ロッジ山旅 掲示板&山行記

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 山旅サイトの更新と、今年最後のFM放送のこと    ..山旅     返信
      2024/12/26(木) 16:38  No.7236
 
 
クリスマスイブに恒例の店で木曜山行の忘年会をするつもりが、店の都合が悪くなって、もう他の会場を探すよりはと、ロッジで近所の6人だけでささやかに今年の慰労をした。

おとみ山がいなくなって、いよいよ寂しくなった木曜山行は、それでも30回弱は出かけていて、しかし登山というよりは、ますます山歩きの傾向が強い。

歩いた記録は、数カ月ごとにまとめてサイトにアップするのだが、今年はついに年末まで一度もアップしなかった。それと、おとみ山がらみの記録も、今年中にはアップしなければ区切りがつかないことおびただしい。とにかく締切がないと何もしないという悪癖はますます強くなっている。

そこで、2日間にわたってパソコンの前に陣取って(そこしか居場所はないのだが)、一気に作業した。

今年の木曜山行の記録はいつものところに、おとみ山関連は、「ロッジ山旅の山と人と本と絵」のコーナーに追加した。

https://yamatabi.info/tomita-book1.html

https://yamatabi.info/tomita20240424.html

去年の恵那の旅、そして、それを記録したフォトブックは、今になって思えば、間に合ったなあという感が強い。

今年最後のFM放送は、29日の月曜日、第5週にあたるので、以前の放送を再放送できるという。そこで、この5月に放送した、おとみ山追悼の回を再放送することにした。

9時と14時の2回です。懐かしい声を今一度お聴きください。



 海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅     返信
      2024/12/20(金) 08:07  No.7229
 
 
7月の北八ッ彷徨以来となるモリノブタさんが参加してくれるというので、知られざる地元の山を歩いてみようと思った。

ちょうど1年前、海岸寺山と源太ヶ城山を歩いた。体力的に楽で、歴史的な興味も湧き、もちろん誰と出会うこともない山である。このコース取りを我ながら気に入った。身近に見ている山でも、モリノブタさんにとっては初めてであろう。

海岸寺(浅川)峠への車道が新しくなっていくにつれ、参道の石段は分断され、今は登らずとも参拝できる。前回は、旧車道からの石段を登ったが、さらにその下にも石段が残っていて、これがおそそらくもっとも古いものかと思う。

その証拠には、石段の始まりの両側には、いったい樹齢何年だろうかという、おそらくツガだと思われる巨木が立っている。天然記念物級のこれらを観るだけでも価値があると思うが、すぐ横を車道で通過してしまう今では顧みる人もいない。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/20(金) 08:08  No.7230
 
 
うっすらと雪が積もった、人っ子ひとりいない海岸寺。鹿道を拾ってその裏山の海岸寺山に着くと小さな石祠がある。源太ヶ城山への林道は、もう久しく車が通らなくなって、落葉でふかふかになっている。

山の北側を歩くときには雲間に真っ白になった赤岳が見える。厳しい寒さで、そそくさと源太ヶ城山のふたつのコブを縦走し、打って変わって暖かいひだまりの林道で富士山を見ながら昼休みとした。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..鉄人M    
        2024/12/20(金) 19:09  No.7231
 
 
海岸寺峠から海岸寺山に登り、さらに東方の尾根を笠無まで辿ったことはあるのですが、源太ヶ城山は真逆の西方にあるのですよね…
私には未踏の峰で、今まで大変気になる存在でした。

「富士山を見ながら昼休み」だったとのことですが、八ヶ岳方面の展望は如何だったのでしょうか?

ロッジ山旅での夕餉のさい、机上に置かれる箸袋にフューチャーされた八ッの雄姿は、かつて、ぴんぼけやさんが撮影された作品と伺っております。

今でも果たして、このように見事なパノラマが得られるのかどうか…
ご教示いただけましたら幸いです。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/21(土) 08:38  No.7232
 
 
以前は、源太ヶ城山への道が山の北側へと切通しを越えるとき、八ヶ岳の大観が拝めたのですが、今では、落葉時こそ枝越しに見えはするものの、葉が茂っていたらほとんど見えないんではないでしょうか。

2005年2月、たわらさんや横浜YYさんたちと歩いたとき、たわらさんが撮ってくれた写真が今でもロッジ山旅の箸袋で使っている写真です。
https://yamatabi.info/tawara-20050212.html

ここからの八ヶ岳は赤岳が両脇に阿弥陀岳と横岳を従えて、王者の貫禄なんですよね。飯盛山からだと、阿弥陀が赤岳に隠されて画竜点睛を欠くわけです。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..鉄人M    
        2024/12/21(土) 11:10  No.7233
 
 
名場面のご開陳、ありがとうございます。

う〜ん、これぞ「失われた大観」ですね。
残念な限りです。
"赤"と"阿弥陀"の両雄並びは、まさに素晴らしい!!

添付写真は平沢山山頂ですが、確かにここからでも阿弥陀は見えず、画竜点睛を欠いてしまっています。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..森の豚    
        2024/12/21(土) 13:19  No.7234
 
 
久しぶりの木曜山行に少し少し興奮した。
今日の山はもちろん行ったことが無く、地図に名前も載っていない海岸寺の裏山との事。

海岸寺山は小さな祠がある目立たない山頂だが、源太ヶ城山は昔、のろし台があった山頂には、須玉町が作ったのろし台の架設跡があつた。今は壊れて廃棄されている。戦国時代には武田の家臣武士団が、佐久方面からの襲撃に備えて、狼煙を上げて甲府方面に知らせたと思うと、なんと良い立地だったのだろう。

ここからの冬の八ヶ岳連峰の眺めは最高だった。



 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/21(土) 17:24  No.7235
 
 
源太ヶ城山の烽火台が復元されたのは昭和62年ころだったようです。バブル期で予算があったのでしょうね。それから20年くらいは形をとどめておりましたが、今では残骸になっています。能書きが書かれた木柱も、半分くらいは判読ができませんが、かつて撮った写真ではまだ読めました。

「逸見冠者黒源太清光が築城したと伝えられ、その名がある。烽火台に用いられたといわれているが、山頂から西へ旭山砦、谷戸城、南に若神子城、北に浅川や平沢方面が一望でき、重要な中継点であったことがうなずける。武田氏の時代に活躍した津金衆は、この城のふもとにある古宮城(屋敷)を本拠とし、北辺を守る武士団として信州佐久郡あたりまで勢力をもっていた。遺構は双峰の山頂部に平坦部をもち、数段の帯郭がよく残っている。土塁はなく、須玉川左岸の崖をもって要害としている。」



 山と溪谷の1月号拝見しました。    ..二個の巣     返信
      2024/12/14(土) 13:13  No.7227
 
 
長沢氏の担当されている毛無山とか七面山は、山を一面的ではなく捉えていると思いますし、読者に伝わりやすいです。山渓の分県シリーズで山梨県の山々を歩いていますが、王岳からの下りなど、注意ポイントも的確なので安心して楽しんでいます。

 Re:山と溪谷の1月号拝見しました。    ..山旅    
        2024/12/14(土) 15:18  No.7228
 
 
ご購読ありがとうございます。

『山梨県の山』は11月に6刷が出たばかりです。

本誌のほうは、昨今は滅多に注文は来なくなって、この号は久しぶりでした。10座担当したのですが、書いたけれども、久しく登っていない山ばかりだなあと思いました。

https://www.yamakei.co.jp/products/2824901602.html



 「灯台下暗し」とはこの事。    ..やまんば     返信
      2024/12/13(金) 20:12  No.7224
 
 
近隣の低山歩きの折に,たびたび車で通り抜ける瀬戸の街。初めて街中に泊まって,歩いてあちらこちら歩くことで,改めてその歴史的背景や魅力に触れた感がありました。
日本の各地を飛び歩いてばかりいて,地元を知らなさ過ぎたことを実感させられました。
このような機会を設けて下さった長沢さんに感謝しています。
初日の猿投山は,ホームグラウンドのような山域ですが、近年は,体調が良い時にしか山頂には辿りつけていませんでした。この日も,山頂を目指す4方とは途中で一旦お別れして、S画伯と2人で別のルートをゆっくり徘徊しました。平安時代に栄えた、猿投古窯群のかすかな痕跡が残る場所を辿り,山麓の紅葉の遊歩道でスケッチを描かれる時間を取れました。そして、林道終点辺りで,山頂登頂組と目論見通り合流できたのでした。


 Re:「灯台下暗し」とはこの事。    ..山旅    
        2024/12/14(土) 08:07  No.7226
 
 
まったくですよね。ことに現代人は、遠くに出かけないと、旅をした気になれなくなっているのだと思います。自分の住処の半径1キロ以内だって知らないところばかりです。

それと、人間って、肉体が出せる速度以上では周囲がきちんと見えないんじゃないかと思うこともあります。車でしか通ったことのない道を歩いてみたとき、よく感じることです。

下のNさんが出してくれた写真、旅に行った全員が笑顔で並んで、良い写真ですが、これは、瀬戸市の観光案内ボランティアの人が、窯垣の前に並べと言って、Nさんのタブレットで写真を撮ってくれたんです。

ぴんぼけやさんが撮ってくれた、陶芸美術館への、とんでもなく長いエントランス通路や建物、どんだけ金を使ったんだろうと思わされました。



 晩秋の猿投山紅葉とS画伯    ..やまんば     返信
      2024/12/13(金) 20:25  No.7225
 
 
紅葉の中、S画伯









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