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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第38号   [RES]
  あらや   ..2018/11/15(木) 10:38  No.636
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「人間像」第38号作業、完了。デジタル化にかかった時間は「48時間/延べ日数7日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「745作品」。
今回の第38号は56ページで、前回(第37号)の79ページよりさらに早かったです。年内に第40号まで行けるかな…

 文学界新年特別号を見ると、新年御慶と言うのが載っている。作家より作家へ宛てた手紙形式のエッセイのようであるが、其処で気が付く事は、文面が総て旧かなで書かれている事である。これを皮肉な眼で見ると、作家の老人の解らず屋か又は、ジャーナリストのひねくれた商人根生と見られる。新かなに変った時に、これ等の人達は確か反対した筈だ。しかし、小学校から総て新かなに直し、新聞も全面的にこれを採り入れている。何故にいつ迄も反対し続けるのか。まして、商業雑誌ともあろう雑誌が、読者の尻尾を掴んで引摺り廻す様な態度は、どう見ても老人のひがみ根生としか見られない。
(第38号/時評−文学)

新字新仮名への切り替え、好調です。針山氏の久しぶりの復帰(「春山文雄」名義)に、『奇妙な旅行』(人間像同人会,1970.5)の完全復刻も視野に入って来ました。


 
▼ 村上英治氏  
  あらや   ..2018/11/16(金) 09:16  No.637
   三十年には春田良久と村上英治が加入したが、二人とも一年程の在籍だった。村上は志村竜夫の筆名で「王朝の戯画」ほか二編を発表しただけで結核を発病長く休むことになった。復帰するまでに七年を要した。
(針山和美「『人間像』の五十年」)

デジタル化していて、そのただならぬ筆力に「誰だろう、この人?」と思っていたのですが、村上氏だったのですね。氏については、最近驚いたなことも…

▼二番目の特記事項は村上英治の訃報である。いつも月に一度程度は電話をくれていた。特に用事があるわけでもないのに、近況を知らせてくれる。ところが半年しても音沙汰がない。さては、また持病の腸閉塞を起こして入院でもしたかと思った。少し不安になって電話した。去年のことである。電話したのは七月だったと思う。彼は若いころ結核で肺葉切除を行っていた。七〇代で、胃潰瘍による胃の全摘手術、そして間もなく腸閉塞を起こし大腸の一部を切除した。ところが、消化器系統の切除後に一部癒着する後遺症が残った。それが災いしてしばしば腸閉塞を起こしては入院する。私より一年下の彼だが、見るに痛々しいほど痩せ細った。「村上さんはご在宅ですか」「……村上は先月亡くなりました」と電話の声は奥さん。「えっ!」私は絶句した。「何で知らせてくださらなかったのですか」「実は、俺が死んでも誰にも知らせるな。坊さん呼んで、お経も戒名もつける葬式なんかするな。ただ、俺の好きな魚一匹だけ供えてくれればいい。と、それが遺言でした」「うーむ……」私は唸るしかなかった。
(福島昭午/『人間像』第188号「編集後記」)

 
▼ いつかの少年  
  あらや   ..2018/11/16(金) 09:19  No.638
  第39号に福島氏の『妥協』があるので、このままもう一号「人間像」作業を続けます。(早く読みたい!)

村上英治氏『いつかの少年』(第124号)をデジタル化するのは何年後になるのか、今ははっきりとは見えないけれど、その日まで一号一号進んで行くしかない。その日まで健康を維持しなければならない。まだ身体が元気で動く内に勝負に出たことは、少しはよかったのではないかと思っています。このまま、慎重で。そして、静かに。休まず。

遅ればせながら、村上英治氏のご冥福をお祈りします。


▼ 2018年9月6日以前の読者の皆様へ   [RES]
  あらや   ..2018/11/08(木) 15:39  No.631
  2018年9月6日以前に、 Internet explorer を使用してインターネットに入り「人間像ライブラリー」を閲覧されていた方の中には、現在、作品表示に辿り着けない状態になっている方がいらっしゃるかもしれません。この理由については過去の司書室BBS「緊急連絡」に書きましたが、この状態を回復するには、一旦、インターネットの閲覧履歴を削除することが必要です。

以下、履歴の削除方法を図解します。


 
▼ インターネットオプション  
  あらや   ..2018/11/08(木) 15:43  No.632
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1. インターネット画面を開く。例:YAHOO先頭画面
 右上にある歯車マーク(@)をクリックして、
表示されたメニューの中から「インターネットオプション」(A)をクリック。

 
▼ 「全般」→「閲覧の履歴」→「削除」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 15:47  No.633
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2. インターネットオプションウインドウが表示されましたら、
「全般」タブを開き、「閲覧の履歴」の「削除」をクリックします。

 
▼ 「閲覧の履歴の削除」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 15:52  No.634
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3. 「閲覧の履歴の削除」画面が表示されます。
以下の項目にチェックが入っていることを確認してください。
  それ以外は未チェック状態にして下さい。
・インターネット一時ファイルおよびWebサイトのファイル
・クッキーとWebサイトデータ
・履歴

4. チェックを入れ終わったら「削除」をクリックします。

 
▼ 「選択された閲覧の履歴が削除されました。」  
  あらや   ..2018/11/08(木) 15:55  No.635
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5. InternetExplorerの下部に「選択された閲覧の履歴が削除されました。」と
表示されましたら完了です。

6.「全般」画面の「OK」を押して作業終了。
 「人間像ライブラリー」の検索ボタンに入って確認してください。


▼ 脇方あれこれ   [RES]
  あらや   ..2018/11/01(木) 10:00  No.629
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長尾登氏の『脇方回想』と『「防雪林」以後作品抄』をアップしました。『脇方回想』は本当に勉強になりました。まずは謝らなければならないことが、ひとつ。

「熊と同居の白老鉱山」の章をご覧ください。(白老鉱山も出てきます) 「タコ部屋」について語っていますね。「やむを得ずタコを使ったのだ」の言葉にはびっくりしてしまいます。その「タコ部屋」話の直後には「スキー」の話ですからね。資本家の感覚がどんなものかが、あっけらかんと書かれています。
(新谷保人「文芸作品を走る胆振線」)

これは、「タコ部屋」というより、「請負」でした。『文芸作品を走る胆振線』には、まだまだ安いヒューマニズムで動いていた頃の自分があって、恥ずかしい個所がいくつもあるのですが、証拠隠滅や改ざんを施すことなく、恥のまま残しておきます。いつか「新・文芸作品を走る胆振線」を書くことで償いたい。

前田克己氏『脇方あれこれ』のデジタル化に入りました。長尾登氏の「脇方」作品ももう少し続きます。


 
▼ 脇方回想/「請負い組と飯場」より  
  あらや   ..2018/11/01(木) 10:14  No.630
   会社は、下請けを使って労務費を押さえ、親方は会社に寄生し、組夫からピンはねして生き延びて行く――、そういう構図になっていたのではなかったか。
 しかし、親方は、鉱山の仕事に精通し、算盤勘定(経済感覚)と労務管理に長けていなければならない。荒くれ者もいるだろうから、それ相応の肝っ玉も必要である。なまなかな人間にやれる仕事ではない。
 事実、脇方の請負業者だった湊哲四郎さんは、大町所長が、一目も二目も置く人物だったらしい。何でも頭の中に整理してあり、必要に応じて、何時でも引き出せるところから、「緻密な引き出し頭」の異名を取っていた程の切れ者だったそうである。
 (中略)
 その湊組の親方の二番目の息子さんが、かつて、日本の地質学――就中「層位学」(構造地質学)の分野で第一人者と目された、元北海道大学理学部地質鉱物学教室主任教授の湊正雄氏だったことを知ったのは、ずっと後年のことである。
 (中略)
 最盛期の柴田飯場は、活気に満ちていたものだった。屈強そうな組夫達の犇めく飯時の賑わいは、まさに壮観であった。湯気の立ち昇る丼飯を、いかにもしょっぱそうな味噌汁と沢庵漬け、それにせいぜい焼き魚(生干しの𩸽がいいところ)位の惣菜でかっこむのだが、その美味しそうだったこと――。風呂の帰りなど、平気で覗き見したとて、誰も咎め立てしない、万事大雑把で家族的な鉱山社会であった。
(長尾登「脇方回想」)

湊正雄の名には「ほおーっ」となりましたね。岩波新書『地球の歴史』(井尻正二と共著)は、私の高校時代の愛読書でした。


▼ 農漁村文学特集号   [RES]
  あらや   ..2018/10/17(水) 09:27  No.625
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犬田 卯(いぬた しげる、1891年8月23日 − 1957年7月21日)は、日本の小説家、農民運動家。
茨城県稲敷郡牛久村(現牛久市)の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京、1917年博文館に勤務、1924年中村星湖らと農民文芸研究会を作り、雑誌『農民』を刊行し、小説家として活動した。妻は住井すゑ。次女は毎日新聞初の女性論説委員・増田れい子。孫は画家のHATAO、その妻は絵本作家の永田萠。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

いや、吃驚。住井すゑの旦那さんなのか…

「人間像」第37号、農漁村文学特集号のデジタル化に入りました。昨日、金澤欣哉氏の『漁村文学について』を終え、辻井彰夫氏『小手繰の村』に入ったところです。

金澤氏の文章で「犬田卯」の名が出てきて、最初「大田卯」と読み飛ばしてしまって、ウィキペディアでなかなか確認できずもたもたしました。で、〈農民文学〉のキーワードでやり直したところで、ようやく「犬田卯」に行き着いた次第。いや、お恥ずかしい。

やはり北海道の同人雑誌ですね。平木氏の『五反地主』以外、すべて漁村文学というのが壮観です。「蘭島」や「桃内」の言葉がそこかしこに乱れ飛んでるよ。


 
▼ 漁村文学について  
  あらや   ..2018/10/20(土) 07:12  No.626
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 例えば、武田泰淳「ひかりごげ」(新湖・54・3)の場合、人体食肉事件をとりあげて人間の極限状況における切迫した心理のアヤを、「虚構の作家」と云われる作家らしい、個性的な幻想を交えて追求した傑作だが、あれが漁民をよく知り、彼等に深い関心と愛情を抱く作家であった場合には、そのとりあげる角度は自ら違ってきて、「ひかりごけ」の作者のような傍観的な好みだけで処理出来るものではなく、おそらくは、この恐るべき事件に追いやった戦争を無視し得ず、凍りつく北海に難破した漁民の宿命やその生命力など、もっと関係者の生活心情に密着した面で、表現されることがあったろうし、その方がはるかにリアリティをもったものになっていたろうと思う。あの事件に巻きこまれ、「ひかりごけ」にも実名で登場している西川少年や、その少年を遂に食肉した船長の妻も僕の村出身であるだけに、一層僕はそうした面で文学以前の不満を感じたのかも知れないが、「ひかりごけ」を村の青年に読ませた反応は、やはり事件が余りにも個人的な興味で処理されていると云った意味の不満を示した。勿論、「ひかりごけ」は、それだけで立派な小説ではあるけれども、このような題材の場合、もっと社会的な批判精神と、漁民と云う生活集団に対する愛情に基いた作品、作家があってよいと思っている。
(石沢昌一「漁村文学について」)

いや、凄い。今から63年前の雑誌発表時に、これだけ喝破する人がいたなんて!

私は、第33号の『パーマ屋出張』という作品が大好きです。今号の『カネの家』も楽しみに、現在、平木氏の『五反地主』を進行中。

 
▼ カネの家  
  あらや   ..2018/10/24(水) 11:11  No.627
   月二回の公休日に、店の長男の道郎は住込みの工員を、交代で街に連れだした。田舎から出てきている彼女等にはそれが楽しく、また道郎にしてみれば街を歩くに相手が欲しいためもあった。この店に来て、初めて道郎に誘われた弘子は、映画を観た後の興奮をまだ馴染めない街の繁雑さに助長させて、道郎の云うまゝに都通りの寿司屋へ入った。
(金澤欣哉「カネの家」)

おっ、都通り…

小樽の人間にはわからないと思うけど、〈後志の文学〉という場合、「小樽/山麓」みたいな雑なとらえ方をすると読み間違うこともあるんですよ。〈後志〉には、「山麓」という概念の他に「岩宇(がんう)」という概念もあるから。(もっと言えば、「虻田」という概念もあるし…)

『カネの家』は、「岩宇」と「小樽」が一瞬すれ違う興味深い小説です。小樽の人間は、「岩宇」と「積丹」を勘違いするんじゃないよ。

 
▼ 「人間像」第37号  
  あらや   ..2018/10/24(水) 11:17  No.628
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二ヶ月ぶりの「人間像」作業の再開。第37号デジタル化にかかった時間は「58時間/延べ日数10日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「732作品」です。

前回第36号の「87時間/延べ日数23日間」に較べて、「58時間」はずいぶん早いと感じられるでしょうが、これは、前回第36号の131ページに対して、今回の第37号は79ページですからね。いつも通りのペースだとは思います。ただ、この第37号からは「新字新仮名」仕様に切り替えましたので、従来よりは作業が快適なものになりました。それも一因かもしれません。

「新字新仮名」に替えたのは、待っていても、いつまで経っても「旧仮名」表記の時代は終わらないからです。夏の二ヶ月間、竹内紀吉作品のデジタル化作業をやっていて、昭和40年代になっても「旧仮名」もどき表記の時代は続いていることを知りました。こちらで意図的に、どこかの時点で「新仮名」に替えるしかない。
針山氏の『三年間』の時にも感じました。学校の先生などは比較的早く戦後の「新字新仮名」に適応して行くのですが、そうでもない、戦前・戦中の「旧仮名」教育で文章スタイルが決まった人たちにとっては、戦後の「新字新仮名」に対応して行くにはけっこう長い時間がかかったのかもしれません。


▼ 三年間   [RES]
  あらや   ..2018/09/26(水) 09:52  No.621
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地震から三週間。比較的被害の少なかった小樽で地味に『三年間』のデジタル復刻をやっていました。現在、第三部にあたる『其の三年』の原稿用紙90枚目に入ったところです。あと30枚ほど… 今日明日にも終了すると思われますので、そろそろご報告しても大丈夫かなと判断しました。

無職のヒマ老人なんだからボランティアに行けば…という声もあったが、なかなかそういう動きには踏み切れませんでした。というのは、9月7日に「えあ草紙2」事件が起こったから。
Internet explorer を経由しない世界がここまで台頭して来ていたことがショックでした。ちょうど一年前、ライブラリーを立ち上げる頃、ここまでスマホで動く世界に私たちが生かされていることに驚いたけれど、あの時からたった一年でこれかよ…という想いです。パソコンはこれだから鬱陶しい。

ここで一旦、毎日の基本動作(ワープロ作成〜テキストファイル化〜デジタル処理)に戻ります。どんなに忙しくても、最低4〜5時間の基本動作を休むわけにはいかない。一日怠けると、三日分のスランプになって返ってきますから。Internet explorer の問題は今日明日にも方向や解決が見つかるようなことではないけれど、これからは基本動作の合間合間に考えることになるでしょう。


 
▼ 其の一年  
  あらや   ..2018/09/27(木) 10:16  No.622
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 針山和美が黙々と本を読み始めたのは、終戦後の三年生後半のことであった。読書を重ねるうちに彼は自分も小説を書きたいと思うようになる。四年になって小説らしきものを幾つか書いた。それらの作品は残っていないが、五年になってから『三年間』と題する長編を書き始める。完成したのは卒業の二日後、昭和二十三年三月七日のことであった。校章の入った倶知安中学校原稿用紙を使った三百六十枚を三分冊にし、画用紙で表紙をつけ、和綴じにしたものである。
 これが彼の文学の原点である。
(福島昭午「〈人間像〉と針山和美」)

その北海道庁立倶知安中学校原稿箋に書かれた三百六十枚は、『三年間』と題され、『其の一年』『其の二年』『其の三年』の三分冊になっています。画用紙で表紙を付けられた三冊それぞれは、福島氏によって、装丁に戦前の校舎写真や胆振線風景が施され、針山和美氏の没後、同人・友人間に廻覧されました。
今回のデジタル化は、底本に針山家所蔵の「原稿箋」版を使わせていただき、新字新仮名で校正しました。『三年間』は、「人間像ライブラリー」において『路苑』創刊号に春井雄三名義で発表された『その一年』の一部分がありますが、その時は、『路苑』全体の旧字旧仮名表記に合わせて「新字旧仮名」(さすがに旧字を採用すると今の人には読めなくなる)で校正しました。
しかし今回針山氏の原稿を拝見すると、かなり戦後の新字新仮名に近い形ですでに書かれており、これならばかねてからの懸案である「新字新仮名」化の試みを行ってみても良いかと考えた次第です。送り仮名等は旧仮名のままにしてありますが、「つ」が「っ」の小字になっただけでも読みやすさが格段に違います。また、ワープロ作業も格段に早くなることにも気がつきました。ぜひ『路苑』版と読み比べて、ご意見をお聞かせ願いたいところです。

 
▼ 其の二年  
  あらや   ..2018/09/28(金) 11:16  No.623
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昨日、『其の三年』のワープロ化を終了しました。あと少し、デジタル処理段階で、ほんの些細な技術的問題にぶつかって足踏みしていますが、明日あたりで公開に漕ぎ着けるでしょう。

思っていた以上に重要な作品であることを実感しました。単に処女作だからということではなく、針山和美という作家の生涯すべてを支えていた作品に思えます。公開はしなくても、死ぬ時まで氏の傍らにはいつも居た作品ではないだろうか。なぜ針山和美という作家が生まれたのかがここに書いてある。

『其の一年』は、昭和二十年。針山和美、十五才。倶知安中学(旧制)の三年生。冒頭、脇方鉱山の勤労動員風景から始まる小説は、やがて八月の敗戦へ。終戦直後の食糧難でまた援農動員。
『其の二年』は、昭和二十一年、占領下日本。針山和美、十六才。倶知安中学の四年生。帰ってきた青春。女生徒。
『其の三年』、昭和二十二年。十七才。学制改革。「武藤(針山和美)」たちは旧制中学最後の五年生。大学・高専への進学か、新制高校三年への残留かで心が大きく揺れ動く。

脇方への勤労動員で始まった小説が、旧制中学最後の授業風景で終わる構成は見事。その流れのうちに、戦争(其の一年)や、少女(其の二年)や、小説という意識の芽生え(其の三年)が流れるように描かれており、しかも伊藤整『若い詩人の肖像』の如く下品でないところが素晴らしかった。沼田流人の「タコ部屋」と同じく、この時代、この場にいた人間にしか降りて来ない天恵でしょう。十七才の、その場で書き切ったことは正解だった。

 
▼ 其の三年  
  あらや   ..2018/10/01(月) 17:08  No.624
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「えあ草紙2」事件は結構ショックでした。今でも Internet explorer ではないもので立ち上がるインターネットというものが想像できない。スマホってことなのかな…

それでも、充電なんてバカみたい…と思ってるよ。

予定通り九月中に『三年間』を終えることができたので、十月からはいつもの『人間像』作業に戻ります。第37号は「農漁村文学特集号」なので、ちょっと楽しみ。『三年間』の敗戦直後の時間から、第37号の昭和三十年暮れの時間に戻ってみると、明らかに戦後の様相が変化したことを感じますね。
ただ、その前に一週間くらい、竹内家から竹内紀吉氏に関する貴重な資料類をお預かりしたので、その保管態勢づくりや主要な小説作品のデジタル化を行うつもりです。自筆原稿を含む資料類ですので全体のデジタル化には一年間くらいの時間がかかるだろうと思いますが、とりあえずは、今年八月にアップした竹内作品の区画整理を行って今後の展開が見えやすくしたいと考えています。
その一環ということもないけれど、ライブラリーの〈新谷保人〉に『作家峯崎ひさみさんとの出会い』という対談をアップしました。


▼ 緊急連絡!   [RES]
  あらや   ..2018/09/12(水) 13:24  No.619
  緊急連絡です。ここ数日 Internet explorer で「人間像ライブラリー」を開き、検索に入った人は、「えあ草紙で読む」のところでサーチ状態が続き、何分経っても作品に辿りつけない状態になっている人がいらっしゃると思います。
これは地震関連の現象ではありません。9月7日(まぎらわしい!)に「えあ草紙」が「えあ草紙2」に切り替わり、その「えあ草紙2」が Internet explorer に対応していないことが原因です。
(Google Chrome などで開いている場合は、いつも通り正常に作動しています)

「人間像ライブラリー」では Internet explorer 利用者には旧版「えあ草紙」に切り替えて対応していますが、9月7日以前に「人間像ライブラリー」検索を使用したことのある人は、一旦、閲覧履歴を削除することが必要です。

これは、Internet explorer が前回の閲覧履歴を参照して各ホームページに入るためだそうです。削除しないと「えあ草紙2」に入り続けるため、何分待っても作品が開かない状態になります。以下、削除手順をソフテック社に教えてもらいました。いつもお世話になります。


 
▼ 閲覧履歴の削除  
  あらや   ..2018/09/12(水) 13:28  No.620
  InternetExplorerでえあ草紙を使用して作品が閲覧できない利用者は、以下の手順で閲覧履歴を削除してから再度閲覧してみてください。

履歴の削除方法
1. InternetExplorerの右上にある歯車マークをクリックして、
表示されたメニューの中から「インターネットオプション」をクリックします。
2. インターネットオプションウインドウが表示されましたら、
「全般」タブを開き、「閲覧の履歴」の「削除」をクリックします。
3. 「閲覧の履歴の削除」画面が表示されます。
以下の項目にチェックが入っていることを確認してください。それ以外は未チェック状態にして下さい。
・インターネット一時ファイルおよびWebサイトのファイル
・クッキーとWebサイトデータ
・履歴
4. チェックを入れ終わったら「削除」をクリックします。
5. InternetExplorerの下部に「選択された閲覧の履歴が削除されました。」と
表示されましたら完了です。


もし文字だけではわかりにくいのであれば、弊社のWebサイトではありませんが、以下のサイトなどは、同じ手順を画像つきで解説しております。

https://freesoft.tvbok.com/youtube_f/method/clear_cache_ie_firefox.html


▼ 平成30年北海道胆振東部地震   [RES]
  あらや   ..2018/09/08(土) 13:43  No.617
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こんなところで「胆振(いぶり)」の名に出くわすとは考えてもいなかった。
考えていなかったと言えば、厚真(胆振東部)の地震で北海道という島の全部、300万戸が停電になるなんて事態もそうですね。稚内や根室の人もさぞや吃驚したことでしょう。

小樽も6日〜7日と電気のない生活に入っていました。電気がないと交差点の信号機も点かない。JRだけじゃなくて、市バスまで動かなくなっちゃうなんて本当に想像したこともなかった。カソリンスタンドも電気がないから給油できない。どうしても車使わなければならない人たちは、タンクの残りのガソリンを気にしながら、交差点では互いに譲り合って走っていたそうですね。よく事故が起きなかったものだ。

昨夜ようやく電気が復旧し、今朝から日常生活の再建に取りかかったところです。幸い小樽は、峯崎ひさみさんの生まれ故郷の山々が震源地の余震をブロックしてくれているお蔭で被害は少なくてすみそうです。「人間像ライブラリー」関連の仕事にも被害はなく、これから6日で中断した作業を再開するところです。現在、針山和美氏の『三年間』をデジタル復刻中です。ついに手をつけました。

一週間くらいは余震に注意しなければ…という声もあるけれど、とりあえずは、ロウソク灯して晩ご飯という事態だけは脱しましたというご報告です。


 
▼ ライブラリー検索  
  あらや   ..2018/09/09(日) 07:27  No.618
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やはり被害はありましたね。現在、ライブラリー検索が出来ない状態になっています。検索で中へ入って行くことはできるけれど、作品を読む段になると止まってしまう。一部地域でスマホが使えないなどが報道されているから、そんなのが影響しているのかもしれません。別に人命にかかわるようなことでもないから、騒がず、しばらく成り行きを見守ることにします。

写真は7日朝の近所のスーパー。店内が暗くお客を中に入れるのは危険だから、店の前で注文(お一人様5点まで)をとって店員が品物を集めてくる方法をとっていました。いつになったらこの停電が終わるのかがわからない中での買い物ですから、行列は苛立っています。


▼ MIDORI   [RES]
  あらや   ..2018/08/30(木) 14:27  No.613
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 やがて息子の誕生。三才になるのを待って仕事を始め、娘が小学生になったのを機に、市役所の近くに古い小さな家を買った。仕事、家事、学校の役員。息抜きは新聞の投稿と、休日の図書館通い。ここで、『文章教室』と遭遇することになる。何気なく手に取ったカウンターの、『受講者募集』の案内書にわけのわからない興奮を覚え、迷うことなく講義に臨んだ。講師の熱っぽい語り口に圧倒されたまま、会場を出るとき転職を考えていた。
 とにかく書きたかった。フルタイムの仕事を止め、時間に縛られないパートタイマーに変わって間もなく、『文章教室』から発足した同人『MIDORI』を知り、門を叩く。
(峯崎ひさみ「ありがとう浦安」)

七月の千葉へ行ったのは、ひとつには、峯崎ひさみ氏の『穴はずれ』以降の作品群をライブラリー化したいと思ったからです。今まで、あまりにも〈北の沢〉物語に拘りすぎて(京極町の図書館員だったもので…)、氏の全体像を見ようとしていなかったのではないかという反省がありました。
おそらく、こういう視点を持つようになったのは、『人間像』の復刻作業が影響していると思います。千葉の朽木氏や鶴見の平木氏、あるいは、関西の佐々木徳次氏や福岡の日高良子氏といった才能たちが羊蹄山麓の御園から発行される『人間像』を舞台にぐんぐんと伸びて行く姿を目の当たりにして、私の作家や作品に(或いは郷土というものに)対する態度が大きく変わりました。
峯崎ひさみ氏の全体像…という意味では、それは私にとっては、氏の作家生活の基盤となった同人雑誌『MIDORI』の完全復刻、デジタル化なのですが、なかなか著作権許諾を取っている時間がない。今回は、峯崎氏に大きく影響を与えたと考えられるお二人に焦点をあてました。


 
▼ 竹内紀吉氏  
  あらや   ..2018/08/30(木) 14:32  No.614
  竹内紀吉氏は図書館界では大変有名な方なので、私ごとき田舎司書が何か語るなど恐れ多いとは思います。

竹内氏は、『MIDORI』第二号に『焼けた米』と『忘れていた町』という短篇を発表しています。浦安市中央図書館を発行所としていた『MIDORI』ですから、竹内氏が何かを書くということは容易に想像できたのですが、まさか、同人と同じ〈小説〉作品だったことは驚きでした。館長の挨拶文なんかじゃない、小説だったんですよ!

今回、峯崎氏のご厚意で、竹内氏が自らの発表作品をとり纏めた私家版作品集を目にする事ができました。そちらに収録された作品を含め、本日、18編をライブラリーにアップしたばかりです。『五の日の縁』、『和枝ちゃん』、… 作品については読書会BBSに場所を移して書きたいと思います。凄い作品です。

この場を借りてお願いします。中根彬『竹内紀吉 あるライブラリアンの記録』などを読むと、『日傘の女』『サルビアの苗』『ぼくのアウトドアライフ』など、まだ未見の作品は数多いところです。竹内氏に関する情報がありましたら御一報ください。

蛇足ですが、竹内氏は中央大学文学部フランス文学専攻の私の先輩だったんですね。『古本屋街と「ミロ」』、懐かしく読みました。(で、古い本棚からジュリアン・グリーン『幻を追う人』を引っぱり出してきて、今読んでるところ…)

 
▼ 三谷紀美氏  
  あらや   ..2018/08/30(木) 14:37  No.615
   着任の二週間後竹内は「こんな図書館がほしい会」の人たちと面会した。この会は前年に図書館建設計画が明らかになってから急遽誕生した市民運動の会で、代表の三谷紀美さんは司書としての勤務歴をもつ人である。会の人たちには大きな図書館が建つということはわかるが中身がどんなものかは分からない。いまある図書館のひどさを知っているだけに、市民としてはどんなものになるか不安になる。これが会の人たちの心中だったようだ。
(中根彬「竹内紀吉 あるライブラリアンの記録」)

図書館の街、浦安ですね。竹内氏の〈図書館〉を考える時、箱ものの浦安市図書館だけではなく、『MIDORI』などの文化をも含めて考えなければならないといつも思います。

三谷氏の作品についても、読書会BBSの方で語りたい。『MIDORI』創刊号の『小さな川の流れる町』以来、大谷翔平ばりの投打の大活躍です。作品の背景に、ディズニーランド直前の大変貌を遂げつつある浦安が描かれているのも興味深かった。第一回浦安文学賞受賞作『蛍』に略歴があったので書き写します。

〈プロフィル〉本名・三谷紀美。宮城学院女子短大卒。図書館司書を経て、現在、主婦。五十八年「市本を読むお母さんの読書感想文コンクール」で市長賞受賞。同人誌「MIDORIの会」所属。

宮城学院女子大、懐かしいな。私の大学には司書課程がなかったので、夏の文部省講習で資格をとりました。仙台の宮城学院女子大の修了証、私も持っていますよ。

 
▼ 長尾登氏  
  あらや   ..2018/08/30(木) 14:42  No.616
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昭和49年5月1日、無限(出版社)から発行された『防雪林 長尾登詩集』をライブラリー公開しました。デジタル化作業、楽しかったです。

時々、なんでこんな七面倒くさいことやってんだ…、てきぱき画像データにでも撮って貼り付ければいいんじゃないか…と言われるんだけど、何かなぁ、どうしてもそういう人を信用しない自分がいます。それでは、本を、ことばを「読む」ことにならないから。喜びが何もないから。

長尾氏の作品は、この後も続きます。この一ヵ月近く『人間像』作業に戻っていないので不安もあるけれど、大学生の夏休み並みに、もう少しだけ頑張って、長らく懸案であった針山和美氏の生原稿『三年間』などもここで着手しようかとも考えます。


▼ 「人間像」第36号   [RES]
  あらや   ..2018/08/07(火) 11:55  No.612
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本日、ようやく「人間像」第36号デジタル化、完了。かかった時間、「87時間/延べ日数23日間」でした。現在のライブラリー収録タイトル数は「655作品」。

日数が23日間もかかっているのは、千葉旅行と猛暑のせいでしょうか。第35号/109ページで「79時間」ですから、まあ、第36号/131ページで「87時間」はいつもの復刻ペースと云えましょう。

渡部氏の『氷の橋』、朽木氏の『ミツキイ堂にて』の揃い踏みもうれしいのですが、第36号には他にも興味深い作品がいくつかあります。稚内の新制高校が舞台の津井彰『アルバム』とか、前号の平木氏の原稿用紙200枚を越えるのではないかといった努力賞・春田良久『栖』とか。これらの同人は、この号きりの登場とか、この作品きりの発表とかで短命で消えていった人たちなので、〈渡部秀正〉や〈朽木寒三〉といったようには個々のインデックス項目を起こしてはいません。読もうとすれば〈作家別〉→〈人間像同人会〉に入って「人間像」第36号で読むしかないのですが、一読の価値はあると思います。特に『アルバム』は、なにか石坂洋次郎みたいな当時の若者風俗を思い起こす私には懐かしい作品でした。

今、NHKラジオで「智弁和歌山×近江」を聴きながらこれを書いているんですけど、実況をやっているの女性アナウンサーですね。藤井彩子以来か。



▼ 旅行   [RES]
  あらや   ..2018/07/23(月) 08:57  No.606
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一週間、千葉に行ってきます。36度なんて、もう何十年も経験していないので不安ではありますが… 「人間像ライブラリー」の充実のためならば出来るかぎりのことはしようと考えています。

写真は庭のカボチャ。元気な奴で庭石を直登して地面に降りて来ました。


 
▼ 針山和美の上京メモ @  
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:24  No.607
  ○ 七月二十六日、千葉市内朽木宅泊まり。
 朝の七時二十七分上野着(2分延着)。ぼくが出迎えて千葉の自宅に案内、夜は明け近くの四時まで話す。
 佐々木、門脇君から三十日朝に上京のハガキ。

今から63年前の夏、針山和美氏も千葉へ。平成15年発行の『人間像別冊・針山和美追悼号』に発表された朽木寒三氏の『針山和美の上京メモ 昭和三十年七月二十五日から八月六日』はいつまでも私の心に残る名作なんです。追悼号でこれが登場するというのがとても切ない。

○ 七月二十八日、針山君は朽木宅泊まり。
 十二時半、京成電車の駅前で内田と別れる。夜、瀬城乃利夫がやってきて三人で飲む。瀬城は酒豪だが酔い潰れたので、酒を飲まない朽木と針山の二人は、魚屋の座敷で八時半から十時半まで、集まった近所の人たちとテレビ見物。力道山・アズマ対オルテガ・カーチスのタッグマッチ。オルテガは血塗れの負傷。

おお、ジェス・オルテガ…

 
▼ 針山和美の上京メモ A  
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:27  No.608
   昭和三十年といえば私は三十歳、五歳年下の彼は二十代の半ばという若いさかりだった。それにしても、まだ戦後は終わったとは言い切れぬ不便な交通事情だったし、汽車はのろく日本人の収入も乏しくて、彼にとってはまるで今の海外旅行同然の大旅行だったことと思う。
 しかしその頃の我々は、現代の若者にある意味では非常に幼稚なコドモであり、別な面では過酷な戦争体験を経てすでに完全なオトナでもあった。特に私は足かけ三年にわたる戦場暮らしという「時間停止」の空白のために精神的な成長がストップして、とにかく二人とも現在の日本人にくらべたらずいぶん無邪気だった。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

昭和30年なら、私は三歳か。死んだ父ちゃんが朽木氏と針山氏の間くらいの歳だから、青春真っ盛りという感じですね。この一文が大好きなのは、父や母の若かった時代が思い浮かべられるからかもしれない。

 その証拠を一つ上げると、針山君は「人間像」を手刷りのガリバン誌でスタートしたときに、「以後五年間でこれを全国紙に発展させ、我々はプロの作家として世に出る」という野望的な第一期計画を本気で立てたのである。そしてその頃の十人たらずの我々同人仲間は、彼の計画を意気揚々と聞き、共感したのだから、まあ、夢は無限に高く広く、我ら若者たちにとって(精神的には)幸せな時代だった。ちなみに当初針山君のこうした野望と計画があったために「人間像」の同人は北海道から九州にわたって散在という異色の同人雑誌になったのだ。
(同書)

 
▼ 針山和美の上京メモ B  
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:32  No.609
  ○ 七月三十日、針山君は朽木宅泊まり。
 朝七時平木も同行で東京駅に出迎え、到着の佐々木、門脇の二人と感激の初対面。英雄豪傑の大集合だ。十時まで蚕糸会館で雑談。十時から十二時まで近くの日活劇場(ほやほやの豪華新築)で『青い大陸』を見る。針山、平木、佐々木、門脇の四人は千葉に先行。あとからぼくと上沢も参加して計六人、夜の十一時半、海で小舟に乗る。船頭はぼく。海水の航跡が夜光虫で白く光る。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

夜の十一時半なのに、まだ遊び廻ってるなあ。朝四時まで語り明かしたとか、もう怖い物知らずの青春ですね。

 
▼ 針山和美の上京メモ C  
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:35  No.610
  ○ 八月二日、針山君ら三人は吉祥寺の上沢宅泊まり。
 午後二時まで東京見物(針山、佐々木、門脇、上沢)信濃町、神宮外苑、新宿、東京駅で夕方の五時五十分社用で別行動のぼくと合流。上沢は今日も欠勤。日本橋夕食スシとビール。国際観光ホテルの屋上で日暮れになり夜の「人民広場」探訪。アベックのカップルの群れを狙うアイスクリーム売りの若者を佐々木がからかう。「商売は大繁盛だろうな」「だめだ売れない。わざとすぐそばに立っていてもやつらヘーキなんだ」門脇はぼくと堀端の芝生に腰かけて言う。「こんなもの全部捨ててしまいたくなる時があるんだ」そしてわしづかみにした二三冊の文庫本を堀りの中に投げ込むしぐさをする。組合運動に専念すべしの使命感がざわめくらしい。

○ 八月三日、針山君たちは吉祥寺泊まり。
 上沢は欠勤。午後彼ら(針、佐、門、上)は浅草の国際劇場で『夏の踊り』を見た由。日本橋で夕食。三十四度の酷暑に加えて猛烈な風と砂塵。午後三時ごろ突然の雷雨のあと気温が二十六度に急降下。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)

63年後の東京も暑かったです。久しぶりに熊谷が猛暑日本一を取り戻した夏ですからね。こんな中で野外彫刻散歩をやってる奴なんか、馬鹿みたい。

 
▼ 針山和美の上京メモ D  
  あらや   ..2018/08/01(水) 10:39  No.611
  ○ 八月六日、早くも針山君滞在の最終日。
 ぼくと上沢は一応出社。夕方の四時五分に発車の「きたかみ」に乗る針山君を上野駅に見送る。平木、上沢、失名君?、とぼく。
 針山君の乗る「きたかみ」は四時に上野を出て、翌日の六時に青森、十一時ハコダテ、午後三時倶知安、夜八時に御園到着。なんとまあ日本は細長い国だ。

「この数日、我々でさえこんなにくたびれているのにヤッコさん大変だなあ」
 我が家の夕食の家族雑談。母と優子とぼく。
「針山君をたった一人汽車に乗せたとき、ちょっとかわいそうみたいだった」ぼくが言うと優子が真顔で、
「見送りの人、だれも泣かなかった?」と言う。
「なるほどあんなとき、娘っ子たちはホームで一泣き泣くところなんだわ。こりゃベンキョウになった」
「針山さんみたいに世話のやけないお客は初めて」母が言う。「部屋で寝転んで本なんか読んでいるから、針山さんちょっとここ掃かせてちょうだいと言うと、ごろんごろん寝転んで向こうにいくの。そしてこんどはそっちですよと言うとまたごろんごろんとこっちに戻ってくる」三人そろって爆笑。
「あんなお客さんなら何年いてもいいわ」と母。
(朽木寒三「針山和美の上京メモ」)








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