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司書室BBS

 
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▼ 「後志の文学」読書会   [RES]
  あらや   ..2010/10/01(金) 10:13  No.229
  今年の五月から続けてきた「後志の文学」読書会。金曜日夜の開館延長の時間帯を使って、月一回ペースでやってきました。

5月14日 宮沢賢治「修学旅行復命書」
6月11日 有島武郎「カインの末裔」
7月 9日 「胆振線」/小林多喜二ほか
8月13日 「北の沢」/峯崎ひさみ
9月10日 「赤い靴」/石川啄木・野口雨情

そして、毎年恒例の文学散歩バスツアーで終わるわけです。今年は、「生れ出づる悩み」の二人が出会ってからちょうど百年ということで、バスは10月16日(土)木田金次郎のふるさと岩内町に向かいます。本日より申込み受付中。

バスの旅も楽しみなのですが、私としては、8月13日の「北の沢」物語、峯崎ひさみさんを後志の文学でとりあげることができたのがとても嬉しい。なにか、京極でのミッションをやり遂げたような気持ちにさえなりました。賢治や有島武郎のピックネームの中に峯崎さんの名前が入ることを私はおかしいとは思わない。京極で全5回の読書会をやるならば、このラインナップしかないと今でも確信しています。


 
▼ 峯崎ひさみさん  
  あらや   ..2010/10/01(金) 10:36  No.230
  京極の町には感謝しなければならないことがふたつあって、ひとつは、小樽のリストラ以来不調だった身体が回復したこと。質素な暮らしや病院の指導のおかげで健康をとりもどしました。
そして、もうひとつが、峯崎ひさみさんの発見。初めて小説「穴はずれ」を読んだ時の興奮は今でも忘れられません。この小説の舞台に今私は生きているんだ…という思いが毎日の仕事を支え、町で暮らす意味を大きく変えて行きました。リストラ以来、心のどこかでひきずっていた「小樽からの出稼ぎ」意識がこの本と出会ったことで消えていった。

読書会で峯崎さんを町の人たちに紹介したことで、なにか私のこの町での役目は終わったかな…という思いが少しあります。次の仕事を探さなくては…とも考えていたのだけど、一昨日大きな展開がありました。峯崎さんの「穴はずれ」以外の初期作品を読むことができるようになったのです。なんという幸運だろう。

今、次々と読書中です。これからの、身の振り方が変わるかもしれません。

 
▼ ありがとう浦安  
  あらや   ..2010/10/06(水) 09:05  No.231
   この四月、二十三年間暮らした浦安を離れた。落ち着き先が、電車なら二つ先の駅、自転車でも行き来が出来る距離とあって、引っ越し当日も覚悟していたほど感傷的にならなかった。その分、今頃になって、慣れ親しんだ街並みがしみじみ恋しい。
(MIDORI 第9号/峯崎ひさみ「ありがとう浦安」)

そうか!浦安だったのか…

「穴はずれ」の著者略歴住所「市川市妙典」に引きずられて、市川市中央図書館を起点に同人誌「MIDORI」を探していたのだが、起点がそもそもまちがっていました。

図書館の町・浦安。この業界で「浦安」の名を知らない図書館人はいないと思うけれど(今のご時世なら、いるかもしれない?)、まさか、ここで「浦安市立図書館」や「竹内紀吉」の名に出会うとは思ってもみなかったですね。(竹内さんの小説!というものを初めて読みました)

 やがて息子の誕生。三才になるのを待って仕事を始め、娘が小学生になったのを機に、市役所の近くに古い小さな家を買った。仕事、家事、学校の役員。息抜きは新聞の投稿と、休日の図書館通い。ここで、『文章教室』と遭遇することになる。何気なく手に取ったカウンターの、『受講者募集』の案内書にわけのわからない興奮を覚え、迷うことなく講義に臨んだ。講師の熱っぽい語り口に圧倒されたまま、会場を出るとき転職を考えていた。
(同書より)

市川市妙典の中央図書館も有名。浦安が現代のハイブリッド図書館の魁(さきがけ)館だとしたら、市川はその完成形にあたるとでもいえばいいのだろうか。数年前、必要があって首都圏の話題図書館をまわった時も真っ先に行ったのが「市川」でしたね。ちょっと懐かしいな。

 
▼ お友達申請?  
  あらや   ..2014/03/04(火) 09:47  No.378
  どこかの馬鹿が昔のスレッドを引き上げてしまったようで…

峯崎さん絡みだから、ここに2月20日「文芸作品にそびえる羊蹄山」の報告を書いておきます。昼、夜とダブルヘッダーのブックトークだったので、「羊蹄山」の最後あたりはヘロヘロでした。でも、とりたてて破綻もなく、16作品(松浦武四郎から荒巻義雄まで)一気に喋ったので、気分的にはある種の達成感がありましたね。去年の四月以来、仕掛けられた難局を俺はすべて撥ね返したぞ!という感じ。

20日以後、普段は呑まないことにしているビールを呑んだり、唐揚を喰ったり、意図的にダラーッとしていました。血圧も無視ね。二度と味わいたくない一年間だったので、その反動もけっこう大きかったです。

20日以後、いつものスパムメールに混じって、「お友達申請」というメールがなんか殺到していました。ん?なんだ、これ? これが、フェイスブックって奴なんでしょうか。
三月に入って治まったみたいなので、それっきり考えないことにしているけど、気持ち悪い体験だったなぁ。


▼ 日米交換船   [RES]
  あらや   ..2014/02/10(月) 18:18  No.376
  黒川 「船が横向きのまま二、三メートルも離れたころ、万歳三唱がスポンテーニアスに両方からおこる」。ここでも「万歳」ですね。都留さんは、自発的に起こると書いている。
鶴見 たしかにspontaneousなんだよ。もう、がっかりしたねえ。私は、日本が負ける、自分は負けに行くと思っている。日本人と俺とは違うと思った。日本人は、社会体制が変われば中身まで変わるんだ。そして、横浜まで戻ってくると、おやじが迎えにきていて、「神風が吹いた」と話しているんだ。
加藤 ああ、その時のことでしたか。
鶴見 もう終わりだと思った。
黒川 「神風」とは何を指しているんですか。
鶴見 ホノルル爆撃だ。そうとうあぶない人だと思っていたけど、これで終わりだと思った(笑)。
加藤 それは、鶴見祐輔さんが、俊輔さんに向かって言ったんですか。
鶴見 自動車のなかで彼が言った。人が聞いていたわけじゃない。一高英法科一番で、よくぞこんなことが言えるなと。私にとっては驚異だよ。自宅に帰っても、落ち着かないんだよ(笑)。
(鶴見俊介,加藤典洋,黒川創「日米交換船」)

鶴見俊輔の言葉づかいはややこしい。日本人の誰もが「真珠湾攻撃」と言うところを「ホノルル爆撃」と言う。「一番病」とかね。(なんか、「思想の科学」が読みづらかったことを久しぶりに思い出しました) これ、日米交換船で、鶴見俊輔が日本に着いた時の光景です。鶴見祐輔夫妻が横浜へ迎えに来ていて、そこから麻布の家に戻る自動車の中のエピソード。

で、鶴見祐輔は、こんな人です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E7%A5%90%E8%BC%94
(そういえば、昔、自宅浪人していた時に「ディズレーリ」読んでたなぁ… なんで読もうと思ったのか、全然憶えがないけれど)

「歴史資料が語ること−国策紙芝居を例に」の第2回(2月16日)、「文芸作品にそびえる羊蹄山」(2月20日夜)、あと、小学校3年生の出前図書館(2月20日昼)が目前に迫っているので、「日米交換船」絡みの本は、ここでいったんリセットね。戦時下の日本人の心の有り様というものを考える時、この「日米交換船」も「国策紙芝居」の思考につなげられればいいのだけど、なにか、屋根の上の雪氷をどうするとか、雪に埋まった車を掘り出さなきゃとか、そんなことばかりが頭の中を駆けまわっていて、イメージが全然まとまらない。今回も相変わらず宮沢賢治や山中恒の読書歴で立ち向かう自分に進歩のなさを感じます。


 
▼ 明るい夜  
  あらや   ..2014/02/10(月) 18:33  No.377
  黒川創も、ここでいったんリセット。

東日本大震災以前の作品って、もう今となっては馬鹿馬鹿しくて読めないものと、今でも読んでよかった…と思えるものとに、自分の中で二極分解が始まっています。「明るい夜」は後者の方でした。こんなに慌ただしく仕事をしていなければ、もっと落ち着いて読み進められるのに…とも思うし、いつもこんなもんだった…という気もするし。

もう年度末なのにこんなにバタバタ仕事をしているのは、来年度の「図書館」構想の実験をしているからです。もう半年だけ残ってみることにしました。(「半年」というのは、もう今のこの老朽化した家で冬を越すのは無理だから) 四月以降の新年度体勢を見て、可能性が感じられれば町内の別の家に引っ越すし、相変わらずの意識・学力ならば、たぶん秋にはこの町にはいないでしょう。(小樽に帰るとは限らないけれど) 金よりは、時間の方が大切なのです。


▼ 休日   [RES]
  あらや   ..2014/01/27(月) 17:34  No.375
  休みの日も、除雪で一日が終わってしまう… 朝から排雪(というより、ほとんど氷塊運び)に明け暮れた筋肉痛の腕でパソコンいじるの、辛いっす。天気予報見て、今日こそ苫小牧行ってみようと思っていたけど、倶知安風土館の講演を終えたあたりから暴風雪になってきてアウトでした。

「歴史資料が語ること−国策紙芝居を例に」、第1回が動き出して、動き出してしまったら、もう私はこれしかできないのだから…という気分になって、少しプレッシャーからは解放されました。

いろんな人の前で上演するのは楽しいことですね。「モモタロウサン」の「雉」が正しい「ニホンキジ」で描かれていた…とか、「加藤建夫」の母の顔が、生前の顔そっくりに描かれていて感心した…とか、京極では聞かれなかった感想がいっぱい出てきて、こちらも、目から鱗です。

2月も忙しそうだけど、ひとつだけ楽しみが。これです。
http://www.aurora-net.or.jp/art/dokinbi/exhi/special/13/kuriyagawa.html
これだけは、ゆずらないよ。どんなに忙しくても、私は行きますから。



▼ 失踪日記2   [RES]
  あらや   ..2014/01/21(火) 06:15  No.373
  さっきまで見ていた夢。

京極駅前(といっても、もう鉄道なんか走っていないのだけど…)にマイカルのような巨大商業施設ができて、そこの4〜5階に湧学館が入っていた。ありとあらゆる最新図書館グッズが見本市のように配置され、利用者が面白がって使うので微妙に部品が壊れはじめていて、「これ、管理してゆくの、大変だなぁ…」とかあたふたするような話。操作のややこしいエレベーターでようやく1階に降りて昔の湧学館司書室に置き忘れてきたあれこれを探すのだが、広すぎて辿り着けない。途中の商業エリアのあちこちで、昔湧学館に来ていた子どもたちに何人も会う。ちゃーんと成長していて、中野の女子高の制服を着ていたりして、それがけっこうお洒落で「お、可愛いな…」というあたりで目が醒めた。

たぶん、寝る前に読んでいた吾妻ひでおの「アル中病棟(失踪日記2)」の影響なのではないか。あの、鳥瞰、俯瞰の構図はインパクトがあるからなぁ。(特に私は吾妻まんがの、俯瞰1頁大のコマに弱い) 「地を這う魚」、サイコーだった。ものの感じ方が似ているとよく思う(思いたい)。私の「失踪日記」も、そろそろ退院に近いのかな。


 
▼ 近況  
  あらや   ..2014/01/21(火) 07:25  No.374
  湧学館の私絡みの事業はほぼすべて終わりましたので、今は少しのんびりしています。BBC、スワン社資料室の書込みはまだまだですが、体勢の立て直しを考えています。今年度のようなことにはならないでしょう。二度と。

今年度の余震のようなものですが、「国策紙芝居」関連として、

倶知安風土館 歴史講座
「歴史資料が語ること−国策紙芝居を例に−」
第1回 1月25日(土) 「モモタロウサン」「空の軍神」
第2回 2月16日(日) 「貝の火」(紙芝居と宮沢賢治原作の両方)
第3回 3月16日(日) 「ピョコちゃんとピョン助君」「キンスケの武者修行」

3回連続という場を与えていただいたので、あまり端折ることなく「国策紙芝居」の全貌を語ることができるのではないかと思います。今、1月25日の2作品を練習中。

それとは別に、2月20日(木)の夜、同じ風土館で、

百年の森・木の講座 ブックトーク「文芸作品にそびえる羊蹄山」

を行います。こちらは、一昨年行った「文芸作品を走る胆振線」の「羊蹄山」版とでもいえるもので、松浦武四郎「後方羊蹄日誌」から荒巻義雄「ニセコ要塞1986」まで20冊近くの文芸作品をブックトークする予定です。現在、その20作品のハイライトを集めた文集を準備中。あと一ヵ月くらいしか時間がないから、こちらはちょっとキツいかな…(まあ、ソチ・オリンピックは私には関係ないから、大丈夫でしょう)


▼ つくもがみ   [RES]
  あらや   ..2013/12/09(月) 18:57  No.372
  明日の南京極小学校出前図書館で使う「つくもがみ」(京極夏彦作,城芽ハヤト絵)を、あと2回くらい読んでお酒にしよう。

昨日まで「戦時下の紙芝居上演会」にかかりきりだったので、今日も図書館に行ってブックトークの本を集めていました。なんとも綱渡りの毎日で、仕事の質が荒れるのが恐い。

最近、BBSの書込みペースが、昔のペースに戻りつつあるんじゃないか…というメールをいただきました。「職場環境が改善されたのですか?」という内容だったけれど、いや、それはちがうんです。環境に何の改善もないけれど、ただ、意地になって持ちこたえていた今年の私の仕事が徐々に山場を越えつつあるということなのです。「後志文学散歩・バスの旅」も無事終了。(意識的に、読書会五年間の総括を試みました) 今年の大発見「国策紙芝居」も、なんとか町の人たちの前にとどけることができた。「沼田流人読書会」も、「山麓文学館」も、この12月で最終回…というように。

山場を越えた安堵感と、来年にかける想いが今の私にはないことが、少しだけ饒舌にさせているのかもしれません。

京極夏彦の妖怪えほん、いいですね。<悲>の「うぶめ」、とっても悲しかった。<楽>の「つくもがみ」、なんとも心の底から楽しいです。疲れているけれど、この本があれば明日の出前はできる…と思いました。



▼ マッサン   [RES]
  あらや   ..2013/11/25(月) 12:20  No.371
  来年朝ドラ舞台 余市注目に喜び   事務職員 **** 62 (小樽市)
 ニッカウヰスキーの創業者夫妻をモデルに、来年のNHK連続テレビ小説が放送されることをニュースで知りました。
 私が住む小樽の隣町、余市町は昔からニッカで知られ、余市駅前からすぐ先にニッカの工場があります。私は以前、8ヵ月ほどバス通勤をして余市町役場近くで働いていましたから、外勤のときにはニッカの工場沿いの通りをよく歩きました。まさに身近な余市のニッカなのです。
 創業者、ヒゲの竹鶴政孝さんと夫人のリタさんは、町の人たちからとても愛されていました。リタさんの名前はニッカの工場、消防署、宇宙記念館沿いの歩道に「リタロード」として残っています。
 漁業、果樹の町でもある余市。余市で育ったリンゴ「緋の衣」は、今年のNHK大河ドラマの舞台、会津と縁があるのです。余市が注目されることはとてもうれしいです。
(北海道新聞 2013年11月25日 読者の声)

私もうれしい。今、去年の後志文学散歩でつくった資料「余市文集」の重版を計画中です。なにか、余市に仕事はないものか。



▼ 立体造形(笑)   [RES]
  あらや   ..2013/11/11(月) 16:47  No.370
  http://www.h-bungaku.or.jp/exhibition3/2013/pdf/251101.pdf

小樽文学館から始まって、ついに、この道立文学館にまで辿りついたことで、北海道の馬鹿たちも一巡、勢揃いしたみたいですね。

一生かかって、この程度の仕事で死ぬのか…というのが正直な感想です。何を学んで来たものやら。あんたたちこそ、立体漫画。



▼ 戦時下の紙芝居   [RES]
  あらや   ..2013/10/29(火) 09:10  No.368
  10月26日(土)の午後3時、湧学館で、敗戦の一ヵ月前に発行された紙芝居、宮沢賢治原作と銘打たれた「貝の火」のおはなし会をひらきました。もちろん、一般対象です。紙芝居後、本物の「貝の火」も読みました。
この日は、廊下続きの隣りの公民館で「松前神楽小樽ブロック合同公演会」が行われていて、とても勝ち目はない…誰も来ないんじゃないの…と思っていたのですけど、そんな中で十数人の人たちが集まってくれたのは本当にありがたかったです。人口3千5百人足らずの町で「十数人」は大健闘だと思います。小学校高学年の姿があったのもうれしかった。

戦前・戦中期の紙芝居がどうして湧学館に今あるのか、それを説明するには少し話がまわりくどくなります。まず、「袖珍文庫」の話から。
http://lib-kyogoku.cubet.com/yugakukanhp/PDF/paper/paper47.pdf
続いて、戦時下の紙芝居。
http://lib-kyogoku.cubet.com/yugakukanhp/PDF/paper/paper48.pdf
というような経過で、今、ようやく町民の皆さんへの一般公開が始まりかけたところなのです。


 
▼ 藤村徳治  
  あらや   ..2013/10/29(火) 09:18  No.369
  湧学館如きの弱小図書館が持っていていいものだとは決して思っていません。一刻も早く、然るべきところに収まるべきだと私たちも考えています。ただ、私たちにはこういう文化財級(←大袈裟かな)のものを扱うノウハウはありません。どこが「然るべきところ」なのかがわからない。今回のようなおはなし会を定期的にひらこうとするのは、ひとつには、町民の人たちの中にこの財産に対する共通理解ができあがってくることを願っているからてす。なぜ、世界に一冊しかないような本が、函館や小樽じゃなくて、ここ京極から出土したのか。そこには、京極という町の成り立ちそのものが関わっていると考えるからです。

新聞などへのメディア露出はその後でしょう。情報を通じて「然るべきところ」の方から名乗りがあがる淡い期待もあるけれど、それ以上に、ペテンにひっかかる危険性への怖れも強い。「テレビ鑑定団」レベルの馬鹿騒ぎなど論外だけど、頭の悪い研究者や郷土史家とか、所蔵に値しない北海道の図書館・文学館とかに意味なく死蔵される愚行をこの目で見るのはたまらない。「町の人たちの共通理解」を言うのは、こういう危険から現在の所有者を守る唯一の方法だと思うからです。
昔、京極町に「藤村徳治」という人がいました。京極農場の農業指導団の一人として洞爺村から入って来た人です。彼は、アイヌの人たちの話から、ワッカタサップ川の上流に鉄鉱石の鉱床を発見します。脇方(ワッカタサップ)から鉄が出た! 鉄鉱石を掘る大資本が入り、鉄道がひかれ、街ができ、戦争の時代がやってきて…と、ここから後志〜北海道のいろんな歴史が変わって行くのですが、その「藤村徳治」さんは歴史のごく初期の段階で姿を消してしまいます。
浅倉夕満という鉱山師(やまし)のペテンに引っかかって、鉱山の権利のすべてをなくしてしまったから。後日、この世紀の大発見は、浅倉〜橋本組〜三井鉱山と売りつがれるに及んで莫大な金額になって行きます。徳治は晩年口癖のように「あの時鉱山を全部売らずに持っていたら、今ごろこんな貧乏百姓せずにすんだのに」と後悔していたというのは、京極町では、知ってる人は皆知っている、有名なお話です。その京極町民が、今また同じ失敗を繰り返すとは思わないけれど…


▼ 本の森   [RES]
  あらや   ..2013/10/28(月) 15:04  No.367
  実物を確かめたい本があって札幌市中央図書館へ。道立の一冊は禁帯図書なので、こちらの貸出OKは非常に助かります。

https://www.city.sapporo.jp/toshokan/info/genkicafe.html

一階ロビーに元気カフェ「本の森」ができていた。このカフェ、店内の随所にロゴ・デザインが施されていて、例えば、私のテーブル横のデザインはスウェン・ヘディン発掘の桜蘭文書からロゴをつくったものでした。楔形文字とかヒエログリフとかいっぱいあったけど、私はこれがカッコいいと思いましたね。カレーパンもうまかったし。

中央図書館となると市電を使うことになります。(私の運転技術では都会の街中は無理…) 電車に乗っていると、なんとなく、目線が高校生だった頃の目線になって行くのが可笑しい。



▼ 山屋温泉   [RES]
  m_sugi   ..2013/09/29(日) 16:14  No.359
  昭和6年発行の小樽の古地図に「是ヨリ山屋温泉ニ至ル」の記述を発見しました。場所を特定したいのですが、どんな文献をどこで探せばいいでしょうか、プロからのヒントをぜひお願いします。

 
▼ Re:山屋温泉  
  あらや   ..2013/09/30(月) 13:46  No.360
  「山屋温泉」は初めて聞きますね。(小樽じゃないのかもしれない…) 私も知りたいです。「是ヨリ山屋温泉ニ至ル」方向が、余市方面なのか、赤井川方面なのか、定山渓方面なのかがわかると調べやすくなるのですが。

まずは「小樽市史」でしょうか。私なら、市史の「昭和初年」→「商業」→「観光」→「温泉・旅館業」などであたりをつけると思います。市町村史は網羅性が強いので、その時代に存在していたものであれば全部名前を挙げてある可能性が高い。人名などの手がかりが出てきたら、かなり調査は進展すると思います。
場所が小樽市でない場合もあるので、その時は、該当の市町村史になります。市立小樽図書館二階の郷土資料室に道内すべての市町村史は揃っています。
歴史のある図書館ですので、昭和初年の観光地図や名所案内本も数多く所蔵していますが、そちらを探し始める前に、私なら「小樽市史」をチェックすると思います。

 
▼ Re:山屋温泉  
  m_sugi   ..2013/10/03(木) 20:55  No.361
  あらやさん、初めまして。
詳細な説明、有り難うございました。云われてみれば「市史から」なのでしょうが、その中身等イメージが湧かないのが私です。地図は、以下の処で見つけました。ご興味があればご参照下さい。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
明日にでも早速図書館へ行ってきます。(^O^)/~~

 
▼ Re:山屋温泉  
  m_sugi   ..2013/10/11(金) 00:47  No.362
  今回はサッとしか見られませんでしたが、近郊(近場)ではオタモイに「山田温泉」という所がありました。現在は廃業しありません。
調べらしい調べも行なっていませんが、ひょっとしたら、
ヤマダ、ヤマダ、ヤマヤ、山や、山屋の線も有かなと。
当時の地図に校正作業などあったものか、地図の信頼性も考慮しないと無駄に時間を摂られるかもしれませんが、もう少し興味が続くまで調べてみます。

 
▼ Re:山屋温泉  
  m_sugi   ..2013/10/19(土) 23:48  No.364
  今日図書館で、オタモイに「山谷温泉」在りの記述を見つけました。山田も山谷もオタモイの同じ場所、現在の吉川商店付近にあっようで、昭和初期と時代も合います。ヤマヤ、山屋もしくは山田は同一の温泉の可能性が出てきました。

別件ですが、祝津の天望閣の上辺りに「日和山温泉」というのが昭和初期にはあったそうです。

 
▼ やりましたね  
  あらや   ..2013/10/23(水) 08:30  No.365
  「山谷温泉」! なんか、ひさしぶりにオタモイに行きたくなりました。「天望閣」の響きも懐かしい。(つぶれようと、経営者が変わろうと、小樽の人には、あそこは「天望閣」だし、こちらは「マイカル」なんですよね)

調べものの中間仕上げに市立博物館のレファレンス・ルームを使うこともあります。玄関入ったロビーの横にありますから、入館料払わなくても利用できます。ちょっと図書館とはちがう観点から調べものに入ったりして、視点が広がることもあります。

 
▼ Re:山屋温泉  
  m_sugi   ..2013/10/26(土) 01:49  No.366
  懐かしい写真でした。

昨日、漸く小樽新聞に「山屋温泉」開業の記事が載っているらしい事を知りました。後日マイクロ何とかかDVDにて確認できそうです!

「山谷温泉」の方は山谷寅之助さんの創業(龍宮閣よりも古いつまり昭和6年以前)で鉄鉱泉をオタモイ七曲り付近から二斗樽を背負わせ井戸水と混ぜて沸かした温泉だったそうです。昭和12年頃に廃業したらしいとの事。

「山田温泉」の記述はあいまいな点も多く現時点で詳細不明。場所だけは山谷温泉と同じ所と思われます。

レファレンス・ルームですか❓ホーマックへ行くとき寄ってみます。有り難うございます。








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