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司書室BBS

 
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▼ 慈愛   [RES]
  あらや   ..2014/06/16(月) 18:47  No.392
  今日、倶知安町公民館で久しぶりに国策紙芝居の上演をやってきました。1時間の枠内であったので、「空の軍神」と「キンスケの武者修行」の二本です。

その公民館の帰り、階段を降りていると横手に彫刻が… 思いもかけない贈り物に、すかさず一枚。天気悪かったので、「今日の小樽/6月」掲載分は後日です。



▼ 道銀カレンダー   [RES]
  あらや   ..2014/06/08(日) 18:18  No.391
   開館20周年記念春の特別展示「木田金次郎と北海道銀行カレンダー」
 2014年4月3日(木)〜6月29日(日) 木田金次郎美術館展示室1〜3
 木田金次郎(1893〜1962)は、生涯のほとんどを故郷である岩内町で過ごした画家です。若き日に有島武郎と出会い、小説「生れ出づる悩み」の主人公のモデルとなったことで、その存在は広く知られていますが、木田の画業が知られるのは、60歳の時に札幌で開催された「第一回個展」(1953年)以降といえるでしょう。
 木田の画業が北海道民に広く浸透したきっかけに、北海道銀行の存在があります。北海道銀行は、創立翌年の1952(昭和27)年からカレンダーを制作していますが、1955(昭和30)年に、木田金次郎の「りんご」と「鮒」を用いて以降、今日にいたるまで、北海道ゆかりの作家の作品をカレンダーに採用しています。最初に木田を採用したのは、初代頭取・島本融が、木田の作品に「北海道的なもの」を感じたことにはじまりますが、北海道銀行のカレンダーに木田の作品が掲載されたことで、道内の多くの家庭や取引先で、木田の画業が親しまれていきました。
 このたびの展覧会は、当館の開館20周年を記念し、北海道銀行と共催で開催するものです。これまでも同行とは「北海道銀行コレクション」などで、三度共催しておりますが、今回は、北海道銀行のカレンダーに用いられた木田作品を中心に、木田の画業が北海道民に知られていく過程をたどるとともに、同行が北海道の美術と道民を結んできた役割についても紹介します。
 道民が身近に触れるカレンダーを通して、そして木田金次郎と北海道銀行の深い縁を通じて、美術作品に親しむことの意義について思いを寄せていただければ幸いです。
(同展チラシより)

いやー、よかった! もう木田美術館の企画展は全部行かなきゃ駄目ですね。それくらい、行く度に発見がある。道銀カレンダーって、木田の作品ばかりと思っていたのだけど、栗谷川健一(1967年)や三岸好太郎(1984年)を使った年もあったのね。(1965年の道銀本店レリーフ「大地」カレンダー、欲しい!)

その「大地」。喫茶コーナーで海洋深層水コーヒーを飲んでいる時、パラパラとめくったカタログで、今の本郷新・山内壮夫・佐藤忠良共同制作バージョン以外にも、栗谷川健一バージョンというものも存在していたことを初めて知りました。小さく写真が載っていた。ということは、どこかにはその実物が残っているということですね。見たい!ぜひ生きている内に見たい!



▼ 牛があそんでゐる。Mooooo!   [RES]
  あらや   ..2014/05/17(土) 16:30  No.383
  写真は5月5日の苫小牧市美術博物館です。「宮沢賢治の世界をアートする2014」
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/hakubutsukan/tenrankai/26amyu_tenran_miyazawa.html
を見に行ったのですが、たまたま「こどもの日」で無料。おまけに、午後の「賢治の紙芝居とギターの演奏会」にも参加できてラッキーでした。紙芝居「注文の多い料理店」、「星めぐりの歌」、よかったです。

美術館と博物館が合体しているということは…

企画展「美沢川流域の遺跡群〜美々・美沢〜」
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/hakubutsukan/tenrankai/26amyu_tenran_misawa.html
こっちも見られるんだよね。すっごく得した気分。

宮沢賢治が苫小牧に足跡 90年を記念してさまざまなイベント
(苫小牧民報 2014年 3/24)
http://www.tomamin.co.jp/20140311023
連休の写真整理も終了。さあ、次の展開に行こう。


 
▼ ポロトコタン  
  あらや   ..2014/05/17(土) 16:40  No.384
   一千九百二十五年五月六日
 今日学校で武田先生から三年生の修学旅行のはなしがあった。今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。
(宮沢賢治「或る農学生の日誌」)

ポロトコタンでアイヌの人たちの踊りを見て、初めて「美しい」と感じました。また、行きたい。

 
▼ 賢治ウォーク2014@  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:31  No.388
   宮澤賢治と苫小牧とスコットランド
 宮澤賢治は大正13年(1924年)5月21日夜、苫小牧駅に降リ立ちました。当時、彼は花巻農学校の教師。修学旅行の引率者として来道。この日、生徒たちを引率して苫小牧に宿泊しました。このことについて、賢治の書いた修学旅行復命書が残され、何時に着いて、どこに泊まったかなどが記されています。そしてこの夜、賢治は海岸まで歩き、苫小牧の情景を詠んだ詩を残しました。「牛」と名付けた詩は、賢治の詩集である「春と修羅・第2集」に収録されました。下書き稿とも呼ばれる「海鳴り」の詩も含め、これらの詩を苫小牧の文化遺産、と捉え、創造的生涯学習のまちづくりを進める「NPO法人ゆうべあまちづくりネットワーク」では、その活動の一環として、宮澤賢治に関する様々な取り組みを進めています。
(「賢治ウォーク2014」パンフレットより)

「賢治ウォーク」に参加してきました。前日の講演会の流れを受けて、講師陣の多くがそのまま「賢治ウォーク」に合流するという豪華版。

 修学旅行復命書によると、宮澤賢治ら一行が苫小牧に着いたのは同日午後8時。札幌から汽車に乗り、岩見沢経由で苫小牧に入リました。当時の苫小牧といえば、明治43年に王子製紙が操業開始。翌年には市街地に送電が開始され、北海道にあっては夜も街灯がこうこうと輝く明るい町として知られていました。宿泊先は旅館・富士館。現在の苫小牧駅前プラザegaoの駐車場付近にありました。駅を降りた一行は明るい街灯の中を歩いて宿に向かったはずです。
 駅舎は今の駅前交番付近にあり、そこから数分の場所に旅館の富士館がありました。この時、賢治の耳に浜からの海鳴りの音が聞こえていました。というのもこのころの駅前通は、中心街並に店舗等が張り付いていましたが、現在の国道36号を越えると人家は点在。前浜側には中村牧場が広がっているだけという状況でした。夜は騒音もほとんどなく、海の音が駅前まで聞こえていたようです。段々状の地形が波の音を増幅させていた、とも言われています。戦後もまだ聞こえていた、という市民の話も残っています。
(同パンフレットより)

 
▼ 賢治ウォーク2014A  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:35  No.389
   賢治らが苫小牧を訪れたのは、修学旅行生の王子製紙苫小牧工場見学が目的でした。翌日22日、同工場を見学して次の目的地白老に向かっています。苫小牧に着いた日は夜も遅かったため、予定された行事はなく、さらに夜が深けてから、賢治は前浜に向けて散歩に出かけます。復命書に「濤声(とうせい)」という言葉をわぎわざ残していることから、賢治にとって、詩を詠んだ苫小牧は思い出の地となって心に刻まれたのかも知れません。5月24日の宮沢賢治学会苫小牧セミナー研究講演で天文家の加倉井厚夫氏が指摘したように、下弦の月に大きな影響を受けたのかも知れません。
(同パンフレットより)

「賢治ウォーク」のいちばん有難いことは、王子製紙苫小牧工場の中に入れたこと。通称「赤レンガ」の旧事務所の内部も見学できました。王子倶楽部(迎賓館として使っていた)には木田金次郎や棟方志功がばんばんそこかしこに架かっていて頭くらくら。
この状態は午後も続いて、美術博物館「宮座や賢治の世界をアートする」展では、なんと、佐藤国男氏自身が作品解説をしてくれる超豪華版。参加費300円で、こんな贅沢していいのか!という一日ではありました。

 
▼ 賢治ウォーク2014B  
  あらや   ..2014/06/08(日) 17:41  No.390
   苫小牧の前浜の砂丘に立って、最初に詩をしたためた下書き稿のタイトルは「海鳴り」でした。心象をスケッチした60行ほどの長い詩。荒々しい海の詩となっていますが、後半を削り、推敲してわずか10行の短い詩に直したのが、「牛」です。「海鳴り」と違って、荒々しさは陰をひそめ、浜辺にある牧場の光景が描写されています。この変化について、同じ研究講演で宮城教育大学の中地文教授が豊富な資料で、心情の変化等々について詳しくお話ししていただきました。。
 現在「ふるさと海岸」と呼ばれる前浜一帯は、中村牧場の牧草地などが広がリ、エ一シャ牛(エアシャー牛)が飼われていました。乳用牛の一種で、後に乳量の多いホルスタイン種に変わることになりますが、当時の代表的乳用牛といえばイギリス原産のエアーシャ牛でした。前浜の牧場にはサイロも建ち、当時のものと思われるサイロが数年前まで残っていました。
 苫小牧では毎年、賢治がやって来た日の週に「賢治ウォーク」を開催しています。苫小牧での賢治の足取りを追体験しながら、先人たちの築き上げてきた大正時代当時の歴史や文化、産業なども学びたいものです。ちなみにエ一アシャー牛は北海道が明治に輸入し、繁殖させて道内に広めました。今秋から始まるNHK朝ドラのテーマ・ウィスキーだけでなく、乳牛についてもスコットランドとは深い関係にあったのです。
(同パンフレットより)

「マッサン」の余市ロケも始まった今、ちゃんと「スコットランド」にもふれていただいて、ありがとう。(現在の「花子とアン」で、初めて字幕スーパー入りの朝ドラってものを観ているのですけど、これは「マッサン」の予行演習なのでしょうか…)








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