらと思います。




Name: 禰宜
Date: 2008/05/21(水) 18:09
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Title: Re:伊邪那岐と伊邪那美    
Mito様、返信が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

ご質問の件、簡潔にまとめてらっしゃいますが実は物凄く奥が深いご質問ではないかと思います。ここでは、個人的な見解を申し述べさせて頂きますが、私個人がこれまで勉強をしてきたことと、私が学校で習ったこと・授業を担当した先生から受けた影響、私の周りに居る方たちとの意見交換の結果がどうしても表面に出てしまうと思いますので、その点はご了承下さい。きっとこういったことと言うのは、いろいろな角度からのご意見や意見・見解が絡むものではないかと考えます。

まず、前提条件として黄泉の国でのやりとりとその後に続くご質問が、「当該二柱の神様の間で確執を生み、仲たがいしている」ことを前提としているようにお見受け致します。

まず、黄泉の国でのやりとりですが
1.伊邪那岐命が黄泉の国まで追いかけて行ったのは何故なのか
2.伊邪那美命が怒ったのは何故なのか
3.黄泉比良坂での最後のやり取りで決別したのか
という3つの点がポイントになるのではないかと思います。まず、1についてですが・・・これは単純に伊邪那岐命が伊邪那美命にもう一度会いたくて仕方が無いという記述もありますので、素直に「愛情ゆえに」と考えて差し支えないと思います。では、2についてはどうでしょう。例えば、自分が病気等をして入院をしたような場合、沢山の医療器具を付けられて弱っているような状態の自分の姿を人に見られたくは無いのではないでしょうか。それが例え最愛の人であっても、です。勿論、これはその状況や人それぞれの性格もあるとは思いますが、この場合は素直に「見られたくない自分」というものがそこにあったと考えていいと思います。

では、3についてですが・・・・実はこれがとても深いところではないかと個人的には思います。最後のやりとりは、ここではあまり勘ぐらずに「普通の夫婦喧嘩」程度に考えてもとりあえずは良いと思います。問題は2柱の神様の間でされたやり取りではないかと思います。

極めて意見の相違を含み、簡単には修復が聞かない程度の確執を生んだやりとりと言うよりは、寧ろここでのやりとりは古事記を通じて最初から最後まで貫かれている大きなテーマの一つである「生死感」がここに現れているものであり、古事記の中でも最も重要なやりとりなのではないかと私は思っています。

古事記には幾つかの共通した法則が全編を通して見受けられます。例えば、それぞれのエピソードを具に見ていくと、必ず「良いこと」と「悪いこと」の数は同じなっています。最初に起こるのはどちらか決まっている訳ではありませんが、最終的には前述の2者の数は同じであり、且つ最後は「良いこと」で終わります。

それと同じように、全編を通して沢山の神々が生まれ・死んでゆきます。生と死は表裏一体であって、身近な「生」の喜びと身近な「死」の悲しみは“喜びの大きさ=死の悲しみ”で描かれているのではないかと思います。そこにあるのは、現代に生きる我々の感覚をそのまますっぽり当てはめても理解出来ないのではないかと思いますが、「生」と「死」は昔から確実にそこにあったわけで、それを受け入れて生活をしてきた昔の先人達の「生死感」を凝縮したセリフなのではないかなぁ・・・などどと考えています。
では、何故そこまでこの2柱の神様のやりとりを取り上げて私がこのような見解を申し上げているのかと言うと、神話において(引いては日本の歴史において)この2柱の神様が、この国の最初の夫婦であるからです。全ては国生み・神生みをお始めになったこの2柱の神様から始まっているからだと思います。したがいまして、結婚をして「家族」を持ち、夫婦として一緒に暮らし、共に日々の生活を営んでいた最初の神様が行ったやり取りだからこそそこに重みがある、と思います。

また、御祭神については伊邪那岐命がお祀りされている神社では、通常伊邪那美命が相神としてお祀りされています。片方のみというのは記憶にないのですが・・・・少しここについては調べてみたいと思います。

ちなみにですが、今のは古事記に基いてのお話ですが、日本書紀では(一書曰くとの一文が付きますが)黄泉の国でのやり取りも黄泉比良坂でのやりとりも毒々しくなく、2柱の神様はほぼ円満にその場を別れ、また2柱の神様の間に仲裁(?)に入る神様が登場したりもするのです(笑)。

穢れに関しては、一概に「あなたに会ったから」と単純に断定することも出来ないと思いますので、そのことも付け加えておきます。穢れが付くということは、「穢れたものを見た」「穢れた所に足を踏み入れた」「相手を傷つけてしまった」「相手に傷つけられた」等どれを取っても自分には穢れが付いた事になります。
伊邪那美命は亡くなっているのですから、黄泉の国にあって容姿が多少穢れたように見えるのは仕方の無いことでしょう。昔の人が行っていた現代で言うところのご葬儀にあたるようなもので「もがり」というものがあります。その辺の影響も有るのではないかと思います。したがいまして、「あなたに会ったから穢れた」と切り捨ててしまうような「穢れ」でないのではないかと、個人的には思います。

祝詞に関しては、変わることはあまりないと思います。以前、鹿児島に行った時に「ここが筑紫の日向の橘の阿波岐原だったという伝承があるんですよ」というお話を聞いたことがありましたが、その時に当社の宮司が「では、ここの氏神様の神主さんは“この所で禊祓いたまいし”と祝詞を読むのですか?」と聞いていました(笑)。そういう「ご当地」的な細かな違いがあることも或いは考えられますが、基本的にはどこでも同じ(特に祓い言葉のようなものは)なのではないかと思います。

いろいろ不勉強なものでまとまりが無くなってしまいましたが、個人的な見解を述べさせていただきました。とても奥の深い、いいご質問を頂いたと思います。何かご質問等ありましたら、回答できる範囲ではありますが(笑)、ご投稿下さい!

以上、です


Name: Mito
Date: 2008/05/24(土) 02:50
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Title: Re:伊邪那岐と伊邪那美    
禰宜様、丁寧にお答えいただきありがとうございます。

神話の中に書かれている様々な神様とは、当時の人の価値観から生まれたのだろうな〜と思ったりします。

現代のように科学が発達していない時代、物事の説明をするにあたり、『神様』と言う存在が適していたのかなと思います。(不適切な言葉かもしれませんが)

人知では計り知れない自然の力に対する畏敬の念であり、また、民衆の心を一つにする為に、権力の象徴またはそれの正当性としての大きな力であったのかなとも考えます。

それが現在まで受け継がれていると言う事は素晴らしい事であり、日本人と言う国民性の元になっているんだなと思います。

感謝する気持ちやもてなす気持ち、また、日本人独特の美意識のような物までもが神道から来ているのではないでしょうか?

専門的に勉強されている方には笑われるかも知れませんが、ここ何年か、日本の神様とは、と色々本などを読んで自分なりに感じた事を書かせてもらいました。

本当に奥が深く一朝一夕には修得出来ないと思います。

日々神様に手を合わせていますが、心の底から感謝する気持ちを持てるようになれば、その先に何かが見えてくるのかも知れません。

自分にはまだまだ邪念が多く、当分は無理そうですが…(笑)








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