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▼ 遠い日の戦争   [RES]
  あらや   ..2017/11/15(水) 13:15  No.415
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 大久保ミヨ婦人の述懐によれば、夫の靖は戦時中南方派遣軍の一員であつた。ある時、米軍の飛行機が靖等の部隊近くの森の中に不時着したのであつた。その時、まだ若いその搭乗員を銃殺する様靖は上官より命令された。理由など考える事は靖等には許されなかつた。靖は忠実に上官の命を守り、ある夕暮時草原で米兵を銃殺した。敗戦直前靖は内地え帰還した。そのまゝ家に落ち着いた。それがある時、靖の小さな静かな家庭の中え米兵と警官が押しかけ、無言の抵抗を示す靖を引き連れた。その時、ミヨも紀子も側に小さく震えながら、それを見守つていた。妻も子も何もかも不可解であつたのだ。靖はすつかり青ざめて一つも言葉を発しなかつた。その時すでに死を覚悟していたのかもしれない。
(葛西庸三「傷魂の彷徨」)

これは、現在デジタル復刻作業中の「人間像」第20号に収められた葛西庸三氏の作品です。ちょうど『遠い日の戦争』を読んでいた時だったので、「へえーっ」と思ってこちらを引用してみることにしました。第20号の発行日は昭和27年(1952年)4月。『遠い日の戦争』が昭和53年(1978年)の雑誌「新潮」連載ですから、およそ四半世紀の時間を隔てて何か呼び合う感情を感じました。

大久保紀子には、また何処かで逢いたいと思った。


 
▼ 破獄  
  あらや   ..2017/11/18(土) 09:12  No.416
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 宇都宮駅をすぎて間もなく、浦田は、佐久間が片肘を窓ぎわにのせて頰杖をつき、眼をとじるのを見た。浦田は眼をみはった。前手錠をかけられた佐久間にはできぬ姿勢であった。驚いて手首をみると、一方の手は膝の間にたれ、手錠がはずれていた。浦田は他の看守とともに佐久間を見まもっていたのに、いつの間にか手錠をはずしていることに愕然とした。
(吉村昭「破獄」)

『破獄』、また読み返してしまった。『羆嵐』と同じで、ちらっとでも読み始めると、そこからラストまで読んでしまう。昭和二十年前後の世相を描くのに、これ以上の題材ってそうはないといつも唸ります。

 二人の看守が顔色を変えて立ちあがり、
「足錠をかけ、縛りましょう」
 と、言った。
 浦田は、看守を制すると、
「佐久間、ちゃんとかけとれ」
 と、言った。
 眼をあけた佐久間は、窓ぎわから片手をおろして手錠をはめ、
「手が疲れたのではずしただけですよ。主任さんにはお世話になったし、ご迷惑をかけるようなことはいたしません」
 と言って、頭を壁にもたせて再び眼をとじた。


▼ 海の祭礼   [RES]
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:42  No.413
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 森山は、「プレブル号」の消息をたずね、
「私ハ、ソノ軍艦ニ乗ッテ帰国シタ捕鯨船員ラナルド・マクドナルドカラ、英会話ヲ教エテモラッタ。カレハ元気ダロウカ。ナニカ知ッテイルコトガアッタラ、教エテ欲シイ」
 と、真剣な表情でたずねた。
(吉村昭「海の祭礼」)

ラナルド・マクドナルドの碑が利尻島にあるんですね。
http://www.town.rishiri.hokkaido.jp/rishiri/2505.htm
車を使わなくなったのでもう行くこともないだろうけれど、記憶にはとどめておこう。なにかの拍子に…ということはあるだろうから。

読んでいて、何かにつけて思わぬ邪魔が入り難航する「人間像ライブラリー」の今を、どこかで森山栄之助の姿に重ねている自分がありました。


 
▼ 同人雑誌  
  あらや   ..2017/11/05(日) 13:49  No.414
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新潮社の「吉村昭自選作品集」には毎号に月報「私の文学的自伝」が付いていて、その第九号月報が興味深かった。ちょうど吉村昭の同人雑誌時代にあたります。

 私は、「文學界」で没になった中篇小説『少女架刑』を、丹羽文雄氏の主宰する同人雑誌「文学者」に投稿した。
 『少女架刑』は、「文学者」十月号に掲載され、その月の合評会で激賞してくれる人がいて、私は嬉しかった。しかし、同人雑誌評ではほとんど無視され、「文學界」の同人雑誌評でも、死者が「私」であるというのは不自然だ、と数行書かれているだけであった。
 私は、やはり、『少女架刑』が「文學界」編集部で不採用になったのも無理はないのだ、と、あらためて思った。
(中略)
 私は、「文學界」に発表した『貝の音』の評にひそかに期待していたが、文芸時評では全く黙殺された。文壇に登場するのは、きわめて至難であることを、私はあらためて意識し、打ちひしがれた思いであった。
 芥川賞候補に二度えらばれ、文芸誌に一作のりはしたが、私は、それがほとんど意味のないことであるのを感じていた。たまたま、そのようなことがつづいただけのことで、私は、依然として同人雑誌に作品を寄せる人間であるのだ、と思った。
(吉村昭「私の文学的自伝・九」)


▼ 破船   [RES]
  あらや   ..2017/10/16(月) 09:56  No.411
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 江戸初期の多くの古記録に、一、二行の気になる記述があり、それを強く意識しはじめたのは、かなり以前のことである。荒天の暗夜の海で難儀する船を、海岸に住む者たちが巧みに磯に誘って破船させ、積荷などを奪うことがひそかにおこなわれていた、と記されていたのである。
 そのような記述が、主として日本海沿岸の各地に残された記録にしばしばみられ、私はこれを素材に小説に書くことを思い立った。
 また、恐るべき疫病であった疱瘡(天然痘)にかかった者からの感染を防ぐため、それらの者を船に乗せて海に流したという記録も眼にして、その両者をむすびつけることで、小説の構想は成った。
(「吉村昭自選作品集」第七巻/後記)

吉村昭の小説には珍しい、古記録の短い記述にインスピレーションを得た虚構小説。破船の舞台には、佐渡ヶ島の一漁村を選んだそうです。初出は1970〜71年の雑誌「ちくま」。

1970年か… 札幌の阿呆な高校三年生が宮の森をうろうろしていた頃ですね。


 
▼ 虚構小説  
  あらや   ..2017/10/16(月) 10:01  No.412
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 かれは、あらためて三歳の折の記憶を反芻した。父や母が村人たちとともにはしゃいでいたのは、その年にお船様の訪れがあったからであることにようやく気づいた。さらに、それから一、二年は、現在の生活では考えられぬ食物を口にしたり、珍しい物を眼にしたことも思い起した。
 祝いごとや村に死者が出た夜、母は、甕から米をすくっては粥をつくってくれた。発熱した折、母が壺を大切そうにかかえてきて、その中から白いものを指先にのせてなめさせてくれたこともある。それは、気の遠くなるほど甘く、白糖という万病にきく薬だということも耳にした。
(吉村昭「破船」)

「虚構小説」って響き、いいですね。吉村昭みたいな作家が、あえて「虚構」ってことわると迫力があります。この三歳の時の記憶、白米、砂糖に続いて蝋燭の記憶が語られるのですけど、なにか涙が出るほどの美しい記述、美しい物語でした。


▼ 深海の使者   [RES]
  あらや   ..2017/09/21(木) 08:51  No.409
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「カジキサー カジキサー。ノムラノオヤジャ ハヨ タタセニャイカンガナー モ タッタケナー」
「ヨシトシサー ヨシトシサー ヨシトシノオヤジャ モ イッキタツモス」

緊急を要する要件ゆえ、連合国側の盗聴覚悟で、外務省−ドイツの日本大使館間の国際電話を使用することに踏み切った軍部。その時に使われた方法がこれです。標準語から最も遠い鹿児島弁で会話する…なんですね。じつに「へえーっ」です。

「カジキサー カジキサー。ノムラノオヤジャ ハヨ タタセニャイカンガナー モ タッタケナー(カジキさん、カジキさん。ノムラの親爺は、早く発たせなくてはいけないが、もう発ちましたか)」
 ノムラの親爺とは、野村海軍中将のことをさしていることはあきらかで、その帰国をうながしていることか理解できた。
 曾木は、すぐに答えようとしたか、一瞬、ノムラという言葉をヨシトシという人物が口にしていることに狼狽した。
 (中略)
 曾木は、声をはりあげると、
「ヨシトシサー ヨシトシサー ヨシトシノオヤジャ モ イッキタツモス(ヨシトシさん、ヨシトシさん。ヨシトシの親爺はもうすぐ発ちます)」
 と、早口で答えた。
(吉村昭「深海の使者」)


 
▼ 潜水艦?  
  あらや   ..2017/10/02(月) 16:46  No.410
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『深海の使者』や『海軍乙事件』が収録されている巻に、なんで蝦夷ものの『烏の浜』が入っているのか長らく不思議だったのだけど…、もしかしたら、これは〈潜水艦〉つながり?

 『深海の使者』は、私の書いた戦史小説の中でも最も多くの関係者から証言を得た小説で、「文藝春秋」での連載を終えた後、調べてみると、いただいた名刺が百九十二枚もあって、われながら驚いた。
 昭和四十八年四月にそれが単行本として出版されたので、回想をきかせて下さった方々に郵送した。愕然としたのは、その後だった。二十四名の証言者の御家族から、夫、または父が死去し、仏壇にその単行本をそなえたという御返事をいただいたのである。
 私が、この小説の史実に関係した方たちに会うことをはじめたのは、昭和四十六年の夏からで、わずか二年足らずのうちに百九十二名中二十四名の方がこの世を去っていたのを知ったのである。
(「吉村昭自選作品集」第四巻/後記)

これに似た驚きや悔しさを私も何回か味わっています。私の気づきがもう数年早かったならば、ご存命の内にお目にかかれたかもしれない…という方が何人もいます。「烏の浜」で何が起こったのか、知ったなら直ちにそこへ行かなければならないと私も思うようになりました。


▼ ミユキ   [RES]
  あらや   ..2017/08/30(水) 07:05  No.407
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「人間像ライブラリー」の紹介を出していただいた関係で贈られてきた『人間像』第187号。作家の洒脱な文章の中に、私の素人っぽい文章が混じっている違和感に慣れる(まあこれしか書けないから…)のに一昼夜くらいの時間がかかりましたが、それも一段落した昨日、何気なく読み始めた北村くにこ『自閉の揺りかご』が、良かった。

十年前、峯崎ひさみさんの『穴はずれ』を偶然手にとった時みたいな「えっ…」というときめきがありましたよ。パソコン作業の手を止めて『夕日の中のオリーブ』、これも良かった。で、先ほど布団の中で『ミユキ』読了。凄いなあ。凄いよ。

(ちょっと用事が入ったので、また書きます。)


 
▼ 北村くにこ  
  あらや   ..2017/08/30(水) 09:55  No.408
  「良かった」だの、「凄い」だの、図書館人には禁句の言葉(これ言ったら、もう本の紹介にならないからね…プロじゃないです)をバンバン連発してしまって、お恥ずかしい。でも、それくらいには針が振れました。私はこの種の波長に弱いみたいです。

三月頃、「人間像」のデジタル化を始めるという話を聞いた倶知安在住の方から最近の「人間像」十数冊の寄贈がありました。今、作業をしている私の机の傍らにありますが、先ほど目次を確認してみたら、北村くにこさんの作品は、

第179号……「海岸町シュガーストーリー」
第181号……「無口な犬、シロよ」
第182号……「鬼を飼う」
第183号……「完璧な恋人」
第185号……「木下荘・女三景」

でした。(第180、184、186号は手元にないので確認できず) あと5作品、楽しめる。読み終わったら、家からいちばん近い「人間像」所蔵館は札幌市中央になるのかな。バスに乗って、市電に乗って行きましょう。


▼ 旅行   [RES]
  あらや   ..2017/08/22(火) 11:46  No.406
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 昭和十二年七月七日、蘆溝橋に端を発した中国大陸の戦火は、一力月後には北平をつつみこみ、次第に果しないひろがりをみせはじめていた。
 その頃、九州の漁業界に異変が起っていた。
 初め、人々は、その異変に気づかなかつた。が、それは、すでに半年近くも前からはじまつていたことで、ひそかに、しかしかなりの速さで九州一円の漁業界にひろがつていた。
 初めに棕櫚(しゅろ)の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであつた。
(吉村昭「戦艦武蔵」)

 或る夜、藤平は突然人の喚き声を耳にしてはね起きた。
 淡い坑道のカンテラの下で、半身を起している技師の青山が、眼を吊り上げてなにかしきりに叫び声をあげている。坑道の一隅に寝ていた技師たちが、起きて青山をとりかこんでいる。根津も天知も起き出してきた。
 「ホウだ、ホウだ」
 青山は、手にノートのようなものをつかんで譫言のように叫びつづけている。
(吉村昭「高熱隧道」)

当時の関係者を訪ねる旅。費用はすべて吉村昭氏の自己負担だったという。出版社や関係団体から取材費を貰ったことは一度もないという。想像するのだが、インタビューで「これは!」という証言が得られた瞬間、ほぼ小説は氏の頭の中で成立していたのではないでしょうか。東京へ帰る汽車の中で小説の組み立て作業はすでに始まっていると書いていましたが、全部が全部「これは!」ということはなかっただろう。空振りの旅の帰りの車内の姿を思い描くと、今読んでいる吉村昭の小説の有難さをしみじみと感じる。



▼ 少女架刑   [RES]
  あらや   ..2017/08/02(水) 09:25  No.403
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 この短篇小説集におさめた十四篇は、二十四歳から三十九歳までに発表した短篇で、つまり、初期作品である。
 久しぶりにこれらの短篇を読み直し、ある感慨にとらわれた。
 年齢を重ねた現在、小説を書く上で私は、若い時には持ち得なかったなにかを確実に得た、という思いがある。そのことに満足感もいだいているが、若い折に書いたこれらの短篇小説を読み直してみて、たしかに年齢故に得るものはあったものの、同時に失ったものもあるのを感じた。
 たとえば、二十四歳で書いた「死体」などを読んでみると、稚さはあっても対象にしがみつく若さ故の熱気が感じられる。現在の私には、このような執拗さはない。
 他の短篇でも、それに共通したものがあって、私は、自分の内部に失ったものがあるのを知ったのである。
(「吉村昭自選作品集」第一巻/後記)

いやー、たいした衝撃でした。『羆嵐』も読んだ。『赤い人』も読んだ。大抵の吉村昭作品は読んでいて、それなりに理解しているつもりだったけれど、『少女架刑』は読んでなかったなあ。読んでなかった自分を馬鹿だと思いました。こんな無知でよく今まで世の中渡ってきたもんだとため息ついちゃった。

 推敲したいのは山々である。しかし、それは若さだけが備えていたものを削り取ることになりかねない。そのため、あくまでも原型はそのままとし、字句の訂正にとどめた。
 これでいいのだ、と思っている。
(同「後記」)

捏造したいのは山々である… 昔からちゃんと『少女架刑』も読んでいますよ、勿論知った上で吉村昭を語ってきたんですよ、とかね。まあ、いいか。もうそれほどガキじゃないし、ここには正直に書くことにしよう。


 
▼ 透明標本  
  あらや   ..2017/08/03(木) 08:32  No.404
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『少女架刑』の前に『透明標本』読まなくてよかった!(微妙なんだけど、味わいってものがあるから…) 読むのはこの順番ですね。なにか、これからも永くこれらの作品群には拘わって行くような気がするので、「初出と初収」をメモしておこう。

死体 「赤絵」第8号昭和27年4月 『青い骨』昭和33年2月小壺天書房(自費出版)
青い骨 「文学者」昭和30年8月号 『青い骨』昭和33年2月小壺天書房(自費出版)
さよと僕たち 「Z」第5号昭和32年3月 『青い骨』昭和33年2月小壺天書房(自費出版)
鉄橋 「文学者」昭和33年7月号 『少女架刑』昭和38年7月南北社
服喪の夏 「亜」第3輯昭和33年9月 『水の葬列』昭和42年3月筑摩書房
少女架刑 「文学者」昭和34年10月号 『少女架刑』昭和38年7月南北社
星と葬礼 「文學界」昭和35年3月号 『少女架刑』昭和38年7月南北社
墓地の賑い 「文学者」昭和36年4月号 『少女架刑』昭和38年7月南北社
透明標本 「文学者」昭和36年9月号 『海の奇蹟』昭和43年7月文藝春秋
電気機関車 「宝島」昭和38年夏季号 『密会』昭和46年4月講談社
背中の鉄道 「現代の眼」昭和39年1月号 『彩られた日々』昭和44年10月筑摩書房
煉瓦塀 「文學界」昭和39年7月号 『星への旅』昭和41年8月筑摩書房
キトク 「風景」昭和41年7月号 『彩られた日々』昭和44年10月筑摩書房
星への旅 「展望」昭和41年8月号 『星への旅』昭和41年8月筑摩書房

『背中の鉄道』もよかったなあ。ニンゴーゴー。

 
▼ 稚内  
  あらや   ..2017/08/04(金) 09:56  No.405
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稚内、行ってきました。『少女架刑』スレッドに貼っているのが、天北緑地公園の高橋洋「このはずく」、『透明標本』スレッドが本間武男「大地」です。で、このスレッドが本郷新「九人の乙女の像」のレリーフです。「氷雪の門」も夜のライトアップも含めて撮ってありますので、いつかチャンスがありましたら、この掲示板で。

道内野外彫刻は、この稚内でほとんどカバーしたと思います。八月いっぱいで車を処分するので、過去に事情があって撮り残した幾つかを今月中に…とか考えています。


▼ 海の棺   [RES]
  あらや   ..2017/07/23(日) 11:27  No.401
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 『海の柩』は、ある医学関係者を介してKという人と会い、告白をきいたことから実地調査をして執筆した小説である。
 (中略)
 腕のない兵の遺体の群れが漂着した村をはじめ近くの村にも行って、当時のことをきいて歩いた。
 漁船を出して兵たちの救出につとめた老漁師は、訪れて行った私に、憲兵に口どめされているからと言って、初めは黙したままだった。終戦後、二十五年もたっているのに、かれは依然として戦時の中に身を置いていたのである。
 やがて、口ごもりながら話しはじめたかれは、憤りを押えきれぬらしく手ぶり身ぶりをまじえて話を進めた。
 私は、かれの氏名を明かしてくれるなという請いに応じて、漁業組合長とするにとどめた。
(「吉村昭自選作品集」第三巻/後記)

『背中の勲章』『逃亡』もしみじみと読ませたのたけど、『海の棺』や『総員起シ』に入ってくるとその解像度が格段に違ってくるというか。こういう力作を次々と書く人間というのは、どういう知性によるのだろう。単に、脚の丈夫な奴が各地を訪ね歩いたって、こういう作品は書けないことを強烈に知らしめてくれます。

インターネット上で、ここまで不思議な話だとこれはフィクションなのじゃないの…という声もあがっています。まあ、小説作品なんだからフィクションでいいんだけど、2010年の「吉村昭と北海道」展のカタログには北海道日高地方の「厚賀」という地名があげられていますね。


 
▼ 総員起シ  
  あらや   ..2017/07/23(日) 11:32  No.402
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 『総員起シ』は、冒頭に記したように、六葉の写真を眼にしたことによって筆をとった作品である。多くの戦史小説を書いたが、この小説に書いた素材は強烈な印象であった。
 沈没した「伊号第三十三潜水艦」の、わずか二人の生存者――小西愛明、岡田賢一両氏を訪れて、艦が沈没した折のこと、救出された経過を知ることができた。
 さらに、艦の浮揚をおこなった北星船舶工業株式会社社長の又場常夫氏を呉市に訪れた。氏の会社には、艦の浮揚記録と多くの写真が保存されていて、その作業日誌にもとづいて浮揚にいたるまでの経過をたどった。
 この作業に従事した人たちとも会って話をきいた。兵員室に横たわっていた遺体が、さながら生きたままであったことから、「総員起シ」の号令をかければ水兵たちがはね起きるだろう、と、当時、話し合っていたということを耳にし、題を「総員起シ」としたのである。
(「吉村昭自選作品集」第三巻/後記)

真珠湾(背中の勲章)で始まった戦争が伊予灘の潜水艦沈没(総員起シ)で敗戦の日が近いことを予感させる、あるいは、この戦争は初めからこのような惨たらしい死の衝動を内に秘め覚悟してはじまったのではないか、と考えさせるこの一冊の本の構成でした。後書きまで含めて、なにか深刻に「日本人」というものを考えさせます。

『海の鼠』からずっと貼り付けている写真は、今年の三月に岩内・雷電海岸で撮ったものです。レリーフは海岸沿いにあった漁業組合顕彰碑らしきもの。プレートが潮で削られていて判読不明。レリーフに「ヒデノリ」のサインがあったので、たぶん(なんと)作者は米坂ヒデノリです。


▼ 海の鼠   [RES]
  あらや   ..2017/07/14(金) 09:43  No.399
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 動物を扱ったこれら六篇の小説の中で、最も早い時期に書いたのは、『ハタハタ』である。新聞の小さな囲み記事に、ハタハタ漁で遭難した漁師の遺体収容よりもハタハタをとるのを優先している漁師町のことが記されていた。
 この記事に人間の生きる苛酷な営みを感じた私は、秋田県下のハタハタ研究家を訪れてその生態についての知識を得、ついで目的の漁師町におもむき、商人宿に泊って漁業関係者、遭難死した漁師の遺族たちに会って話をきいた。帰京した私は、少年を主人公にこの作品を書き上げたのである。
  (中略)
 鼠の生態について書かれたものを読んでいるうちに、宇和島市の沖にある戸島、日振島に鼠の異常な大量発生があったことを知り、興味をいだいた。それらの島におもむいて調査し、事実にそって執筆したのが『海の鼠』である。海を渡る鼠の群れを網にかけた漁師の話をきいた時の肌寒さは、今でもはっきり記憶している。
(「吉村昭自選作品集」第十一巻/後記)

道内の野外彫刻巡りなどに大変役に立っていた自動車なんだけど、8月末で手放すことにしました。稚内の本郷新とか、いくつか懸案事項が残っているので7〜8月で時間を見て廻ってみるつもりです。まあ、チャンスがなかったら秋冬の汽車・バス旅でもいいんですけど。
稚内方面なら苫前の三毛別(吉村昭「羆嵐」)も…ということで、図書館から『吉村昭自選作品集』第11巻を借りてきました。そこで大発見。北海道ものの『羆嵐』『羆』『海馬』はもちろん面白かったのですが、今回読み返してみて、意外に内地ものが面白いんですね。特に『海の鼠』。これ、凄いなあ。ガーンでした。


 
▼ 妄想  
  あらや   ..2017/07/14(金) 09:47  No.400
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 人間は、多くの動物たちと地球上で同居している。さまざまな動物と接する人間の生の営みが私の関心を強くひき、刺戟をうけてこれらの小説を書いたのである。
 自分でも不思議に思うが、このような旅の帰途、胸の中に小説の構想が自然に湧いてきて、それをあれこれと練りながら帰京する。家についた頃には、ほとんど小説の構成も出来上っていて、早く筆をとりたいと思うのが常であった。
 このようなことは、動物を扱った小説以外にはなく、動物に接する人たちの熱気のようなものが自分にも乗り移っているからなのか。私にもわからず、不思議である。
(「吉村昭自選作品集」第十一巻/後記)

動物と云えば、私には大森光章。「人間像ライブラリー」の作業をやっていると、『星の岬』所収の『凍土抄』とか『王国』のデジタル化やりたいなあ…とか発作的に思ったりします。妄想はどんどん膨らんで、もしそれらの作品群が「人間像ライブラリー」にアップされたら、何かの拍子に幻の同人雑誌『新芸術派』や『しんぼる』もどこかから出てくるんじゃないか…とか思ってる自分がいます。

いやいや、何遊んでるんだ、さあ仕事、仕事…となって正気に戻るんですけど、こういう遊びの時間自体は絶対に必要なのでしょう。今、この作業と並行して『吉村昭自選作品集』を読み返しているのには何か意味があるのだと思ってます。草むしりと同じで、頭ではなく、身体の方がこういう人生を選びとっている。


▼ 馬賊戦記   [RES]
  あらや   ..2017/06/20(火) 09:27  No.397
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 そうした本誌の活気とともに、初めて商業ベースの出版に乗り、話題を提供したのが朽木と平木であった。
 この期間、朽木は本誌には五篇の小説しか発表していないが、その間に『馬賊の唄』と題して馬賊の大頭目小日向白朗氏を主人公にした七百枚の長篇に取り組んでいた。持ち込んだ出版社から無名の朽木寒三では売れないから、小日向本人の名にしてほしいなどとクレームがついたりして仲々スムーズに事は運ばなかった。「いざとなれば『人間像』に一挙掲載する」という針山の意向を後ろ楯に、「名を捨てるぐらいなら降りる」と強気に押した結果、続編も書いて完結させる事を条件に番町書房(主婦と生活社の出版部)から出版されることになった。続編を加え千六百枚は正・続二巻として四十一年七月に刊行された。『馬賊戦記』の誕生である。これが数十版を重ねるミリオンセラーになるなどとは、作者はもとより当の番町書房すら夢にも考えてなかったに違いない。
(針山和美「『人間像』の五十年」/昭和四十年代 70号〜100号)

その『馬賊戦記』、道立図書館から取り寄せてもらってただ今読書中。いやー、千六百枚。久しぶりのヘビー級マッチ。
この前まで佐々木譲の読み残し本を何冊か読んでいたのだけど、なんか燃えませんでした。佐々木譲にも凡作はあるんだなあと実感。(←当たり前か…)
というわけで、かねてよりの懸案『馬賊戦記』に踏み切ったわけです。朽木さんの本はアマゾンでも凄い値段がついていて手が出せません。道立にあって良かった。「人間像」絡みの本はかなり道立で押さえてあるみたいなので助かります。


 
▼ 返却日  
  あらや   ..2017/07/01(土) 18:45  No.398
  返却日が今日なので、昨日からパソコン作業もしないで(←四月に小樽に戻って以来、初めてのことです)読み耽っていました。ようやく午後二時に読了。町の図書館に返し、帰り道のコンビニでカップ麺を買ってきて遅い昼飯を食べた。

気になっていた表紙の絵ですけど、水木しげるだそうです。一瞬、さいとうたかをかな?とも思っていたけれど、言われてみれば水木しげるですね。

時間がなかったので、いつもの引用はなしです。道立から一緒に借りていた『馬賊と女将軍 中島成子戦記』も読むことができなかったので、どこか早い時期に再チャレンジすることもあるでしょう。感想はその時にでも。








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