ロッジ山旅 掲示板&山行記

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 すがぬまみつこ様    ..二個の巣     返信
      2025/01/07(火) 10:44  No.7244
 
 
すがぬまみつこさんが教えておられたのは、御園小学校かと思います。
昭和50年頃に、旧校舎を豊橋の金子先生という理科教師が定年後に借りて(御園天文科学センター)となりました。隣接する3階の立派な新築校舎も平成に廃校化されました。現在は新旧校舎が美しい御園集落を仲良くも寂しそうに眺めています。
(御園天文科学センター)も平成に入った頃に所有者の他界で閉鎖されましたが、今は東栄町が御園小から少し離れた場所に(スターフォレスト御園)を新築して現在に至っています。
山のことはさっぱりですが、確かに御園集落を見守るような形の良い山がありますが、あれが神野山なんでしょうね。
ロッジ山旅様は、ステルラ(ギリシャ語で星の意味)の頃に、仲間と星空観察で利用させて頂きました。和気あいあいの素晴らしい宿でしたが、料理上手の奥様が体調を崩されて数年で閉業されました。
長々とお邪魔しました。



 Re:すがぬまみつこ様    ..山旅    
        2025/01/07(火) 11:50  No.7245
 
 
ロッジ山旅の建物を使っているのは私たちが3代目で、私たちの前までは「ステルラ」という名前の天文ペンションだったのでした。それで、今では中身が空っぽで無用の長物となった天文台が残っているわけです。

天文がらみで御園あたりにもお詳しいのですね。私たちは22年の5月に訪れました。廃校の御園小学校で、すがぬま先生の訓示を受けました。



 FM八ヶ岳 山と森と旅と すがぬまみつこさんをお迎えして    ..山旅     返信
      2025/01/05(日) 09:27  No.7241
 
 
明日月曜日が今年最初の放送です。

今回は、2月に展覧会を控えているすがぬまみつこさんをゲストにお送りします。

日本山岳会のスケッチクラブ主催の「第34回 山好きの山の絵展」が、東京交通会館で開催され、同時にすがぬまさんの展覧会が別室にて開催されます。

皆さま、こぞってお出かけください。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と すがぬまみつこさんをお迎えして    ..鉄人M    
        2025/01/06(月) 19:04  No.7242
 
 
すがぬまさんが見事に朗読された、自作の『ふるさとの山 神野山』を私、まさに心がす〜っと洗われる想いで拝聴しました。

"私を「せんせい」と呼ぶのは、二年生と三年生の複式学級の13人。赤いほっぺの子どもたち。今朝吉さん、君代さん……"

傍らで一緒に聴いていた妻は、まるで『二十四の瞳』みたい…と心底感動していましたが、すがぬまさんは"二十六の瞳"だったのですね。

そして、バックに流れていたのが(私も大好きな)宮沢賢治作の「星めぐりの歌」…
童話『双子の星』にも登場していました。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ
……

さて、来月に東京交通会館エメラルドルームで開催される個展「山の絵本」展では、50点を超える今までのご力作が揃って展示されるとのこと。
「会場は、例えば本屋さんのような、ブックカフェのような空間にしたい…」
「そこで一つ一つ絵を眺め、本のページをめくる思いで楽しんでいただけたら…」
と、すがぬまさんは仰っています。

作品が見事にレイアウトされた会場で、久しぶりにお会い出来ますことを、本当に心待ちに、楽しみにしております。


 Re:FM八ヶ岳 山と森と旅と すがぬまみつこさんをお迎えして    ..山旅    
        2025/01/07(火) 09:23  No.7243
 
 
毎度のご聴取ありがとうございます。

今回は無理を言って、すがぬまさんに自作の朗読をお願いして、それがとても良かったと思います。朗読のバックに藤原真理さん演奏の「星めぐりの歌」を流してもらったのですが、これもアーカイブになると著作権があって削られる由。そこで、ぜひ今月中の放送でお楽しみいただきたいと思います。



 謹賀新年    ..山旅     返信
      2025/01/01(水) 08:06  No.7237
 
 
本年もよろしくお願いします。

 Re:謹賀新年 元日の八ヶ岳    ..山旅    
        2025/01/01(水) 17:09  No.7238
 
 
絵に描いたような晴天の元日、船形神社へ恒例の初詣を済ませ、さて次は八ヶ岳の展望が良さそうなところへ行ってみようと考えて、藤岡神社の裏側の伐採地を思い出した。去年がんこ山に登ったときに通って、ここはからはきっと八ヶ岳がすばらしいだろうと思ったが、その日はあいにく雲の中だったのである。

今では滅多に人の訪れはなさそうな藤岡神社への石段の途中には、さすがに新年だけあって真白い紙垂が下がっていた。もっとも境内には誰もいない。

参拝を済ませ、裏手の伐採地に行ってみると、平和な津金集落を眼下に、想像どおりのすばらしい八ヶ岳を望むことができた。大晦日は風花が舞うような天気だったから、岳は新雪が降ったのだろう。

この風景も植林が育つまでなので、今のうちに楽しんでおくべきかと思う。


 Re:謹賀新年 元日の八ヶ岳    ..鉄人M    
        2025/01/01(水) 21:01  No.7239
 
 
つつがなき新年を迎えた折、みなさま方の変わらぬご健勝を、東都の陋巷よりお祈りしております。

長沢さん、藤岡神社裏手伐採地からの八ヶ岳の眺望は「素晴らしい」のひと言ですね。
赤岳と相並んで、阿弥陀岳の雄姿をも望めるのが何よりです。
まさしく、「こいつは春から縁起がいい…」

当方からは、(本日撮影したわけではないのですが…)岩殿山山頂から望む冬富士をお見せいたします。
ご笑覧ください。

本年も相変わることなく、よろしくお願いいたします。


 Re:謹賀新年 元日の八ヶ岳    ..山旅    
        2025/01/02(木) 08:16  No.7240
 
 
おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

東京も、おそらく大都会らしい新年を迎えていることだと思います。私も、都会で生まれ育ったので、世間の活動が一時停止したような正月特有の静けさを覚えています。もっとも、今ではどうでしょうか。

津金からの八ヶ岳は、先般の源太ヶ城山から見る角度とほぼ同じで、八ヶ岳高原大橋からともほとんど同じなんです。ただ、八ヶ岳高原大橋からだと、横岳が牛首山あたりにほぼ隠れてしまうのが残念です。それと、この角度からだと、編笠山が頭を出すのもいいところだと思います。

ちなみに、津金というところは、山梨県の人里から仙丈岳をすっきりと眺められる、ほとんど唯一の場所なんですよ。ま、そんなことを考えている人はあまりいないかもしれませんが。



 山旅サイトの更新と、今年最後のFM放送のこと    ..山旅     返信
      2024/12/26(木) 16:38  No.7236
 
 
クリスマスイブに恒例の店で木曜山行の忘年会をするつもりが、店の都合が悪くなって、もう他の会場を探すよりはと、ロッジで近所の6人だけでささやかに今年の慰労をした。

おとみ山がいなくなって、いよいよ寂しくなった木曜山行は、それでも30回弱は出かけていて、しかし登山というよりは、ますます山歩きの傾向が強い。

歩いた記録は、数カ月ごとにまとめてサイトにアップするのだが、今年はついに年末まで一度もアップしなかった。それと、おとみ山がらみの記録も、今年中にはアップしなければ区切りがつかないことおびただしい。とにかく締切がないと何もしないという悪癖はますます強くなっている。

そこで、2日間にわたってパソコンの前に陣取って(そこしか居場所はないのだが)、一気に作業した。

今年の木曜山行の記録はいつものところに、おとみ山関連は、「ロッジ山旅の山と人と本と絵」のコーナーに追加した。

https://yamatabi.info/tomita-book1.html

https://yamatabi.info/tomita20240424.html

去年の恵那の旅、そして、それを記録したフォトブックは、今になって思えば、間に合ったなあという感が強い。

今年最後のFM放送は、29日の月曜日、第5週にあたるので、以前の放送を再放送できるという。そこで、この5月に放送した、おとみ山追悼の回を再放送することにした。

9時と14時の2回です。懐かしい声を今一度お聴きください。



 海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅     返信
      2024/12/20(金) 08:07  No.7229
 
 
7月の北八ッ彷徨以来となるモリノブタさんが参加してくれるというので、知られざる地元の山を歩いてみようと思った。

ちょうど1年前、海岸寺山と源太ヶ城山を歩いた。体力的に楽で、歴史的な興味も湧き、もちろん誰と出会うこともない山である。このコース取りを我ながら気に入った。身近に見ている山でも、モリノブタさんにとっては初めてであろう。

海岸寺(浅川)峠への車道が新しくなっていくにつれ、参道の石段は分断され、今は登らずとも参拝できる。前回は、旧車道からの石段を登ったが、さらにその下にも石段が残っていて、これがおそそらくもっとも古いものかと思う。

その証拠には、石段の始まりの両側には、いったい樹齢何年だろうかという、おそらくツガだと思われる巨木が立っている。天然記念物級のこれらを観るだけでも価値があると思うが、すぐ横を車道で通過してしまう今では顧みる人もいない。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/20(金) 08:08  No.7230
 
 
うっすらと雪が積もった、人っ子ひとりいない海岸寺。鹿道を拾ってその裏山の海岸寺山に着くと小さな石祠がある。源太ヶ城山への林道は、もう久しく車が通らなくなって、落葉でふかふかになっている。

山の北側を歩くときには雲間に真っ白になった赤岳が見える。厳しい寒さで、そそくさと源太ヶ城山のふたつのコブを縦走し、打って変わって暖かいひだまりの林道で富士山を見ながら昼休みとした。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..鉄人M    
        2024/12/20(金) 19:09  No.7231
 
 
海岸寺峠から海岸寺山に登り、さらに東方の尾根を笠無まで辿ったことはあるのですが、源太ヶ城山は真逆の西方にあるのですよね…
私には未踏の峰で、今まで大変気になる存在でした。

「富士山を見ながら昼休み」だったとのことですが、八ヶ岳方面の展望は如何だったのでしょうか?

ロッジ山旅での夕餉のさい、机上に置かれる箸袋にフューチャーされた八ッの雄姿は、かつて、ぴんぼけやさんが撮影された作品と伺っております。

今でも果たして、このように見事なパノラマが得られるのかどうか…
ご教示いただけましたら幸いです。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/21(土) 08:38  No.7232
 
 
以前は、源太ヶ城山への道が山の北側へと切通しを越えるとき、八ヶ岳の大観が拝めたのですが、今では、落葉時こそ枝越しに見えはするものの、葉が茂っていたらほとんど見えないんではないでしょうか。

2005年2月、たわらさんや横浜YYさんたちと歩いたとき、たわらさんが撮ってくれた写真が今でもロッジ山旅の箸袋で使っている写真です。
https://yamatabi.info/tawara-20050212.html

ここからの八ヶ岳は赤岳が両脇に阿弥陀岳と横岳を従えて、王者の貫禄なんですよね。飯盛山からだと、阿弥陀が赤岳に隠されて画竜点睛を欠くわけです。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..鉄人M    
        2024/12/21(土) 11:10  No.7233
 
 
名場面のご開陳、ありがとうございます。

う〜ん、これぞ「失われた大観」ですね。
残念な限りです。
"赤"と"阿弥陀"の両雄並びは、まさに素晴らしい!!

添付写真は平沢山山頂ですが、確かにここからでも阿弥陀は見えず、画竜点睛を欠いてしまっています。


 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..森の豚    
        2024/12/21(土) 13:19  No.7234
 
 
久しぶりの木曜山行に少し少し興奮した。
今日の山はもちろん行ったことが無く、地図に名前も載っていない海岸寺の裏山との事。

海岸寺山は小さな祠がある目立たない山頂だが、源太ヶ城山は昔、のろし台があった山頂には、須玉町が作ったのろし台の架設跡があつた。今は壊れて廃棄されている。戦国時代には武田の家臣武士団が、佐久方面からの襲撃に備えて、狼煙を上げて甲府方面に知らせたと思うと、なんと良い立地だったのだろう。

ここからの冬の八ヶ岳連峰の眺めは最高だった。



 Re:海岸寺山から源太ヶ城山へ    ..山旅    
        2024/12/21(土) 17:24  No.7235
 
 
源太ヶ城山の烽火台が復元されたのは昭和62年ころだったようです。バブル期で予算があったのでしょうね。それから20年くらいは形をとどめておりましたが、今では残骸になっています。能書きが書かれた木柱も、半分くらいは判読ができませんが、かつて撮った写真ではまだ読めました。

「逸見冠者黒源太清光が築城したと伝えられ、その名がある。烽火台に用いられたといわれているが、山頂から西へ旭山砦、谷戸城、南に若神子城、北に浅川や平沢方面が一望でき、重要な中継点であったことがうなずける。武田氏の時代に活躍した津金衆は、この城のふもとにある古宮城(屋敷)を本拠とし、北辺を守る武士団として信州佐久郡あたりまで勢力をもっていた。遺構は双峰の山頂部に平坦部をもち、数段の帯郭がよく残っている。土塁はなく、須玉川左岸の崖をもって要害としている。」










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