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発車メロデーが消える?・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/03/01(土) 05:48
.gif / 2.3KB 『駅のホームで流れる“ご当地発車メロディー”が廃止の危機に瀕している。JR東日本は、ワンマン運転化に伴い、首都圏の主要路線で“ご当地発車メロディー”を廃止することを決定した』とネットニュースに出ていた。
廃止の理由は、電車のワンマン運転化に伴い、“ご当地発車メロディー”のボタンを押す車掌がいなくなってしまう、という人手不足が原因だった。

調べてみると、「JR南武線の武蔵溝の口駅は重厚なサックスの音色」、「南武線の登戸駅は、ぼくドラえもん」、「山の手線高田馬場は、鉄腕アトム」、また「東海道線の茅ヶ崎駅では、サザンオールスターズの希望の轍」などが知られている。

我が町「恵比寿駅は、イギリス映画第三の男(曲:アントンカラス」が発車メロディーとなっている。
以前、パリとウィーンを旅したとき、ウイーンの「プラーター公園の観覧車の上で話し合う」場面があるのを映画でみたこともあって、プラター公園まで行きあの観覧車を見学してきた。まさか恵比寿駅で流れると思ってもみなかった。
理由は簡単でエビスビールのCMソングに第三の男の音楽が使われたことがその理由と言われている。

南武線は7駅あるがすべて廃止、2026年春には横浜・根岸線、さらに2030年頃までには山手線などで“ご当地発車メロディ”が廃止される予定らしい。但し、ワンマン運転が実施された後は、列車のスピーカーから同じ発車メロディーを流す予定らしいので一安心というところか。【20250301(土)】


春よ来い・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/28(金) 03:45
.gif / 2.3KB 25日(火)は8日間続いた最強寒波も終息、26日(水)日中の気温は17.6℃まで上がり4月の暖かさになった。昨日は16.5℃、そして今日はなんと何と20℃との予報が出ていて、いよいよ2025年の春はそこまでやって来た。・・・が週明けの3,4,5日と雨予報で4日(火)の都心はひょっとしたら雪になりそうな予報も出ている。

25日(月)に移植したサクラ(多分オオカンザクラ)は新芽をつけ始め、ソメイヨシノよりも1週間ほど早く花を咲かせることになりそうだ。今年の都心の開花は21日(木)との予報が出ていて、MLBドジャースvsカブス戦(18日と19日)を見学しに来た外国人も花見が楽しめ二重の喜びを得られるかも知れない。

我がドクダミ荘周辺で最初に花見が出来るのは、中目黒駅から山の手通りを目黒駅方向に100mほど下った駒沢通りとの交差点付近のビルの植え込みに植えられている陽光桜(アマギヨシノとカンヒザクラの交配種)で、赤みが増したサクラは見応えがある。もうすぐサクラ開花情況も頻繁に流れてくるようになるだろう。楽しみだ。【20250228(土)】


ビン入り牛乳が消える・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/27(木) 09:28
.gif / 2.3KB 昨日ニュースで大手食品メーカーの「明治」は、ビン入りの牛乳やコーヒー飲料の販売を「需要の低下やビンを製造する機械の劣化や調達が難しくなっていることが理由」で、4月以降は紙の容器での販売に切り替える」ということになったらしい。

これですぐ思い出したのは、大阪転勤から本社に戻り、住んだところが西武新宿線の東長崎駅前のアパート六畳一間で家風呂がなかったが、徒歩3分のところに銭湯があり、風呂上りにタオルを腰に巻き、ガラスケースに付いていた小さな千枚通しのようなもので、紙でできた蓋を空けよく飲んだことを思い出した。飲むときに腰に手を充てるのはなんでなんだろう?(笑)

上京したころ会社の寮に入ったのだが食堂にはビールやジュースなどを入れたガラスのケースが置いてあって風呂上りに食堂の柱に下げてあったノートに呑んだことを記してバヤリースのオレンジジュースを良く飲んでいた。あの懐かしいバヤリースオレンジは今でも販売しているのだろうか。牛乳瓶のふたは今でも紙の蓋なのかしらん。【20250227(木)】


久しぶりの映画鑑賞・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/26(水) 03:02
.gif / 2.3KB 三連休の最後の日は実に久しぶりに映画鑑賞を楽しんだ。
映画、特に劇場で観るのは好きで銀座や渋谷に出かけては観ていたが、最近ハリウッドの映画産業も斜陽気味で私が観たいと思う映画は無かったのだが、やっと最近観たい映画が立て続けに2本公開され(る)た。

今回はそのうちの1本でタイトルは「ブルータリスト」、いわゆる建築用語でいうブルータリズム(打ちっぱなしコンクリートの建造物のように、装飾を極力外して素材やテクスチャそのものに重きをおいた建築様式)と言って私が生まれた1950年ころ欧米を中心に流行した建築様式であるとか。
建築については門外漢ではあるが、私が40年間生業にしていていた造園(いわゆるランドスケープアーキテクト)とは切っても切れない縁がある。
例えば「葛西臨海水族園」は先日他界した世界的にも有名な建築家谷口由生(よしお)氏の設計で、不肖私が外構設計(建物周辺の水・緑空間)を担当させて頂いた。(1987年〜1988年)余談になるが谷口氏は私のふる里山形県にある「土門拳記念館」や「斎藤茂吉記念館」もあり、当然のことながら訪ねたこともある。

映画は途中15分のインターミッション(休憩)が入る長編映画だったが、全く長いとは感じさせない重厚感のある、そしてストーリーも実によく分かりやすい最近では珍しくしっかりと練られた映画だった。帰りは映画館の傍に出来た名古屋名物ひつまぶしを食し帰宅、映画も昼食も3連休最後の休日を充実した時間で送ることが出来た。【20250226(水)】


啓翁桜(けいおうざくら)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/25(火) 05:08
.gif / 2.3KB ふるさと山形には「啓翁桜」という、冬でも満開のさくらが楽しめる促成栽培のサクラがある。山形県は全国的にも早く、昭和40年代後半にスタートしたのだそうだ。
普通なら『桜は、秋になって気温が下がると休眠に入る。その後、冬の低温期を経験すると休眠が覚醒し、気温が上がれば開花できる状態になって春を待つ。真冬、太い幹はなく、形の良い枝が何本もまとまって一つの株を作っている。気温が8度以下の状態で500時間程度置けば、開花させることができると生産者。温室で加温すると、桜は春が来たものと勘違いし、花を咲かせる』のだという。

その啓翁桜を恵比寿駅東口改札口を出たすぐ前の花屋さんでPR&販売をしていた。
サクラ色した法被を着た人の襟には「山形県西川町」と書かれていたので、さっそく法被を着た人に声をかけてみた。西川町とはいろいろな件でお付き合いをさせて貰って来た。月山の春・夏スキーから始まり、100haもある弓張平公園の設計、町のアイディアコンペで優秀賞受賞、いしゃ先生(志田周子)映画化(HPの作成とエキストラ主演)、日本遺産月山ジオパークHP作成と一部参加、六十里越街道トレイルランニング大会アドバイザー兼運営スタッフなどがあり、私の人生に於いてとても意義深い関わり合いをつくって貰って来た。
そんなこともあり、担当していた3名の方に恵比寿名物「ひいらぎ(柊)のたい焼き」を差し入れ僅かではあるが労った。

そうそう今年は全国的に雪が多く、酸ヶ湯温泉が全国一番の5.09cm積もったとニュースは伝えていたが、隠れ一番(観測所が無いため、アルミ製の梯子を雪の壁に沿わせて測っている)が西川町志津温泉にあった。積雪はなんと5.25cmである。TVアサニュースで知った。山形県人は「日本一」という言葉が好きなんだそうだ。(笑)目黒川のソメイヨシノの前に啓翁桜を楽しませて頂いた。【20250225(火)】


サクラの移植・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/24(月) 02:54
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22日(土)午後、勤務する大学の植え込みに3本ほどあったサクラの1本を間引き、契約している造園施工会社の方にすぐ近くの日当たりのよい場所に移植して貰った。5年ほど前、私が臨時職員として勤務したころ、大きなケヤキの横に1.0m間隔で樹高1.0mほどの苗木が植えられていた。今になっても植えた人はわかっていない。

並木ならば8m間隔、寄せ植えでも3〜5mの間を空けて植えるのだが、1m間隔で3本も植えてあり、両隣にはサワラと大きなケヤキの木に挟まれているのはどう考えてサクラの成長にとっては好ましくはない。勝手に移植するわけにもいかず、周りの低木や雑草などを処理してここまで育ててきたらなんと3m、2.5mまで成長して、そのうちの1本は日当たりが良くないため枯れてしまった。
一番成長し、隣のケヤキの太い枝に届くようになったのを機に管財課の課長に説明して移植の了解を貰っていた。ついでにドウダンツツジやセイヨウイワナンテンなども移植して貰った。サクラの前に植えてあったシャクナゲ&ボタンは私が移植した。

サクラはまだ開花したことはないが、今後開花するのを期待を込めて成長を見守っていこうと考えている。造園家からスポーツイベントの主催者、そしてNPO活動(現在も進行中)とやってきて、現在シルバーとして植物に触れることが出来る造園業の見習いもまた実に楽しいものである。【20250224(月・祝)】


逗子でランチワイン・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/23(日) 04:25
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昨日、私の一番古いスキー仲間4人が逗子に集合、ランチビールならぬランチワインを楽しんだ。1968年(昭和43年)長野県戸隠村に「戸隠高原プロスキースキースクール」が開校、そのスクールの主任コーチに私の1つ先輩で幼馴染のHさんがK校長&N主任とともに志賀石の湯から独立、スクールを立ち上げた。

そのスクールでコーチ仲間だったニャロメことS君、ドサンコことT君、タエちゃんことKさんと私の4人が11:30逗子駅で待ち合わせ、徒歩3分ほどのところにある馴染みのダイニングバーJJモンクスでランチした。この店のオーナーとはほぼ50年の長きにわたってお付き合いさせて貰って来た。
トライアスロンをやっていたころは仲間を伴い、恵比寿から七里ヶ浜(逗子に移転する前)までロードバイクで何度も行った。テラスで海を眺めながら飲むビールの味は格別だった。夏には私が主宰していたチームと逗子のトラ仲間とビァパーテイを何度かやったこともある。

今回はスキースクール仲間と昔話に花が咲き、自分達で1本、T君の奢りで1本、そしてオーナーから差し入れの1本と都合3本のワインを呑みほした。ランチの時間である午後2時を遥かに超え、お店を出たときには午後3時を過ぎていた。いい気分で帰りの電車に乗ったが乗り過ごすこともなく無事恵比寿に帰還することが出来た。やっぱりスキーの話題は半世紀が過ぎても面白い。【20250223(日)】


志賀高原焼額山(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/22(土) 03:01
.gif / 2.3KB 86年に滑って以来2度ほど行ってから、私が主宰していたスキークラブの仲間4人で行ったとき、冷えた朝いの一番にゲレンデレンデに出るとダイヤモンドダストが朝日にきらきらと輝き、リフトに乗ると何となんとサンピラー(太陽柱)が目の前に現れ、慌てて何度もシャッターを切った。ダイヤモンドダストは蔵王ではよく見かけたが、サンピラーはこの時観たのが最初で最後だった。その写真は今でも大切にとってある。

そうそう、当時は池袋からホテルまでレオマークの西武バスが運行していたので、乗車して眠っていればホテル到着ということで本当に楽だった。帰りにはホテル特製のアメリカンクラブバスケットと言うサンドイッチが美味しくて、このクラブサンドを食べる目的も焼額スキー行には欠かせないものだった。
こんな贅沢が出来たのも某大手スポーツ企業から課長として派遣されていたNさんという方がいたからで、このNさんは元スキー複合のトップ選手でもあった。

最後の焼額スキーは、新幹線で長野まで行き、そこからバスでホテルに行ったのだが、東京を出るころから雪が降っていてスキー場も新雪(深雪)で焼額から奥志賀に通じるゲレンデには誰一人滑った形跡はなく、膝上まで積もったフワフワの深雪を思いっきり滑り楽しんだ。一緒に行った仲間もあの深雪を3度チャレンジ、2度も上手に滑ったことに驚いたことを今でも鮮明に覚えている。【20250222(土)】


志賀高原焼額山(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2025/02/21(金) 07:32
.gif / 2.3KB 昨日、中国籍の40代の男性で、山ノ内町志賀高原の焼額山の山林内で同行者と2人でスノーボードをしてうたが、はぐれて姿が見えなくなり、同行者からの届け出を受けた近くのスキー場のパトロール隊員が捜索すると、焼額山の山頂から北東の林の中で男性1人の遺体が見つかったとヤフーニュースが伝えていた。

この志賀高原焼額山にはスキーで何度も行き、思い出の深いスキー場だったので取り上げてみた。最初に滑ったのは1986年1月だったと記憶している。
長野冬季五輪のために1984年に焼額プリンスホテルが開業、その2年後の1986年の1月に某大手スポーツ企業に勤務していた友人と開業して間もないスキー場で滑ったのが最初だった。広い志賀高原スキー場の奥にあり、雪質も景観も素晴らしく、頂上からは奥志賀高原スキー場と繋がっていて2倍も楽しむことが出来た。
本館は東館(泊まった)でガラス張りの広いレストランからは長野五輪で使用したゲレンデが見渡せた。その後のスキー人気でホテルは南館、西館と広がっていった。

緑色にデザインされた招待パス券を貰って下げていると一般のスキー客から羨ましがられたこともあった。また東館の部屋には檜風呂もついていたことも記憶に新しい。
最後に滑ったのは2001年だったからあれから四半世紀が経過した。懐かしい。【20250221(金)】


読書日記―7 [ RES ]
クマジィ 2025/02/20(木) 02:53
.gif / 2.3KB 最強寒波が都心でも続いている。
都心はそれでも雪が降らない分だけ増しだ。寒さが厳しくてもトレーニングは出来るのだから。トライアスロンをやっていたころは、この寒さの中バイク(ロードバイク)で恵比寿から湘南(七里ガ浜)までを往復(約160〜170km)していたのだから、今から考えれば自分でも驚いてしまう。こういう時、若さっていいなぁ〜と思う時がある。

●立花 隆著:「政治と情念/権力・カネ・女」 文春文庫

【日本の政治はなぜかくのごとき惨状を呈するにいたったか?このことが、角栄との二十年に及ぶ格闘の末、もうウンザリだと思った著者を再び角栄へと向かわせた。権力とカネ、忠誠と裏切り、男たち女たちの愛と嫉妬と憎しみの政治的人間ドラマに、あらゆる角度から肉薄した注目の一冊。政治は情念の世界、そのものなのである。―本の紹介よりー】

<目次>
・ 田中真紀子問題に発言しなかった理由
・ ワイドショー化する政治の問題
・ TVはどこまで真実を伝えているのか
・ ワンバイト化する日本の政治
・ 角栄と真紀子の共通点「批判を否定するだけで証拠は出さない」
・ 角栄の二つの遺伝子問題
・ 自民党がいまだひきずる角栄型政治
・ 真紀子が引き継いだ角栄の“生物学的遺伝子”
・ 真紀子の何が問題なのか?
・ 角栄・真紀子親子の異常な人気ぶり〔ほか〕

とにかくこの田中角栄時代のカネの動きはすさまじいものがある。
カネを管理する秘書は10数人もいて地元を収める国家老や目白の本宅を守る江戸家老のほか、田中の脇を固める秘書などが暗躍、首相を退いたあとも闇将軍として政界を牛耳った執念はすさまじい。
多くの人にインタビューしてこの本が生まれたのだが、この作家の執念も見事というしかない。田中金権政治を深読みしなければ日本の政治はわからない。再読!【20250220(木)】




 
 


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