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司書室BBS

 
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▼ 「人間像」第118号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/12/04(月) 17:37  No.1019
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 会社の帰り、気の合ういつもの五、六人で、スナックバーに寄ることがある。雑談をしたり、カラオケをやったりと言うたわいないものだが、これが純平たち安サラリーマンの簡便なストレス解消法になっていた。
 この日も、誰いうとなしにいつものメンバーが集まり、行きつけのスナック『ブルーバード』に来ていた。上司の悪口や同僚の噂ばなしをつまみに安い焼酎やウイスキーの水割りを飲むのだ。当面の話題が尽きると、カラオケをやったり、それに合わせて踊ったりする。いつもなら、純平がマイクを握ることが多いのだが、この日は若い連中が先に踊り始めたので、純平はいささか手持ちぶさたであった。
「川上さん、踊りましょうか」
 立木英子が声をかけた。
(針山和美「雪が解けると」)

第118号作業、スタートしました。久しぶりの針山作品。この『雪が解けると』は、三年後、単行本『天皇の黄昏』に『春の淡雪』とタイトルを変えて発表されています。私は『春の淡雪』の方を先に読んでいますから、今回の雑誌発表形の『雪が解けると』にはかなり驚きました。結末部分が大胆に書き換えられている。同じ話で二度楽しめる。


 
▼ 定年退職  
  あらや   ..2023/12/07(木) 17:51  No.1020
   ところが、ここ二、三年急に多作になった。多作と言っても年に三作ほどの割合に過ぎないが、それまでに較べると三倍の量になる。根気も体力も衰えて来るこの時期に俄に書き出したものだから、口さがない連中は無意識裡に死期を察してのことではないかと軽口を叩く始末である。しかし、違うのだ。長かった教員生活もいよいよ今年限りで、来年からは待望の執筆人生が実現出来る訳だが、突然書き出すと言っても仲々大変だろうから、その助走訓練をして置こう、と言う思惑から多少無理をして書き始めたのである。
(針山和美「天皇の黄昏」/あとがき)

たしかに、この第118号『雪が解けると』を皮切りに針山氏は毎号発表ペース(第119号は私の大好きな『嫁こいらんかね』だ!)に入って行くのですが、同じようなことは千田三四郎氏にも云えて、数年前に北海道新聞社を定年退職してからは爆発的に書きまくっていますね。そういう「人間像」充実の影で少し心配なことが…
デビュー以来、毎号、長い作品を精力的に書き続けてきた針田和明氏の作品が第116号『雄冬の冷水』を最後にぱたっと止まっているんですね。作業をしていて何か変だな…と感じていたのですが、数日前に、ああ針田氏がいないんだ…と漸く気がつきました。

 
▼ 歌ふことなき人々  
  あらや   ..2023/12/07(木) 17:54  No.1021
   そろそろ店を開けようか。閑古鳥が鳴きっぱなしのここには、どうせ客はこないだろうが、さ、気を入れてやろうじゃないか。今日でこの小樽での仕事はおしまい。それなりにけじめをつけなければな。……あいつのせいで店じまいにまで追い込まれたけど、思い直せば、生まれ故郷の東京でもうひとふんばり、〈理髪床 江戸屋〉の看板をあげる踏ん切りがつけられたのも、裏返せばあいつのおかげだ。根も葉もない中傷記事で商売あがったり、いちじは夫婦一緒に死んで、あの記者野郎に崇ってやりたいと恨んだが、いまとなっては降りかかった禍を福に転じさせるため、東京で何がなんでも頑張りたい、そんな意気込みでいっぱいだ。
(千田三四郎「歌ふことなき人々」)

もうこれは、千田作品の中でも一、二を争う名作だと私は思っています。ついに、ライブラリーに入ったことに感無量。

 
▼ 百一ほら話  
  あらや   ..2023/12/07(木) 17:57  No.1022
   百一というのはアダ名で、田中勝男という名前の馬喰である。
 その人は「百語るうちにホントは一つあるかどうか」というほら吹きなので、名前を呼ぶ者がなく『百一』でとおっていた。ところが、
「百一つぁん」と声をかけると、
「ほい」 気楽に答える。
 だから斎藤昭は最初アダ名とは知らず、一体これはどういう意味なのか珍らしい名前だなあと思っていた。
(朽木寒三「百一ほら話」)

前号の『マルホほら話』に続いて、今度は『百一』のほら話。面白いなあ、朽木さんは。斎藤昭シリーズは永久に続いてほしいと願っています。

 
▼ 「人間像」第118号 後半  
  あらや   ..2023/12/11(月) 11:40  No.1023
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「人間像」第118号(134ページ)作業、完了です。作業時間は「60時間/延べ日数10日間」、収録タイトル数は「2224作品」になりました。

本の裁断が狂っていて、画像データ作りにけっこう時間をとられました。その最たるものが裏表紙。半日くらい悪戦苦闘したわりには、まだ納得はしていない。活字が細かいので読みにくいと思います。こういう内容です。

 曲り角

 丸本明子は昭和三十年代『人間像』に参加し、五十号の前後に毎号発表し続けていたが、子育てにかかる頃から中断し、百号が過ぎて再び参加、御存じのように毎号欠かす事なく発表し続けて来た。旺盛な制作力と言うべきである。
 彼女は日常生活の中では滅多に遭遇しない悲劇のひと駒を、また超現実的な世界を好んで描く。遇いたくない現実に遇わねばならない悲劇の主人公達は、その辺にいつもいる普通の市井人なのである。ときには残酷とも言える結末が何の予告もなしに訪れて、読者を震憾させる。日常生活の中に存在する不条理なる現実を丸本さんは書きたいのだと、僕は自分なりに解釈している。知っての通り丸本さんは沢山の詩集を持つ優れた詩人だが、その詩人らしい冷徹な感覚とともに人間への温みのこもった小説である。(針山和美)


▼ 「人間像」第117号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/11/17(金) 16:49  No.1015
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 牛泥棒でつかまった『百一馬喰』は、百話すうちにほんとのことはせいぜい一つしかないのでその名前がついたのだが、その百一つぁんのほかにもう一人『マルホ』というのがいた。これは、隣県、とはいっても斎藤昭の住む岩手県一関からそんなに遠くない宮城県々北の馬喰なのだが、
「言ってることがまるっきり全部ほらばかり」
 なのがこのあだ名の由来だった。しかし考えてみると百一にしろマルホにしろ一匹馬買いのちんぴらなのに、ほら吹きの看板を背にしょったまま、鬼より恐い海千山千、ばの字づくしの荒くれ男がむらがるこの渡世でなんとかかんとか生きて暮らしているのだから、それなりに大したもんだと言わねばならなかった。
(朽木寒三「マルホほら話」)

第117号作業、開始です。まずは、絶好調の「斎藤昭」シリーズ、朽木寒三『マルホほら話』完了。以降、内田保夫『境界は凪であれ』、丸本明子『マーガレット』、矢塚鷹夫『ロールプレイング』、千田三四郎『手探り寅吉ノート』と続きます。

昨日は庭木の冬囲いで丸々一日時間を取られてしまった。


 
▼ ワープロ時代  
  あらや   ..2023/11/24(金) 18:42  No.1016
   たとえば、「花が咲いた」などはそのまま旨く行くが、「お考えに」などと打つものなら「悪寒が絵に」などと訳の判らない文字の羅列になってしまうのである。打ち手の方は「考え」に丁寧語の「お」をつけたつもりでも、機械の方は「悪寒」「が」「絵に」なったと判断してしまうらしい。こういう時は「お」だけをさきに確定しておいて、後から「考え」を打てば旨く行くようである。
(針山和美「ワープロを手がけてみて」)

やあ、始まりましたね。1987年か…

 職場の同僚が、翌日までに必要な書類を打たねばならなくなり、久しぶりにワープロに向かったまでは良かったが、キィーワードが判らなくなるたびに「操作説明書」を調べながらやっていたら、とうとう朝までかかってしまったと嘆いていた。とにかく使いこなすまでにならなければ、文明の利器も宝の持ちぐされになってしまうようである。
 Kの話によると、書くのと打つのが同じ速さとしても、訂正が楽な上に清書も不要なのでトータルではワープロの方が速い、という結論になるらしい。一日も早くそう思えるようになりたいものである。
(同書)

 
▼ 手探り寅吉ノート  
  あらや   ..2023/11/24(金) 18:47  No.1017
   とり憑かれたわけではないが、成り行きに意地がからんで〈寅吉〉を追究するはめになった。自分の短かい余生にとって、これは道草かもしれないが、手を付けた以上、掴んだ事実と疑問を、霧の中に葬り去りたくなかった。これまでに実録とか、実説とか、実話とかいわれてきた文学が、まったくのノン・フイクションでなかった点にも触れてみたかった。
(千田三四郎}「手探り寅吉ノート」)

原稿用紙で65枚。『マルホほら話』の70枚より少ないはずなのだが、かかった時間は『マルホ』の三倍。ようやく今日アップしました。

もう今日はこれで作業終わろう… 天気予報は明日から猛吹雪とか言ってるし。

 
▼ 「人間像」第117号 後半  
  あらや   ..2023/11/27(月) 14:44  No.1018
   ところで、この働き者の権兵衛はどうしたわけか、三十をすぎた今日まで独り身ですごしてきた。世話好きな村の年寄り連中が、働き者で名の売れた権兵衛を見逃すわけがない。虎吉爺さんも、お熊婆さんも、猿之助爺さんも、嫁御を世話しようと何度権兵衛を口説いたかわかりゃあしない。
「わしに嫁女はまだ早いわい」
 権兵衛はそういって、今日もまたこうして鍬を振り上げているのである。
 さて、仕事も一段落かたずくと、権兵衛はそばの切り株に腰をおろして、いかにもうまそうに、すぱりすぱりと煙草をふかしていた。そのうち、権兵衛は仕事の疲れでついうとうとその場で居睡りはじめたのである。
(佐々木徳次「夢女房」)

前号の『針田和明詩集』に続いて、今号では「雑記帳」欄に佐々木氏が民話風(?)の小品『夢女房』を発表… こういうの、同人間で流行っているのかな。

「人間像」第117号(101ページ)作業、完了。作業時間は「51時間/延べ日数9日間」で、収録タイトル数は「2213作品」になりました。裏表紙は第116号と同じなので省略。


▼ 「人間像」第116号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/11/03(金) 11:38  No.1012
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『あの若者がはだか馬に乗って、何頭もの馬をたくみに追い込んでいくのを見ていると、オレの青春を埋めた満州での日々が思い出されてならぬ。なんとか、あの青年と会って話してみたい』
 斎藤昭は毎朝、台町の家を出て近くの磐井川の堤防に、ごじまんの愛馬「ときいわ号」を運動がてら走らせにいく。少年時代、北海道釧路の大湿原で牧夫をしていた頃の彼は、他の親方たちや先輩の牧夫連中と同様、よほどの遠出か改まった用事ででもない限り鞍など置いたことはなく、せいぜい古毛布をハンケチほどの小さに切った四角なきれっぱしを尻の下に挟むぐらいのことで、はだか馬を乗り回していた。それで彼は、故郷の一関に帰り数年たったいまも、「ときいわ号」をはだか馬のまま自由自在に走らせるのが快いのである。
(朽木寒三「小山田さんの鉄砲」)

この「斎藤昭」シリーズ、最高。今回は特に、元馬賊の老人と博労の若者の出合いとか、朽木さんでなければ絶対に書けない世界ではあります。舞台が釧路(北海道)と岩手県というのも私好みだし。しばらくご無沙汰していた朽木さんの「人間像」復帰を心から喜んでいます。

第115号が完了した翌日から「人間像」第116号作業を開始しています。『小山田さんの鉄砲』の次は、千田三四郎『ぎんぎらぎん』、丸本明子『竜の落し子』、矢塚鷹夫(新同人)『吸血鬼物語』、針田和明『雄冬の冷水』と続きます。


 
▼ 針田和明詩集  
  あらや   ..2023/11/10(金) 18:26  No.1013
   俺の冷蔵庫

冷蔵庫をあけて
俺はめずらしい食い物を
掌にとっては口に運んだ
鮭の切り身、筋子、
豚肉、白菜、人参
まだ食いたりない気がしたが
中はもう空っぽだ

二階でふるえている人間どもに
俺は掌をふって合図をしたが
だれ一人として
降りてこない
用心深い人間どもよ
ごちそうさん

山へ帰る途中
牧場で牛を一頭
失敬しようとおもったが
あいにくとトンマな牛は
いなかった
仕方がないとあきらめて
俺は西瓜畑に入り
大きいのを二十個ばかり割って
ガブガブと水分を補った

以下、略。人間像ライブラリーの『針田和明詩集』をお楽しみください。

 
▼ 「人間像」第116号 後半  
  あらや   ..2023/11/10(金) 18:30  No.1014
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 間に別冊を発行したこともあるが、遅刊の原因は原稿が期日に揃わないことである。結構忙しい針田が毎号書いているのだから、多忙は理由にならないと思う。この号の中で佐々木が書いているように「枯渇」してしまったのであろうか。そんな我々の仲間に若い矢塚鷹夫が参加した。成長を期待すると同時に、潤滑剤となって古い同人達の再起にも役立ってほしいものである。
(「人間像」第116号/編集後記)

その矢塚さんのデビュー作『吸血鬼物語』の冒頭。

 ある朝、目を覚ますと俺は吸血鬼になっていた。カガミが無かったので姿形がどう変わっていたのか知るよしも無かったが……。

ちょっと大丈夫かなあ…とも思ったが、なんとかラストまで話を持って行ったので一安心。考えれば、針田さんもデビュー時はこんなだったかな…

「人間像」第116号(100ページ)作業、完了です。作業時間は「47時間/延べ日数9日間」でした。収録タイトル数は「2199作品」。裏表紙が久しぶりの更新。


▼ 「人間像」第115号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/10/10(火) 17:02  No.1009
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〈沼田流人〉関係を一旦止めて、「人間像」作業を再開することにしました。『「血の呻き」の発禁をめぐって』を書くには、やはり大森光章『このはずくの旅路』をアップしてからの方が正解、正確だと思ったからです。それにもしかすると、『このはずく』は、現在「人間像」で進行中の千田三四郎〈乾咲次郎もの〉に絡んでくるのではないか…という予感もちょっとあります。いずれにせよ、慌てて結論を出す愚だけは避けたい。

第115号は、久しぶりの村上英治『あした秋篠寺へ』(原稿用紙218枚!)を筆頭に、丸本明子『蓑虫』、針田和明『幌の女』、神坂純『母を恋うる記』といったラインナップ。針田氏は他に『二百一号室』という作品も発表しています。

一ヶ月前には、たしか、北海道にして30度越えの毎日の中にいたはずなのに… 二三日前、ストーブの試運転をしました。


 
▼ あした秋篠寺へ  
  あらや   ..2023/10/25(水) 16:47  No.1010
  本日、村上英治『あした秋篠寺へ』をライブラリーにアップしました。
本文中に写植の打ち間違いがあって意味が通らなくなっていたので、確認のため道立図書館の単行本を取り寄せてもらいました。申し込んだのが先週の水曜日です。その日のうちに連絡がつけば、金曜の相互貸借便に乗って土曜には読める…はずだったんだけど、なんとその本を手にしたのは今週の火曜日でした。
なぜこういうことになるのかというと、この原因は、郵便局の働き方改革によるものらしいですね。木曜以降に出した郵便物は翌週の配達になるみたい。事実、先月、札幌まで郵便物を出すのに「明日はまだ平日(金曜日)だから、今日(木曜日)出せば明日着くだろう」と雨の中を郵便局まで行ったのに、それが届いたのは月曜日だったと後で知らされてひどく驚いたものでした。なんでこんな世の中になったのだろうか。

『あした秋篠寺へ』のチェックを待っている間に、丸本明子『蓑虫』、針田和明『幌の女』、神坂純『母を恋うる記』とどんどんアップは進み、これからラストの大作、針田和明『二百一号室』に取り掛かります。第115号は今月中に完了かな。

 
▼ 「人間像」第115号 後半  
  あらや   ..2023/10/31(火) 11:02  No.1011
   浜益国保診療所へ勤務して十一ヶ月たった。住宅のすぐ隣りが診療所のせいか、歩くことが少なくなり、足腰が弱ってきた。二十代の初めには八十キロの大豆の麻袋をかつぐことができたのに、四十四歳の今、十キロの米を持っても重いと思うし、娘の志保を肩車して五十メートルも歩くと息切れしてしまう。志保は二十キロだ。二十キロでふらついているのだから、もう八十キロには到底挑戦できない。
(針田和明「二百一号室」)

ついに針田氏の『病床雑記』が始まったのか…と少しひゃーっとしましたね。

「人間像」第115号(190ページ)作業、完了です。作業時間、「90時間/延べ日数21日間」。収録タイトル数は「2182作品」になりました。裏表紙は第111号以来変わらないので省略。Windows11のわけのわからないバージョンアップに少し苛々した第115号でもありました。冬近し。


▼ 沼田流人伝   [RES]
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:20  No.1005
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「人間像」第114号を終えてから二週間ほど休暇をもらって、「沼田流人」のこれからをあれこれ考えていました。いくつか試みたこともあります。そのひとつが、武井静夫『沼田流人伝』のライブラリー化。付随して、『沼田流人伝』の前身となる『沼田流人小伝』も復刻してみました。『小伝』は大森亮三主宰の歌誌「防風林」に6回連載。同じ「防風林」には3年前から佐藤瑜璃『父・流人の思い出』が始まっており、『小伝』はこの『思い出』連載に割り込むような形で展開された流人伝と云えます。年代順にすると、
@ 北海道文学全集 第6巻 『地獄』/流人略歴 1980(昭和55)年6月発行
A 『父・流人の思い出』 1987(昭和62)年7月〜1991(平成3)年10月連載
B 『沼田流人小伝』 1990(平成2)年1月〜年12月連載
C 『沼田流人伝』 1992(平成4)年3月発行
これらを踏まえて「沼田流人マガジン」第5号(2013年9月発行)に発表した拙文『「血の呻き」の「発禁」をめぐって』を内容整理した上でライブラリーに載せたいと考えています。


 
▼ このはずくの旅路  
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:24  No.1006
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現在、大森光章『このはずくの旅路』のライブラリー化を考慮です。しかし、大森光章氏の著作権継承者の方になかなか尋ねあたりません。どなたか情報をお持ちの方は御一報ください。

沼田流人理解には、佐藤瑜璃『父・流人の思い出』とこの『このはずくの旅路』があれば、後はいらないというのが今の私の考えです。
そして、『このはずくの旅路』のライブラリー化が完成した暁には、現在封印している拙文『文芸作品を走る胆振線』の再掲載をお許しいただきたいのです。当時、『沼田流人伝』の影響下で〈沼田流人〉を描いていたという点では、佐藤氏も大森氏も私も同じです。事実誤認を書いてしまった痛みは残るけれど、私もそれを隠すのではなく、私の今の仕事で『沼田流人伝』を乗り越えて行かなければならないと考えています。

 
▼ 松崎天民  
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:29  No.1007
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人間像ライブラリーに〈松崎天民〉の項目をつくりました。今は『悽愴たる火葬場』一篇しか載っていませんが、将来的には多面的な天民の世界を構築してみたいと夢みています。沼田流人の理解には天民作品が欠かせないと感じる日々です。

また松崎天民に付随して、「おたるの青空」以来二十年ぶりに〈石川啄木〉に一作品を加えました。『日本無政府主義者隠謀事件経過及び附帯現象』という、大逆事件に触発された作品ですが、啄木の大きな情報源が東京朝日新聞の同僚だった天民と云われています。

旧漢字を使いこなすほど頭が良くないので、テキストに筑摩書房版「石川啄木全集」を使いました。作業中、岩波版「啄木全集」」をベースに使っている「青空文庫」を参照させてもらいましたが、そこで明らかに入力ミスと思われる箇所を三つ見つけました。漢字や踊り字の使用にも厳格だし、校閲者も別にいる「青空文庫」にして、こういう入力ミスが存在するんだということに少し驚いています。

 
▼ 雪に撃つ  
  あらや   ..2023/10/06(金) 09:35  No.1008
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「ベトナムのひとには、北海道はきっと寒いよね」
 チャムが言った。
「信じられない寒さでした。わたし、気温零度っで、初めての体験でした」
 声が明るくなっていた。車の中が、ふいになごんだ。このふたりの女性たちは、どうやらこのまま逃走できるだろう。列車に乗ってしまえば、あとは札幌で支援団体が彼女たちを助ける。もう心配しなくていい。
 それにしても、と太一は思った。どこに本社を置く会社なのか知らないが、こんな土地にタコ部屋を設けるなんて。奴隷を使うように外国人労働者を集めて、安く働かせて利益を出しているなんて。
(佐々木譲「雪に撃つ」)

作業中に読んでいました。(百何十人の予約が終わったのか、最近書架で出廻るようになりました) そんなに多く小説を読んでるわけではないから断言はできないが、自分の作品で公然と「タコ部屋」を言い放った人、佐々木譲が初めてです。

あなたは、佐々木譲が技能実習生の現場に「潜入取材」したと思いますか?


▼ 「人間像」第114号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/08/30(水) 17:51  No.1001
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さむがりやの母だったから
厚い坐布団をつくって
置いてきた
電話のむこうの妹の声が
いつ迄もひえびえと
心の底に残っている
(艀参三「納骨」)

 母が死んだ。
 その日は、朝から風が吹き荒れ、海は白い波濤を幾重にもして、遠い水平線にまで展がっていた。岩場に打寄せた波頭がくずれこわれて、さまざまな大きさの波の華をつくり、それが風にのって、あたりに吹きとんでいた。空には黒い雲がたちこめ、昼すぎになると、それは雪にかわった。
(針田和明「波の華」)

 母が、あわただしく、この世から消えてしまった。二年間の闘病生活の間には、元気な時の母と違って、受身になってしまった、病人という弱者の母との思い出が、次から次へと、思い出されて、やりきれなくなる。誰でもが辿る道だが、空しさのみが、去来する。
(我楽多あき「関西模様」)

八月下旬より「人間像」第114号作業を開始しています。現在、千田三四郎『道のり』(約100ページ)一本を残すところまで来ています。しかし、それにしても!、第114号は、あちらでもこちらでも「母が死んだ」の続出で少々気が滅入ります。(『道のり』でもたぶん出てくるし…)
昔、喪中葉書が互いに乱れ飛ぶ形で賀状挨拶をしていた一時期があったけれど、「人間像」同人もそんな時代なのだろうか。


 
▼ 道のり 第一幕  
  あらや   ..2023/09/03(日) 16:56  No.1002
  〈月形村は百戸余りの市街なれども、名高い樺戸集治監の官舎が相当あり、三日間の興行中に看守に連れられた囚徒の作業ぶりを〉、連日参考までに見聞してあるいた。それをもとに咲次郎は三年後の山形県巡業中、岩村家に仮託した石村家と囚徒九里嶋常喜をつなぐ因縁劇『軽命』をまとめあげて、以後なんどとなく上演している。明治新派のアクが濃い作品だが、それなりに虚構のおもしろさがただよう。荒筋にやや補正をほどこして紹介してみたい。
(千田三四郎「道のり」/第一幕「勇躍」)

『道のり』は長いので、一幕(章)完了する毎に、ライブラリー上に公開して行こうと考えています。

第一幕の最後で、独立理想団がやっていた芝居の一例をかなり詳細に紹介してくれているのが有難い。(『軽命』、面白いじゃないか!) 乾咲次郎という人間がぐっと鮮明になった。千田さんの仕事は丁寧だな。石川啄木も同じ頃「小樽日報」に芝居評記事を書いているのですが、気どった文章でどんな芝居なのか全然わからん。

 
▼ 道のり 第三幕  
  あらや   ..2023/09/07(木) 17:37  No.1003
   二月二十五日の春日座正面には、でかでかと〈独立理想団霧嶋一行初御目見得開演〉の看板が掲げられた。深夜のうちに巌麗道と高木が協力して据えつけたもので、これが第三次旗挙げの宣言だった。
 出し物は咲次郎自作の『軽命』三幕と喜劇『演芸道楽』一幕。庵の俳優名も墨痕あざやかだ。朝、それを眺めた咲次郎は、胸が青年のように高鳴った。たとえ劇場は小さくとも、花の都で開演できるのだ。「よーし、やってのけるぞ」と。
(千田三四郎「道のり」/第三幕「展開」)

おー、ここで『軽命』が来るのか!

八月の異常な暑さにも負けず、『道のり』こつこつと歩んでいます。あと一週間くらいかな…

 
▼ 「人間像」第114号 後半  
  あらや   ..2023/09/14(木) 11:59  No.1004
   風の音をあらわす寝鳥の能管=B花道を白狐に先導されて高無竜三がツケの蔭打ち≠ナ登場する。白狐は藪畳に消える。「お尋ねいたします。このあたりに高無秋子という少女が住んでいるときいてきたのですが、心当りないでしょうか」。秋子、小屋からとびだして「あっ兄さんだ、兄さん、帰ってきたのね」と抱きつく。「おお、秋ちゃん。ずいぶん捜したんだよ」 「逢いたかった、逢いたかったのよ、兄さん。……兄さんの留守中にお父さんもお姉さんも」 「え、父上と春子がどうしたって……。屋敷には誰もいなかったが」 「……殺されました」 「殺された、殺されたって……、いったい誰に、誰に殺されたんだ」
(千田三四郎「道のり」/第三幕「展開」/『神使狐』の筋立て)

『軽命』に続いて『神使狐』をかなり詳しく紹介してくれたので、咲次郎たちがやっていた舞台の姿がかなり明瞭になりました。有難い。

長かった『道のり』の作業も完了し、昨日、「人間像」第114号(約150ページ)を人間像ライブラリーにアップしました。作業時間は「96時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は「2162作品」になりました。裏表紙は第111号以来変わらないので省略。


▼ 「人間像」第113号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/07/28(金) 17:11  No.996
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二三日前から第113号作業に入りました。第113号は約230ページの大冊なんですが、その半分は千田三四郎『見果てぬ夢舞台』という乾咲次郎ものです。つまり、前号の連作「落ち穂」の続きといつもの「人間像」レギュラー作品群が合体したものが第113号といえるでしょう。「落ち穂」の感覚がまだ残っているうちに仕事を始めようと考えました。

 誘われてその気になったのは、政論を劇で鼓吹≠オようという壮士芝居の客気が地方に余燼をくすぶらせていたからで、中央でとうに途絶えたはずの幕間演説もまだ堂々とやられていたせいだろう。大衆に何かを訴えかける自分の、颯爽とした姿が、想像をくすぐったにちがいない。しかも前年に、その草分けと称えられる川上音二郎(一八六四―一九一一年)一座の東上公演を見物しており、舞台がかもす劇と演技の世界≠ノも魅了されていたからだ。
(千田三四郎{見果てぬ夢舞台}/序幕「模索」)

作業を進めているとこんな箇所にぶつかる。ちょっとだけ手を止めて、啄木の新聞記者を想ったりする。啄木の人生も明治の「小新聞」(北海道)から現代につながる「〈東京〉朝日新聞」の時代の変転の中にあったけれど、同じことを、東京で観た壮士芝居を起点に人生を生ききった人間がいたことにじつは感動しているのです。


 
▼ 見果てぬ夢舞台  
  あらや   ..2023/08/08(火) 10:03  No.997
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 咲次郎は、英吉の姓を失念したのか、私記に書きもらしている。たぶん尾張ではないかと思われるが、それは詩人石川啄木の文章のなかに出てくるからだ。釧路で新聞記者をしていた啄木が、親友の宮崎郁雨宛てに明治四十一年二月に送った手紙によると、料理店○コ喜望楼について言及し、○コには大小十一人のペンペン猫(芸妓)がいる。呼んだのはその十一人のうちでチョイト名の売れてゐる小静というので、三面先生のノートによると年齢二十四、本名尾張ミヱ、小樽・札幌ではやっている新派俳優朝霧映水の妹だ。小静はよく弾きよく歌った。僕はよく笑いよく酔った≠ニ書き添えている。咲次郎から朝霧の芸名を貰って八、九年後には道央でかなり知られた存在になっていたようだ。
(千田三四郎「見果てぬ夢舞台」/第二幕「愛憐」)

なるほどね。これで〈乾咲次郎〉の時代的な位置関係がぐっと鮮明になった。今読んでいる『ゴールデン・カムイ』(←今頃!という声もあるが、絶対に完結してから読んだ方がいい)にもこの釧路時代の啄木が登場したりして、一人でニヤニヤしています。

ヤフーで「小静」の写真を探したけれど見つからなかった。(「小奴」ばっかり!) たぶんこれだったと思うのだけど、自信なし。検索してたら、昔やってた「おたるの青空」の澤田信太郎『啄木散華』が出て来て吃驚した。

 
▼ Windows XP  
  あらや   ..2023/08/12(土) 10:14  No.998
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先ほど、千田三四郎『見果てぬ夢舞台』(約100ページ)をアップしました。

このところ小樽でも30度を超える毎日が続いています。そのせいなのかどうかわからないけれど、「人間像」作業のワープロ編集段階に使っていたデスクトップ・パソコンがついにご臨終になってしまいました。今のパソコンみたいに無駄な機能がごてごて付いてなくて、Windows XP上でワープロソフト「一太郎」がサクサク動くという昭和の風景が気に入っていたんですけどね。残念無念。ご冥福を祈ります。デスクトップがなくなると、机の上がとたんに広々としたのが救いか。

さて、今日から通常の「人間像」第113号作業です。まずは日高良子さんの『中三病棟十六号室』から。

 
▼ 竜宮城から来た馬  
  あらや   ..2023/08/22(火) 14:54  No.999
   ふと気がつくと馬そりがとまっている。
 そしてすぐ目の前に一軒の家があった。
「あっ、着いてる」
 アキラが叫び、毛利さんも眼をさました。だが親方はすぐに気がついたのだ。
「やれやれカメの奴どこさ来たんだべ。これ、別の家だぞ。今夜のカメはちょっとへんだ」
 まちがいをまず馬のせいにしておいて、親方はのろのろとそりを降りた。アキラもつづく。仕方ない、ここで道をたしかめてもう今夜は支ホロロさ帰るべと、二人して門ぐちを入って行った。
 そうしたらなんと、ここが目ざす灯の見える家だったのだ。
(朽木寒三「竜宮城から来た馬」)

朽木寒三、恐るべし! 千葉の人がここまで〈北海道〉を描いちゃうんだ…と腰を抜かしました。本当は、『見果てぬ夢舞台』を仕上げた時点で、あとはてきぱき作業を進めて第113号完了となるはずだったんだけど、最後で『竜宮城から来た馬』みたいな作品に遭遇しちゃってまことに嬉しい悲鳴です。いい夏の思い出になった。

 
▼ 「人間像」第113号 後半  
  あらや   ..2023/08/25(金) 17:09  No.1000
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本日、「人間像」第113号(約230ページ)作業、完了。作業時間は「123時間/延べ日数28日間」でした。収録タイトル数は「2151作品」になりました。

作業途中でデスクトップ・パソコンが壊れたため、その廃棄とワープロ専用の代替パソコンの設置などで少し時間をくいました。今度はノートパソコン2台なので、かなり部屋がすっきりした。これを機に、もう使うあてのない資料は処分して、来るべき〈松崎天民〉用のスペースを部屋に作ろうかとも考えています。

千田三四郎氏の〈咲次郎もの〉は次号の『道のり』という作品で完結するみたいなので、これから休みなしで「人間像」第114号作業に入る予定です。

裏表紙は第111号以来変わらないので省略。画像は今回第113号の奥付ページです。なんと「編集後記」に墨ぬり部分がある! 創刊号以来「人間像」を長らく扱って来ましたが、こんな墨ぬりは初めてです。何かあったのだろうか。
あと、針田和明氏の住所、「浜益村」に変わっていますね。『ねずみ』に書いてあったことは本当だったんだ。


▼ 三冊目の「別冊人間像」   [RES]
  あらや   ..2023/07/09(日) 10:54  No.993
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この「別冊人間像/千田三四郎特集/連作・落ち穂」の作品構成は以下の通り。

〈1〉『旅のなごり』(←第108号『落ち穂抄』の改稿)
〈2〉『寒影』(←第109号『寒影』の改稿)
〈3〉『壁と窓と』(←「北方文芸」昭和59年新年号『壁と窓と』の改稿)
〈4〉『乾咲次郎との出合い』(←今号の書き下ろし)
〈5〉『霧笛自伝私記』(←第110号『乾咲次郎私記』の改稿)

なお、第112号『戦場の咲次郎』は、今回の「連作・落ち穂」には入っていません。先ほど、その第一弾『旅のなごり』をライブラリーにアップしたところです。

この「別冊人間像」は、図書館では雑誌扱いになるため、いつもの千田三四郎著作とはちがって「貸出」利用で読むことができません。「館内」で閲覧するしかなく、いつも不便していました。今回、人間像ライブラリーに入ったことにより、千田三四郎理解が一層進展することを願ってます。


 
▼ 落ち穂  
  あらや   ..2023/07/20(木) 16:32  No.994
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本日、「別冊人間像/千田三四郎特集/連作 落ち穂」(183ページ)の全てを人間像ライブラリーにアップしました。活字の大きさや組み方がいつもの「人間像」とは異なるためあまり参考にはならないけれど、一応、記録として。作業時間は「77時間/延べ日数14日間」。収録タイトル数は「2135作品」になりました。

今回の裏表紙は真っ白で、いつもの広告はありませんでした。代わりに、中ほどのページに、「人間像」としては非常に珍しい商業広告が。

乾咲次郎の人生を読んでいて、沼田流人をしきりに想っていました。函館、行きたいけれど、世間は夏休みに入っちゃったしなあ。免許更新のための高齢者講習とか、煩わしいことばっかり。

 
▼ お噺のおじさん  
  あらや   ..2023/07/20(木) 16:37  No.995
   「お爺ちゃん、遊ぼうか」
 近所の子供らが三三五五誘いあい、ちょくちょく押し掛けてくるようになった。咲次郎は化け狐や化け狸、各地の人柱伝説、一茶や蕪村の俳句、芝居噺などを興の赴くままに語って聞かせたが、子供らはその内容よりも元役者のおどけた口ぶりを面白がり、互いに遊び遊ばれての、和やかなざれあいを楽しんでいた。
 清恵も熱心な傍聴者で、子供らが「それ、こないだ聞いたもん」 「あれ、おはなしのすじ、勝手に変えていいの」と異を唱えても、「それでいいから、もっと続けて」と隣室からねだったりした。
(千田三四郎「寒影」)

その頃の父のおはなし≠ヘ、後に私が遠野物語やアイヌ民話の本を読んで感じたのだけれど、必ず「父流」に脚色されていて本物とは大部分異っていた。そして父の話してくれた物語りの方が説得力や迫力があり、ミステリアスな感じさえあって私の胸をうったと思っている。淳が幼稚園から小学生になる頃には、おじいちゃんのお話は淳の友達にも知れわたり、近所の子、遠くから自転車に乗って来る子もいて日中からお話会が始まることもあった。父は仕事の手休めに煙草をすいながら淡々と話したが、子供達は結構興奮して、怖ろしい所では身をすり寄せたり、おかしな話には笑いころげたりしていた。私はその光景を見てほほ笑ましく思ったものである。
(佐藤瑜璃「父・流人の思い出」/メモワール24「おじいちゃんの連続ドラマ」)


▼ 「人間像」第112号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/06/23(金) 18:50  No.990
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6月20日から第112号作業に入っています。佐々木徳次『犬と老人』、千田三四郎『ある納得』、丸本明子『茫々と暮色』とやって来て、今、『茫々――』にズッコケたところです。一休みして、気を取り直して、このBBSに書いてるところ。

この後は、針田和明『異界のささやき』、神坂純『私の〈山頭火〉』などと続いて行って、最後に千田三四郎『戦場の咲次郎』がどーんと控えているといった構成です。ただ、第112号は120ページと薄い号なので意外と早く終わりそうです。(もし時間ができたら、白老の「アウタリオピッタ」展に行ってみようかな…)


 
▼ 戦場の咲次郎  
  あらや   ..2023/07/02(日) 06:41  No.991
   本稿は乾咲次郎の『霧笛自伝私記』十一、十二分冊(およそ三万九千字)の内容紹介である。
 日露戦争の体験記はかなりの数にのぼると思われる。それを未見の筆者の立場で、この私記の資料価値について比較も買い被りもできないが、通読した範囲でメリットを挙げれば次の三点に集約されそうだ。
 一、戦場でひそかに身につけていた日記の透き写しだから、記憶を膨らました部分がいくぶんみられるとしても、その確度は極めて高い。
 一、兵卒として耳目に触れた事実のみ記録しており、多少の錯誤が認められるけれど、かえってそこに情報を与えられぬ低い階級の感性がにじみでている。
 一、義勇奉公的な粉飾をほどこさない、ありのままの兵隊が描かれて、とりわけ自分らがやった略奪行為や、速夜の飲酒、不満の揚言で叱責された失敗なども、隠蔽せずにさらけ出して興味をそそる。
(千田三四郎「戦場の咲次郎」)

ウクライナの戦争のニュースを聞きながら毎日作業をしている。もし、この「人間像」の作業が終わったなら(その時、命が残っていたなら)「松崎天民」の復刻をやってみようか…などとふと思ったりする。

 
▼ 「人間像」第112号 後半  
  あらや   ..2023/07/02(日) 06:45  No.992
   本誌の小説欄も最近は常連が固定化してやや新鮮味を欠いているが、前号の日高良子「ハッピーの嘆き」や本号の佐々木徳次「犬と老人」など久しぶりの人の作品に接すると、何か新鮮な感じがする。この新鮮さを大切にしたいものだ。
(「人間像」第112号/編集後記)

昨日、「人間像」第112号(120ページ)作業、完了しました。作業時間は「59時間/延べ日数11日間」でした。収録タイトル数、「2123作品」。
作業時間は60時間を切ったけれど120ページの本なのであまり参考にはならない。裏表紙は第111号と同じなので省略します。

あまり間を置かずに次号『人間像別冊・千田三四郎特集・連作「落ち穂」』の作業に入りたい。


▼ 「人間像」第111号 前半   [RES]
  あらや   ..2023/06/02(金) 18:54  No.984
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 ここに一冊の大学ノートがある。五冊で百円という特売用の平凡なノートであるが、これが福田儀一の、ベッドに遺された、死の床での貴重な記録なのである。
(上澤祥昭編「一冊のノート」)

第111号作業、開始しました。第111号は同人・福田儀一氏の追悼号。ページ数も210ページと久しぶりに分厚い感があります。今日も、技術的な問題で丸一日『一冊のノート』と格闘していました。

今、庭のすずらんが咲いています。


 
▼ 笹舟まつり  
  あらや   ..2023/06/08(木) 17:09  No.985
   「もう、行くの」
「十三時二十分が発車なんだ」
 高い上背をそびやかし、振り返ろうともしなかった。ドアが締まる震動で、人形がまたうなづいた。加代は漠然とした不安で、壁の列車時刻表に目をやる。純一がうっかり洩らした十三時二十分が、小樽方面行きにはなくて室蘭方面に出ている。加代はミシンに両肘をのせて、ガラス窓越しのしらじらしい陽光に気後れをおぼえた。
(千田三四郎「笹舟まつり」)

ここのところ書き続けていた「咲次郎もの」ではない千田作品。針山氏以来の黒々とした〈支笏湖〉の登場にはおお!と興奮しました。しかも、この作品には〈山線〉が走っているではないか!

作業はすでに次の作品、針田和明『運河のある街』に入ってます。第111号は、このあと、久しぶりの日高良子さんの作品なども見えてますね。楽しみ。

 
▼ 運河のある街  
  あらや   ..2023/06/09(金) 18:03  No.986
  犬ばあさんがいたのは、この辺りだったな。何十頭という犬をつれて、街の塵芥箱をあさって、クシャンクシャンとくしゃみをしては犬に食べ物をやっていた。ここに堀立て小屋を造り、大きな鍋で魚や得体のしれない物を煮て、犬にやっていた。あの犬ばあさんが、小屋や犬と共に、ある日、忽然と消えてしまった。犬殺しがきて、犬ばあさんまで注射されて殺されてしまった、と子供達は噂しあったものだった。人間も、倉庫も、船も、みんなかわっていく。
(針田和明「運河のある街」)

いつもの札幌ものとはちがって、舞台が小樽だと妙にしんみりしますね。針田さんが住んでたところ、小さな山間ひとつ挟んで、針山さんが住んでいたところに近いんじゃないかな。子ども時代に接近遭遇してるかもしれない。

 
▼ ハッピーの嘆き  
  あらや   ..2023/06/12(月) 11:55  No.987
   ボクが有川家にやってきたのは、ちょうど三年前の春のことであった。
 長男の慎一君が由美子さんと結婚して、この家から出て別居することになったので、そのあとの侘しさを慰めるため――つまり、慎一君の優しい孝心が動機で、ボクが飼われることになったという訳である。
 慎一君の大学時代の友人が、南方から鳥類を輸入する会社に勤めていて、そのつてでシンガポールから日本に着いたばかりの、生後五か月目のボクに白羽の矢が立ったのであった。
(日高良子「ハッピーの嘆き」)

『ハッピーの嘆き』の作業をしていた先週は楽しかった。今回も素晴らしい日高作品を読むことができた。創刊の昔から感じていることだけど、人間像同人に日高さんがいるのといないのでは、〈人間像〉という存在の重みがちがう。得がたい人。

 
▼ 私の『山頭火』  
  あらや   ..2023/06/17(土) 16:32  No.988
  いや、驚いた。「山頭火」の評論だと思ってたらたらワープロ作業を続けていたら、

 行乞を始めた初日に、餞別の金を全部飲みほした山頭火は、次の日重い身体をひきずり乍ら、本心と思われる弱音をはいている。その日の宿賃と一椀の食事にありつくために、とにかく身体を動かさねばならぬ。
(神坂純「私の『山頭火』」)

この次の行は、このように展開される。

 債鬼に追われて、失業中の友の下宿にころがり込んだ私も、友がさし出してくれる一椀の雑炊に、行乞の僧と同じ思いを抱いたものだった。
(同書)

ひえー、こういう『私の「山頭火」』だったんだ。

栄養失調の前兆がみえてきた頃は、このまゝ死ねるものならとも思ってみた。しかし私には、やらなければならない仕事が、これから生れ変って、やらねばならぬ仕事が山程あった。簡単に死を考えてはいけないと、何度も自分に云いきかせた。
 山頭火が、一日の喜捨をその日の中に飲み尽すのは、明日の働きに迷いが出ぬように、自戒するためのものであったかもしれない。
(同書)

 
▼ 「人間像」第111号 後半  
  あらや   ..2023/06/18(日) 17:11  No.989
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本日、「人間像」第111号(210ページ)作業、完了です。作業時間は「88時間/延べ日数19日間」でした。収録タイトル数は「2111作品」。

◇昨年の新春早々から入院生活を続けていた福田儀一が、八月十六日胃ガンのため亡くなった。追悼文の欄にも書いたが、本号の当初の計画は、長い闘病生活を元気づけるために彼と上沢のコンビで詩の特集号を作ってやろう、と言うことだった。それが、病状の悪化で計画通りにならず、遂に追悼詩集というような悲しい結果になってしまった。
(「人間像」第111号/編集後記)

どこからか例大祭の太鼓の音が聞こえる。水天宮かな。








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