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Name: はなすけ
Date: 2008/10/25(土) 12:37
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Title: 質問
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依然お世話になったことがあるものです。 ありがとうございました。
聞きづらいことなのですが、女性には生理があります。 やはりそういうときは神社へのお参りはご遠慮するべきでしょうか。 また神棚が自宅にある場合、私一人住まいなのですが、生理中は神棚のお世話も控えるべきですか? ご教授いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。
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Name: 禰宜
Date: 2008/10/25(土) 15:11
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Title: Re:質問
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はなすけ様こんにちは。
ご質問の件、お答えします。 この件に関しましては、もしかしたら私以外にも宮司や職員もレスを付けるかもしれません。ご自分で一番スッキリと納得できるものをご自身の回答としてもいいのではないかと思います。
まず最初に「非常に厳密に言うと遠慮すべきである」と言う人は結構いるのではないかと思います。はなすけ様のおっしゃったことは、実は昔から日本人が持っているとても大切な感覚なのです。 主に、「穢れ(けがれ)」としてよく言われるものの一つは“死”です。これは、触る・見る(写真等も含む)・近づく(お葬式等)何れでも穢れが付くとされています。もう一つは血です。これは全般的なものなので、怪我等も含みます。昔の人は血のことを隠語で“あせ(汗)”と言って、場所によっては口にすることも憚ることもあったようです。広い意味では、これに病気も含まれるかもしれません。
神社で最も大切にしなければいけないことの一つは“清浄”です。したがいまして、社殿の中は勿論境内はいつも奇麗にし、また病気の時やお葬式に行った日、怪我をしている時に社殿に上がることは基本的にはできません。神様の近くに穢れを運びこむことはご法度だからです。
このように神社においては、社殿(特に弊殿:ご祈祷を受ける人が座る場所=拝殿、神職が座る場所=大抵拝殿より少し高くなっている場所、弊殿)では徹底して穢れを排除しています。神職の下着は必ず白であることや白衣のように白いものを身に付けることは、清浄第一にしているからなのです。
しかしながら、神職(場合によっては巫女さんも)ではなく一般の方々であれば、私はそこまで厳密に禁則事項として考える必要はないと思っています。通常通りご社殿でご祈祷をお受けになったり、神棚のお世話をなさって頂いて構わないと思います。
こんな感じで回答になりますか? 疑問点等々、どうぞなんでもおっしゃって下さい。
とても貴重なご質問を有難うございました。
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Name: 宮司
Date: 2008/10/26(日) 07:49
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Title: Re:質問
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はなすけ様
おはようございます。 とても良いご質問をありがとうございます。
ご質問のお答えと致しましては、私も上記の禰宜のコメントに全く同様に考えております。 宮中の賢所には、現在もかつての斎宮や斎院のように潔斎を重ねた内掌典がお仕えしております。彼女らの生活はキリスト教での修道院を思わせます。 潔斎、身を清めることには非常に厳格です。 内掌典が生理になった場合は、神前に参り出ることは厳に禁じられております。生理とは言わず、「月のもの」と表現すると聞いたことがあります。 ただそれは賢所だからなのであって、普通の一般家庭においては全く支障はないとお考え頂いて良いと思います。
生理についての考え方や習慣は、実は出産と死亡、生き死に、つまり死生観にまで繋がっています。 神道の教学分野では、史学的な研究も含めてたくさんの論文が書かれています。民俗学でも研究対象になっています。
ご質問、ありがとうございました。
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Name: はなすけ
Date: 2008/10/29(水) 06:46
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Title: Re:質問
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宮司様 禰宜様
丁寧なお返事をいただきまして有難うございます。 やはり厳密にはそのようなことになるのですね。 参考にさせていただきます。
どうしてもその時期が一番、心の中がモヤモヤとして曇りがちなので、平常心を保ちたくて何かにすがりたい気持ちになるのですが、感覚的にお参りすることは避けておりました。 また、”穢れ”といものは見ることも含むことを知りませんでした。 怖いもの見たさと好奇心で、心霊写真や地方に伝わる祟り神の社や森の写真等ついつい見てしまいます。ふとその後に事故にあったことを思い出しました。次元の違う話かもしれませんが、ちょっと考えなくてはいけませんね。
ありがとうございました。
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Name: 醍醐
Date: 2010/01/08(金) 21:12
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Title: Re:質問
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「月のもの」が存在しなければ皆産まれて来ることは出来ないかと思います。 よって「生理を不浄や穢れ」と当てられるのはいかがなものかと思いますがね!
ちなみに男性の場合は、 「溜まっている状態=穢れ」 「畜産物を放出した状態=穢れ」 どちらでしょうかねw
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Name: 宮司
Date: 2010/01/10(日) 20:05
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Title: Re:質問
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「月のもの」は神道の祭祀に於いては”血の穢れ”であり、遠ざけられねばならないものです。
>「月のもの」が存在しなければ皆産まれて来ることは出来ない ・・・から、”穢れと考えるべきではない”という発想は妥当しません。
この女性の生理に関する事柄は、宗教学的にも心理学的にもひとつの研究課題になっていると思います。 また、女性の生理は月の動きとの関連は神秘的なものを感じさせもします。 人間の死生観に繋がっている研究課題であることは確かでありましょう。
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Name: 伊吹
Date: 2010/01/11(月) 10:32
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Title: 横から失礼します。
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>醍醐さん 「穢れ呼ばわり」に随分と御立腹の様子ですが。
”穢れ”は”気枯れ”だという説もありますね。 「不浄」ではなく、「身体が万全でなく力が漲っていない疲労した状態」。 言葉が違うのは、日本語の持つ柔軟性と変化スピードの早さを考えれば 不思議でも何でもありません。姑息な言い換えとは別物です。 女性の生理・出産も血穢(赤不浄)のカテゴリに入れられていますが、 それは「身体が万全に回復するまで、無理しないで身を休めなさい」 という意味も大きいのだと聞いたことがあります。 夏の酷暑や冬の酷寒の中で神社に参拝したり神前に奉仕したりすることは、 生理中や産前産後の女性の身には非常に負担をかける行為です。 栄養事情が良くなかった時代ならば、尚更でしょう。
そうした大事な状況にある女性の身を思い遣っての教えであると。 そう受け取ってはいかがでしょうか?
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