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戸隠には丸3年通い、アシスタントコーチになるためには「SAJ検定1級もしくは同等以上の技術を要する」とされていたため、仲間のイシカワ君と新潟県妙高高原にあるSAJ新赤倉スキー学校(兄の幼馴染でスキーデモンストレーター兼当校の主任コーチ)に行き、主任コーチの庄司幸夫(のち竹田性に変わる)に2日間の特講(特別講習)を受けめでたく合格、以後2年間は当校で戸隠と並行しながらアシスタントコーチ―を務めた。
当時戸隠スキー場のAコース(チャンピオンコースとも呼ばれたコブ斜面)はSAJ指導教程本には応用編として、このコブ斜面を使用されていた。 3年後には戸隠で知り合った東京の仲間と「ワンダラーズスキークラブ」を結成して3年間活動、網張(岩手)、蔵王&坊平(山形)、志賀高原(長野県)と滑りまくり技術を磨いていった。その後イシカワ君は蔵王観光(株)に就職、中央ゲレンデにあった蔵王山荘(のちに高原ホテルに立て直したが94年に解体)に勤務、雪が消えれば月山にあった姥沢小屋に移動、私はSAJからSIA(プロスキー協会)の助手検定合格し、その後は蔵王山荘専属のプロスキーヤー、ヤスさんこと鈴木康容氏と知り合い、イシカワ君と3年間指導を受け、プロコーチとして認められる。ヤスさんに認められたことが一番嬉しい出来事でもあった。
仕事は総合コンサルタントに10年勤務し、その後は渋谷にあった都市公園の計画・設計に特化した設計会社にトラバーユし10年、そこで知り合ったK氏と錦糸町に独立、近所にはスポーツメーカーアシックス東京本社があったことやICI石井スポーツにも友人がいたこともあり、スキー(アトミック/オーストリア製)は毎年提供して貰えるようになる。 1987年、当時石井スポーツ常務だった石井氏の要望で石井スポーツスキークラブ(ISSC)を創設、蔵王と青木湖で10年間スキーコーチを務めた。青木湖スノーコルプロスキースクール(長野県大町市)で主任コーチをしていたハシダさんもコーチとして招聘する。【20260212(木)】
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