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能登半島に思いを馳せる(3)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/21(水) 03:03
.gif / 2.3KB 輪島の民宿に泊まった翌日、ツール・ド・のと400に参加した多くの皆さんを見送ったあと、念願だった輪島の朝市を見学し、近くの袖ヶ浜で泳ぎ、輪島駅前で昼食を済ませ、14:30輪島をバイクで出発1時間走って半島を横断、外浦から内浦にある穴水へ、ここは大相撲遠藤関の出身地でもある。ここでもひと泳ぎしたあと真和温泉で入浴、そして夕方電車に乗って金沢へ向かい夜行列車で帰途へ着いた。

こうして能登半島の北部エリアでのトライアスロン旅行が終わった。
輪島の民宿で出会った「ツール・ド・のと400」の印象が強く脳裏に焼き付いて離れず、帰宅してすぐに主催者である北國新聞社に問い合わせ、大会の概要を知ることが出来た。
翌年の9月21日~23日、2泊3日の日程で、能登半島1周425kmに初参加することになる。【20240221(水)】


能登半島に思いを馳せる(2)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/20(火) 04:11
.gif / 2.3KB 能登半島は一度行ってみたい場所だった。
理由は分からないが、スキー仲間のアッシー君の確かふる里だと聞いたことがあった。そのアッシー君とはいつ頃からだろうか全然連絡が取れなくなり、このようなことが起きてしまい、とても心配ではある。

この地で第一回のトライアスロンが開催されるから出場しようと誘ってくれたのが前回のコラムで書いたシタラさんで、彼とはサンセットビーチ温海トライアスロン大会(山形県)で知り合いそれから旧交を温めて来た。ただ大谷峠は凄いキツイらしいと聞いていたのだが、当時は結構物好きなうえ体力もあったので、ならばその峠越えを一度体験してみたいと思うようになっていた。
この大谷峠は普段なら、奥能登の外浦と内浦を結ぶ、唯一のスカイラインとして知られていて、四季折々の山岳風景を映し出す観光名所の一つになっているとのことだった。
また競技説明会があった珠洲市体育館は現在、住民の避難場所としても利用されている。

大会前日にも大雨の中、その峠を試走していたら、同じく大会に出る選手が車で試走していて、何度も激励の声をかけてくれたのを思い出す。そして大会当日もこのコース55kmを走り、大会後は珠洲と輪島を結ぶ国道249号線を輪島に向かったのだが灯りが無く、真っ暗な道をシタラさんの小さなライトを頼りにさらに40kmを走ってやっと輪島に到着。民宿を求めて観光協会に駆け込んだのだが、翌日に控えているイベントで満杯で、10kmも戻ったところを紹介されやっと民宿に落ち着いたのである。
大谷峠(55km)を2日間走り、そして40kmの暗闇道路を走り、今度は10kmも戻ると言う、なんとも過酷な能登大会の思い出だった。この思い出の能登半島は現在ずたずたに分断されている。わずかばかりだがこれからも支援を続けていきたいと思っている。【20240220(火)】


能登半島に思いを馳せる(1)・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/19(月) 03:03
.gif / 2.3KB 今年元日の夕方4時過ぎ、能登半島に震度7(M7.6)の大地震が発生した。正月で帰省されている人も含め多大な被害を受け、今なお復興途上にあるのだが、先日わずかばかりだが義援金を日本赤十字社を通じて支援させて貰った。
実は今から34年前の1990年9月、第一回トライアスロンスーパースプリントIn能登珠洲大会に出場したことがある。

地震の震源地となった珠洲市が大会の本部になっていた。
徳之島大会に誘ってくれたシタラさんと夜行特急北陸に乗り、津幡から珠洲市へ、確か木ノ浦にあった民宿に入った。翌日大雨の中二人で最大の難所と言われた山岳コース大谷峠を試走し、珠洲市の体育館で競技説明を聞き、翌日の大会に備えた。
日本海に面して藍色に染まった鉢ヶ埼海水浴場はこの地震でどうなったのだろうか、観光名所となっている見附島(通称:軍艦島)は結構崩れていた。

大会は思ったより早くゴールすることが出来、折角ここまで来たからには輪島の朝市を見学したいと二人で相談、大会直後の夕方から夜にかけて40kmほど離れた輪島の民宿まで再びバイクに乗って輪島に向かった。翌朝とても疲れていたが朝食時に玄関前が騒々しいので外に出て見たら、ツール・ド・能登400の大会を見学することが出来た。これがきっかけで翌年も能登半島に出かけることになるのだが・・・
【20240219(月)】


原木シイタケ・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/18(日) 03:00
.gif / 2.3KB 先日、山形県庄内町で庄内米コシヒカリの専業農家をしているNさんから、原木シイタケが小振りの段ボール箱で送られて来た。つやつやしてふっくらとしていて、見るからに旨そうなシイタケが袋一杯に詰め込まれていた。
なんと言ってもチーズをのせてオーブンで焼いたシイタケが、チーズの塩気と相まって酒のつまみとして最高である。

原木しいたけの栽培は江戸時代から始まったといわれ、自然の環境を利用し木の栄養だけで、シイタケを作るという基本は昔も今も変わってはいないらしい。
私もどこか忘れてしまったが、いちどだけシイタケづくりを体験したことがある。
秋頃にナラやクヌギを切り出した、1mほどに切り揃え、切り出した原木に金槌のようなもので穴をあけ、シイタケの菌を植え込みフタをするという単純な作業を繰り返しすことに寄ってこの肉厚の旨いシイタケが出来るのである。

早速、昨日の夕食時にチーズをのせてオーブンで焼いたシイタケをアテに麦焼酎をロックで頂く。ふっくらとして肉厚のシイタケはほんのりとチーズの香りがしてお酒がすすむ。酒呑みにはたまらない瞬間である。都会暮らしの私にはこうして取り立てのものが季節ごとに送らてくる。実にありがたい。【20240218(日)】


春一番・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/17(土) 02:49
.gif / 2.3KB 15日(木)都心にも春一番が吹いた。
春一番とは、立春から春分までの間で、冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風で、風速は7m/s以上、一昨日は10.3m/sを記録した。
一昨日は南風が吹きまくり、日中の気温は21.1℃と冬なのに渋谷スクランブル交差点ではTシャツなど半そで姿が目に付いた。

打って代わって昨日は北風が吹き、早朝ウオーキング時にはアゲンストの風で足が止まるほどの強風だった。日中の風速も8.2m/sと午前中の清掃はゴミや枯れ葉が舞って大変だった。2日間も春一番の南風と春二番(こんな呼び方あった?)の北風は初めての体験だったのではないだろうか。強風も今日は収まって欲しい。
【20240217(土)】


映画鑑賞・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/16(金) 03:07
.gif / 2.3KB 昨日は仕事が休みだったので、映画「パーフェクトディ」を鑑賞にお隣の渋谷まで出かけた。映画館は道玄坂の入り口、ファッションビル渋谷109の前にあり駅から徒歩5分と交通至便の場所にあった。昨年10/3(金)「キラーオブザフラワームーン」以来、久しぶりの映画鑑賞である。

【東京・渋⾕でトイレ清掃員として働く平⼭(役所広司)は、静かに淡々とした⽇々を⽣きていた。同じ時間に⽬覚め、同じように⽀度をし、同じように働いた。その毎⽇は同じことの繰り返しに⾒えるかもしれないが、同じ⽇は1⽇としてなく、男は毎⽇を新しい⽇として⽣きていた。その⽣き⽅は美しくすらあった。男は⽊々を愛していた。⽊々がつくる⽊漏れ⽇に⽬を細めた。そんな男の⽇々に思いがけない出来事がおきる。それが男の過去を⼩さく揺らした。―映画のあらすじより抜粋―】

私はここ最近の日本人で映画俳優と呼ばれているのは役所広司しかいないんじゃないかと思えていることと、映画に登場する新設された渋谷区内のトイレ17ヶ所(全て映画で紹介されたかは不明)であること、そして私が住む恵比寿には4ヵ所もあって、全てが生活圏内にあり、そのうち2ヶ所を利用したことがあった。そんな関係性とカンヌ映画祭で主演男優賞を獲得した役所広司さんがどんな演技を見せてくれるのか興味があったので、仕事休みの昨日久しぶりに渋谷まで出かけ鑑賞してきた。

役を演じているというより、ドキュメント番組の中の一人が淡々と、日常生活をごく普通に演じきれる役所さんという俳優さんに心惹かれた。邦画を鑑賞したのはいつ以来だろうか。私にとっては実にいい映画だった【20240216(金)】


スキーブーツ・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/15(木) 03:09
.gif / 2.3KB 先日、越後湯沢にある湯沢パークスキー場に1泊2日で滑りに出かけたのだが、どうもブーツへの足入れもなかなか上手くいかず、その上両足の小指辺りとくるぶしがブーツに当たり痛くてたまらなかった。2日間滑り終わって足を見たらくるぶしは腫れていた。

スキー板もブーツも、そして私のスキー人生もこれでお終いかなと思っていたのだが、この歳になって周囲にはスキーファンが出来て、また一緒に滑って欲しいという要望もあり、このまま履き続けるか、それとも新しいブーツを購入すべきか迷っている。
現在履いているブーツはサロモン製でもう10年は履いていると思うのだが、購入した時は私の変形(甲高、だんびろ、偏平足)した足にもピッタリだったのだが、やっぱり長い間履いているとヘタってくるのは致し方ないのだろう。

やっぱりブーツはスキーの生命線になるわけで、イメージ通りに板をコントロールするには足にフィットしたブーツで無ければ最高のパフォーマンスは期待出来ない。
ここは「清水の舞台」から飛び降りた積りで購入するか!(笑) 近々、スキーショップに行って品定めをすることにしよう。【20240215(木)】


反省・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/14(水) 03:12
.gif / 2.3KB 12日(月・祝)は休養と決めていたので、早朝ウオーキングは休みとした。
夕方やまがたから上京した友人と宿泊先の神田駅前にあった居酒屋で遅くまで呑み、結局昨日13日(火)もいつもの3時に起きることが出来ず、2日続けて早朝ウオーキングが出来なかった。午後9時には帰宅出来るかなと思っていたので甘かった。反省しきりである。

今日こそはウオーキングをしなければならない。
昨年のダイアリーを開いてみたら、代々木公園内に植えられている河津桜が満開を迎えていたのだが、今年は暖かい日が続いていることからすでに満開になっているのかも知れない。公園に到着するのは午前4時頃なので、まだ周囲は真っ暗なうえ、ウオーキングゾーンに入っているため気が付かなかった。今日は仕事なのでいつもなら公園を素通りするのだが、今日はちょっと早めに出て河津桜の様子を見て来るつもりだ。
2日間、何の理由もなく体を動かさないと精神的にダメになって来そうで苦痛さえ覚える【20240214(水)】


スキー場経営のいま・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/13(火) 05:22
.gif / 2.3KB 先日スキー仲間でもあり、我がNPOの理事でもあるSさんから、朝日新聞夕刊20240129~0202までに5回二渡って掲載された「スキー場経営のいま」という記事を送ってくれたので、この連休中にじっくり読ませて貰った。

何度も滑ったこともある長野県岩岳スキー場では、お隣の八方白馬スキー場や後立山連峰が一望できる最高の立地にあり、頂上にあったレストハウス(改修?)周辺に展望レストランや空中ブランコなどを設置し、冬だけでなくオールシーズン誘客出来るようになったと伝えている。また野沢温泉スキー場も最盛期だった1991年にはスキー客110万、総売り上げ49億円強あったが、スキー人口減少で1997年度には赤字経営に陥り、その後赤字は19億円を超え、野沢村は財政破綻したことは記憶に新しい。しかし、野沢温泉村は関係者が立て直し、現在では黒字に転換したとあった。他は西の方の記事だったので、紹介はここまでとしたい。

私のふる里、山形県蔵王温泉スキー場については言及していないが、バブル期には150万人強のスキー客を誇っていたが、10数年前には五分の一まで減少、スキー&スノーボーダー客に代わるものとして、青森県八甲田スキー場、北秋田市の森吉山(むかし西武が森吉スキー場を経営していた)と連携して「樹氷サミット」を持ち回りで開催、第一回の蔵王サミットに招待して貰ったことがあった。しかし、晴天の中で樹氷を見られるのは1ヶ月に1回程度で誘客を画策するのは如何なものかという疑問が残る。

その蔵王温泉スキー場の鳥兜山頂のレストハウスをカフェテラスに改修、そして星野リゾートさんが乗り込むことになり、オールシーズン型の蔵王リゾートとして生まれ変わるチャンスがやって来た。今回の5回シリーズで終わるのか、それとも志賀高原や東北・北海道の「スキー場経営のいま」は展開されるのか、期待したい。
【20240213(火)】


新選組誕生と清河八郎・・・ [ RES ]
クマジィ 2024/02/12(月) 03:53
.gif / 2.3KB いきなりタイムスリップしたタイトルでの書きだしとなったが、実は今日やまがたに住む親せきでもある友人T君が東京日野市にある「新選組のふるさと歴史館」を見学しにやってくるという。なぜ今ごろなのか、夕方T君と会ったときに聞けば分かるのだが、実は私も友人のSさんを誘って11年前にこのふるさと歴史館を訪れたことがあった。

2013年(平成25年)は新選組誕生150年にあたり、そして新選組誕生に欠かせない存在の清河八郎が没してちょうど150年目という節目の年でもあったことから、日野市立「新選組の歴史ふるさと館」と山形県庄内町にある「清河八郎記念館」が連携して「新選組誕生150年記念巡回特別展」が開催されたのであった。
清河八郎は江戸で学問と剣術を教える清河塾を開きながら、尊王攘夷を志して政治活動を展開、徳川家茂14代将軍の上洛に伴い、将軍警護と称した建策が取り入れられ浪士組が結成されて上洛、紆余曲折を経て「新選組」と「新徴組」が誕生するに至ったのである。

あの日、2013年8月15日(木)は暑い盛りの朝7時、ロードバイク(以下バイク)に乗り、恵比寿ガーデンプレイスを出発、青梅街道を走って約35km先にあった「歴史ふるさと館」に到着、気温は既に33℃に迫る暑さになっていた。1時間ほど巡回展を見学したのち、青梅街道をバイクに跨り走ってきたのだが、暑さと空腹で途中イタリアン店に飛び込むと注文するよりも前に入り口付近に置いてあった2g入りの水を二人で一気に飲み干したことを今でも鮮明に覚えている。真冬のこのタイミングで上京して来るとは「清河八郎記念館」で何か新しい企画展でも開催するのであろうか、ちょっと気になる出来事ではある。夕方の一杯が楽しみになって来た。【20240212(月・祝)】




 
 


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