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動き出すか歴史公園(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/05(木) 02:59
2010年のシンポジウム前に八郎が生家より出奔した際に歩いた山伏峠を何とか見つけたのだが、藪だらけの古道だったため、地元の関係者10名ほどで整備、藤沢周平さんの作品「回天の門」にちなんで「回天の道」と命名、春と秋の2回、峠歩きを開催するようになった。これには町や地元の皆さんの協力を得て看板や標柱を設置して貰い、月山、鳥海山、そして庄内平野まで見渡せる展望台までの約3kmは最高の散策コースとなっている。

地元清川と東京で開催したシンポジウムも成功裏に終わった2年後、今後の打ち合わせに庄内町清川を訪れた際に清川地区まちづくり協議会の故遠藤会長より「まちネットさんには随分お世話になっているが、何も恩返し出来てないので申し訳ないと思っている。協議会では歴史の里清川の基本構想計画を町に申請したいと思っているが、設計事務所を開いている(株)爽環境計画(本社墨田区錦糸町)さんに基本構想計画として報告書をまとめて貰えないだろうか」と相談を受け、社長と相談した結果、受託することになり、2012年に報告書を提出、一期にあたる関所(清川川口舟番所)は2019年に復元するまでに漕ぎつけることが出来た。現在は多くの人が訪れるようになっていると聞く。

今年も6月から7月にかけて「回天の道ハイキング」を開催する予定らしく、久しぶりに訪れて多くの参加者と共に2010年に整備した古道を歩いてみたい。【20250605(木)】


長嶋さん逝く・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/04(水) 10:06
ミスタープロ野球こと元読売巨人軍背番号3番サード、長嶋茂雄さんが89(ヤキュウ)歳で亡くなった。ご冥福をお祈りします。
私が野球を知ったのは小学生高学年のころだった。
高校に入るときの家庭教師をしてくれた4つ年上の森さん(妹とは同級生)から野球の手ほどきを津谷神社の境内で教えて貰った。

当時は森というプロ野球選手は数名いたが、矢口という名の選手はいないということを聞き悲しかったことを覚えている。自宅では読売新聞を購読していたことから、巨人のニュースが多く、それ以外では青バットで有名だった西鉄ライオンズの大下選手くらいしか知らなかった。
中学・高校では野球のことも理解できるようになり、巨人が負けても長嶋さんの打席(安打&本塁打)が気になっていたことを思い出す。

社会人になり、野球好きの上司に連れられ後楽園球場や神宮球場にはよく足を運んだ。野球はやがて海を越え、その野球の素晴らしさをMLBドジャースの大谷選手が継承していってくれることだろう。さようなら長嶋さん!!【20250604(水)】


動き出すか歴史公園(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/03(火) 05:02
昨日、庄内町清川にあるまちづくりセンター(旧公民館)のA氏より連絡があり、清川歴史公園の第二期整備事業に関連したパース(鳥観図)の作成依頼の件についての問い合わせだった。清川地区は江戸時代、最上川舟運で栄え、舟番所があり、また出羽三山参詣の玄関口でもあったのだが、交通は船から自動車&列車に代わり徐々にすたれていった過去がある。

そうした背景を踏まえ清川には「清川神社&清河八郎記念館」、「戊辰戦争役の御殿林」、「御所皇子神社」、「明治天皇行在所」、「芭蕉句碑」、「歓喜寺」などがあり、歴史の里にふさわしい場所でもある。地元の人たちは「歴史のふるさと清川」の復活を願い運動してきたのだが、私達NPO法人元気・まちネットが2009年から2010年にかけて幕末の志士清河八郎が清川を出奔、江戸に向かった山形路約150kmを山形新聞の同行取材を受けながら踏査・検証を行った記事が山形新聞に14回にわたって連載されたことがきっかけとなり、歴史公園構想がにわかに活気づいた。

2010年清河八郎生誕180年にあたり、「清河八郎生誕180年記念シンポジウム」をまちネットが提案、そして採用され旧清川小学校講堂に於いて立見席まで出る140名を超える参加者で賑わった。秋には東京でも開催された。あれからすでに15年が経過、今後の動きに注目したい。【20250603(火)】


読書日記-17 [ RES ]
クマジィ 2025/06/02(月) 03:38
週末の2日間はMLB東西の名門同士、ドジャースvsヤンキース戦をじっくり観戦していたため、試合が終了しても早朝ウオーキング以外、一歩も外に出ることなくだらだらと過ごし、書斎に行かないのはホントに珍しい。

●植松 三十里著:「万事オーライ」 文芸文庫

【宇和島の米穀商の息子として産まれた油屋熊八は、株で財を成すも日清・日露戦争後の株の動向を読み誤って大損し、財産を失う。再起を懸けたアメリカ渡航でも成果は得られなかったが、四十八歳にして大分県別府で宿屋を始めたときから、熊八の第二の人生がスタートした!
地元の反対や資金あつめなど、様々な困難を「万事オーライ」の精神と柔軟なアイディアで乗り越え、仲間や妻とともに別府温泉を日本一へと導いた実在の人物を描く歴史長編。―本の紹介より―】

著者の作品を数冊読んでいるが、どれも内容が面白い上にテンポも良く500ページに迫る長編小説を遅読の私も1週間で読み終えた。
これまで「リタとマッサン」から始まり、「ひとり白虎」、「帝国ホテル建築物語」に続き今回の「万事オーライ」に繋がった。そして次回読む本も一冊すでに購入済みである。
職場でのストレスも以前と比べかなり少なくなり、休憩時間に読書する時間も増え、とても満足している。【20250602(月)】


あれやこれや・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/06/01(日) 09:19
今日は4日振りに青空の下で気分よくウオーキングが出来た。
この4日間、梅雨でもないのに都心で青空が見られなかったのも珍しい。
代々木公園の緑も濃くなり、いよいよ初夏の季節も去り、梅雨の季節を迎えた。
5月は梅雨でもないので月のうち13日間も雨が降ったようだ。

公園からの帰り道、松濤を過ぎトヨタの販売店の前の歩道に、歩道を覆うように成長した枇杷の木があったのだが、この歩道やけに明るくなったなと思い、戻ってよくよく見ると低木のツツジの高さ(約45cm)で伐採されていた。
毎回言っていることだが、公共空間に実のなる樹木は植えないというのが鉄則なのだが、多分鳥や風が種を運んで来たのか、それとも近所に住む人が植えたのかは不明だが、たわわになっていた枇杷が勿体ない。

大学の教室棟の裏の植え込みにも結構大きな枇杷の木があって、3年前は甘い枇杷を食べることが出来たのだが、一昨年造園業者が強剪定してくれたので昨年は一個も実がならなかった。今年は実が落ちてから剪定して欲しいとお願いしたところ、今年は甘い枇杷を食べられそうで今月中ごろが待ち遠しい。
恵比寿駅近くの以前ボーリング場があった狭い植え込みにはこれもまた高さは2mほどだが、熟した枇杷が鈴なりになっている。早朝ウオーキングの帰り、一個捥いで食べてみようかと虎視眈々狙っている。【20250601(日)】


雨の週末・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/05/31(土) 08:36
都心は今日も入れて4週連続の雨の週末となった。
昨日の午前中はちょっと強めの雨となり、雨合羽を羽織っての作業となったが、気合が入っているせいか、それとも湿気のせいか汗をかきTシャツを替えるほどだった。
もし今朝も雨だったらウオーキングが中止せざるを得なかったのだが、ベランダに出てみると道路は乾いていたし、予報でも雨雲がかかっていなかったので早速出かけることにした。

しかし気温は14℃の上、風もあり最近では珍しくウィンドブレーカーを着こんで出かけることに・・・昨日休養したお陰で気分よくロングをこなすことが出来た。帰宅したのが6時半、すると10分後にはドクダミ荘周辺に細かな雨が降って来た。間一髪だった。

今日のMLBはドジャースvsヤンキース戦、まさに東西の名門チーム同士の一戦で、その上ヤンキースにとっては昨シーズンのワールドシリーズで敗れているので、今日の試合はリベンジに燃えているかも知れないのだ。三戦目には山本投手が投げる予定なのだがあいにくこの日は仕事で残念ながら観戦は無理、今日明日は全力応援しようかと考えている。【20250531(土)】


ジャガランダの花・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/05/30(金) 05:07
今年も旧山の手通り添い、代官山ヒルサイドテラスの植え込みに紫色したジャガランダの花が咲き始めた。この辺りの並木は中国原産のエンジュなのだが、その中に一本だけ混じっている。ここを通るたび、造園家の私に言わせて貰えれば樹形も似ていることからエンジュと間違えて植えたんじゃないかと思うのだが・・・

ホウオウボク、カエンボクと並んで、世界三大花木の一つに数えられている。
ホウオウボクはシンガポールに旅したとき、チャンギ空港から市街地に向かう道路の並木に植えられているのを写真に収めたのだが見つかっていない。名前が示す通り“鳳凰“という名にぴったりの華やかさがある。

ジャカランダを国内で見られるところはあるのか調べてみたら『日南市では昭和39年にブラジル県人会から贈られた種を大事に育て、花が初めて咲いたのは、14年後の昭和53年。それから40年近く経った現在、毎年咲き続け、ジャカランダの森は約1,000本という規模にまで成長、花盛りの季節には多くの人々が訪れるようになった』と書いてあった。機会があれば是非一度“ジャカランダの森”を訪ねてみたい。
そのボリュームたるやサクラの園とそっくりである。【20250530(金)】


雨のちあっ晴れ・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/05/29(木) 03:12
昨日朝の激しい雨はなんだったのか、6時半には雨も上がり青空が見えてきた。時間的にはウオーキングに行けたのだが、珈琲を淹れた途端気持ちが萎えてしまった。いつもの私らしい。
お陰でオオタニ選手の20号本塁打を見ることが出来たし、チームも勝ったのだからなおさら嬉しい。

試合が終わればいつものルーティン通り第一書斎で80分ほどの読書を楽しむ。
余りの面白さにページをめくる指も早く、あっという間に100ページを読み終えた。
ランチは友人と魚定食を食べ、20号本塁打を祝って生ビールと焼酎ロックで乾杯。昼からのお酒は最高!オオタニ君有難う!(笑)
ランチを終え駅方向に歩いているとガラス張りの素敵な店構えが気になり、よくよく見てみると珈琲屋さんではないか。でもちょっと入りにくい雰囲気が漂っている。
意を決してドアを開ける。珈琲屋さんなのにどこかお洒落なBarのような気がしてならない。

値段も少々高いが静かな雰囲気といかにも都会らしさが気に入った。
但し、席数はカウンター5席と椅子席2席が下町雰囲気ぷんぷんの恵比寿にはもったいないほどのお洒落な空間を私は大好きなのだが、果たしてこの少ない席数でコスパの方が気になって仕方ない。
逗子に住む友人が近々恵比寿にやってくることになっているのだが、ランチ後の珈琲に再び寄ってみたい。頑張れ恵比寿の珈琲屋さん!【20250529(木)】


折角の仕事休みが・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/05/28(水) 04:17
睡眠8時間と十分摂り午前3時半に起床、歯を磨いていると激しい雨音が聴こえてきた。ベランダに出てみると結構な雨が降っている。う〜ん!ロングウオーキングに出かけようと思っていたのにこれでは出足を挫かれた。
歯磨きを終えPCを開き天気予報を検索すると渋谷区内は6時ごろまで降ったり止んだりを繰り返すような予報だった。

ラジオをかけPCのキーを叩きながらさてどうしようか考えてみる。
雨が止むようであれば6km(時間にして1時間)でもウオーキング出来たらと思いを巡らせる。それともここは休養日として、珈琲でも淹れて7時10分から始まるMLBドジャースvsガーディアンズ戦をのんびり観戦しようかの二者択一になるだろう。

昼はむかしのスキー仲間とランチの約束をした。
さてどこでおもてなしをしようか、最近開店したウナギ屋か、それとも魚に限った定食屋さんで真昼間から冷えた日本酒でも吞みながら魚でも突っつくか、いやいや函館ラーメン屋さんで今年も始めたであろう冷やし中華に餃子+冷酒も捨てがたい。
昨日の仕事帰り、注文していた本二冊が入荷したとの連絡があり、有隣堂により受け取ったのだが、もう一冊イザベラ・バードのタイトルで出ていたのでもう一冊追加した。
午後の読書が楽しみである。【20250528(水)】


読書日記―16 [ RES ]
クマジィ 2025/05/27(火) 02:55
今月23日(金)は満月フラワームーンだったが、空はあいにく曇っていて眺めることは出来なかった。今年に入って1月から4月まで眺めることが出来たのに残念である。
6月の満月ストローベリームーンは6月11日(日)らしいので、何とか眺めてみたいものだ。“起きは三文の徳”早朝ウオーキングの楽しみでもある。

●後藤 正治著:「文品 藤沢周平への旅」 中央公論新社

【歳月が持つ哀しみ、自分なりの小さな矜持、人生への情熱、権力の抗しがたい美味と虚しさ、喪失感――時代(歴史)小説を舞台に、静謐な物語と文体で人の世の「普遍」を描き続けた作家、藤沢周平。ノンフィクションの名手が、その人と作品の魅力に迫る。―本の紹介よりー】

藤沢作品を始めて読んだのが1999年4月のことだった。
ふるさと山形県(出身は鶴岡)が生んだ国民的作家藤沢周平作品を恥ずかしながらそれまで読んだことはなく、偉そうなことは言えない。読むきっかけをくれたのはスキー仲間のハッシーこと橋田さん(大分県出身/岡藩家老小河一敏邸で清河八郎九州遊説の際、お世話になった)が「藤沢周平の“蝉しぐれ”読んだことある?もしまだだったら読んでみて。なかなかいい作品だよ」と勧められたのが最初だった。それからはどっぷりと藤沢作品に嵌り、上げくの果てには幕末の志士清河八郎を書いた「回天の門」を読み、ハッシー&S野さんと八郎が出奔したときの足跡を山形新聞の同行取材を受けながら約150kmの山形路を踏査・検証するまでになったのは我ながら驚いている。

5月14日(水)付毎日新聞夕刊に「哀歓の美学・藤沢周平の世界/Z世代もハマる等身大の“闇”/今に通じる世の不条理」のタイトルで大きく取り上げられていた。
時代小説だから古いとは考えにくく、時代を現代に置き換えても庶民の考えや生き様などはそれほど大きく変わっていないと私も思っている。
特に風景を描写する妙味というのは藤沢作品でしか描けないものだと読んでいてつくづく感じている。【20250527(火)】




 
 


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