| HOME | 携帯用 |



読書会BBS

 
Name
Mail
URL
Backcolor
Fontcolor
Title  
File  
Cookie Preview      DelKey 

▼ 戦時下の日本彫刻   [RES]
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:34  No.758
  .jpg / 12.2KB

彫美連続講座『戦時下の日本彫刻』に行ってきました。
https://doubigakugeiken.com/news/20250506-227/
三月の『北海道・謎の彫刻史』に続いて、これで二回目。今回も充実してました。

平瀬礼太さんは昔から尊敬している人です。『彫刻と戦争の近代』のおかげで私の彫刻知識は二倍も三倍にも拡大しました。いや、彫刻知識といった表現は陳腐だな、もっと戦争とは何かといった範疇まで私の思考を拡げてくれた本と思っています。チラシにも写真があげられている朝倉文夫の『再起の踊』、これを何度も何度も見つめていたことを思い出す。


 
▼ 援護の手  
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:40  No.759
  .jpg / 52.0KB

チラシの本郷新『援護の手』は、先日見た「彫刻の設計図」展の『像を持つ』『手の中の母子像』などに繋がるモチーフ、本郷新が生涯持っていた固有のモチーフであることがわかります。講演では、本郷新や高村光太郎の戦中、戦後の態度、言動にまで話が及び大変勉強になりました。

平木國夫さんの作品に、副業として飲食店を始めた若き日の本郷新らしき人物に蕎麦の出汁をとる秘伝を平木さんが教える…という場面が確かあったと思うんだが、今回、「人間像」をあちこち探したのですが見つかりませんでした。もちろん『秘伝』も探しましたが見つからない。たしかにこの手が入力したんだがなあ…(面目ない話です)

 
▼ 平和の塔  
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:46  No.760
  チラシにある『平和の塔』については、「人間像」でも言及があります。福島さんは針山さん亡き後の「人間像」を率いた人。旧制の倶知安中学以来の盟友。

 南下して宮崎に入った。
 平和台公園に行った。巨大な塔があった。それはいやにくろぐろと聳えてみえる。晴天にかかわらずである。平和台公園の平和の塔、つまり平和のシンボルタワーだと気づく。歩を進めた。
 塔に彫られた文字が読めた。「八紘一宇」とあるではないか。突然タイムスリップして過去の世界に踏み込んだ錯覚を起こした。旧跡など随分見たがついぞそんな気はしなかった。自分と古いものとの距離があることを納得づくの上で見てきたからである。にもかかわらず「八紘一宇」の字を見上げたとたん軽い立ち眩みを感じた。(今、自分は戦後の現代の旅行者なのだ。一九四〇年ではない)と思い直すのに時間がかかった。
 (中略)
 経済統制も厳しくなった。新聞や雑誌の統合とか用紙の配給などが進んだ。
 父は小さな雑誌の編集をしていた。それが戦時下体制のせいで失職せざるを得なかった。職探しのため父は東京に残った。家族は母の実家に一時寄留することになった。級友と別れるのが辛かった。上野を発つ時、妙に不安な気がした。こども心にもそれは不吉なものだったことを記憶している。そして何故か「八紘一宇」の文字が脳裏に焼き付いている。
(福島昭午「悪霊の塔」)

 
▼ 神田比呂子さん  
  あらや   ..2025/05/20(火) 12:51  No.761
  .jpg / 74.3KB

会場はいつも札幌市民交流プラザ一階のSCARTSなのですが、開演までの時間調整で二階の情報館をぶらぶらしていたらこんなチラシ葉書を見つけました。神田比呂子さん、亡くなられたのですね。悲しいです。ご冥福を祈ります。私の彫刻巡礼は洞爺湖の『夏〜渚へ』から始まりました。

絵楽屋って何だろう…と検索していたら、こんなHPを見つけました。
https://cafehokutokangallery.jimdofree.com
神田一明・比呂子遺作展、つい昨日(5月12日)までやっていたんですね。残念…


▼ 「彫刻の設計図」展   [RES]
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:17  No.752
  .jpg / 67.9KB

遅ればせなから「本郷新 彫刻の設計図 リターンズ」展、行ってきました。
http://www.hongoshin-smos.jp/d_detail.php?no=197

本郷新彫刻美術館は小樽からだともの凄く接続が悪い。いつもなら第一鳥居前からてくてく歩くんだけど、今回は西区役所前でバスを降りて歩くことにしました。これ、私の通学路です。五十年以上も昔の話ですけどね。使っていた抜け道がすっかり潰されて、横にぶっとい道路が走っていたり、大型量販店が建っていたりしてわからないことばっかりだ。学校も、昔はこの佐藤忠良の『蒼穹』ひとつだけだったと思うんだが、今は、本郷新、山内壮夫、本田明二とどんどん増えて、ちょっとした彫刻公園の趣きですね。桜も咲いているし…


 
▼ 雪華の像  
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:29  No.753
  .jpg / 35.2KB

ロビーで流してるビデオで、鹿児島市の『太陽の讃歌』や大阪市の『緑の賛歌』の大きさを確かめてから展示を見ると大変わかりやすい。(『緑の賛歌』なんか、本郷新、フォークリフトみたいなものに乗って造っているんですからね。吃驚です…)

個人的には、真駒内公園にある『雪華の像』に感激。実物はあまりにも高い台の上に設置されているのでその姿を確認できないんです。こういう二体だったんですね。石膏像なのも、なにか雪華らしくていい。(昔のカタログでは「雪華の舞」と題されていることだし…) これを目に焼きつけて、もう一度真駒内に行こう。

 
▼ 天の扉  
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:32  No.754
  .jpg / 35.9KB

忘れていたけれど、鹿児島や大阪以外にもまだ見ていない本郷新はあるんだった。この『天の扉』もそのひとつ。東京飯田橋の大日本印刷に在るんですが、屋内に置かれた彫刻って七面倒くさいんだよね。アポイント取ったり、人が監視しているところで写真撮らなきゃいけなかったりして。もうほとんど諦めている私みたいな人には、ここで『天の扉』に出会えたのは大変幸運なことでした。私の『天の扉』は、もうこれでいい。

 
▼ 風雪の群像  
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:37  No.755
  .jpg / 63.4KB

旭川の常盤公園にある『風雪の群像』が辿った道のりが一つも漏らさず展示されていてとても勉強になった。さすが本郷新の彫刻美術館だけのことはある。『風雪の群像』の最初のモチーフがこういうものだったことになにか衝撃を受けました。こんな荒々しいものが大通り公園に建っていたら、札幌市民は腰を抜かしたでしょうね。(『泉の像』でよかったですね…)

 
▼ 上遠野徹  
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:40  No.756
  .jpg / 48.0KB

私、勘違いしていて、本館も現在記念館として使われている旧アトリエも設計は田上義也だとばかり思っていました。今回、記念館に「建物みどころガイド」というパンフレットがあり、それを見て、記念館の設計者は上遠野徹(かとの・てつ)であることを知りました。上遠野徹とは、
https://bunganet.tokyo/katonotetsu/
(誰かウィキペディアに書いてほしい…)
記念館は『緑の賛歌』や私の出た大学の正門にあった『蒼穹』(こちらも蒼穹だ!)などの等身大石膏像があり、その大きさに私はいつも見とれていたものですが、今回はそれに加え、建物全体にも目が行くようになりましたね。アトリエか… それで吹き抜けになっているんだ。前述のビデオでは小樽の春香山アトリエの映像も見られたし、いや、非常に得した一日でした。

 
▼ 鶏を抱く女  
  あらや   ..2025/05/10(土) 18:44  No.757
  .jpg / 65.1KB

帰り道も学校の方へ。三角山はありがたきかな。たしか、学校の前にもバスの停留所があったはずだから、それでなんとか小樽方面へつながるだろうと思っていたら、案の定、琴似営業所経由で宮の沢に出ることができました。

この界隈、五十年前には「人間像」の佐藤瑜璃さんや針田和明さんの家があったあたりなんですが、その面影もない。針田さんの小説に出て来る「宮の沢」の情景に人は吃驚することでしょうね。半世紀か…


▼ 隠蔽捜査 9.5   [RES]
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:29  No.749
  .jpg / 19.7KB

「月刊おたる」調査で市立小樽図書館に通うことが多くなっています。で、書架をチェックする機会も多くなって来ていて、新作が出たら読みたいと思っていた佐々木譲の「道警シリーズ」や今野敏の「隠蔽捜査シリーズ」も、ようやく百何十人待ちの予約状況を脱して一般書架に並ぶようになりました。例えば『隠蔽捜査 9.5』の出版年は2023年1月ですから、二年遅れで新作(?)を手にしたことになるのかな。ま、今の私にはお似合いという気もする。

どんな時も原理原則を貫くキャリア・竜崎伸也の周囲で日々まき起こる、本編では描かれなかった9つの物語。家族や大森署、神奈川県警の面々など名脇役たちも活躍する、大人気シリーズ待望のスピンオフ短編集。本書のための特別書き下ろし短編も収録!(帯より)

竜崎家の家族構成って、ぴったり私の家族構成と同じなんですね。時代も合っているので、事件とは別に、家族それぞれの動きも興味を持って読んでいます。そういう意味では、いきなり「隠蔽捜査 10」にならないで「9.5」があってよかった。『内助』、楽しく読みましたよ。


 
▼ 隠蔽捜査 10  
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:45  No.750
  .jpg / 21.2KB

神奈川県警刑事部長・竜崎伸也のもとに、著名な小説家・北上輝記が小田原で誘拐されたという報が舞い込む。犯人も目的も安否もわからない中、竜崎はミステリ作家・梅林の助言も得ながら捜査に挑むことに。劇場型犯罪の裏に隠された、悲劇の夜の真相とは――。
累計330万部突破の大人気シリーズ、記念すべき第10弾!(帯より)

普段は「人間像」の作品を集中的に読んでいるから、そこを離れたら、読むのはこういう本がよくなって来ている。警察小説ってのには何か理由があるのだろうか。同じ警察小説でも、好きな作家と肌が合わない作家があるんですけどね。

 
▼ 警官の酒場  
  あらや   ..2025/03/28(金) 17:54  No.751
  .jpg / 20.7KB

大ベストセラー道警シリーズ、第1シーズン完!
それぞれの季節、それぞれの決断――。
警官射殺命令を阻止する24時間を描いた『笑う警官』から、《己の信念と矜持》を描き続ける警察小説の金字塔、待望の最新刊&最高傑作。

捜査の第一線から外され続けた佐伯宏一。だが能力の高さは重大事案の検挙実績では道警一だった。その佐伯は、度重なる警部昇進試験受験の説得に心が揺れていた。
その頃、競走馬の育成牧場に強盗に入った四人は計画とは異なり、家人を撲殺してしまう。強盗殺人犯となった男たちは札幌方面に逃走を図る……。
それぞれの願いや思惑がひとつに収束し、警官の酒場にある想いが満ちていく――(帯より)

「第1シーズン完!」なら、フィナーレの舞台はあそこだな…と読んでる途中でわかりましたよ。まあ、タイトルが『警官の酒場』ですからね、誰だってわかるか… 「第2シーズン」なんて、あるのかな?


▼ 風のページ   [RES]
  あらや   ..2025/03/16(日) 17:37  No.744
   その日、みどりが降り立った札幌駅は、夏の終りの饐えた匂いが漂い、薄暗い洞窟のような構内には疲れた目をした人々が群れていて、立ち止る事もできないままみどりは出口へと押し流されてしまった。駅前でタクシーに乗ろうと思っていたのだけれど、みどりはなんとなく雑沓にもまれて歩いていた。どこまで行っても人の波はとぎれる事がない、ビルの谷間をひんやりとした風が吹きぬけていった。おひる少し前の大通公園は、思っていたほどのざわめきもなく、みどりはベンチに腰かけてホッと一息つくと、鞄の中のノートにはさんでおいた古い手紙の封筒をとり出してみた、中身はない。「中央区南七条 西十丁目アカシアハイツ二○三 石川三枝」。近くの交差点の表示からすると、ここから、そう遠くはないと思われる。汽車で二時間程のK町に住むみどりだが、一人で札幌へ出て来たのは、高二の今日がはじめてだった。
 みどりは今日、小学校五年だった自分を捨て、年下の男とかけおちしてしまった母をたずねて逢うために父や義母にだまって学校を休み札幌へ出て来たのである。
(佐藤ゆり「風のページ」)

佐藤ゆり『風の中の羽根のように』(叙情文芸刊行会,1992.7)は九つの短篇を集めた小説集。その巻頭に『風のページ』を持って来た気持ちがなんとなくわかるような気がします。すすきの界隈の描写が巧い。佐藤ゆりさんの句読点の打ち方は一風変わっているのですが、その句読点でさえみどりの心象を現すのには適っているように思ってしまう。私は好きですよ。


 
▼ 十字架  
  あらや   ..2025/03/16(日) 17:45  No.745
   美奈はふと思い出した。少女の頃、いつも祖母と歩いた森の中の枯葉の道。
 今はもうゲレンデの下に埋もれて、あとかたもないニセコアンヌプリの麓の熊笹の中に、おきざりにされたような部落で美奈は生まれ育った。今思うと、アパルトヘイトのような感じもするけれど、みんな仲よく助け合って、のどかに暮していた。
 美奈は四季を通じて祖母や部落の人達と森へ行き、薪木を拾い、山菜を採り、木の実を採った。みんな貧しかった。食生活の大半は森や野山から採ったものだった。祖母は森へ入る時、きまって「シリコロカムイ」(木の神様)と呟いて、てのひらを天に向け頭を深く下げた。
 娘ざかりは部落で一番のピリカメノコ(美しい娘)だった祖母の名はアイリン。
(佐藤ゆり「十字架」)

短篇だけど、きちっと締まった展開に目が洗われるようだ。汚くうす気味悪いニュースに取り囲まれて毎日を生きている私には、こういうニセコアンヌプリの麓の物語が必要だったのだと心底思った。私には札幌と小樽の対比が面白い。

 
▼ 風の中の羽根のように  
  あらや   ..2025/03/16(日) 21:17  No.746
  .jpg / 58.6KB

『十字架』を読んだ後で『風の中の羽根のように』や『星の国から』を読むのはちょっと辛かった。アイデア倒れと感じました。
いつもなら表紙の画像くらいは付けるのですが、この本、所蔵しているのが北海道でただ一館、道立文学館だけなんですね。で、道立文学館は写真撮影やカラーコピーを受けつけていないので諦めました。まあ、文学館で資料の閲覧やコピーができるだけでも有難いことなのですが…(考えてみたら珍しい文学館だ) 表紙の代わりに芸術の森美術館の入口にあったオブジェです。ちっとは〈風〉っぽいかなと(笑)
昨日、札幌市民交流プラザで行われた講演『北海道・謎の彫刻史』の帰り道、道立文学館にも寄って『風の中の羽根のように』の後半五篇をコピーして来ました。ライブラリー公開を急ぎます。

 
▼ 終点  
  あらや   ..2025/03/18(火) 17:36  No.747
   あの人はいつも土曜日の午後になると、うす汚れた灰色のジープに乗ってやってきた。泥だらけのこともあった。ジープが小さく見えるくらい大きな身体にカーキ色の作業服をいつも着ていた。あの人は道路工事の現場監督で、父の部下だった。葉子が中三、弟が中一の晩秋父は工事現場の事故で死んだ。泣きくずれ、おろおろするばかりの母をよく助け、葉子たちにも力づけてくれたあの人は二年後母と結婚した。生前の父の上司の世話であった。父が大好きだった葉子はあの人を絶対に父親と認めなかった。
(佐藤ゆり「終点」)

話の流れの途中から突如「あの人」が登場する。逆断層みたいな進行なのだが、これが意外とロックしていて私は面白く読みました。同じ逆断層技でも『裏窓』はよくわからん。

 
▼ 帰郷  
  あらや   ..2025/03/20(木) 18:05  No.748
   夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 家路を急ぐサラリーマンの波が黒く長く、うねりながら遠ざかると、地下鉄ススキノ駅には夜の花が、にぎにぎしく咲き乱れる。なまめかしい和服に厚化粧、きらびやかなドレスに、ふーんわりとした毛皮のコート。そうかと思えば普通のOLのような感じでDCブランドスタイルの若い女性、みな夜の職場へ急ぐママやホステス達だ。ホステス不足を反映して、女子大生のバイトや、ヤングミセスのパートホステスなど、プロやセミプロ、ノンプロが華やかにブレンドされて、おびただしい数の女、女、女が、電車が止るたび、ひしめきあいながらはき出され、花吹雪のように散って行く。ひととき吹き荒れた消費税反対の嵐も、時の流れと共になんとなく静まって、不夜城の林立するススキノは年の瀬を迎えて再び巨大歓楽街の喧騒をきわめている。
 昨夜までのセンチメンタルな思いをふっ切って、今宵、祐子は足どりも軽く、お店≠ヨ向って歩いた。無力な女をこばかにしているようなネオンサインの点滅も、もう気にしない。
(佐藤瑜璃「帰郷」/「人間像」第128号)

 夕暮れのビル街に降る雪は灰色だった。やがて深まる暗い冬を想い煩うように、誰もが無口で、肩を落して行き交っていた。
 昨夜までのセンチメンタルな思いをふっ切って、今宵、祐子は足どりも軽く、お店≠ヨ向って歩いた。無力な女をこばかにしているようなネオンサインの点滅も、もう気にしない。
(佐藤ゆり「帰郷」/『風の中の羽根のように』所収)

「人間像」にはあった、やや饒舌な部分をばさっと削ぎ落として、全体に筋肉質の『帰郷』になりましたね。私はどちらも好きですよ。単行本の『帰郷』は、北原ミレイの『石狩挽歌』みたいな存在になったと感じました。


▼ 『どっこい函館本線』について   [RES]
  あらや   ..2025/03/16(日) 09:54  No.738
  .jpg / 38.2KB

この記事は小樽のタウン誌「月刊おたる」2000年9月号(通巻435号)に載ったものです。現在、「人間像」同人が書いた作品を探して「月刊おたる」を創刊号から調査しているのですが、その過程で見つけました。
2000年3月の有珠山噴火と山線(函館本線)の関係については「北海道新聞」2024年5月11日後志・小樽欄に載った渡辺真吾さんの記事で初めて知りました。で、いつものようにそのサイトを引用しようとしたのですが…
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1010510/
有料なんだもんな。がっかりだ… 要旨は、この有珠山噴火によって運休状態になった室蘭本線の代替として函館本線が使われたということ。山線なき後は有珠山が噴火しないことを祈るばかりだということでした。
『どっこい函館本線』は当時の様子を詳細に語ってくれます。山線の意味を知らない、東京から来た知事や社長にはぜひ読んでいただきたい。


 
▼ どっこい函館本線  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:01  No.739
   ▼直通列車走る
 虻田町の有珠山噴火は、世紀末の本年のトップニュースになるだろう。残雪があった三月二十七日に火山噴火予知連絡会が噴火警報をだし、住民の避難勧告をしたとき虻田町周辺の住民は長期避難、深刻な被害も覚悟したろう。
 有力な観光地である洞爺湖温泉街では、シーズンにかけての予約が例年通りのところ、よもやの事態に大あわてだったという。ホテルは堅固な建物で頻発した振動は宿泊客に不安を与えるものでなかったというが、二十七日に急転し、震度のレベルが上がって、断層、隆起、地溝発生と目に見えて悪化した。クライマックスの噴火はいつかに、報道の焦点がしぼられ、湖畔に設置したテレビカメラの前でアナは懸命に実況放送を続けていた。
 噴火の第一報は三月三十一日午後一時といわれている。火口は湖畔の温泉街から見て稜線沿いに開いたようだった。いくつもの火口から噴煙が上がり、テレビでも噴石がはじき飛ぶ様が見受けられた。
 しかし七月末には火口周辺以外は避難解除になっているが、この噴火で洞爺湖温泉街の観光客入り込みは莫大な影響を受けた。洞爺湖ばかりでなく小樽も、例年より周遊客が減少し、予想外の成り行きに不安を党えている向きもある。有珠山噴火は洞爺湖ばかりでなく、ただちに道央の小樽にも影響があるのだ。全道的に観光客の入り込みは昨年度までは右肩上がりだったが、本年度は四月期マイナス一○%で、その傾向は続くと思われる。積極的な誘致対策が展開されているが挽回できるだろうか。
 この噴火で国道二三〇号線が地盤隆起でストップとなったが、同時にJR室蘭本線も洞爺―有珠間で線路がS字状にずれて運休となった。列車は翌一日以降は東室蘭―長万部間は全列車が運休し、一部は函館本線に迂回となった。噴火で札幌―小樽―函館を結ぶ函館本線を、二ヵ月ほど直通特急列車が走った。ひさしぶりのことだった。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:07  No.740
   ▼優等列車があった頃
 特急などの列車は鉄道会社では優等列車と呼ぶらしい。函館本線でそうした列車は走っているだろうか。冬季には優美華麗な快速スキー列車が走るが、あれが優等列車なのであろう。
 いささか昔を振り返ると、国鉄当時、函館本線の直通列車にも愛称がつけられたが、鉄道ファンの記憶にある優等列車は急行『まりも』だろう。『まりも』は昭和三十一年(一九五六)秋のダイヤ改正からC62型のSLに牽かれた。C62は東海道線で特急『つばめ』を牽いたことで知られていた。ところが東海道線が全線電化されたので余剰SLとなって、海を渡って北海道に回ってきたのだ。そしてツバメのマークをつけたままさっそく『まりも』を牽いた。
 だがエネルギー革命は着々と進んで、昭和四十二年には函館本線にジーゼル特急『北海』が走るようになり、同六十一年に『北海』は千歳線の『北斗』と併合になって、函館本線から特急はなくなっている。
 この特急開設当時はC62が牽く急行『ニセコ』も走っていたが、季節急行になったり、長万部発の普通列車になったりしているうちに、ばっさりナタを振られて小樽回りの優等列車はなくなってしまった。
 かっては首都札幌と函館を結ぶ大動脈は函館本線だったが、優等列車は消え、その座は千歳・室蘭本線に明け渡した。同線が複線化され輸送力が向上したのに加え、千歳空港という要衝をひかえ、苫小牧、室蘭港の進展もある。
 札幌を中心とする旭川や、太平洋側の苫小牧、室蘭の各般のプロジェクトの発展は戦後の流れで、それに比して小樽から後志にかけては山間、豪雪地をかかえ開発に後れをとっている。人口、産業が伸びていない。だから水が引くように優等列車もなくなってきたのだろう。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:12  No.741
   ▼日は当たったが…
 函館本線が大動脈であった頃は急行、準急の列車を時刻表で何本か数えられた。いまは函館までの直通列車がないので、その日のうちに函館にたどりつくかと思われる時刻表の心細さだ。長万部まで三時間かかる普通列車が日に四本ほどあり、不便な接続で函館まで続いている。時刻表では二五二・五キロの函館までの鉄路を六時間ほどかけて行くことになっているが、接続の待ち時間があるから、もっとかかる。結局千歳回りの特急に乗ることになる。それだけ金もかかる。千歳回りでは札幌から函館まで三一八・七キロを三時間半ほど、小樽からはさらに札幌までの距離三三・八キロと時間三〇分ほどを加え、四時間ほどかかる。小樽から千歳回りは、迂回だが、しぶしぶ利用されている。
 そこへ噴火である。函館行きの特急列車は小樽を回った。といっても四月から六月初めまでの二ヵ月間だったが、忘れられていた函館本線につかの間の日が当たった。単線運行だからスムーズな運行だったとはいえない。待ち合わせ時間があって所要時間は延びた。
 ところが小樽―長万部間の普通列車がバス転換となった。優等列車優先で、普通列車は切り捨てられている。いまの時刻表を見ると、線路は三種になっている。新幹線、幹線、地方線である。函館本線は幹線の表示がしてある。だが幹線を走る列車でも、じゃまになれば切り捨てるのが会社の方針なのだろう。切り捨ててもかまわない列車が走っているのが函館本線で、幹線とは名ばかりだと多くの人は知った。今回はそれがあって、公共の面目が立ったといえる。

 
▼ どっこい函館本線(続き)  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:15  No.742
   ▼新幹線で…
 最近は北海道新幹線の話題が盛んである。新幹線は小樽市内を経て札幌に至るとされている。かつて北海道新幹線は、室蘭経由か小樽経由かで揺れた。南北戦争といわれ、路線争奪があったが昭和四十八年九月に北回りが決定している。路線決定とともに新駅の話題もあって、小樽は新小樽駅の誘致を図った。新駅は従来朝里インターチェンジ付近が有望とされている。
 北海道新幹線のルートは青函トンネルから木古内、函館、八雲、長万部、ニセコ、小樽を経るルートになると思われている。それぞれに新駅はできるだろうが、超特急が停まるのは、札幌を出発したあとはせいぜい函館くらいで、その他は急行が停まるくらいだ。
 それでも長万部や八雲では新駅の決定を見越して、一帯活性化のプラン作りをスタートさせているという。気になるのは長万部の進め方で、ここは函館本線と室蘭本線の合流点だ。どうやら新駅と室蘭線の連携を探っているらしいという。では一方の函館本線をどう考えているのだろう。眼中にないのだろうか。ひょっとしたら新幹線の開通で、長万部以北の函館本線は不必要と見られている現れのようで、気味悪さを漂わせている。幹線といいながら、状況で列車を切る扱いなら、新幹線とひきかえにばっさりもありそうなことだ。
 函館本線は噴火でつかの間の日があったが、新幹線導入時でも後志地方の基盤整備に欠かせない線路であることを示す必要があるのではないか。(T)

 
▼ 山線  
  あらや   ..2025/03/16(日) 10:21  No.743
  .jpg / 27.7KB

 父が「本屋」といえば小樽の古本屋だ。私達が住んでいた倶知安の本屋の場合は「文化堂」とか「日進堂」といい、父はわざわざ家人にことわる事もなく散歩の途中で立寄る程度のものだった。汽車に乗ると父は家から持ってきた本をふところから出して読みはじめる。私は久しぶりに汽車に乗った事が楽しくて、窓外の風景を夢中で見つめながら父に「あの木はなんていう木?」とか「あの木に止っている鳥はなんていう鳥?」とか矢つぎ早やにうるさく質問しても、父はその都度目を上げて、やさしい語り口で詳しく教えてくれた。
 父とそうして小樽の古本屋へ行くのが私の大きな楽しみであった。最初は太平洋戦争中で、小学生だった私は私のランドセルにお米を入れたのを背負い駅員やお巡りさんの目をのがれて父に手をひかれ古本屋さんへ行くと、父は何かいかめしい金文字で横文字の皮表紙の本とそのお米を交換したのを今も懐かしく思い出す事がある。ぶ厚いグレーのセーターを着たやせたおじさんが奥の方からその本を新聞紙に包んで重そうに持って来て、チラと中味を見せ父に手渡した。それをまた父は私のランドセルに入れると、おじさんは上りがまちに座布団を敷いてお茶を出し、父と談笑を始める。私は店頭の古い「キンダーブック」とかワラ半紙のような「少女クラブ」などを手あたり次第に読みあさる。私があきた頃におじさんは、当時めづらしかったジャムパンとココアなどを出してくれて引続き父と話しこんだ。
(佐藤瑜璃「港の赤電話」)

北海道の作品にはいつも山線が走っている。


▼ ぼくらのジャングル街   [RES]
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:44  No.733
  .jpg / 63.9KB

札幌芸術の森美術館に行ってきました。家の裏から札幌駅前まで直で行けるバスがあって、よくそれを使います。そのバスの中でいつもは『アイヌ神謡集』を手にしているんだけど、なぜか今回は『ぼくらのジャングル街』なのでした。
ひょんなことから正月にジョン・ロウ・タウンゼンドの『さよなら ジャングル街』を手に入れたんですね。これでタウンゼンドの日本語版の本は全冊集めたと思うんだけど、そしたらタウンゼンド熱が何十年ぶりにぶり返してね、『さよなら――』をいきなり読むなんて無粋なことはできない、ここは正しく『ぼくらの――』から読まなければ駄目じゃないか…となったのでした。

『ぼくらのジャングル街』、良いなあ。今回読んでいて、亀山龍樹訳の言葉の調子がひどく私に合っていることに気づきました。神宮輝夫先生の訳もいいんだけど(『アーノルドのはげしい夏』、何回読み返したことか!)、亀山龍樹の言葉には、自分の子ども時代がこのようなものであったなら…を妄想させる力を感じるのです。うまく言えないけれど…


 
▼ レッスン  
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:53  No.734
  .jpg / 35.9KB

生誕120年ということで今年はいろいろな場面で本郷新に出会えそうです。
https://artpark.or.jp/tenrankai-event/hongoh_love_for_sculptures/
この「入門・本郷新」展は、三月に本郷新彫刻美術館で始まるコレクション展「本郷新 彫刻の設計図 リターンズ」の予告編みたいに感じました。
http://www.hongoshin-smos.jp/d_detail.php?no=197
本当に凄そうですね。今、そのチラシを見ているのですけれど、鹿児島市の『太陽の讃歌』や大阪市の『緑の賛歌』が写っている。遠くて、もう私には無理…と諦めていた作品、もしかしたら見られるかもしれない。あるいは、あまりにも高い場所に設置されていて肉眼ではとても確認できない真駒内公園の『雪華の像』も初めてその姿を間近で確認できるのだろうか。チラシには「なお、本展は2021年に開催し、コロナ禍で中断された展覧会をアップグレードし再現するものです」と書いてある。これは本当に凄そう。

閑話休題。「入門・本郷新」展で『レッスン』を落ち着いて見られたのは本当に良かった。以前、グランドホテルにある『レッスン』をロビーに探したのですが見つからない。なんと『レッスン』は若い外国人団体(修学旅行?)のトランクの山に埋もれていたのでした。以来、いつ行っても人がばたばた居て、写真なんか撮れたもんじゃない。

 
▼ 無辜の民  
  あらや   ..2025/03/04(火) 17:59  No.735
  .jpg / 27.8KB

「入門・本郷新」展は主にエスキース(本番の彫刻をつくる前の小型の彫刻)を使っての展示だったので、なにか今までには感じなかった本郷新の魅力を感じました。
例えば、この『無辜の民』シリーズ。本物は石狩浜の草茫々の場所に『無辜の民』が横たわっています。人気のない時期に行ったものだから、一人で『無辜の民』に対峙するのはなかなかに怖ろしい体験だったのを思い出します。でも、「入門・本郷新」展は違いますね。エスキースだから、このように四体を並べることによって、なにか本郷新が『無辜の民』を造った新らしい意味が生まれたようにも思う。特にこんな戦争のニュースが毎朝のニュースに平気で流れるような毎日の中ではとても意味深い。
なぜ、本郷新はこのような彫刻を生みだしたのだろう。普通、健康な肉体を表現する具象彫刻の中にあって、人間の死体を彫刻するなどということは極めて異例なことではないだろうか。『レッスン』をつくった作家が、同時に『無辜の民』をつくる作家であることは忘れないようにしたい。

 
▼ 嵐の中の母子像  
  あらや   ..2025/03/04(火) 18:04  No.736
  .jpg / 41.8KB

同じくエスキース。ね、かなり印象がちがうでしょう。

去年の旭川以来、デジカメを手にすることってなかったものだから、芸術の森に着いてからデジカメが電池切れ寸前なのに気がついた。まあ、シャッター音が聞こえるからまだ写るんだろうと撮っていたんだけど、帰って来てパソコンに取り入れたら、ピンボケ写真や暗い画像の写真の山でがっかりです。この『嵐の中の母子像』も、いつもならもうちょっとくっきり写るはずなんだけど… まあ、仕方ないか。電池切れに気づかぬほどほったらかしにしていた私が悪い。

 
▼ さよならジャングル街  
  あらや   ..2025/03/04(火) 18:10  No.737
  .jpg / 47.7KB

いやー、懐かしかったなあ。やっぱり亀山龍樹訳はいい。パソコン仕事に疲れたら、何度でも『ジャングル街』を読み返そう。
亀山龍樹訳のタウンゼンドはもう一冊あって、それは学研のジュニア世界の文学シリーズ『北風の町の娘』なんですが、こっちに行こうか、それとも、ケビンやサンドラたちの前の世代、トニー・ボイドやシェイラが登場する『海賊の島』(こちらは神宮輝夫訳)に行こうか、なかなかに迷うところですね。まあ、こういう経過を辿って、人生何度目かのタウンゼンド詣でが始まるわけです。


▼ シロカニペ 第29号   [RES]
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:14  No.728
  .jpg / 52.5KB

「シロカニペ」の最新号、待ち遠しかったです。これには去年の9月23日「知里幸恵フォーラム」で行われた金田一秀穂氏の講演要約が載っているんですね。
じつは去年の夏頃、この講演に行こうか行くまいか、けっこう悩んだんです。でも、7月に京極町で行った私の講演『湧学館後の日々』が上手く行かなくて(音声不良)、その後、講演内容を人間像ライブラリーに起こすなどの作業に没頭したため登別に行くチャンスを逸したのでした。

 金田一京助の孫というだけで呼ばれましたから、アイヌ語や知里幸恵さんのことはほとんど知らないわけで、アイヌ語やアイヌ文化に関してお役に立つお話はほとんどできません。ですが、僕は普段、大学で日本語学・言語学を教えています。言語学ではバイリンガル(二つの言葉ができる人)について扱うので「バイリンガルとしての知里幸恵さん」というお話ならできそうです。
(金田一秀穂「幸恵の言葉」/要約・山口翔太郎)


 
▼ バイリンガルとは  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:23  No.729
   バイリンガルは、翻訳や通訳が良くできると思われがちです。できる人もいますが、そう簡単ではありません。英語の頭と日本語の頭というふうに、二つの言葉が同時に頭の中にあって、両方を感じ取ってしまいます。そうすると、世の中の見え方が違います。例えば、今朝ホテルでイカそうめんが出ましたが、あれは「イカそうめん」という言葉があるから食べられます。「イカの死骸の肉を細く切ったもの」と言われたら嫌です。
 誰しも、方言と共通語のバイリンガルです。例えば北海道だったら「あずましい」とか言うんですかね。それを共通語で言うとなると困りませんか。まだ共通語ならなんとかなりますが、アイヌ語と日本語のように全く違う言語では、恐ろしく困ったことになります。初めて見たものを、どちらの言語で考えたら良いか悩むことは、とてもつらく苦しい大変な作業です。自分の頭の中が分裂しちゃうわけです。両方をうまく調整できて、矛盾を感じず、悩まない人もいますが、それには、ある種の才能、天才的な賢さが必要です。二つの言語ができるとは、そういうことです。普通はできません。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:28  No.730
   幸恵さんはどうだったかというと、その辺の葛藤や苛立ちをあまり感じさせませんが、弟の真志保さんは、かなりあったのではと想像します。たぶん、真志保さんはアイヌ語を日本語にした時に「そうじゃないよ」と恐ろしく感じる人で、それがつらかったのではと思います。彼は、京助のお弟子さんとして研究を始めます。幸恵さんの弟さんなのでアイヌ語が良くできます。京助の翻訳に「違うよ」と思うことが多かったんでしょう。幸恵さんは素直な人ですから、割りと「そうなんですね」と従っていたと思いますが、真志保さんはそう思えなくて、最終的に京助と喧嘩になってしまいます。京助はすごく寂しい思いをしましたが、真志保さんは正しい判断をしたと僕は思います。

昔から知里真志保の文章が恐ろしく読みにくかったのです。こちらの頭が悪いからなんだと長らく思っていたけれど、この説明でもの凄く救われたような気がする。

 
▼ 幸恵さんの日本語の魅力  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:34  No.731
   ところが、幸恵さんの場合は味方がいません。京助の奥さんに連れられて銀座へ行っても.、アイヌ語にその語彙がないから、見聞きしたものをうまく表現できません。日記を読むと、大変だったんだなと感じます。
 逆に、時々入る自然描写には、とても美しい言葉が出てきます。「銀の滴降る降る」という一節が有名ですが、日記でも、雨を「緑の雫、銀の雫」と表現しています。「緑色の朝」という言葉もあります。それらはたぶん、アイヌ語にある言い方を、そのまま日本語に変えられたんでしょう。幸恵さんの日本語が魅力的なのは、母語のアイヌ語が魅力的だからです。

札幌へ用事で行くバスの中では必ず『アイヌ神謡集』を持つようになった。声に出さないが頭の中では、トーロロ ハンロク ハンロク!とか、クツニサ クトンクトンといった音が鳴っている。宮沢賢治以来の面白さだ。最近では日本語の右ページだけでなく、左ページのアイヌ語も読むようになりました。意味はわからないけれど、音が心地よい。

 
▼ 血の通った濃密な気配のユカラ  
  あらや   ..2025/02/26(水) 18:39  No.732
   よく「美しい日本語、正しい日本語は何か」と聞かれますが、正しい日本語なんてないです。あるとすれば、それは心からそう思っている人が発した、本当のことを言っている言葉です。それは相手の心を打ちます。最近はAIが作文しますが、書かれたものを見ると、つまらないです。絶対に間違いも失礼もなく、万事滞りなく、全てに目が行き届き、うまく丸く収まる文章ですが、心に響かない。それは美しくないし、正しくない日本語だと思います。文法的に正しくても、無機的で血の通っていない言葉のような気がします。
 幸恵さんの日本語やアイヌ語には、血が通っています。彼女の中の、おばあちゃんや伯母さんの言葉は、印刷された言葉ではなく、生の声です。声には気配があります。言葉だけでなく、息使いや態度、表情、姿勢で表現される一つ一つが、ユカラ(叙事詩)全体を作っていると思います。

やっぱり行った方がよかったかな。最後の質疑応答で面白いことがあったのでご紹介します。

【質問2】映画『カムイのうた』で、おじいさんの人生が描かれましたが、感想は?
【回答2】自分が出るテレビさえ見ないので、家族の出るものなんか恥ずかしくて一切見ません。怒られている時もあって怖いし。


▼ 人魚姫の町   [RES]
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:29  No.726
  .jpg / 27.7KB

 宏太は去年高校を出て、地元の企業に勤めたものの長続きしなかった。今はコンビニでアルバイト中だ。そのアルバイトもコロナ騒ぎでシフトの変更があった。六月に入った今日から三日間休みになってしまった。
「暇です」
 高校時代の先輩の友田さんに電話したら、
「アネキが男の子を産んだんだ。顔を見てくる。コロナ第二波が来るかもしれないだろ」
と、今から千葉まで車で行くという。
「県をまたいでの移動は、自粛ってことになるとしばらく会えなくなる。行くんなら今だって思ってさ」
 慎重派の友田さんにしてはめずらしいと笑いかけて、去年死んだ父を思った。
(柏葉幸子「人魚姫の町」)

図書館で柏葉さんの新刊(?)を見つけました。久しぶり。東日本大震災から九年、柏葉さんはしっかり今を生きているのだなと深く感じ入った。私も、学校が閉まり、何ヶ月も図書館が使えなかった数年前の日々を絶対に忘れない。忘れないだけではなく、今の生き方に繰り込んで行くつもりです。帯に『岬のマヨイガ』アンサー作品とあった。なるほど、アンサーだ。


 
▼ バチェルダー賞  
  あらや   ..2024/12/01(日) 10:33  No.727
  .jpg / 43.1KB

同じく帯に「米バチェルダー賞 受賞作家 最新作!」とあって、バチェルダー賞って何だ…と調べてみたら、これでした。

https://www.kodomo.go.jp/info/child/2022/2022-018.html

『帰命寺横町の夏』は、物語といい、表紙といい、イラストといい、活字といい、本当に百点満点の本だと私も思っています。こればかりは、図書館から借りるよりは、谷口ジローの本のようにきちんと買って私の本棚に置きたい。英訳本、見てみたいな。


▼ 毎索   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:13  No.723
  .jpg / 59.9KB

『浮浪の子』を探して、もうずいぶん時が経ってしまった。
沼田流人『浮浪の子』は大正十年八月、東京日日新聞(←毎日新聞の前身)に連載された小説です。現在、国立国会図書館デジタルの『新聞集成大正編年史』の「大正10年」に、その連載第一回を見ることができるのですが、第二回目以降がない。そうなると「毎索」(毎日新聞記事データベース)かなあ…と漠然とは思っていたのです。でも、この歳になると東京って辛いんだよね。スマホがはびこる世界では私は身動きがとれない。
ひょんな事から札幌市図書・情報館で「毎索」を閲覧できることを知り、私は喜び勇んで行ったのが今週です。早速、東京日日の「大正10年8月16日」を開いてみました。おー、8月16日の新聞紙面が目の前にある! でも、私が見たいのはこの面じゃないの。次、次の面とカーソルをあれこれいじってはみるのだが画面は一向に動かない。
で、ようやく気がついたのですが、この時代の毎日新聞は「主要記事見出し」なんですね。つまり、8月16日は、8月16日の主要記事が載っている紙面1枚だけの掲載なのです。他の紙面はないんです。いやー、がっかり。


 
▼ どうしん記事データベース  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:17  No.724
  .jpg / 65.9KB

ちなみに「毎索」では〈沼田流人〉のキーワードでも引いてみましたが、答えは0件でした。北海道新聞の方で〈沼田流人〉を検索すると、見なれた記事の中で1件だけこのような記事を発見。早速、札幌市図書・情報館で『路上』第10号の所蔵館を調べてもらいました。函館市立図書館より道立の方が多く所蔵していたのにはちょっと吃驚。翌日、市立小樽図書館で『路上』第10号を予約し、昨日、館内閲覧してきたところです。

 
▼ 二人の「流人」と有島武郎  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:21  No.725
  .jpg / 13.5KB

倶知安で〈沼田流人〉について知りたい…となると、どいつもこいつも札幌・掘る会の『小説「血の呻き」とタコ部屋』をぶら下げて出てくるので私はウンザリしているのです。もう倶知安は駄目だと私は思ってる。その点、函館には妙な期待があって、いつかは〈松崎天民〉や〈北原洋服店〉の話が飛び出して来るのではないか…と夢想しているのです。当然、北村巌『二人の「流人」と有島武郎』にもそんな期待がありました。

『血の呻き』を手にする前の世界を懐かしく思い出しました。流人については武井静夫『沼田流人伝』からの知識がすべてですね。ただ、「二人の流人」という視点は函館ならではの視点で、特に、大島流人についての解説は丁寧に整理されていて、その上で啄木や有島との接点を説明してあるのでこれは勉強になりました。評論の最後に埴谷雄高を出してきたのも私と気が合いそう。こういう人になら、湧学館・製本教室で作った『血の呻き』を贈りたいと思いました。


▼ たこ部屋ブルース Part 1   [RES]
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:53  No.718
  「奉公はやめにしたなんて、じゃあ、どうするんですか」
「申し訳ないんですが、おせわになりついでに、あと十万円ばかりつけ加えて貸してくれませんか」
 あまりのことに怒るかと思ったら、高桑さんはむしろ興味津々のていで、
「つけ加えてもう十万とはまた、野島さんあなたも相当な度胸ですね」
 と笑いだした。
「次第によってはご用立てもしますが、十万といえば、ちょっとした庭つきの家が何十軒も買える大金ですよ、それを承知で所望なされるんですか」
「もちろん大金なのは十分知っています」
「しかしあなた、西も東も分からないこの土地で、一体何ができるんですか」
「いやー、そのことだったら、いまのお話にあった川北の下請けをさせてもらいたいと思うんですが」
「宿銭も払えない人が工事請負をねえ」
「ですから、当座旗揚げの資金を貸してくれませんか。なんたって土方を集めるにもとりあえず十万ぐらいはいりますし」
(平田昭三「たこ部屋ブルース(2)」)

連載二回目の中盤にして漸く始まる〈タコ部屋〉話。それまでの野島要三の人生を見てみると極めて異例のタコ部屋親方であることを感じる。こんな親方もいたのね。斎藤昭と同じく、朽木さんが書いたら、それは小説の中の「事実」なんです。


 
▼ たこ部屋ブルース Part 2  
  あらや   ..2024/11/18(月) 11:57  No.719
   こうして現場についた土方を働かせるのだが、ただやみくもにやれっ、やれっ、と頭ごなしの命令をしたってだめだ。だから、
「おまえはここからここまでの仕事だ」
 と一人々々にわりふってやって責任を持たせる。そしてノルマを果たしたやつは、たとえ三時が二時になっても部屋に帰って寝転んでいてかまわないという仕組みでした。だから腕のいいやつ、やる気のあるまじめなやつは楽ができる。
 それとは逆にぐずぐずして割り当てた分を果たせないやつは、夜中までかかっても提灯をつけてやらせる。これが土方をサボらせずに使うやりかただが、誰だって夜業はつらいし、暑いとき、寒いとき、少しでも早く部屋に帰って楽をしたい。その一心でがんばるので、期日までに工事が完了するということになる。
 よく話に聞くんだけど、土方の尻をひっぱたいて酷使するという、そんなやりかたをする親方は下の下で、土方をやたらコキ使って疲れさせるとかえって能率はおちる。だからといって、大事にしてやったつもりが逆になめられて裏目に出てはなんにもならない。そこらがむつかしいんだが、とにかく土方から信用され、慕われて、自発的にやる気をおこさせるのが腕のいい親方なんだ。皆がこのおやじさんのためならばと精を出して働き、その結果たとえ一日でも早く期限内に工事が終われば、これは親方の大きなもうけになります。
(同書)

ここまで冷静に土方労働を語られると、一体あれは何だったんだ…という気にもなる。例えば、羽志主水(はし・もんど)。

 
▼ 監獄部屋  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:00  No.720
   今は大正の聖代に、ここ北海道は北見の一角×××川の上流に水力電気の土木工事場とは表向き、監獄部屋の通称が数倍判りいい、この世からの地獄だ。
 ここに居る自分と同じ運命の人間は、かれこれ三千人と云う話だが、内容は絶えず替っている。仕事の適否とか、労働時間とか、栄養とか、休養とかは全然無視し、無理往生の過激の労働で、人間の労力を出来るだけ多量に、出来るだけ短時間に搾り取る。搾り取られた人間の粕はバタバタ死んで行くと、一方から新しく誘拐されて、タコ誘拐者に引率されてゾロゾロやって来る。
 三千人の内には、自己の暗い過去の影から逐われて自棄で飛込んで来るのもあるが、多くは学生、店員、職工の中途半端の者や、地方の都会農村から成功を夢みて漫然と大都会へ迷い出た者が、大部分だから、頭は相応に進んでいて、理屈は判っていても、土木工事の荒仕事には不向だ。そこへ圧搾機械のような方法で搾られるんでは、到底耐ったものでない。朝、東の白むのが酷使の幕明で、休息時間は碌になく、ヘトヘトになって一寸でも手を緩めようものなら、午頭馬頭の苛責の鉄棒が用捨なく見舞う。夕方やっと辿り着く宿舎は、束縛の点では監獄と伯仲でも、秩序や清潔の点では到底較べものでない。監獄部屋の名称は、刑務所の方で願下げを頼み込むに相違ない。
 搾り粕の人間の窶れ死は、まだまだ幸福な方で、社会―裟婆―で云えば国葬格だ。まだ搾り切れずに幾分の生気を剰して居る人間は、苦し紛れに反抗もする、九死に一生を求めて逃亡も企る。しかもその結果はいつも、判で捺したように、唯一の「死」。その死の形式は、斬殺、刺殺、銃殺はむしろお情けの方で、時には鬱憤晴し、時には衆人への見せしめに、圧殺、撲殺、一寸試しや焚殺も行われる。徒党を組んだ失敗者は時に一緒に十五、六人鏖殺されたこともある。
(羽志主水「監獄部屋」)

ひどくステレオタイプ化された〈タコ部屋〉。沼田流人などに「事実」を学習した東京のインテリたち。

 
▼ 人を殺す犬  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:04  No.721
  それは例えば小林多喜二。

「集まったか?」大将がきいた。
「全部だなあ?」そう棒頭が皆に言うと、
「全部です」と、大将に答えた。
「よオし、初めるぞ。さあ皆んな見てろ、どんなことになるか!」
 親分は浴衣の裾をまくり上げると源吉を蹴った。「立て!」
 逃亡者はヨロヨロに立ち上った。
「立てるか、ウム?」そう言って、いきなり横ッ面を拳固でなぐりつけた。逃亡者はまるで芝居の型そっくりにフラフラッとした。頭がガックリ前にさがった。そして唾をはいた。血が口から流れてきた。彼は二、三度血の唾をはいた。
「ばか、見ろいッ!」
 親分の胸がハダけて、胸毛がでた。それから棒頭に
「やるんだぜ!」と合図をした。
 一人が逃亡者のロープを解いてやった。すると棒頭がその大人の背ほどもある土佐犬を源吉の方へむけた。犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢が見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。
「そらッ!」と言った。
 棒頭が土佐犬を離した。
(小林多喜二「人を殺す犬」)

『たこ部屋ブルース』は流人文学の魅力を思わぬ角度から照射してくれたことで私には忘れられない体験でした。羽志主水や小林多喜二の作品にこんな感情を持ったことはなかったです。

 
▼ 血の呻き  
  あらや   ..2024/11/18(月) 12:07  No.722
  沼田流人が描く〈タコ部屋〉はもっと幻想的なものなんだ。

「どうした。藤田……」
 年老った、灰色の髭を生した監視者が、彼の肩を叩いて言った。
「頭が、痛い……。俺を、こうして置いてくれ」
 明三は、悩ましげに言った。
「お前は、……。ほら、あの病室だぜ……」
 老監視者は、なだめるように言った。
「うむ、その病室へ、入れてくれ……」
  (中略)
 明三は、そっとマッチを擦って、点火した。黄色っぽい弱々しい灯光は、暗い坑の中を溜息のように慄えながら、少しの間照した。
 それは、まるで穽のように深く遙かの上に、鉄板で覆われた室の壁が見えた。地面から底は、唯深い土の坑であった。明三が踏みつけたのは、恐ろしく腫れあがった人間の屍であった。しかも、その坑の底には、向うの隅の方に重なり合った二個の屍体があった。
 明三は、も一度マッチを擦って、屍骸の顔を覗き込んだ。それは、あの足に釘の刺った眼鏡をかけた若い男で、全身が暗紫色に腫れ上ってその足は、腐った柘榴のようになっていた。齦に膠着した唇の間から、気味悪く白い歯が光り、腫れ上った瞼の間から、灰色の、死にきれないような恐ろしい眼が、暗がりを見ていた。
(沼田流人「血の呻き」/二二章)








     + Powered By 21style +