| チラシにある『平和の塔』については、「人間像」でも言及があります。福島さんは針山さん亡き後の「人間像」を率いた人。旧制の倶知安中学以来の盟友。
南下して宮崎に入った。 平和台公園に行った。巨大な塔があった。それはいやにくろぐろと聳えてみえる。晴天にかかわらずである。平和台公園の平和の塔、つまり平和のシンボルタワーだと気づく。歩を進めた。 塔に彫られた文字が読めた。「八紘一宇」とあるではないか。突然タイムスリップして過去の世界に踏み込んだ錯覚を起こした。旧跡など随分見たがついぞそんな気はしなかった。自分と古いものとの距離があることを納得づくの上で見てきたからである。にもかかわらず「八紘一宇」の字を見上げたとたん軽い立ち眩みを感じた。(今、自分は戦後の現代の旅行者なのだ。一九四〇年ではない)と思い直すのに時間がかかった。 (中略) 経済統制も厳しくなった。新聞や雑誌の統合とか用紙の配給などが進んだ。 父は小さな雑誌の編集をしていた。それが戦時下体制のせいで失職せざるを得なかった。職探しのため父は東京に残った。家族は母の実家に一時寄留することになった。級友と別れるのが辛かった。上野を発つ時、妙に不安な気がした。こども心にもそれは不吉なものだったことを記憶している。そして何故か「八紘一宇」の文字が脳裏に焼き付いている。 (福島昭午「悪霊の塔」)
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