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一昨年9月のリベンジという意味合いももあってか、今回の師匠のお膳立ては、いつもの山中独占漫歩に止まらず、この日が車シャットアウト最終日というビーナスラインまで、三人貸し切りで歩けるという贅沢三昧。
ご老体を引き連れての山歩きということで、最近はプラスアルファの楽しみを、採り入れてくれる師匠の配慮とサービスによって、歴史散歩の趣が多くなり、脳の腐敗が進行しつつある、ご老体の知的好奇心を刺激して貰えることが有難く、嬉しい。
明治維新直前、水戸老浪士x松本諏訪連合軍の激戦地跡の浪人塚は、公園風に整備され、桜も咲いていて好ましい風情でしたが、一番興味をそそられたのは、「和田嶺トンネル」入口側壁にあった、エスペラント語の碑文でした。(写真参照)
昭和8年に完成したこのトンネルは、自分より先輩。当時流行し、柳田国男・新渡戸稲造・宮沢賢治・井上ひさしなども勉強したというエスペラント語。北杜市にも小荒間に確かエスペラント協会がありました(多分現存?)…が、万国共通語になることもなく、いつしか絶滅危惧種になってしまったようですね。
最後は旧中山道の山道を下り、約30年前に会社の山仲間と、2年かけて日本橋から京都三条大橋まで530`余を歩きつないだことを、懐かしく思い出しました。この道は通らず、和田峠から、未整備状態の急なガラガラ道を、下諏訪に向けて下ったような気がします。古道は何本も錯綜したり、整備も進み変化して行くようですが、皇女和宮ご降嫁の大行列は果たしてどこを?
最後に出会った、巨木と共生するが如き、牛頭天王の大きな石碑も素晴らしい遺物でした。 さてお次は?……今回、反対側から随分小じんまりしているなと感じながら、まじかに眺めた鷲ヶ峰界隈の山を徘徊して、福を得たいものです。
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