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読書日記―4 [ RES ]
クマジィ 2026/01/20(火) 05:08
.gif / 2.3KB 年末年始の日の出は6:51と長く続いていたが、15日(木)には6:50となり、1日1分の割合で日の出時刻が早くなる。今日までが日中の気温は二桁台の予報だったが、明日からは一桁台まで下がると言う。この寒さを節分まで何とか我慢すれば春の日差しも近づいてくることだろう。あとひと月半、寒さをこらえて頑張ろうかな。

●藤沢 周平著:「用心棒日月抄/刺客」 新潮文庫

【お家乗っ取りを策謀する黒幕のもとから、五人の刺客が江戸に放たれた。家中屋敷の奥まで忍びこんで、藩士の非違をさぐる陰の集団「嗅足組」を抹殺するためにである。身を挺して危難を救ってくれた女頭領佐知の命が危いと知った青江又八郎は三度び脱藩、用心棒稼業を続けながら、敵と対決するが…。好漢又八郎の凄絶な闘いと、佐知との交情を描く、代表作『用心棒シリーズ』―本の紹介より―第三編。】

共通試験2日目の18日(日)、朝1時間ほど清掃作業のあとは用務員室で待機、職員からの呼び出しが無い限りやることはない。同僚は眠っている傍で私はインスタントコーヒーを飲みながら読書に耽る。読書に飽きれば居眠り・・・お陰で250頁余りを読むことが出来た。遅読が自慢の私も小説の6割も読むことが出来た。

初期の頃の藤沢作品は暗い作品が多いと言われていたが、この用心棒シリーズから明るさが際立ってきたと良く言われている。確かに用心棒の相方である細谷源太夫や口入れや(職業紹介)の相模屋吉蔵などとの交流が実に面白い。
私が藤沢作品に惹かれるのは何といっても自然描写が素晴らしいというところに尽きる。造園家であることも関係しているし、ふるさとも一緒だというところもあるのかも知れない。小流れとか、木枯らしとか、木漏れ日とか読んでいて勉強にもなる。
シリーズも最後の4冊目、あと1冊かという寂しさが残る。【20260120(火)】


町会の新年会・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/19(月) 02:49
.gif / 2.9KB 昨日は大学の共通試験2日目、スキーから帰ってきた翌日(日曜日)でもあったが出勤日となった。8時から17時まで普段より1時間長い拘束時間だったが、朝の1時間だけフィールド作業をしただけで、あとは用務員室で待機。やることと言えば職員が待機している場所に置いてある石油ストーブの灯油とヤカンの水の残量をチェックするぐらいで、他にやることが無く、居眠りと読書とインスタントコーヒーを飲むぐらいで怠惰な時間を過ごしていた。

今日も出勤日だが、帰宅し午後7時から私が住む町会の新年会が行われる。
代官山から恵比寿に引っ越してもう40年、多分亡くなるまでここに住み続けることになるだろう。サラリーマン生活と同じぐらい恵比寿に住みついている。
駅に近く高台で病院にも近く、それと地元にも馴染み、顔見知りも多く、よそ者の私には過ぎた街でもある。
以前には渋谷(徒歩20分、電車で1駅)まで出かけねばならない場面もあったが現在は殆どの物が恵比寿で用が足せるようになったのは大きい。

私がズーっと言って来た「いいまち」の条件として、「旨い珈琲を飲ませる店がある」ことと「本屋さんがあるまち」の2つを上げて来た。代官山から引っ越してきた当初にはその条件に当てはまらなかったのだが、恵比寿ガーデンプレイスが1994年に開業してからは街の様子がガラリと変貌を遂げた。
新年会の場所はドクダミ荘から徒歩3分、2階に上がったイタリアンを借り切っての新年会である。この店も当然、町会の会員でもある。楽しみ〜(笑)【20260119(月)】


無事帰還・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/18(日) 06:22
.gif / 2.3KB 夕べ新潟県の湯沢パークスキー場より無事帰還することが出来た。
こういう言葉を真面目に使わなければならなくなったことは、いかにスキーでの怪我が心配していたかということである。
これまでスキーで怪我したことはあったが、スキーに出かける前から怪我を心配したことなどなかったから無事帰還出来たことが自分自身にとっていかに重要なことであったかということである。

初日(16日・土)の天気予報は雨だったのだが、滑るころには雨も止み、快晴無風で春スキーのような天気に恵まれた。午後2時過ぎころから曇り出し再び小雨になったがラッキーな初日だった。2日目(昨日)、ちょっと冷えてピステ(圧雪車)が入ってゲレンデは整備されたが、アイスバーンで苦労した。がそこは標高の低いスキー場、10時ごろからはバーンも滑りやすくなり、また青空も見え始めランチ抜きで4時間ほど滑り、今シーズンの初滑りを無事終えることが出来た。
2シーズン振りに板をチューンして貰ったお陰で良く滑るし、滑りすぎて怪我は心配
だったが、その心配も杞憂に終わった。

今回の参加者は男女合わせて16名でうち2名はスノボ、私とツアーを主宰したリゾートバイトの二人以外はレンタルスキー、スノボだった。いまはブーツも板も昔とは違っていいアイテムが揃っていて、着替えさえ持って行けば簡単にスキー&スノボが出来ると言う、便利な世の中になった。初日は貸し切り状態だったが昨日はさすが土曜日ということもあって、昼頃から徐々にゲレンデにも活気が戻っていた。
次回はアイスバーンだけは勘弁して欲しいと思うものの、こればっかりはどうしようもない。さて本日は日曜日だが、共通試験のため出勤となった。【20260118(日)】


読書日記―3 [ RES ]
クマジィ 2026/01/16(金) 05:27
.gif / 2.3KB 今シーズン初めてのスキーに出かける。
場所は越後湯沢にある湯沢パークスキー場、ここに通って随分と長いことになる。
駅から送迎バス10分ほどで到着、ホテルの目の前がゲレンデとなっていて、急斜面は1コースのみでレッスン向きのゲレンデが広がる。雪質はまあまあ・・・少し足を延ばせば舞子スキー場、標高も湯沢より高く雪質もいいが便利さでこちらに行くことにした。友人がリゾートバイトで今シーズン一杯勤務している。


●藤沢 周平著:「用心棒日月抄/孤剣」 新潮文庫

【藩主毒殺の陰謀の証拠書類をもって姿を消した恐るべき剣鬼がいる。藩取り潰しを目論み、公儀隠密も暗躍する。お家の危機を救うべく、密命を帯びて青江又八郎ふたたび脱藩、江戸へ。頼むは身一つ剣一つ。用心棒稼業に糊口をしのぐ又八郎を待ち受ける三つどもえの死闘。―本の紹介より―】

前作で無事に故郷へ戻った青江又八郎。ところが、藩の危機を救えということで、再び江戸に脱藩の形で送られた。用心棒稼業に慣れたのもあってか、また友人となった細谷源田夫やくノ一の佐知にも助けられ密命を全うする。
解説には「ほんの少しのユーモアの効果を生む描法を縦横に駆使することによって、用心棒シリーズは端正であり軽快、緊張を秘めつつのびやかという、まれな美質をえることになる。剣客小説特有の緊迫感にひたされつつ、同時に個々のほぐれる思いを味わうという、そうざらにない贅沢を楽しませて貰えることになった」まさにその通りとだと思う。

本日より1泊2日の旅に出る。(笑)
3作目を持参して新幹線で珈琲でも飲みながらじっくり楽しませて貰おう。・・・ということで明日のなんちゃってコラムはお休みします。【20260116(金)】


村上の鮭・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/15(木) 03:00
.gif / 2.3KB 我が家は毎日新聞を購読している。
その紙面に「美食・地質学」というコーナーがあって、地方の名所や名物などの特集が組んであり、それを読むのが楽しみ。1月6日(火)の紙面に新潟県村上市の“塩引きサケ」が特集されていた。
実はこの村上市には1989年の第3回となるトライアスロン大会に初出場、以後選手としては9回連続、チームの監督として5、6年応援に回り、お世話になった地元の関係者とは現在も親交を保っている。

村上市で獲れるサケは旧くは平安時代、朝廷に献上された記録が残っていると言われ、江戸時代、乱獲で漁獲量が減った時、青砥武平治という藩士が三面川から引いた「種川の制」を考え出し、村上藩の財政をサケが担ったという解説がなされていた。
市内には日本で最初の鮭の博物館「イヨボヤ会館」を訪ねて食事をしたこともあった。「イヨボヤ」とは村上地方では、イヨとは魚(ウオ)が転訛したもので、ボヤも魚の事を方言で呼んでいたという事らしい。

トライアスロンで親交を温めることになった一つに佐藤鮮魚店さんがある。
鮮魚店ということから土産を持って訪ねると、普通の鮮魚店かと思いきやそこはフォークリフトなどが走り回る大きな魚の卸店だったのには驚いた。正月には佐藤さんにお願いしてお世話になっている方に塩引き鮭を正月になると送っている。元気なうちに再び村上市を訪ねたい。【29260114(水)】


スキーの日(3)・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/14(水) 06:27
.gif / 2.3KB 東京上野から山交バス(現(株)ヤマコー)樹氷号で蔵王に向かい、一番の蔵王ケーブルで中央ゲレンデから蔵王山荘に落ち着くというものだった。
当時の山荘の食事は盛りが良い上に実に旨かった。風呂場も湯舟も大きく、雪のちらつくドッコ沼を眺めながらの風呂は格別だった。夕飯は鍋が多く、仲間と突っつきながら食べる鍋は疲れた体に良く染み渡った。

蔵王山荘からホテルに改修されたのはバブル最盛期の1989年だった。
ホテルになってからの食事は、品数は多いが味は山荘の味の方がはるかに良かった。そんなこともあり、御徒町にあるキムチ専門店からキムチを買っていき、良くキムチ鍋にして食べた。また当時は小学館から雑誌「極楽スキー」の発刊や映画「私をスキーに連れて行って」の流行もあってスキー客は多く、蔵王には160万人のスキー客(その殆どが日本人)が訪れ、リフトやケーブルにも長蛇の列が出来「スキーを踏んだ、割り込むな」という言い合いが行われるのも日常茶飯事だった。1990年からバブルが崩壊すると一気にスキー客は減少、平成の大合併なども影響し、廃業するスキー場が増えていった。

白洲次郎が建てたヒュッテ・ヤレンのプロジェクトで蔵王に訪れたころ、上ノ台ゲレンデで滑っているスキーヤーは数えるほどしかいなかった。最近はインバウンドのスキーヤーも増え、40万人ほどに増えているようだが、その数は前年よりも増えたというもので、ニセコバブルのようになるまでにはいっていないというのが実情のようだ。これから日本人スキーヤーが増えることなど考えられない。【20260114(水)】


スキーの日(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/13(火) 03:03
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蔵王スキー場で滑るようになったのは確か二十歳の頃だったと記憶している。宿は中央ゲレンデにある三五郎小屋の屋根裏(ロフト)の板張りで普段は布団部屋に使われていたと思う。外観を眺めると三角形にあたる場所だった。現在、所有者は変わってしまったが・・・写真は居候していたころの三五郎小屋。

友人のイシカワ君と居候、イシカワ君は厨房、私は食堂のカウンターで珈琲やお汁粉などの担当だった。日中は滑らせて貰い、夕食後の片づけや翌日の朝食の準備などを従業員と一緒にやっていた。
滑っているときにやたらと上手いスキーヤーがいたのでリフトで一緒になったときに声をかけてみたら近くにあった蔵王山荘(のちに蔵王高原国際ホテルに建て替えたが、バブル後に廃業)のお客さんを個人的に教えていると言う、一匹オオカミ的プロスキーヤー、ヤスさんこと鈴木康容(やすかた)プロだった。
教えて欲しいと懇願すると快諾して貰い、時間を見つけてはイシカワ君と特訓して貰った。鳥兜ゲレンデの急斜面をジャンプウエーデルン(急斜面ジャンピング小回り、またはジャンピングショートターンとでも呼ぶのだろうか)で滑り降りる姿にほれぼれした。この技術を習得するため、アルバイトの子に早朝に起こして貰い、板を担いで斜面を登り練習したのを今でもはっきり覚えている。

午後3時以降は上ノ台(うわのだい)ゲレンデに滑り下り、SAJのコーチ連中が滑っているゲレンデに割り込み、一緒に滑った。滑り終わると蔵王ケーブル前のシャモニーに寄ってチーズケーキを食べ、珈琲を飲んで最終ケーブルで山荘に帰ると言う日が続いた。個人的にはシャモニーが蔵王の飲食店の中では一番洒落た店だった。【20260113(火)】


スキーの日・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/12(月) 08:23
.gif / 2.3KB いつからこの日を「とスキーの日」になったか調べてみると、「1911年のこの日、新潟県上越市において、オーストリア=ハンガリー帝国軍のテオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐が日本に初めてスキーを伝えたことが由来らしく、制定されたのは1994年とのこと」と出ていた。
私が本格的にスキー始めたのが21歳だったから、私から言えばつい最近のことになる。レルヒ少佐のことは高校生のころには知っていたような気がする。

私の周りでスキーをやっている人は殆どと言っていいほど居なくなった。
5年ほど前、逗子駅前でダイニングバーを営む友人から「スキーをやりたいんだけど、教えてくれない。カービングスキーを履くのは初めてだから、正直怖いんだよ」という電話を貰った。むかし友人と湯沢パークスキー場で滑っていたこと、東京からも近いことから彼の店で働く女性2人を入れて3月の始め4人で日帰りスキーに出かけた。

女性2人はスノボだったこともあり、マンツーマンで一緒に滑ったところ、さすが昔スノボが上手かったこともあり、呑み込みが早かった。それからは毎年オーナーの友人やらお客さんで1泊2日のスキー行は10名から15名に膨れ上がり、ほとんどがスキーを滑り出した。“スキー命”を生きがいにしている私にとっては嬉しい限りのことである。その彼がスキー場のホテルで12月中旬から3月一杯、リゾートバイトをしながら滑りこんでいる。かなり上達したらしい。週末一緒に滑れることを楽しみにしている。シーハイル!!旧いなぁ〜(笑) 【20260112(月)】


読書日記―2 [ RES ]
クマジィ 2026/01/11(日) 07:13
.gif / 2.3KB 本日は3勤1休のため、早朝ウオーキングは休み、久しぶりに10時間近い睡眠で心身ともにリフレッシュ。夕べは珍しく仕事帰りに後輩と恵比寿の魚食堂で飲食を共にする。
今日は新潟県湯沢スキー場にあるホテルにスキーを送らないといけない。
それ以外にもやることが多いのだが、読書、都道府県対抗駅伝、ラグビー早明戦、高校女子サッカーなど観戦する番組が実に多い。(笑)

●藤沢 周平著:「用心棒日月抄」 新潮文庫

【家の事情にわが身の事情、用心棒の赴くところ、ドラマがある。青江又八郎は二十六歳、故あって人を斬り脱藩、国許からの刺客に追われながらの用心棒稼業。だが、巷間を騒がす赤穂浪人の隠れた動きが活発になるにつれて、請負う仕事はなぜか、浅野・吉良両家の争いの周辺に……。江戸の庶民の哀歓を映しながら、同時代人から見た「忠臣蔵」の実相を鮮やかに捉えた、連作時代小説。―本の紹介より―】

久し振りの藤沢作品、やっぱり面白い。
我がふるさと庄内藩(山形県鶴岡市)を舞台に繰り広げられる時代小説。
主人公の青江又八郎はある事情で故郷を追われて単身江戸に逃れる。その江戸で青江は用心棒稼業で日々をしのぎながら、陰謀を企む国許(くにもと)の家老から次々と派遣される討っ手と闘い、その合間に用心棒稼業の相棒細谷源太夫と軽妙かつ親密な交わりを結ぶ。やがてこの2人は折からの赤穂浪士の仇討ち事件に間接ながらかかわってゆくのだが、この赤穂浪士の仇討ちに青江の江戸で生きる姿が上手く重なっていくところが実に面白く、こういうところに藤沢周平の時代を見る目が鋭いのではないだろうか。4作のうちの1作読了!【20260111(日)】


定期健診・・・ [ RES ]
クマジィ 2026/01/10(土) 03:02
.gif / 3.7KB 昨日、仕事が休みだったのを利用し、心房細動(不整脈)の2ヶ月に一度の定期検診に徒歩5分ほどの厚生病院に出かけた。
検診する内容は大体決まっていて、採血、心電図、そして循環器の先生による問診だけなのだが、2ヶ月に一度、肝機能や糖尿、貧血などを調べるため、昨日は5本の採血をして貰った。

結果はいずれも問題なく、心電図の結果も不整脈はあるもののこれまでと変わらず安定しているので、ワーファリン(血をサラサラする錠剤)はこれまでと同じ量を処方してもらった。血圧は109/71、心拍数も70と安定していた。
早寝早起き、睡眠は7〜8時間、早朝ウオーキングは3日から4日に一度は休養を入れて、疲れを残さないように気を付けているお陰だろう。
あと3ヶ月もすれば79歳、当たり前の話だが来年はもう傘樹(80歳)を迎えようとしている。よくぞここまで元気に来たもんだ!(笑)

来週末は1泊2日だが越後湯沢スキー場に滑りに出かける。
故郷に(山形県真室川町)に住む友人にスキーのチューンナップをして貰ったので良く滑るだろう。調子に乗って滑りすぎないようにしないといけない。
むかし蔵王スキー場で白髪の元気なスキーヤーを見かけ、“俺もあの歳になるまで滑っていたい”と思ったが、もうそんな歳になった。私が所属したプロスキースクールのキャッチフレーズが「安全に楽しく」だった。元気で居られることにまずは乾杯!【20260110(土)】




 
 


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