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二刀流復活・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/18(水) 03:08
昨日MLBドジャースオオタニ選手は約2年ぶりに二刀流復活、初めてドジャーブルーのユニホームをまとっての二刀流でファンを喜ばせてくれた。
本人は当初のスピード目標を154kmと予想していたらしいが、マウンドに上るとそこは勝負師、相手あってのマウンドで161kmを記録し、本人も驚いたらしい。犠打で1点を失ったが取られたら取り返すのがオオタニ流で、第2打席で本人自らがタイムリーを打つのだからさすがユニコーン!

しばらくはブルペンデーでオープナー(先発で1回から2回を投げる)として肩慣らししながらの出番となるらしく、勝ちがつく5回まで投げるには徐々に回を伸ばしいくことになるではないかと関係者は予想していた。なるほど・・・
日本の報道関係はこぞってオオタニ特番のように扱っていたが、ファンとしては嬉しい限りだ。(笑)

昨日は勤務する大学で働いている元建築家のKさんと初めて恵比寿降ガーデンプレイスで会ってランチビールを楽しんだため、オオタニ選手の1回表だけの観戦だけに終わってしまったのは惜しかったが、チームが勝利出来たのだから良しとしよう。
今後の活躍を期待したいし、当然やってくれるだろうと思っている。
【20250618(水)】


アメリカディゴ・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/16(月) 03:35
目黒川の調整池にある親水広場の植栽桝にはアメリカディゴが植えられていて、今まさに見ごろとなっている。もともとはブラジル原産で、日本には江戸時代に渡来したと言われ、日本では鹿児島県の県木でもある。
特徴としては寒さに弱いので関東以北での栽培は難しいらしいのだが、ここ目黒川沿いのアメリカディゴの勢いは二度咲きするほど勢いがある。

以前にも書いたが、同じ仕事仲間にこのディゴの花を名刺にデザインした知人がいた。
秋田県出身のSさんは寒いところは嫌だと言って沖縄など暖かいエリアの仕事をしていたが、ガンに侵され40代で他界した。リゾートブームに沸いた90年代初め、沖縄やサイパンの仕事を一緒にさせて貰い、私のことはアイアンさんと言って親しくさせて貰った。ハワイ全島を取材に行ったり、またサイパンのホテル(外構造園の仕事)が開業した際にはご褒美として3泊4日で旅もした。
暮れになると決まって秋田名物の「ハタハタ寿司」を送ってくるので、仕事納めの日はその寿司で納会するのが習慣になっていた。
目黒川のディゴの花を見るたびにクマソのような髭面のSさんを思い出す。【20250616(月)】


山橘(やまたちばな)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/15(日) 04:48
勤務する大学には神殿(天照大御神を主神とし、天神地祇八百万神が祀られている)があり、前庭(広場)と神殿の間には人工ではあるが、幅60cmほどの神奈備川(かんなびがわ)が流れている。
その小流れ沿いには歌碑とともにヤマブキと山橘が植えられていたはずだが、歌碑だけが残って最低でも6年以上(私が勤務してから6年目を迎えている)が経過していた。

校内の植え込みには万葉集にも詠まれている植物も多く、特に神殿周辺の人目に付くところに歌碑だけと言うのはあまりにも寂しく、手を合わせてくれる人に対しても申し訳ない気持ちだったので、4月ごろだったか校内の植え込み地から移植した。
どうやら根付いたようで小さな薄紅色した蕾がついたので思わずスマホを取り出し撮影した。同じような植物でマンリョウ(万両)やセンリョウ(千両)もあるが、この山橘(別名:ヤブコウジ)は十両とも呼ばれている。

この雪の 消(け)残る時に いざ行(ゆ)かな 山橘(やまたちばな)の 実の照るも見むく (訳:この雪が消えてしまわないうちに、さあ出かけよう。やぶこうじの実が雪に照り輝くさまも見よう。)―大伴家持―  【20250615(日)】


読書日記―19 [ RES ]
クマジィ 2025/06/14(土) 03:02
梅雨入りして雨を覚悟しているが、それほどの雨は降っていない。
それでも本日午後から明日にかけて雨予報が出た。
今年は遠出することがないせいか、週末に雨が降っても気にならない。どうせ近所の書斎で読書するぐらいだから・・・(笑)

●植松 三十里著:「イザベラ・バードと侍ボーイ」 集英社文庫

【三浦半島の下級武士の子・伊東鶴吉は、維新後に通訳となる。父が幕末に函館へ行き生死不明のため、家族を養う身だ。20歳となり、東北から北海道へ旅する英国人作家イザベラのガイドに採用された。彼女は誰も見たことのない景色を求めて、険しき道ばかりを行きたがる。貧しい日本を知られたくない鶴吉とありのままを世界に伝えようとするイザベラ。英国人作家と通訳の青年の北への旅は困難を極める…。対照的な二人が織りなす文明衝突旅を開国直後の日本を舞台に描く歴史小説。―本の紹介よりー】

著書は小説仕立てになっている。
これまで小説仕立てとしては、高橋克彦の「ジャニー・ボーイ」、中島京子の「イトウの恋」などを読んだが、本書は通詞(通訳)の伊東(本来なら伊藤)とイザベラ・バード(以下バード)の会話などを主に物語は進んでいく。他にも通訳の伊東本人の家族との絆や父の教えなども含めながら旅は北へ。これまでバードの北海道までの旅で見聞したことが紀行文として著されてきたが、二人の気持ち・考えがぶつかりながら旅は進む。

伊東の英語力はどのようにして生まれたのか、また明治時代の前半でどうして通詞(通訳)になれたのか、旅が終わった伊東のその後はどうなったかなどが詳しく紹介されている。非常に面白くテンポも良かったので300ページを3日間で読み終えることが出来た。【20250614(土)】


読書日記―18(4)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/13(金) 03:09
三賢者以外にも気になる人物が一人いた。
それは私が生まれ育った戸沢村のとなり、庄内町清川に私より117年(1830年)も前に生を受け、のちに幕末の志士と呼ばれた清河八郎である。
高校生のころにその名を知ったのだが、清川生まれなのになぜ清河なのか不思議でならなかった。父に聞いていいものなのか、聞いても知らないと言われるのか悩んでいるうちに大人になり、藤沢周平作品の「回天の門」を読み、初めて清河八郎の凄さを知り、興味を覚えた。

三賢者の踏査・検証を終えた2009年9月は、八郎生家のあった清川から羽黒山山麓の山伏峠(のちに整備し、回天の道と命名)から妻となる高代(のちのお蓮さん)と知り合った湯田川温泉を経由して、茅葺屋根の多層民家が(現在でも残っている)ある田麦股までの50kmを踏査・検証、翌年6月には残雪の六十里越街道を超え、上山温泉までを歩いた。(その後、眼鏡橋で知られる楢下宿から金山峠までも検証)

6月でも雪の残る六十里越街道の風景は最高だったが、山船頭(古道をガイドする人の呼び名)の方も残雪の中、道も解らない場所があって苦労したと別れるときに語っていたのが印象に残っている。このとき山船頭の会でも謎だった一里塚を偶然見つけることが出来た。
三賢者の他、清河八郎も加えると何と850kmを超える長い長い山形路を踏査・検証したことになる。
「歩くという哲学」の本書の終いには「現代人にとっては、劇薬あるいはカンフルになりうる。このまま匂いのしない電子交流空間にいるよりは、手の中におさまる光る画面を置いて“外”に出てみようか」と言葉で締めくくられている。人生の後半、歩くことの大切さを体験出来たことは何よりも嬉しい。【20250614(土)】


読書日記―18(3)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/12(木) 02:57
応募したコンペのタイトルは「最上川・街道・三賢者(義経、イザベラ・バード、芭蕉)」だったのだが、惜しくも落選。入賞したのは草木塔を題材とした団体だった。なるほど
我々の作品はやまがたの観光についてだが、草木塔は研究に値する作品だったことがのちにわかることになった。

応募した結果(確か夏の終わりだった)が出るのを待つのではなく、提出したタイトルが面白く、三賢者の足跡を辿ろうと最初に取り組んだのが、2006年義経北国落ちで、この時はマウンテンバイクやロードバイクで温海町鼠ヶ関から宮城県鳴子温泉まで県を横断するような形で180kmを3泊4日で走破した。
2007年から2008年にかけてはイザベラ・バード日本奥地紀行をバイクや徒歩で県を南から北へと縦断した。このバードの踏査・検証から山形新聞社さんに声掛けすると、是非同行取材をしたいと言ってくれた。

そして2008年10月には山形県が公募したコンペに応募、なんと山形県公益大賞を受賞することになる。2008年から2009年にかけては、おくの細道を山形県堺田から鶴岡市温海町まで徒歩と舟(最上川舟下り)で踏査・検証、初めて羽黒山から月山、そして湯殿山と出羽三山を一気に縦走した。湯殿山に向かう途中の崖となっているくさり場を芭蕉は日帰りでどうやって行き来したのだろうか、不思議でならない。

いま思い返してみると随分無謀なことをしてきたように感じるが特にプレッシャーというものは全く無く、山形県内にも魅力ある文化や風景が多々あるということと共に面白かったという気持ちの方が先だった。NPO元気・まちネット(以下まちネット)のメンバーと100数十年前に歩いた偉人の足跡を訪ね歩くと、当時の生活様式や風景などはどう映ったのだろうか、また旅の途中で知り合った友人・知人との交流はどうだったのだろうか、考えるだけでもワクワクした。【20250612(木)】


読書日記―18(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/11(水) 04:27
やまがたの実家に住んでいるときも毎日ではないが走っていた。
社会人になり社員寮に住んでいるときも走っていたし、初めてマラソンに出場したのは、1980年11月(33歳)で河口湖マラソン10kmの部で39:12秒だった。そのとき、橋田さん、(のちに奥さんとなるEさん)、スキーを教えていたA女史がワインを持って応援に来てくれた。

60代前半まで走っていたが、以降はウオーキング(歩く)に切り替え現在に至っている。振り返ってみればNPO活動を始めた2006年からは「源義経北国落ち180km」、「イザベラ・バード日本奥地紀行180km」、「松尾芭蕉おくの細道150km」、「清河八郎回天の道150km」まではNPOの仲間3人から8人だったが、再び一人で「イザベラ・バード150km」と、いずれも山形路だがざっと700kmの道のりを歩いたことになるのだが、他に旅企画でも数回歩いている。

何故歩くことになったのか?
1999年から長野県大町市でスキー&トライアスロン仲間7名で始めたスポーツイベント(正式名称:北アルプス山麓AdventureGames2001)だった。
仁科三湖(青木湖、中綱湖、木崎湖)とサンアルピナスキー場(佐野坂、青木湖、鹿島槍)周辺を活用して地域の活性化を図ろうと始めたのが手始めで、少子高齢化が進む地方の衰退を食い止める一助として“交流人口を増やそう“というのが狙いだった。その大会は現在も継続中だが、主催者だった私と事務局長だったS女史が10年間やったのち引退、その経験を活かしスポーツイベントで地方の活性化を図れるのではないかと模索を始めた。
そんなときに偶然見つけたのが山形大学が全国に向けて公募した「山形大が地球を救う/自然と人間の共生プロジェクト」というタイトルに惹かれ2006年春に応募した。【20250611(水)】


読書日記―18(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/10(火) 03:31
いつも通り3時に目が覚めた。
余りにも静かだったため、もしかしたらウオーキングに行けるのかなと思いベランダに出てみると細かな雨が降っていた。う〜ん残念。
むかし市民ランナーからプロになった女性ランナーのMさんは雨の日も傘をさしてランニングしたことを思い出したが、私はこれ幸いと休養日に充てている。

●フレデリック・グロ著、谷口亜沙子翻訳:「歩くという哲学」 (株)山と渓谷社

【世界中に影響を与え、世界を動かした思想家、哲学者、作家、詩人の思索の多くは、歩くことによって生まれてきました。歩くことは、最もクリエイテブな行為なのです。
また素晴らしいアイデアを出す歩き方にも様々なものがあります。
歩くことは、単なる機械的な繰り返しの動作以上のものであり、自由の体験であり、緩慢さの練習であり、孤独と空想を味わい、宇宙空間に体を投じることでもあります。

著者のフレデリック・グロが、哲学的な瞑想の連続を読者とともに探索しながら、ギリシア哲学、ドイツ哲学と詩、フランス文学と詩、英文学、現代アメリカ文学等の、著名な文学者、思想家の歩き方について探求します。
ソクラテス、プラトン、ニーチェ、ランボー、ボードレール、ルソー、ソロー、カント、ヘルダーリン、キルケゴール、ワーズワース、プルースト、ネルヴァル、ケルアック、マッカーシーらにとって、歩くことはスポーツではなく、趣味や娯楽でもなく、芸術であり、精神の鍛練、禁欲的な修行でした。
また、ガンジー、キング牧師をはじめ、世界を動かした思想家たちも歩くことがその知恵の源泉でした。
歩くことから生まれた哲学、文学、詩の数々に触れてみましょう。―本の紹介よりー】

私も14,5年前から「走ること」から「歩くこと」に切り替えた。
何故か、それはまず体を動かすこと、すなわちスポーツが好きだったことに他ならない。スキーが上手くなりたいがためにオフ(4月〜11月)の過ごし方が重要だという先輩の言葉に触発され、ランニングだけの生活から泳ぐこと、自転車を漕ぐことを加えた。
トライアスロン競技から引退してからは「健康で長生き」のためウオーキングを始めることになったのだが、著書のような「哲学」に結びつけて歩くことは皆無だった。
著書にもある通り「歩くことは決して“退屈”なものではない。ただ“単調”なだけだ」という言葉が示す通りだが、この十数年の間に一度だけハイ(恍惚)になったことがあった。ランニングしているときも経験した。非常に気持ちよくなり、どこまでもランニング(歩くことも)出来るような感覚に襲われることである。著書を読んでこれからのウオーキングがますます楽しくなって来た。【20250610(火)】


冷やしラーメン・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/09(月) 03:00
前々日、20kmのロングウオーキングを敢行したので、昨日は休養日に充てて3時15分から始まったMLBドジャースvsカージナル戦を観戦した。山本投手が6回9奪三振0封と好投したものの、救援投手が打たれ2x−1といいとこなしでドジャースは連敗した。

渋谷まで来たという友人から連絡を貰い、くさくさしていたのでこれ幸いと恵比寿まで来てもらいランチを共にした。ランチは私が好きな函館ラーメン屋さんで、今月から始まった冷やし中華を食べることだった。
店主とは顔馴染みになっていて、日本酒を注文するとすぐに冷の月桂冠を出してくれる。休みの昼から冷酒を呑めるは贅沢というものだ。(笑)
名物の冷やし中華を注文しようとしたら、冷やしラーメンを始めたらしく、その写真がとても旨そうに見えたので早速注文することにした。友人はと言えば野菜たっぷりの塩ラーメン。餃子を突っつきながら今読んでいる本の話で盛り上がる。

冷やしラーメン発祥の地は我がふるさと山形県で、他にもう一つ、冷やしシャンプー発祥の地でもある。山形に行ったときに食してみたが、私には味が薄い上に好みの味ではなかったが、今回食べた冷やしラーメンの出汁が余りにも旨く、友人も旨いスープだと言ってくれた。これは旨い! 次回からは冷やし中華ではなく、冷やしラーメンにしようと決意した。まぁ決意するほど大袈裟なものではないが・・・
最近、荻窪のラーメン春木屋さんが恵比寿に進出した。春木屋さんと言えば荻窪で創業昭和24年という老舗中の老舗で人気のラーメン屋さんでもある。
仕事帰りに王道の「中華そば」でも食べてみようかな!【20250609(月)】


アジサイの季節・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/08(日) 07:29
東京は今週早々にも梅雨入りとなりそうだ。
昨年は21日が梅雨入りだったハズだが昨年よりも随分早い梅雨入りとなるようだ。
ドクダミ荘玄関前には鉢植えの「墨田の花火」という品種のアジサイも咲き、サクラで有名になった目黒川沿いにあるスタバコーヒー店の植え込みには北アメリカ原産のアナベルと言う白いアジサイも咲き始めた。(写真はスタバ前のアナベル)

勤務する大学でもキャンパスの裏手にあった植え込み地からアジサイを移植して3年ほど経つが見事なまでに花付きが良くなってきた。また仕事帰りに乗るバス停の前にもアナベルと同じ、北アメリカ原産のカシワバアジサイ(葉はカシワに似ていて、花はブドウの房のようなアジサイ)も咲いている。

30年ほど前、私が設計した成田市にある坂田ヶ池総合公園もアジサイのてんこ盛りで訪れる人の目を楽しませてくれているに違いない。成田市の花がアジサイということで市の公園課からはアジサイをたくさん植えて欲しいという要望があったからだ。
久しぶりに訪れてアジサイの花の写真を撮って来たい。近くには“石橋”というウナギ屋の名店があったはずだ。(笑)【20250608(日)】




 
 


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