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司書室BBS

 
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▼ 前田克己氏   [RES]
  あらや   ..2018/04/11(水) 18:22  No.582
  前田克己氏の著作権継承者の方から〈後志風土記〉掲載の許諾を得ました。まずは、かねてより準備していた「京極文芸」連載の『後志風土記』をアップしています。

後志風土記(一)/京極文芸 第三号(昭和五十年三月)
  明治部落騒動記・性の神々・羊蹄夜話
後志風土記(二)/京極文芸 第四号(昭和五十年十二月)
  墓碑銘由来・曲馬纆之碑・馬頭さん
後志風土記(三)/京極文芸 第五号(昭和五十一年六月)
  富士の見える開拓地 (山梨団体苦闘史)
後志風土記(四)/京極文芸 第六号(昭和五十二年一月)
  幻の魚・テクンベクルカムイ・よたかの思い出・ある開拓夜話
後志風土記(五)/京極文芸 第七号(昭和五十二年七月)
  アスパラガスのふるさと ―二つの発祥碑をめぐって―
後志風土記(六)/京極文芸 第八号(昭和五十三年二月)
  レルヒ中佐の羊蹄登山
後志風土記(七)/京極文芸 第九号(昭和五十三年八月)
  草相撲の人々
後志風土記(八)/京極文芸 第十号(昭和五十四年四月)
  冷水峠・流送・竹山
後志風土記(九)/京極文芸 第十一号(昭和五十四年十一月)
  野の神々
後志風土記(十)/京極文芸 第十二号(昭和五十五年五月)
  山スキーの唄
後志風土記(十一)/京極文芸 第十三号(昭和五十五年十二月)
  飛行機の飛んだ日
後志風土記(十二)/京極文芸 第十五号(昭和五十七年四月)
  旧会津藩士ここに眠る


 
▼ 曲馬纆之碑  
  あらや   ..2018/04/14(土) 11:29  No.583
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初めて『曲馬纆之碑』(「京極文芸」第四号)を読んだ時の興奮を今でも憶えています。次の休日が待ち遠しく、休みの朝、直ちに寿都の法界寺に走ったもんです。そういう威力が前田さんの書いたものには確かにある。
京極文芸同人の間でもかなりの話題になったらしく、「もう一息手を入れれば、ほとんど小説」という声が続出したそうです。
でも私は思うのですが、前田さんの書いたものは、もう一歩の手を誰も入れることができない作品構造なのではないでしょうか。できると思ったら、手を入れてみるといいのです。きっと不細工な作品になってしまうから…あなたにそっくりな。
ある種、〈前田克己〉という人は〈吉村昭〉と同じ資質に感じます。吉村昭も対象にどんどん近づいて行きますが、前田克己氏も必ず対象へ足を運ぶ。じっと見る。耳を澄ます。何かが聞こえる。そこに生まれた一瞬の啓示をそのまま文章に書きとめるのです。こういう文章は手強い。その場にいなかった人はもちろん、その場にいても、聞こえない人には聞こえない。

 
▼ 洞爺丸台風  
  あらや   ..2018/04/14(土) 15:04  No.584
   また、あの番組で、浜中の厳島神社に風神として併祀している小祠の扉を開いて、中の御神体が手に鎌を持っている御姿を放映した。
 そして、あの昭和三十九年の洞爺丸台風の最中に、浜中の村上さん老夫妻は、二本の竿の先に鎌をくくりつけて地上に立て、風上に向かって必死の大声で神を呼び、風の鎮めを祈ったことも語られていた。
(前田克己「後志風土記」/野の神々(三)風神さん)

やー、凄いわ。

今、余市豆本版『後志風土記』のデジタル化作業中なんですけど、思ってもみないところで思ってもみない話に出くわす。何度も読んでいるのに… すいません、ここに「洞爺丸台風」の記述があったなんて全然知らなかった!

『人間像』第32号の発行は、昭和29年11月。そう、洞爺丸台風の直後なんですね。編集後記で針山氏もこのことに触れています。洞爺丸台風、木田金次郎の絵をすべて燃やし、『飢餓海峡』『虚無への供物』などの名作を世に生み出した。私も個人的に大変興味を持っているテーマだったので、第32号の折に触れたいと思ってはいたのだが… 前田克己氏に一本とられました。いやー、凄い技。

 
▼ ♪ 十一州の鎮めなる…  
  あらや   ..2018/04/16(月) 18:45  No.585
   私たちは熊がいなくなったので安心して歩き出した。それでも母は心配であったのか、忠次に私を背負わせて、みんなで大声を出して歌をうたって行こうと言った。たしか「十一州の鎮めなる…」という歌が出だしの北海道歌であったように思う。
(前田克己「続・後志風土記」/熊と卵買い)

〈後志風土記〉の三点、今日、ライブラリーにアップしました。

『続・後志風土記』の最後の最後でこの話を持ってくるところが前田さんなんですね。感じ入った… 涙が出たよ。

自分で言うのも何だけど、いい仕事をしたと思う。こういう〈後志〉をどこか心に残しておかなくては、私たちは何が私たちなのかわからなくなってしまうから。


▼ 「人間像」第32号   [RES]
  あらや   ..2018/04/05(木) 18:52  No.580
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「人間像」第32号のデジタル化、完了。かかった時間は「57時間/延べ日数8日間」でした。

   (没)

やや長い演説を上に昨日書いたのですが、今朝読み返してみて、その自惚れぶりに呆れてしまった。たかだか30冊程度のデジタル化に何浮かれてんだと思いました。まだ何事も成してないのに…と猛反省。

「人間像ライブラリー」の収録作品数が五百タイトルを越えました。現在521タイトルです。著者名索引に「木村不二男」「P田栄之助」の二氏が新たに加わりました。


 
▼ 借家法  
  あらや   ..2018/04/05(木) 18:55  No.581
  第32号の大成果は平木國夫氏の『借家法』。(←「しゃくやほう」ではなく、法律用語ですので「しゃっかほう」と読みます) 針山氏は、平木氏のこの小説技法を取り入れることによって『支笏湖』のような作品をも書ける作家に変身したのだと直感しました。その、平木國夫−針山和美−前田克己の三人を結ぶ意外な作品が『京極文芸』に。

 スミスが余市に来たという記録は見あたらないのに、前記の老人の脳裡にはスミスの飛来として残っているのである。
 だが念のため、スミスが余市に来たかどうか、もう一度確かめてみようと思った。前記北海道新聞の『ヒコーキ物語』の筆者平木国夫氏は『人間像』の同人で、『京極文芸』の針山和美さんと知己であることを思い出し、針山さんにお願いして問いあわせていただいた。その第一点はスミス来余の有無、第二点はスミス以外にその頃余市に飛来した飛行機の有無である。
 しかし、結果は「スミスは余市に飛来せず、それ以外の記録についても不明」との事であった。
 万策尽きてむなしくすごすといった感じであった。
(前田克己「後志風土記J飛行機の飛んだ日」/京極文芸 第13号)

前田克己氏の『後志風土記』は技術的なデジタル化作業は完了しているのですが、現在、著作権継承者に掲載の許諾をお願いしているところです。


▼ 「人間像」第30号記念号   [RES]
  あらや   ..2018/03/02(金) 14:22  No.574
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「人間像」第30号のデジタル化、先ほど完了しました。かかった時間は「89時間/延べ日数14日間」。いつもの倍ですね。

外は三月の猛吹雪。国会中継のラジオがぶちぶち中断されて、高速の通行止め情報が飛び交っています。飛行機もJRも止まっているこんな天気の中でも高速は開いてるのね。図書館もそうか…(学校は昨日の段階で早々と休校を決めているのにね) 一年前、家の除雪をしないと大変なことになるのはわかっているんだけど、出勤時刻だからと家を出なければならなかったことを思い出す。

あれから一年か… 春遠からじのこの三月だからこそ、いろいろ考えなければならないことがある。


 
▼ 「人間像」小史  
  あらや   ..2018/03/06(火) 11:54  No.575
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『謹啓「文学集団」誌上であなたの名前を知りました。減部秀正君とも長い間文通しております。各地で「文集」支部の話が持ち上つているようですが、北海道ではまだ何の話もないようですね。しかしこれは地理的に云つても仕方のない事と思います。僕もこの十一月「路苑」という活版三十五頁程のを出してみましたが経済的に持ちこたえる事が出来ず間もなくつぶれてしまいました。その後は自分で印刷した「道」と云うのをやつて居り、近く第二号が出来ます。初回からこんな話はどうかと思いますが、なんなら入会してくれませんか、お便り下さい。針山和美拝』
 この昭和二四年十二月十日附の、スタンプインクでかゝれたラヴ、レターのようなハガキが、逐に僕の今日を決定付けてしまつた感がする。当時小樽へ来て誰も友のいない僕は、どつちをむいて坐つてたらいゝのかわからんような気になつて、とにかく「文学集団」の読者欄で、小樽にいる筈の渡部秀正と文通してみようと思い立ち、出した投書の結果が、倶知安とか云う町に住む、針山和美なる男とも女ともつかぬ名前の奴からのハガキだつた。
(上沢祥昭「人間像」小史」/一、「道」手刷り時代)

30号記念号ということで、上沢さんが『「人間像」小史』を書いていますね。以後、50号、100号などの節目節目で、上沢さんは「人間像」史をまとめる大任を負って行くことになるのですが。その第一弾冒頭が倶知安の十九歳、針山和美さんの葉書なのでした。「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。」山ねこさんからの手紙みたいですね。

 
▼ 倶知安と文学  
  あらや   ..2018/03/06(火) 11:58  No.576
  この「人間像ライブラリー」の収録作品も、次回の第31号で500タイトルを越えることになります。内容も、単に同人雑誌「人間像」の作品ばかりでなく、広く新谷が辿って来た作家や作品をここに収めたいと考えています。
石川啄木から現役の峯崎ひさみさんまで、なぜここにこの作家が入るのか?説明する意味もあって、ライブラリーの片隅に「新谷保人」というコーナーをひとつ設けさせてもらって、そこで収録作品の解説(?)を試みています。
今、そこに、『倶知安と文学』『文芸作品にそびえる羊蹄山』を入れようかどうしようかでちょっと悩んでいます。いずれも京極時代に倶知安風土館で行った講演なのですが、まあ私の解説話はどうでもいいとしても、講演のために作った作品アンソロジーにはまだ価値があるかなとも思うからなんですね。「倶知安と文学」を集めきったという自信はあります。
ただ惜しむらくは、このアンソロジーには針山和美氏は登場しないのですね。同人雑誌『人間像』を知る以前の「倶知安と文学」なんです。「人間像ライブラリー」が始まった今、こんな過去の古証文みたいの出してもなあ…、ライブラリーが混乱するだけだ…という気持ちがいつもあって躊躇していたのでした。

 
▼ 倶知安駅  
  あらや   ..2018/03/06(火) 12:00  No.577
  上沢さんの『「人間像」小史』を読んでいて、感じるものがありました。『倶知安と文学』、出すなら今かな…と。

講演「倶知安と文学」には隠れたモチーフがありました。「倶知安駅」です。「倶知安駅」の意味合いの変容が、それぞれの時代の「倶知安と文学」の変容を伝えている…と。
最古の断層は私鉄・北海道鉄道(函館本線)上の「倶知安駅」。啄木の「真夜中の倶知安駅…」が示す通り、この時代の「倶知安と文学」は旅人や東京者(有島)の描いた倶知安と云えましょう。
次の古層が京極線(胆振線)が接続した時代の「倶知安駅」。脇方から鉄鉱石が出たが故に京極線を敷かねばならなかった。線路を通すために軽川トンネルを掘らねばならず、その工事のためにタコ部屋ができる。『血の呻き』の沼田流人が典型ですが、ここからの「倶知安と文学」は地元民の描く倶知安。
で、講演の最後で云わざるを得ません。「倶知安と文学」は北海道新幹線の上に乗ることによってさらに変容しますよ…と。朝、峯崎さんに「これから行くよ」と電話して、五時間後には市川市妙典の峯崎家に居るような世界が出現するわけですからね。「倶知安」の意味合いもずいぶん変わるように思います。
もし、この講演の時点で『人間像』を知っていたなら、「これこそ十九歳の針山青年が夢見ていたような世界ですね」と言っていたかもしれません。だからこそ、『倶知安と文学』、出すなら今かな…と思いました。(こじつけかな)

つべこべ云ってないで、早く第31号に取りかかれ!という声が聞こえる。


▼ デジタルライブラリー活用講座   [RES]
  あらや   ..2018/03/01(木) 09:44  No.572
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「人間像」第30号、なかなか終わりません。123ページは長いわぁ。(今、117ページ!) 一日中パソコン作業をやってると、かなり煮詰まります… というわけで、2時間だけ休憩して、先日の小樽図書館講座の感想を書いておきます。「人間像ライブラリー」の仕事にとっても大変参考になりました。

市立小樽図書館デジタルライブラリー
https://otaru.milib.jp/public_html10/index.html

図書館所蔵資料の『竹村写真館(竹村伊蔵)撮影の写真帳』を例に引いて、まずは博物館的アプローチ。写真の中の被写体のあれこれ、例えば、明治42年5月起工→11月竣工の小樽警察署が写っているいない…などから撮影年代を特定する。
そして、ここからが渡辺さんならではの展開なんだけど、撮影者名・寄贈者名などの手がかりを基に、撮影年代に沿って「小樽新聞」記事をチェック。その結果、明治42年7月、伊藤博文が韓太子を伴い来樽した記事に行きあたる。『写真帳』は韓太子への献上品の副本・予備品と判明。
残された手がかりから、博物館的、図書館的アプローチの両方を駆使した上で、その由来、内容、価値を明らかにして行く二時間の講演会進行が心地よかったです。もっと博物館的な蘊蓄の羅列かと思っていたのだけど、全然そんなレベルではなかったですね。なぜ、ここに、私たちの前に竹村伊蔵の写真が残されているのかを思うことは、なぜ私たちは本を読むのかを考えることだと思っています。


 
▼ 渡辺真吾氏  
  あらや   ..2018/03/01(木) 09:48  No.573
  【講師紹介】1957年東京生まれ。北海道大学文学部卒業。埼玉県内の博物館学芸員を皮切りに博物館関係の仕事に従事。1993年から小樽在住。小樽の歴史に間する執筆や講演会など多方面で活躍中。長年にわたる月刊「小樽學」での連載を終え、新たな執筆が待たれている。著書に『新聞記事万華鏡』『明治•大正、小樽のできごと 新聞記事拾い読み』など多数。
(案内パンフレットより)

へえ。私も小樽に移って来たのは1992(平成4)年です。なにか、埼玉のどこかですれちがってるかもしれませんね。


▼ 「人間像」第29号   [RES]
  あらや   ..2018/02/11(日) 18:02  No.570
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「人間像」第29号デジタル化に「33時間/延べ日数5日間」かかりました。33時間とはずいぶん速かったじゃないか!と思われるでしょうが、理由は、

 一九五四年最初の号をお送りする。いつもの号に比して頁数は少ないが、これは次号に特集を控えている為であり、同人がなまけている訳では更々ない。
(「人間像」第29号/編集後記)

というわけです。45ページの本ですから、そんなに時間はかからない。それよりも「第30号記念号」です。123ページ、二月中に完了したい。

ところで、第29号でちょっとした事件がありました。


 
▼ 斜視  
  あらや   ..2018/02/11(日) 18:09  No.571
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 二十九年には辻井彰夫・平木國夫・白鳥昇・丸本明子などが参加して、ほぼ現在の陣容が整った。創刊から五年が経っていた。
 この期の特筆すべき事項としては二つある。一つ目は金澤欣哉の入会第一作「年の瀬」が『新日本文学会』の全国同人誌コンクールに入選、掲載されたことであり、二つ目は今出力弥の「囚われの季節」(28号)が印刷所の事情でオミッ卜され、目次に題名のみが残るという珍事が発生したことである。今では考えられないが、ちょっとした性描写が職人である受刑者を刺激する虞れがあるためと報告された。評論家の小林秀雄氏ほか二、三人の人達から説明を求められたが、言論弾圧のようなものでない事を説明して一段落した。後日削除されずに製本されたものを二部だけ送られ、作者と編集部に保存されることになった。
(針山和美「人間像の五十年)

第29号所載の飯山倓朗『斜視』を復刻している時に、こんなページが… 「中略」って一体何だよ?
針山氏『人間像の五十年』は読んでいたから、この「中略」部分が、例の「オミット」された部分なのかとも考えたのだが、なにか「目次に題名のみが」といった状況でもない。(作品は載っているのだから…)
再度『人間像の五十年』を読み直して漸くわかりました。「受刑者を刺激する虞れ」のための「オミット」」は『囚われの季節』以外にも行われていた。あと、私がデジタル復刻している「人間像」は針山家所蔵の「人間像」ですから、第28号の『囚われの季節』は当然難なく「人間像ライブラリー」に載り、誰でも読めるということなのでした。


▼ 「人間像」第28号   [RES]
  あらや   ..2018/02/06(火) 11:52  No.568
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「人間像」第28号デジタル化に「44時間/延べ日数6日間」。いつもよりは鮮明な印刷だったのでOCR作業が捗りました。心理的には「20時間」くらいの作業量に感じていたけど、最後に計算してみたらいつもの「40時間」台でしたね。まあ、こんなものか。

作業がやり易くなって来たと感じるのには、いろいろ技術的な要因もあるけれど、そういうこととは別に、駄作がなくなったことも大きいと感じます。駄作作家が居なくなった。キーを打っていて、不可解な言葉遣いや表現に苛々することもめっきり減りましたね。みんな、気がつかない内に腕が上がって来ています。

昭和28年。1953年。明らかに戦後の混乱とはちがった世相が登場して来ていますね。私も、実家の母が生きている内にこの時代のことを聞いておこうと思い始めています。次号(第29号)からは昭和29年。「洞爺丸台風」か。作品のレビューは読書会BBSで行いますが、こちらの司書室BBSでは「昭和20年代」の考察(笑)をやってみようかな。


 
▼ 第30号対応  
  あらや   ..2018/02/06(火) 15:32  No.569
   間なしに「人間像第三十号」を出す事になるが、これを記念号にして百三十頁位の大冊を発刊しようと予定している。で全同人にそれ/\作品を発表してもらり積りでいるから準備しておいて貰い度い。「道」の出発から足掛け五年、ずい分いろんな道を歩いて来たが我々は一服する事を知らない。若い時の休みない労力はいいものだそうだ。「人間像」が未だに一つの主義を持たぬ事を云々する人がいるが、何よりも先づ個々に完成する事に努力しよう。(上沢記)
(「人間像」第28号/編集後記)

第26号以降の「人間像」について、広告ページや裏表紙の画像を加えることにしました。これは、第30号記念号にかけて、どんどん裏表紙などの部分にも大事な情報が増えて来るからです。これらの情報がないと「一冊丸ごと」復刻にならない。

今日中に第29号作業に入ります。別に意味はないけれど、二月中に第30号記念号を完了したい。第30号を越えて雪解けの三月を迎えれば、なにか良いことがその向こうに待っているような気がしています。渡部さんも、奥沢町から相生町に引っ越したみたいだし…


▼ 「人間像」第27号   [RES]
  あらや   ..2018/01/29(月) 17:21  No.567
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「人間像」第27号デジタル化に「46時間/延べ日数8日間」かかりました。

 朽木寒三「夜更けの部屋」
 針山和美「反抗期」
 金澤欣哉「復讐」
 門脇幸夫「泣きつ面(三)」
 飯山倓朗「幻覚」
 福島昭午「鴛鴦」
 内田保夫「轢死」

いや、凄い。創作(小説)だけで7本。これに、木村不二男氏の連載随筆「文学青年の頃」と上沢祥昭氏と清瀬彌須政氏の詩が合体するのですからね。70ページ、全くスキのない「人間像」ではありました。同人の人たち、書いていて楽しいだろうなあ。

久しぶりの渡部秀正氏(←すっかりファンです)、読みたいので明日から第28号に入ります。渡部氏は「奥沢町」(←新幹線の「新小樽駅」ができる所)、上沢氏は今はもう無い「砂留町」に住んでいるんですよ。



▼ 有島の里   [RES]
  あらや   ..2018/01/20(土) 17:33  No.563
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阿部信一『有島の里』をアップしました。
三分冊に分けてあります。[1]は内容的に「阿部一族」とでも云える部分。[2]が『カインの末裔』のモデル「広岡吉太郎」物語とでも云える部分。[3]は「有島武郎」「有島記念館」に関する雑纂となります。

山麓の作家をあれこれ読んできましたが、私のささやかな感想で云えば、有島文学に触発されてものを書きはじめた山麓の作家はいないと思います。(滓みたいな作品まで拾い漁れば、そりゃあるだろうけど…) みんな、もっと切実な自分の内面(戦争とか、戦後開拓とか)に従って作品を書きはじめている。阿部さんの作品も当然自己の内面の発露に決まっていますが、ただ、生まれた場が有島(山本)農場だったことが、その作品を特別なものにしていると思うのです。稀有に思う。

「人間像」デジタル復刻を一号休んでも、ライブラリー化する価値はあった。
一週間遅れましたが、これから第27号作業へ。


 
▼ ちまちま  
  あらや   ..2018/01/26(金) 13:15  No.564
  
http://www.h-bungaku.or.jp/exhibition/special.html

まだ、こんなことやってんのか…

 
▼ 前田克己さん  
  あらや   ..2018/01/26(金) 13:20  No.565
  昨日の新聞に嬉しい記事が。

前田さんの遺稿集出版
地域の歴史発掘「余市豆本」主宰
会津藩士の考察、新聞寄稿… 編集仲間2人4年がかり
【余市】地方に眠る歴史を発掘してきた「余市豆本」主宰者で昨年3月、104歳で死去した前田克己さんをしのぶ遺稿集「百歳の歩み」が出版された。前田さんとともに豆本編集に携わった町内の元教員、武井幸夫さん(82)と菅原一也さん(87)が4年がかりで編集。2人は「郷土の歴史に光を当ててきた前田さんの業績を知ってほしい」と話している。
(北海道新聞 2018年1月25日 小樽後志欄)

前田さんの本は私にはあまりにも身近にあった本なので、かえって、その人となりについて深く考えたことがなかったです。

 前田さんは京極町出身で戦前から1973年まで、管内の小、中学校の理科教諭や校長を歴任。終戦後の教育改革では後志教育局指導課長を務めた。京極町の脇方小校長だった61年には全国学力テストを中止し、道教委の停職処分を受けた(後に取り消し)。退職後は余市に移住し、85年から豆本の編集と出版に取り組み2016年までに57冊を刊行。94年には道文科財保護功労者に選ばれた。……
(同記事)

そうだった。理科の先生でしたね。今まであまり気にとめてなかったところに意外な発見があるかもしれない。待ち遠しい一冊です。

 
▼ 後志風土記  
  あらや   ..2018/01/26(金) 13:24  No.566
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前田さんは「京極文芸」にも『後志風土記』を12回連載されています。よく誤解されるのですが、この『後志風土記』は、余市豆本で出版された『後志風土記(正・続)』とは大きく内容が異なるものです。「京極文芸」で連載したものをまとめて、余市豆本版『後志風土記』にしたのではありません。いわば『後志風土記』というタイトルの本が三冊あるのだと考えた方がよいと思います。
あるいは、この三冊には入らなかったけれど、未発見の「後志風土記」ものが雑誌・新聞記事・草稿類の中に眠っているかもしれません。そう想像するのは、例えば余市豆本『続後志風土記』を見ると、一冊の中のほとんどが『喜茂別町史』『京極町史』からの文章のコラージュで出来上がっていることに気がついたりします。両町史は前田さんが初めて執筆・編纂に手を染めた本ですが、その初期の仕事が今一度『続後志風土記』となって甦るところに前田克己という人が持っている度量みたいなものを感じます。

前田さんは一生涯かかって〈後志風土記〉という大きな物語を書いたのだと思います。その認識の上で、「人間像ライブラリー」でも当然『後志風土記』のデジタル復刻を考えています。実は準備もある程度整っているのですが、如何せん、その著作権許諾に難航しています。著作権継承者に行きあたらない。

阿部信一さんがご存命であったことがどれほど有難いことであったか、今噛みしめています。ご存命であれば、著作権者から直で許諾を得られる。それができないとなると、なかなか事態は難しくなってくるのです。前田克己さんに間に合わなかったことを悔しく思います。


▼ 「人間像」第26号   [RES]
  あらや   ..2018/01/14(日) 17:19  No.561
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「人間像」第26号デジタル化には「44時間/延べ日数8日間」がかかりました。

ガリ版(孔版)印刷から活版印刷に代わった第23号以降、軒並み40時間以上の時間がかかっているのはどうしてだろうとその度毎に考えてきたのだけど、第26号終了時点の結論では「活版」ということになるのだと思います。つまり、活版の小さな活字びっしりのページになって、文字量が相当に増えているんですね。
しかし、これが効を奏したのでしょう。ガリ版時代だったら遠慮していただろう長篇作にも挑めるようになってレベルの高い作品が増えたように感じます。あるいは、駄作が活字になるとその駄目さ加減が誰の目にもあからさまになりますから、そうした作品・作家が自然に淘汰されて、「人間像」の質のアップにつながって行ったのかもしれません。

 対外的にも少しずつ認められ、新聞の同人誌評などに誌名が載るようになるとともに固定的に長続きする人達が参加して来るようになった。
 翌二十八年には福島昭午・秋庭武之・内田保夫・今出力弥・佐々木徳次などが参加、この年の第二十四号から旭川刑務所での印刷が始まった。印刷費がぐんと軽減され、二倍負担の三人も同額になった。発行回数と頁が増え、同人達の意欲をさらに高めることになった。
(針山和美「『人間像』の五十年」)


 
▼ 福島昭午氏  
  あらや   ..2018/01/14(日) 17:24  No.562
   針山君とは中学で同じクラス。
 意欲だけは人一倍持つているくせに、性来のP惰と無能から原稿用紙に向つても、中途で飽いたり、行きずまつたりして未だまとまつたもの一つ書いてない始末。極めて情けないが、今度針山君から尻をたたかれ、たたかれ「人間像」の同人の片隅に席を置かして頂くことになつたものである。無能とは云え参加した以上は大いに書かせて頂くし、又大いに諸兄姉の御教示を頂きたいものと思う。
 同人に参加した理由として、この雑誌が、一定の主義主張の下に拘束されないということに共鳴したのがそもそもでもある。――勿もそんな事を主張すること自体一つの主義と見倣せないわけでもなかろう。
 アプレといえば一種の軽蔑の意味を持つて解釈され勝ちだが、もうそろそろアプレの生み出した新らしいものを見せてもよい頃だと思う。あまり勝手な事を書いているうちに貴重なスペースを食いつぶしてはいけない。かんたんに自己紹介を。
 一、昭和二十三年倶中卒
 一、同年四月から現在まで田舎教師
 一、去年の八月御園のとなり鈴川に転任
(人間像第26号/福島昭午「自己紹介」)

第26号にて福島昭午氏の参加。「人間像ライブラリー」著者別索引のラインナップには、針山氏の「『人間像』の五十年」と『人間像・針山和美追悼号』に挙げられた名前を主な参考にさせていただいてますが、この福島氏の登場によって、残すは、平木國夫氏、白鳥昇氏、丸本明子氏といった方々になってきました。ほぼ「人間像」スタイルの完成か。ただ、旭川刑務所はもう少し頑張ってくださいね。一発目から「福島昭平」氏になっていたよ。誤字、凄いや。


▼ 「人間像」第25号   [RES]
  あらや   ..2018/01/05(金) 12:49  No.560
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「人間像」第25号のデジタル化にかかった時間は「48時間/延べ日数10日間」でした。
80ページ長の大冊第24号とそこそこ同じくらいの時間がかかった理由はよくわからないのですが、年末年始の雑用とか12月の大雪とかで、なかなか作業一本に集中することができなかったからかもしれません。

「平成三十年」にはちょっと感無量。『天皇の黄昏』からもう30年も経ったのか。「公開日:2018/1/5」と書き込んでいて、それも凄いことだと感じます。なんたって入力している「人間像」第25号は「1953(昭和28)年5月」発行ですからね。昭和28年たら、私、生まれて半年ですよ。それを今、年金生活者の私がデジタル化してるんですからね。なんか、不思議だ。









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